ルーク・ロングリー player profile⑤

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今回は一部のファンの間ではいまだに高い人気を誇るルーク・ロングリーについて、いつものごとく拙い文章と知ったかぶった無責任な知識で取り上げてみたいと思います。

lucLuc・Longley(ルーク・ロングリー)

誕生日 1969年1月19日
デビュー 1991年(ミネソタ・ティンバーウルブズ)
引退 2001年(ニューヨーク・ニックス)
ポジション センター
身長・体重 218cm・132.4kg
キャリア通算平均 7.2PPG、4.9RPG、1.5APG、1.0BPG

 
ロングリーといえば、シカゴ・ブルズ2度目の3連覇、リピート・スリーピート時の不動のセンター。
ブルズの選手紹介を見るたびにいつも不思議に思っていたのが、ロングリーが登場すると会場から一斉に「BOO~!!」とブーイングの嵐が巻き起こる現象。
ホームでブーイングだなんてあまりにも可哀そうすぎると思っていましたが、
これは会場のファンが「ルーク!」と叫び、これが重なってブーイングに聞こえるのだと知って一安心。
シカゴまで応援にきたロングリーのご両親も、自分の息子がホームでブーイングを浴びてると勘違いしてショックを受けたそうです。
そんなファンから愛されたロングリー。
優勝チームのセンターとしては物足りないとの声をよく聞きますが、それでもロングリーをセンターに据えたブルズは3連覇を成し遂げました。
ロングリーとはいったいどんな選手だったのか、そのキャリアを追ってみたいと思います。
 

NBAデビュー

ロングリーはオーストラリア、メルボルンに生まれ、16歳のときに19歳以下のオーストラリア代表メンバーに選ばれます。
その後、ニューメキシコ大学のコーチに見出され、1987年に同校に進学。
翌1988年に開催されたソウル・オリンピックではオーストラリア代表として同国最高成績となる4位入賞に貢献し、
大学最終年には平均19.1得点、9.2リバウンド、3.6アシストを記録、コートを支配できるセンターとしてその評価を高めていきます。
こうして迎えた1991年のNBAドラフト、ロングリーはミネソタ・ティンバーウルブズから1巡目7位で指名を受け、オーストラリア人初のNBA選手としてデビューする事になります。
 
ロングリーが入団したウルブズは、まだ創設3年目という若いチームでした。
チームを向上させるセンターとして期待のかかるロングリーでしたが、ウルブズは前年のドラフトでも同じポジションのフェルトン・スペンサーを1巡目6位という指名権を使って獲得していたため、ファンからはそのドラフト戦略に疑問の声も上がっていました。
実際、ロングリーはスペンサー、さらにベテランセンターに次ぐ3番手としてプレーし、最初の2シーズンは低迷するチームの中でパっとしない成績に終わりました。
ドラフト指名順位に見合う活躍をできずにいたロングリーに対し、ファンからは当初、不要論も囁かれましたが、それでもロングリーのゲームに対する姿勢、そして何よりも陽気な性格がファンの心を掴み、いつしかファンお気に入りの選手となっていました。

 

シカゴ・ブルズへ

ウルブズでの3シーズン目、1993-94シーズンの途中にロングリーはシカゴ・ブルズへとトレードされます。
ブルズは当時、マイケル・ジョーダンの衝撃的な引退後、初めて迎えたシーズンでした。
チームにはあらゆる意味で注目が集まっていましたが、ロングリーはウィル・パデューのバックアップとして特に目立つこともないままプレーを続けていました。
翌1994-95シーズンの終盤、かねてから噂されていたジョーダンの復帰が現実となります。
勝率5割前後をウロウロしていたブルズは息を吹き返し、ひょっとしたら優勝もあり得るのでは…とも思われましたが、プレイオフでは躍進著しいオーランド・マジックの前に完敗してしまいます。
失意に沈むブルズでしたが、このプレイオフはロングリーの転機ともなっていました。
レギュラーシーズン、先発での出場が1試合もなかったロングリーが、プレイオフの途中からパデューに代わって先発を務めていました。
新しいシーズンに向けてチームの再編に取り組み始めたブルズは、それまで主力としてプレーしてきたメンバーを放出し、迎えた1995-96シーズンの先発は新しい顔ぶれが並んでいました。
ヘッドコーチのフィル・ジャクソンはパデューよりもロングリーの方がブルズの採用していたトライアングル・オフェンスにフィットすると考え、ロングリーを先発センターに指名します。
ご存知のように、ブルズはここから2度目となる3連覇を達成し、その間、ロングリーは出場した試合ですべて先発するなどチャンピオンチームのセンターとして活躍しました。
不動のセンターと言えば聞こえは良いですが、他に使えるセンターがいなかったからだと揶揄される事もありました。
ジャクソンはのちにロサンゼルス・レイカーズのヘッドコーチとなり、リーグを代表するセンター、シャキール・オニールを中心に自身3度目となる3連覇を達成するという偉業を成し遂げます。
このときも採用されていたオフェンス・システムはトライアングル・オフェンスですが、
ジャクソン曰く、インサイドを中心としたレイカーズに対し、ブルズ時代のトライアングルはアウトサイドを中心に考えられたものだったそうです。
ロングリーにはオニールのようにインサイドを支配することはできませんでしたが、トライアングルの起点となるポストでボールをコントロールすることができ、システムを円滑に機能させるうえで重要な役割を果たしていたと語っています。
1998年、ジョーダン2度目の引退を合図に、ブルズの主力選手の多くがチームを離れていく事になりました。
ロングリーも好条件の契約を勝ち取り、フェニックス・サンズへと移籍します。
しかし、その後は怪我などの影響もあり、目立った活躍を見せる事なく、2001年にニューヨーク・ニックスを最後に現役からの引退を表明しました。
 
引退から数年。
スタープレイヤーではありませんでしたが、ロングリーが好きだったと語る人はいまだに多いような気がします。
ブルズ時代、シーズン前に趣味のボディボードで怪我をして開幕に間に合わず、フィル・ジャクソンから大目玉をくらっていたロングリー。
でもベンチでもいつものように子供みたいな人懐っこい笑顔を見せていたロングリー。
近所の人がロングリーそっくりのセントバーナードを散歩させているのを見て、今回なんとなく取り上げてみました。

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