NBA 歴代ドラフト
49,912 views
ドラフトで見る選手名鑑。
年号をクリックすると、年代別ページにジャンプします。
※内容については正確性を保証するものではありません。
2000年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ケニオン・マーティン | マイク・ミラー | |
2000-2001シーズンの出来事 | ||
●ロサンゼルス・レイカーズがポストシーズン15勝1敗で優勝し、歴代最高勝率93.8%を記録しての2連覇となった。 |
1999年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
エルトン・ブランド | エルトン・ブランド スティーブ・フランシス |
|
1999-2000シーズンの出来事 | ||
●オールスターゲームで2シーズンぶりにスラムダンク・コンテストが復活し、ビンス・カーターが優勝した。 |
1998年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
マイケル・オロウォカンディ | ビンス・カーター | |
1998-99シーズンの出来事 | ||
●ロックアウトの影響により開幕戦が2月5日にずれこみ、シーズンは82試合から50試合に短縮された。 ●ニューヨーク・ニックスがファイナルに進出し、第8シードからファイナルに進出した初のチームとなった。 |
1997年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ティム・ダンカン | ティム・ダンカン | |
1997-98シーズンの出来事 | ||
●ワシントン・ブレッツがワシントン・ウィザーズに改称する。 ●シカゴ・ブルズがチーム6度目の優勝、そして2度目の3連覇を達成する。このシーズンを最後にマイケル・ジョーダンが2度目の引退を表明する。 |
1996年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
アレン・アイバーソン | アレン・アイバーソン | |
1996-97シーズンの出来事 | ||
●NBA誕生50周年を記念して、オールスター期間中に「50人の偉大な選手」を発表した。 ●オールスターゲームでマイケル・ジョーダンが史上初のトリプルダブルを達成する。 ●ロサンゼルス・クリッパーズのビル・フィッチHCがNBA初の1,000敗目を記録した。 |
1995年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジョー・スミス | デイモン・スタウダマイアー | |
1995-96シーズンの出来事 | ||
●カナダに本拠地を置くバンクーバー・グリズリーズとトロント・ラプターズが新たにNBAに加盟し、チーム数が29となる。 ●シカゴ・ブルズがNBA新記録となるシーズン72勝を記録する。 ●1992年に引退したロサンゼルス・レイカーズのマジック・ジョンソンがシーズン途中に現役復帰を果たす。シーズン終了後に再度引退を表明した。 ●アトランタ・ホークスのレニー・ウィルケンズHCが史上初となるコーチ通算1000勝目を記録する。 |
1994年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
グレン・ロビンソン | ジェイソン・キッド グラント・ヒル |
|
1994-95シーズンの出来事 | ||
●メジャーリーグに挑戦していたシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンがシーズン終盤に現役復帰を果たす。 ●オールスターのファン投票では、デトロイト・ピストンズのグラント・ヒルが、アメリカプロスポーツ史上初めて新人でトップとなる投票を獲得した。 |
1993年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
クリス・ウェバー | クリス・ウェバー | |
1993-94シーズンの出来事 | ||
●プレイオフのウェスタン・カンファレンス1回戦でデンバー・ナゲッツがシアトル・スーパーソニックスを破り、史上初めて第8シードのチームが第1シードを破る番狂わせとなった。 |
1992年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
シャキール・オニール | シャキール・オニール | |
1992-93シーズンの出来事 | ||
●シーズン前に開催されたバルセロナ五輪でのドリームチームの活躍により、NBAは国際的な人気を急速に高めていく。 ●シカゴ・ブルズは60年代のボストン・セルティックス以来となる3連覇を達成する。シーズン終了後にマイケル・ジョーダンが引退を表明した。 ●シーズンオフにボストン・セルティックスのレジー・ルイスが心臓発作により27歳で急逝。さらにニュージャージ・ネッツのドラゼン・ペトロビッチが交通事故により28歳で急逝した。 |
1991年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ラリー・ジョンソン | ラリー・ジョンソン | |
1991-92シーズンの出来事 | ||
●シーズン開幕直後、ロサンゼルス・レイカーズのマジック・ジョンソンがHIV感染により引退を表明する。 ●シーズン終了後、ボストン・セルティックスのラリー・バードが引退を表明する。 |
1990年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
デリック・コールマン | デリック・コールマン | |
1990-91シーズンの出来事 | ||
●NBA初の海外公式戦が日本で行われ、ユタ・ジャズとフェニックス・サンズが代々木体育館で開幕戦を戦った。 |
1989年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
パービス・エリソン | デビッド・ロビンソン | |
1989-90シーズンの出来事 | ||
●ミネソタ・ティンバーウルブズとオーランド・マジックの2チームが新たにNBAに加盟し、チーム数が27となる。 ●2年の軍役を終えたデビッド・ロビンソンがサンアントニオ・スパーズに入団し、突出した活躍で新人王を獲得する。 |
1988年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ダニー・マニング | ミッチ・リッチモンド | |
1988-89シーズンの出来事 | ||
●マイアミ・ヒートとシャーロット・ホーネッツの2チームが新たにNBAに加盟し、チーム数が25となる。 ●20年に渡り第一線で活躍したロサンゼルス・レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーがシーズン終了後に引退を表明した。 |
1987年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
デビッド・ロビンソン | マーク・ジャクソン | |
1987-88シーズンの出来事 | ||
●選手会が球団オーナーに対して独占禁止訴訟を起こし、1988年にフリーエージェント制が確立される。 ●シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンがガードとして初めて最優秀守備選手賞を受賞し、史上初めて得点王と最優秀守備選手賞を同時獲得した選手となった。 ●ロサンゼルス・レイカーズが1969年のボストン・セルティックス以来となる連覇を達成する。 |
1986年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ブラッド・ドアティ | チャック・パーソン | |
1986-87シーズンの出来事 | ||
●シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンが初の得点王に輝く。また、史上初めてシーズン通算100ブロック・200スティール以上を達成した選手となった。 ●フィラデルフィア・76ersのジュリアス・アービングが引退を表明し、NBAはリーグ総出による特別イベントを催すことで敬意を表した。 |
1985年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
パトリック・ユーイング | パトリック・ユーイング | |
1985-86シーズンの出来事 | ||
●この年のドラフトから抽選(ロッタリー)で指名順を決めるロッタリー制が導入された。 ●カンザスシティ・キングスが本拠地を移転し、サクラメント・キングスに改称した。 ●オールスター期間中にスリーポイント・シュートアウトが初めて開催され、ボストン・セルティックスのラリー・バードが初代チャンピオンに輝く。 ●シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンがプレイオフでボストン・セルティックスを相手にプレイオフ記録となる63得点を叩き出す。 ●最も成長した選手に贈られるMIP賞が新設され、サンアントニオ・スパーズのアルビン・ロバートソンが初代受賞者となる。 |
1984年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
アキーム・オラジュワン | マイケル・ジョーダン | |
1984-85シーズンの出来事 | ||
●1984年にデビッド・スターンがコミッショナーに就任する。スターンはリーグのクリーン化や様々な経営戦略で辣腕を発揮し、破産状態寸前だったNBAの財政を見事に立て直した。 ●サンディエゴ・クリッパーズが本拠地を移転し、ロサンゼルス・クリッパーズに改称した。 |
1983年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ラルフ・サンプソン | ラルフ・サンプソン | |
1983-84シーズンの出来事 | ||
●オールスター期間中に初めてスラム・ダンクコンテストが開催され、フェニックス・サンズのラリー・ナンスが初代チャンピオンに輝いた。 ●プレイオフ出場枠が各カンファレンスで6チームから8チームに増加された。 |
1982年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジェームズ・ウォージー | テリー・カミングス | |
1982-83シーズンの出来事 | ||
●最優秀守備選手賞が新設され、ミルウォーキー・バックスのシドニー・モンクリーフが初代受賞者となる。 ●シックスマン賞が新設され、フィラデルフィア・76ersのボビー・ジョーンズが初代受賞者となる。 ●当時協会の顧問弁護士を務めていたデビッド・スターンの尽力によりNBA初の労使協定が締結され、サラリーキャップ制度の導入や最低保証額などが設定される。 |
1981年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
マーク・アグワイア | バック・ウィリアムス | |
1981-82シーズンの出来事 | ||
●パット・ライリーがロサンゼルス・レイカーズのヘッドコーチに就任し、1年目に優勝を果たす。ライリーが導入したラン&ガンスタイルは”ショータイム”という特別な名を与えられ、一世を風靡することになった。 |
1980年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジョー・バリー・キャロル | ダレル・グリフィス | |
1980-81シーズンの出来事 | ||
●ダラス・マーベリックス が新たにNBAに加盟し、チーム数が23になる。 ●カンザスシティ・キングスのオーティス・バードソングが、NBA史上初の100万ドルプレイヤーとなった。 |
1979年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
マジック・ジョンソン | ラリー・バード | |
1979-80シーズンの出来事 | ||
●マジック・ジョンソンと、前年にドラフト指名されたラリー・バードが東西の名門チームに入団し、薬物スキャンダルや多発する乱闘事件で著しくイメージを悪化させていたNBAは、このシーズンを境にかつてないほどの人気を高めていくことになる。 ●スリーポイントシュートが導入され、ボストン・セルティックスのクリス・フォードが最初の成功者となった。 ●ニューオリンズ・ジャズが本拠地を移転し、ユタ・ジャズに改称する。 ●マジック・ジョンソンが史上初めて新人としてファイナルMVPに選出された。 |
1978年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
マイカル・トンプソン | フィル・フォード | |
1978-79シーズンの出来事 | ||
●ドラフトではバハマ出身のマイカル・トンプソンが1位で指名され、アメリカ合衆国以外出身の選手として初めてのドラフト1位指名選手となった。 ●ボストン・セルティックスがドラフト制度の盲点をつき、ドラフトにエントリーできないと思われていたラリー・バードを全体6位で指名する。バードは大学を卒業した翌年にセルティックスに入団する。 ●バッファロー・ブレーブスが本拠地を移転し、サンディエゴ・クリッパーズに改称した。 |
1977年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ケント・ベンソン | ウォルター・デービス | |
1977-78シーズンの出来事 | ||
●観客動員数が1960-61シーズン以来となる減少に転じ、一方で選手のサラリーは記録的な上昇を見せたため、多くのチームが赤字経営を強いられた。 ●ニューヨーク・ネッツが本拠地を移転し、ニュージャージ・ネッツに改称する。 |
1976年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジョン・ルーカス | エイドリアン・ダントリー | |
1976-77シーズンの出来事 | ||
●ABAが解散し、NBAに吸収合併される。 ●ABAからインディアナ・ペイサーズ、デンバー・ナゲッツ、サンアントニオ・スパーズ、ニューヨーク・ネッツの4チームがNBAに加盟し、NBAは既存の18チームから22チームに膨れ上がった。 ●プレイオフ出場枠が各カンファレンスで5チームから6チームに増加された。 ●このシーズンに開催されたオールスターに新聞社が一社も取材に訪れないなど、薬物スキャンダルなどのイメージ悪化によりNBA人気は低迷する。 ●1971年に設定されたドラフト・ハードシップ制度が、アーリーエントリー制度にかわる。 |
1975年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
デビッド・トンプソン | アルバン・アダムス | |
1975-76シーズンの出来事 | ||
●カンザスシティ=オマハ・キングスがカンザスシティ・キングスに改称する。 ●NBPA(選手会)が反発していたNBAとABAの合併案がようやく合意に至り、NBAによるABA吸収が決定した。 |
1974年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ビル・ウォルトン | ジャマール・ウィルクス | |
1974-75シーズンの出来事 | ||
●ニューオーリンズ・ジャズが新たにNBAに加盟し、チーム数は18となる。 ●キャピタル・ブレッツがワシントン・ブレッツに改称する。 ●シカゴ・ブルズのネイト・サーモンドがアトランタ・ホークス戦で現在確認できる史上初のクアドラプル・ダブルを達成する。 ●プレイオフ出場枠が各カンファレンスで4チームから5チームに増加される。 |
1973年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ダグ・コリンズ | アーニー・ディグレゴリオ | |
1973-74シーズンの出来事 | ||
●ボルチモア・ブレッツが本拠地を移転し、キャピタル・ブレッツに改称した。 ●このシーズンからスティール数とブロックショット数の計測が公式に開始される。 ●ジェリー・ウェストやオスカー・ロバートソンら大物選手が一挙に引退し、NBA人気の停滞へと繋がった。 |
1972年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ラルー・マーティン | ボブ・マッカドゥ | |
1972-73シーズンの出来事 | ||
●シンシナティ・ロイヤルズが本拠地を移転し、カンザスシティ=オマハ・キングスに改称した。 ●カンザスシティ=オマハ・キングスのネイト・アーチボルトが史上初めて得点王とアシスト王を同時に達成した。 ●ウィルト・チェンバレンが引退し、現役最後となったシーズンに歴代1位となるFG成功率72.7%という数字を残した。 ●フィラデルフィア・76ersがリーグ史上最低記録となる9勝73敗の成績に終わる。 |
1971年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
オースティン・カー | シドニー・ウィックス | |
1971-72シーズンの出来事 | ||
●この年のドラフトからハードシップ制度が導入され、経済的な理由でプロ選手になる必要があることを証明された大学生選手は、大学でのプレー資格がまだ残っていたとしてもドラフトへのエントリーが可能となった。 ●サンディエゴ・ロケッツが本拠地を移転し、ヒューストン・ロケッツに改称した。 ●サンフランシスコ・ウォリアーズが本拠地を移転し、ゴールデンステイト・ウォリアーズに改称した。 ●ロサンゼルス・レイカーズがレギュラーシーズンでアメリカプロスポーツ史上最長記録となる33連勝を記録し、当時の最多記録となる69勝をあげた。 ●ロサンゼルス・レイカーズのエルジン・ベイラーがシーズン序盤に引退を表明する。 |
1970年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ボブ・レイニア | デイブ・コーウェンス ジェフ·ペトリー |
|
1970-71シーズンの出来事 | ||
●ポートランド・トレイルブレイザーズ、バッファロー・ブレーブス、クリーブランド・キャバリアーズの3チームが新たにNBAに加盟し、チーム数は17となる。 ●チーム数の増加に伴い、これまでの2ディビジョン制から、2カンファレンス4ディビジョン制となる。 ●1965-66シーズンに200万人強だった観客動員数が、このシーズンに500万人を突破する。NBAは1960年代後半に飛躍的な成長を遂げたが、このシーズンを境に冬の70年代へと突入する。 |
1969年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
カリーム・アブドゥル=ジャバー | カリーム・アブドゥル=ジャバー | |
1969-70シーズンの出来事 | ||
●このシーズンからスタッツリーダーは通算ではなく、アベレージで決められるようになった。 |
1968年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
エルヴィン・ヘイズ | ウェス・アンセルド | |
1968-69シーズンの出来事 | ||
●フェニックス・サンズとミルウォーキー・バックスが新たにNBAに加盟し、チーム数は14に増加した。 ●セントルイス・ホークスが本拠地を移転し、アトランタ・ホークスに改称した。 ●このシーズンまで得点王などのスタッツリーダーはアベレージではなく通算で決められていた。 ●オール・ディフェンシブ・チームが新設される。 ●ウェス・アンセルドが新人としてMVPを受賞した史上2人目の選手となった。 ●ボストン・セルティックスのビル・ラッセルとサム・ジョーンズが引退する。 |
1967年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジミー・ウォーカー | アール・モンロー | |
1967-68シーズンの出来事 | ||
●シアトル・スーパーソニックスとサンディエゴ・ロケッツが新たにNBAに加盟し、チーム数が12となった。 ●レギュラーシーズンの試合数が81試合から82試合に増加した。 ●プロバスケットボールリーグABAが創設され、初代コミッショナーに元NBAのスター選手であるジョージ・マイカンが就任した。NBAとABAは壮絶な選手の引き抜き合戦を繰り広げ、両リーグの首を絞める事になる選手のサラリー高騰に繋がった。 ●フィラデルフィア・76ersのウィルト・チェンバレンがセンターとして史上初めてアシスト王に輝く。さらにシーズン中の一戦で3つのカテゴリーで20以上を記録するダブル・トリプル・ダブルを達成した。 ●前シーズンに連覇記録が途絶えたボストン・セルティックスが早くも王座に復権し、選手兼コーチのビル・ラッセルはアメリカ四大メジャースポーツ史上初めて黒人ヘッドコーチとしてチームを優勝に導いた人物となった。 |
1966年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
カジー・ラッセル | デイブ・ビン | |
1966-67シーズンの出来事 | ||
●この年から地域ドラフト(Territorial pick)が廃止される。 ●シカゴ・ブルズが新たにNBAに加盟し、NBA初のエクスパンション・ドラフトが行われた。 ●レギュラーシーズンの試合数が80から81に増加された。 ●ボストン・セルティックスのビル・ラッセルが選手兼任のままヘッドコーチに就任し、アメリカ四大メジャースポーツ史上初めての黒人ヘッドコーチとなった。 ●ボストン・セルティックスの連覇記録が途絶え、プレイオフ地区決勝でセルティックスを破ったフィラデルフィア・76ersがファイナルをも制して優勝を果たす。 |
1965年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
フレッド・ヘッツェル | リック・バリー | |
1965-66シーズンの出来事 | ||
●ボストン・セルティックスがアメリカのプロスポーツ史の中でも最長記録となる8連覇を達成する。 |
1964年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジム・バーンズ | ウィリス・リード | |
1964-65シーズンの出来事 | ||
●1951年以来2度目の制限区域拡大が行われ、フリースローレーンが12フィートから16フィートに広がった。 |
1963年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
アート・ヘイマン | ジェリー・ルーカス | |
1963-64シーズンの出来事 | ||
●シラキュース・ナショナルズが本拠地を移転し、フィラデルフィア・76ersに改称した。 ●シカゴ・ゼファーズが本拠地を移転し、ボルチモア・ブレッツに改称した。 ●1954年に結成されたNBPA(選手会)がこのシーズンのオールスターゲームをボイコットする構えを見せ、以降発言力を強めていく。 |
1962年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ビル・マクギル | テリー・ディッシンガー | |
1962-63シーズンの出来事 | ||
●フィラデルフィア・ウォリアーズが本拠地を移転し、サンフランシスコ・ウォリアーズに改称した。 ●シカゴ・パッカーズがシカゴ・ゼファーズに改称した。 ●オール・ルーキー・チームが新設される。 ●最優秀コーチ賞が新設され、セントルイス・ホークスのハリー・ギャラティンが初代受賞者となる。 |
1961年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ウォルト・ベラミー | ウォルト・ベラミー | |
1961-62シーズンの出来事 | ||
●シカゴ・パッカーズが新たにNBAに加盟する。 ●レギュラーシーズンの試合数が79から80に増加する。 ●フィラデルフィア・ウォリアーズのウィルト・チェンバレンがニューヨーク・ニックス戦で100得点を記録する。 ●シンシナティ・ロイヤルズのオスカー・ロバートソンが、史上唯一となるシーズン平均トリプルダブルを達成する。 ●ボストン・セルティックスとロサンゼルス・レイカーズの対戦となったファイナルで、レイカーズのエルジン・ベイラーが第5戦でファイナル記録となる61得点を記録し、セルティックスのビル・ラッセルが第7戦でファイナル記録となる40リバウンドを記録した。 |
1960年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
オスカー・ロバートソン | オスカー・ロバートソン | |
1960-61シーズンの出来事 | ||
●ミネアポリス・レイカーズが本拠地を移転し、ロサンゼルス・レイカーズに改称した。 ●レギュラーシーズンの試合数が75から79に増加された。 ●フィラデルフィア・ウォリアーズのウィルト・チェンバレンがシーズン平均でNBA初のFG成功率50%以上を記録する。 |
1959年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ボブ・ブーザー | ウィルト・チェンバレン | |
1959-60シーズンの出来事 | ||
●レギュラーシーズンの試合数が72から75に増加された。 ●フィラデルフィア・ウォリアーズのウィルト・チェンバレンが史上初めて新人としてMVPを獲得し、得点王、リバウンド王、新人王、オールスターMVPを含む5冠を達成する。 |
1958年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
エルジン・ベイラー | エルジン・ベイラー | |
1958-59シーズンの出来事 | ||
●ファイナルでボストン・セルティックスとミネアポリス・レイカーズ(後のロサンゼルス・レイカーズ)が初めて対決した。 ●ボストン・セルティックスが1年ぶりに王座に返り咲き、この年から前人未到の連覇記録がうちたてられる事になる。 |
1957年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ロッド・ハンドリ- | ウッディ・ソウルズベリー | |
1957-58シーズンの出来事 | ||
●フォートウェイン・ピストンズが本拠地を移転し、デトロイト・ピストンズに改称した。 ●ロチェスター・ロイヤルズが本拠地を移転し、シンシナティ・ロイヤルズに改称した。 ●ボストン・セルティックスのビル・ラッセルが黒人として初めてMVPを受賞したが、同時にMVPを受賞しながらオールNBA1stチームに選出されなかった史上初の選手となった。 ●リーグ全体の平均得点が初めて100得点を超え、平均106.6得点を記録した。 |
1956年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
シヒューゴ・グリーン | トム・ヘインソーン | |
1956-57シーズンの出来事 | ||
●ボストン・セルティックスにビル・ラッセルが入団し、この年に最初の優勝を成し遂げる。 |
1955年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ディック・リケッツ | モーリス・ストークス | |
1955-56シーズンの出来事 | ||
●ミルウォーキー・ホークスが本拠地を移転し、セントルイス・ホークスに改称した。 ●最優秀選手賞(MVP)が新設され、セントルイス・ホークスのボブ・ペティットが初代受賞者となった。 |
1954年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
フランク・セルヴィ | ボブ・ペティット | |
1954-55シーズンの出来事 | ||
●ショットクロック(24秒ルール)が導入され、試合のテンポは急速に上昇していく。このシーズンがNBAが発展していく上での一大転換期となった。 ●アメリカ四大スポーツ最古の労働組合であるNBPA(選手会)が結成され、ボブ・クージーが初代会長に就任する。 ●フィラデルフィア・ウォリアーズのニール・ジョンストンが史上初めて得点王とリバウンド王の2冠を達成した。 ●シーズン中にボルティモア・ブレッツが解散し、チーム数は歴代最小の8にまで減少した。 |
1953年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
レイ・フェリックス | レイ・フェリックス | |
1953-54シーズンの出来事 | ||
●インディアナ・オリンピアンズが解散し、チーム数は9チームにまで減少した。 ●ファウルゲームを抑制するため、5つ目以降のチームファウルにはフリースロー2本が与えられるようになった。 ●ミネアポリス・レイカーズが史上初の三連覇を達成する。シーズン終了後、中心選手のジョージ・マイカンが引退を表明する。 |
1952年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
マーク・ウォークマン | ドン・メインケ | |
1952-53シーズンの出来事 | ||
●ルーキー・オブ・ザ・イヤーが新設され、フォートワース・ピストンズのモンク・メインケが初代受賞者となった。 ●平均ファウル数がこのシーズンに激増し、ロースコアゲームに加えて頻繁に時計が止まる「つまらない試合」が最も氾濫した時期となった。 |
1951年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ジーン・メルチオーレ | – | |
1951-52シーズンの出来事 | ||
●トライシティーズ・ブラックホークスが本拠地を移転し、ミルウォーキー・ホークスに改称した。 ●制限区域(ペイントエリア)が拡大され、フリースローレーンは6フィートから12フィートとなった。 ●カレッジバスケで八百長疑惑が持ち上がり、その後事件は様々な不正が発覚する一大スキャンダルへと発展した。この事がきっかけで、当時マイナーな存在だったNBAにカレッジバスケファンが流入する事になり、NBAの知名度を飛躍的に上げた重要な出来事となった。 |
1950年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
チャック・シェアー | – | |
1950-51シーズンの出来事 | ||
●チャック・クーパーが黒人選手として初めてドラフト指名を受け、ナサニエル・クリフトンは黒人選手として初めて契約を交わした。そしてアール・ロイドは黒人選手として初めてNBAの試合に出場した。 ●このシーズンからファウルアウトが5ファウルから6ファウルに変更された。 ●NBA初のオールスターゲームが開催され、イーストが勝利を収める。MVPにはボストン・セルティックスのエド・マコーレーが輝いた。 ●フォートウェイン・ピストンズとミネアポリス・レイカーズとの一戦で、19対18というリーグ最低得点が記録される。 ●シーズン前に6チーム、シーズン中に1チームが解散し、チーム数は前シーズンの17から一気に10まで減少した。 |
1949年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
ハウィー・シャノン | – | |
1949-50シーズンの出来事 | ||
●BAAがNBL(National Basketball League)を吸収合併し、NBAが誕生する。両リーグの統合により、チーム数は17となった。 ●レギュラーシーズンの試合数はチームによってバラつきがあり、68試合、64試合、62試合のいずれかとなった。 ●ドラフト1巡目指名権を放棄する代わりに地元選手(本拠地より50マイル圏内)を獲得出来る地域ドラフト(Territorial picks)指名が初めて行われた。 ●ミネアポリス・レイカーズがNBA初の連覇を達成した。 |
1948年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
アンディー・トンコービック | – | |
1948-49シーズンの出来事 | ||
●NBLからBAAに4チームが加入し、チーム数は12となった。 ●レギュラーシーズンの試合数が48から60に戻された。 |
1947年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
クリフトン・マクニーリー | – | |
1947-48シーズンの出来事 | ||
●ドラフトが初めて開催される。 ●旅費の節約のため、レギュラーシーズンの試合数が60から48に減らされた。 ●NBLからBAAに1チームが加入、4チームが解散したため、チーム数は8となった。 |
1946年 | ドラフト1位 | 新人王 |
---|---|---|
– | – | |
1946-47シーズンの出来事 | ||
●NBAの前身となるプロバスケットボールリーグBAAが誕生し、11都市11チーム、東と西に分かれた2デビジョン制でシーズンがスタートする。 ●BAAはアイスホッケーのプロチームを所有する球団がアリーナの空き時間を埋めるために設立したに過ぎず、当時は地方リーグとして細々と活動していた。 ●BAAのほかには、1898年に設立されたNBL、1926年に設立されたABLが存在した。 ●ゾーンディフェンスを実質禁止とするイリーガル・ディフェンスが採用され、マンツーマンディフェンスや1on1による独自の魅力が作りだされていく。 ●フィラデルフィア・ウォリアーズが優勝し、初代チャンピオンとなった。 |
コメントを残す