セドリック・セバロス player profile③

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プロスポーツの世界ではリーグを代表するプレイヤーでありながら、怪我によってこの先も長くつづくと思われていた栄光の道が突然閉ざされてしまう事がざらにあります。
しかしそれとは別に、なんであの時そんな事を!?みたいな事でそれまでのキャリアを台無しにしてしまうケースもあります。
今回は、多くの人がいまだに「どうして!?」と思わずにはいられないプレイヤーの代表、セドリック・セバロスをいつものごとく無責任に紹介したいと思います。
 
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Cedric・Ceballos(セドリック・セバロス)

誕生日 1969年8月2日
デビュー 1990年(フェニックス・サンズ)
引退 2001年(マイアミ・ヒート)
ポジション スモールフォワード
身長・体重 201cm・100kg
キャリア通算平均 14.3PPG、5.3RPG、1.2APG、FG%50.0

 

無名選手からスラムダンクチャンピオンへ

セドリック・セバロス。
ハワイ州マウイ島に生まれ、カリフォルニア州立大学フラトン校に2年間在籍した後、1990年のNBAドラフトにエントリーします。
セバロスを指名したのはフェニックス・サンズ。
このときの指名順位は2巡目、全体の48位と、その評価は決して高いものではありませんでした。
それでも開幕ロスターを勝ち取り、1年目はわずかな出場時間の中でチーム7位となる平均8.2得点を記録するなど結果を残します。
そして2年目、1991-92シーズンにセバロスの名は一気に全国に知れ渡ることになります。
この年に開催されたオールスター・スラムダンクコンテストに出場したセバロスは、大本命と目されていたラリー・ジョンソンを抑えて優勝を果たしたのです。
このとき最後に見せたダンクは、黒い布で目隠しをし、センターラインよりもさらに後ろから走りこんでリングに叩き込むという離れ業で、出場選手で唯一の50点満点となりました。


ちなみに、インタビューで「それ本当に見えないの?」と目隠しに使った布を見せてほしいとのリクエストを拒否したのはご愛嬌です。
 

スターダムへ

スラムダンクコンテストでチャンピオンとなった翌シーズン、
それまで10分程度だったセバロスの出場時間は倍となる20分強までに増え、初の2桁となる平均12.8得点を記録します。
さらに、FG成功率57.6%という数字はリーグトップとなり、どんなところからでも力強くシュートをねじ込んでくるセバロスのオフェンス力はサンズの武器のひとつとなっていました。
サンズはリーグトップとなる62勝20敗の好成績を収め、苦しみながらもプレイオフを勝ち上がり、ファイナルへと進出します。
しかし、カンファレンス決勝で膝を故障してしまったセバロスは、この大舞台での欠場を余儀なくされました。
結果、サンズは2勝4敗でシカゴ・ブルズの前に敗れ、セバロスはブルズの3連覇達成の瞬間を目の前で見届ける事になりました。
翌1993-94シーズン、
故障が完治していなかったセバロスは開幕から2ヶ月が過ぎた頃にようやく復帰。
しばらくベンチからの出場で様子を見た後、チャールズ・バークリーケビン・ジョンソンダン・マーリーといったオールスタープレイヤーに囲まれながら、スモールフォワードのポジションで先発を任されます。
復帰後のセバロスは錚々たる面々が並ぶ中で高得点を連発し、シーズンが終わってみればキャリアハイを大きく更新する平均19.1得点を記録。
時間あたりの得点ではエースのバークリーを凌ぐほどでした。
さらに状況はセバロスにとって良い方向にすすみます。
この活躍に目をつけたロサンゼルス・レイカーズのGMジェリー・ウェストは、セバロス獲得に向けて動き出していました。
ウェストは将来のドラフト1巡目指名権をサンズに差し出し、サラリーの調整に迫られていたサンズもこれを受けてセバロスのレイカーズ移籍が実現します。
80年代に5度の優勝を成し遂げたレイカーズでしたが、中心選手のマジック・ジョンソン引退後は成績が下降し始め、1993-94シーズンにはついに18シーズンぶりにプレイオフを逃してしまうなど低迷期を迎えていました。
しかしながら、チームには能力あふれるメンバーが揃い始め、セバロスには名門復活のための最後のワンピースとしての期待がかかっていました。
こうして開幕した1994-95シーズン、セバロスは期待以上の活躍を見せます。
個人成績、平均21.7得点、8.0リバウンド、FG成功率50.9%という数字を残し、怪我のため不出場となったものの初のオールスターに選出。
チームは48勝34敗の成績で早くもプレイオフに返り咲き、セバロスの活躍に牽引されるように勝星を重ねていくレイカーズにメディアはこぞって特集を組み、ファンは久々の好調に沸き立ちました。
誰もがリーグでもっとも華やかなチームの復活を待っていたのです。
このときのチームの顔は、まぎれもなくセバロスでした。
今後数年、名門チームのスタープレイヤーとして活躍していくことを誰もが疑っていませんでした。
 

暗転

1995-96シーズン、
シーズン途中に飛び込んできたビッグニュースが、セバロスの運命を少しづつ狂わせ始めます。
 
マジック・ジョンソン復帰。
 
ロサンゼルスは興奮に包まれ、レイカーズメンバーも歓迎のコメントを残していました。
マジックの復帰2戦目では、歴史的なシーズンを送っていたシカゴ・ブルズと対戦し、全米、いえ世界中が注目する一戦となりました。
全盛期に比べると幾分ポッチャリしてしまったマジックでしたが、ゲームに対する影響力の高さはなお健在で、以降、レイカーズの話題は当然のようにマジック中心に。
そして、事件は起こりました。
チームのエースであるセバロスが失踪してしまったのです。
突然姿を消したセバロスは、フェニックスの湖でひとりボートに乗っているところを発見されました。
セバロスが何も語らなかったため真相は謎のままですが、ガードのポジションではなくフォワードとしてプレーしていたマジックの影響で、セバロスの出場時間が減少したことに対する抗議だとも言われました。
セバロスは数試合を欠場したのみですぐに復帰し、最終的に前年と変わらない成績を残しましたが、チームメイトやフロント、ファンからの信頼を失ってしまったようでした。
結局、マジックもチームがひとつにまとまらない事に失望した旨のコメントを残して、シーズン終了後に再度の引退を表明します。
不安は燻り続けていたものの、とりあえずは元の鞘に収まったかのように見えました。
が、
今度はリーグに激震を走らせるニュースがレイカーズから公表されます。
 
シャキール・オニールのレイカーズ移籍が決定!
 
王朝復活を決定づけるであろう、待望の支配的なセンターの獲得でした。
そしてこれが迷走し始めたセバロスにとって、スター街道から外れていく決定的な要因ともなってしまいました。
オニールを加わえて始まった新たなシーズン。
オフェンスのファースト・オプションは当然のようにオニールとなり、セバロスのオフェンス機会は激減します。
このことに関してあからさまに不満を口にしていたセバロスは、もはやチームにとって不満分子でしかなく、シーズン途中にフェニックスへ出戻りトレードされてしまいます。
その後はいくつかのチームを渡り歩き、6thマンとして活躍するシーズンもありましたが、2001年、マイアミ・ヒートでのプレーを最後にNBAから去る事になりました。
その後はハーレム・グローブ・トロッターズや海外のチームでプレーを続けたそうです。
 
L.Aの救世主とまでよばれながら、このような結末になったことを当時はとても残念に思っていましたが、こういった我の強さを持ったプレイヤーの存在もNBAを面白くしている理由のひとつかなと、最近少し思うようになりました。
NBAを背負って立つことを期待されながら、怪我のために脇役としての役割を受け入れて選手生命を全うしたグラント・ヒル引退のニュースをみて、なぜだかふと思い出してしまったセバロスを今回取り上げてみました。

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