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クレイグ・イーロー player profile⑧

公開日:     -880 views-

 

スポーツにはどんなに時代が変わっても繰り返し流される名シーンというものがあります。
それはどれだけ時間が経過しようとも色褪せることなく、観る者を魅了しつづけます。
そこには勝者と敗者が明確に存在します。
クレイグ・イーロー。
彼もまた、NBAの名シーンを集めたハイライト映像に、必ずといっていいほど登場します。
敗者として。
イーローはスーパースター、マイケル・ジョーダンに果敢に挑み、そしてジョーダンの伝説的なショットの犠牲者となりました。
今回はジョーダンの最大のやられ役として知られるイーローにスポットをあててみたいと思います。
 
Craig-EhloCraig Ehlo(クレイグ・イーロー)

誕生日 1961年10月11日
デビュー 1983年(ヒューストン・ロケッツ)
引退 1997年(シアトル・スーパーソニックス)
ポジション シューティングガード/スモールフォワード
身長・体重 198cm・82kg
キャリア通算平均 8.6PPG、3.6RPG、2.8APG、1.1SPG、.369 3P%

 

キャリア初期

イーローはワシントン州立大学から1983年のNBAドラフトで3巡目、全体で48番目にヒューストン・ロケッツから指名されて入団します。
ロケッツでのイーローの立場は、いわゆる12番目の選手。
チームの勝利に貢献できるかどうかというより、イーローの戦いはNBAに残れるかどうかでした。
出番は試合の大勢が決まったゲーム終盤に限られ、ロケッツに在籍した3シーズンで出場時間が増える事はありませんでした。
1986年、イーローは自身初のファイナルを経験しますが、その4ヶ月後、新しいシーズンが開幕する直前に解雇されてしまいます。
 
1986-87シーズン、開幕から2ヶ月が過ぎた頃、イーローはフリーエージェントとしてクリーブランド・キャバリアーズと契約します。
このシーズンからキャブスのヘッドコーチに就任したレニー・ウィルケンズは、ベンチからの得点と流れを変える存在となることを期待し、イーローを積極的に起用します。
身体能力にめぐまれないものの、ハッスルプレーと最後まで諦めないディフェンスを見せるイーローに対し、ファンはお気に入りの選手として声援を送りました。
1988-89シーズン、イーローは控えながらも82試合全てに出場し、その存在はすでにチームに不可欠なものとなっていました。
そして、57勝25敗という好成績を収めたキャバリアーズは第3シードでプレイオフへと進み、第6シードのシカゴ・ブルズと激突する事になります。
 
 

The SHOT

シリーズは一進一退の攻防がつづき、キャバリアーズは後がないシカゴでの第四戦をオーバータイムのすえに勝利します。
そして、クリーブランドで迎えた最終戦、お互いに最後まで譲らない激戦となりました。
ゲームの最終局面、第4クォーター残り1分12秒で、ブルズが97-95とリードしていました。
ここでキャブス7番目のプレイヤーであるイーローが起死回生のスリーポイントを決め、キャバリアーズが98-97と逆転に成功します。
イーローはこの土壇場となる最終戦で24得点と勝負強さを見せていました。
残り時間はわずかに6秒。
ブルズ絶体絶命の場面、マイケル・ジョーダンが魅せます。
ディフェンスにつくイーローを鋭いドライブで抜き去り、さらにオールスター・フォワードであるラリー・ナンスの高いブロックの上から12フィートのジャンパーを見事に決めて99-98とブルズが再逆転。
しかしキャバリアーズのタイムアウト後、ナンスへインバウンズパスを入れたイーローは素早い動きでリターンパスをもらい、すぐさまレイアップを決めてキャブスが100-99と勝ち越します。
勝利を確信したキャバリアーズのファンで埋め尽くされたガンドアリーナーは大興奮に包まれます。
残り時間3秒。
キャバリアーズのファンは目の前で伝説がつくられる瞬間を目撃することになります。
タイムアウト後、ハドルを解散したブルズのメンバーの中でジョーダンはチームメイトに「おれが決める」と囁きます。
バックピックから素早く方向を切り返してインバウンズパスをキャッチしたジョーダンは、ドリブルを2回ついた後、フリースローライン後方の中央エリアからジャンパーを狙います。
ジョーダンがジャンプしてシュート態勢に入った瞬間、ジョーダンの視界をディフェンスが遮ります。
必死に食らい付いてきたイーローでした。
ジョーダンは空中で態勢を保持し、イーローが行き過ぎるのを待ってからシュート。
ジョーダンのこのショットはリムの奥に当たったあとにネットに沈み、101-100でブルズに劇的な勝利をもたらしました。
jordans-game-winner-over-ehloこのクラッチショットは「THE SHOT」と呼ばれ、数多いジョーダンの名シーンの中でも象徴的なワンシーンとして語り継がれることになりました。
勝利を寸前で逃したうえに、このシーンが今後永遠に放送されつづけることを予感したイーローは当然のように落ち込みましたが、
ヘッドコーチのウィルケンズは「史上最高の男と遜色なく戦った。誰にもあれ以上のことはできない。」とイーローをかばいました。
イーローに対する信頼がこの言葉に表れていたのか、指揮官は翌1989-90シーズンにイーローを先発として起用します。
これに応えるかのように、イーローは平均13.6得点を記録したほか、5.4リバウンド、4.6アシスト、1.6スティール、スリーポイントシュート成功率41.9%と、まさにオールラウンドなプレーを披露し、Mr.Everythingと呼ばれるまでの評価を得る事になります。
 
有望なプレイヤーを多く抱え、マジック・ジョンソンから「90年代を代表するチームになる」とまで称されたキャバリアーズでしたが、その行く手をブルズによって何度も阻まれてしまいます。
チームはとうとうブルズの壁を超えれないまま方針転換。
1993-94シーズンに長くチームを率いたウィルケンズHCがアトランタ・ホークスへと移籍すると、イーローもこれを追うかのようにホークスへと移籍。
ホークスでは控えでの起用となりましたが、地区優勝を果たすホークスをベンチから支えました。
その後、1996年にシアトル・スーパーソニックスへと移籍し、このシーズン終了後に14シーズンにわたる現役生活に幕を下ろす事を決断しました。
 
イーローは個人としての活躍よりも、常にジョーダンの「THE SHOT」と対で語られます。
それは単純にやられ役としてのイーローですが、あの試合を観た者には、ブルズを崖っぷちまで追い詰めたイーローの姿を忘れる事はできないと思います。
イーローの最後まで諦めない姿勢が、あのシーンをより劇的なものとしているのだと、そう思います。
現在、イーローは当時の事を聞かれるたびに、笑顔で振り返るそうです。
「私はあのプレーと結び付けられることが好きだ。
あれは単にマイケル・ジョーダンによる素晴らしいプレーだっただけでなく、素晴らしいシリーズだったから…
実際に私も素晴らしいシリーズを送っていた。
あの夜だって」

 
競技はシビアに勝者と敗者を分けますが、人に感動を与えるプレー、試合というのは、両者が高いレベルで全てをぶつけ合った結果なんだということをスポーツを観るたびにおもいます。
高校野球の季節、
歓喜に沸く勝者と、涙でその場にへたり込んでしまう敗者。
胸を熱くさせる熱戦を観ながら、ふと思い出してしまったクレイグ・イーローを今回取り上げてみました。

 


 

今回は記事を書く際にあたって、まきさんの「My Dear Airness」を参考にさせていただきました。

 

 
 
 
 

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