2000年 NBAドラフト

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前年のドラフト・翌年のドラフト・ドラフトトップ
 
新人王:マイク・ミラー(Mike Miller)
All Rookie Team
1st:ケニオン・マーティンダリアス・マイルズマイク・ミラーモーリス・ピータソンマーク・ジャクソン(1997年ドラフト)
 
主なプレイヤー
 
1.ケニオン・マーティン(Kenyon Martin)
k

出身校:シンシナティ大学
ポジション: PF、C
所属チーム:NJN(2000~2004)→DEN(2004~2011)→LAC(2011~2012)→NYK(2012~2014)→MIL(2014~2015)
キャリア平均:12.3PPG、6.8RPG、1.9APG、1.2SPG、1.1BPG
オールスター出場:1回(2004)

愛称は「Kマート」。
ドラフト1位でニュージャージ・ネッツに指名された際に、新人王ではなく、最優秀守備選手賞の獲得を公言するなどディフェンスに対する強い意識を見せた。
目標を達成する事はできなかったが、2002年、2003年のファイナル進出に主力として貢献し、チームのリーグ最少失点記録達成の原動力となった。
フィジカルの強さと身体能力の高さはオフェンスでも発揮され、速攻ではジェイソン・キッドのパスから強烈なスラムダンクを叩き込んだ。
2003-04シーズンに平均16.7得点、9.5リバウンドを記録し、初めてオールスターに選出される。
シーズン終了後、かねてから「自分はマックス契約に相応しい選手」と口にしていたマーティンはデンバー・ナゲッツと大型契約を結び、デビューから4シーズンを過ごしたネッツを去っていく。
ナゲッツでも不動の先発フォワードとして活躍を続けたが、故障の影響からネッツ時代ほどのインパクトは残せず、また、リーグトップクラスの高額契約に対する物足りなさもあって、ファンからは非難の的となる事もあった。
2011-12シーズン、ロックアウトの影響で開幕できずにいたNBAを離れ、中国のプロリーグへと渡る。
ロックアウト解除後にNBA復帰を希望したが、契約の問題から戻る事ができず、2012年2月になって国際バスケットボール連盟から許可されてロサンゼルス・クリッパーズと契約する。
その後はニューヨーク・ニックスなどでもプレーし、2015年に現役からの引退を表明した。
全盛期はエキサイティングなプレーでファンを魅了したが、その一方で、危険なファウルも辞さないその激しさは相手選手から嫌悪され、能力を発揮しないチームメイトを公然と批判する事もあった。
ネッツ時代にチームメイトのアロンゾ・モーニングに対して、万全ではない彼の体調を嘲笑して騒動となったが、後に自身の非を認めて謝罪し、モーニングの主宰するチャリティ・ゲームにも参加している。
youtube:https://youtu.be/S4mnaLfD_y8
 
2.ストロマイル・スウィフト(Stromile Swift)
st

出身校:ルイジアナ州立大学
ポジション: PF、C
所属チーム:VAN-MEM(2000~2005)→HOU(2005~2006)→MEM(2006~2008)→NJN(2008~2009)→PHO(2009)
キャリア平均:8.4PPG、4.6RPG、0.5APG、1.2BPG

大学2年生時にチームをNCAAトーナメントのスウィート16へと導き、アーリーエントリーを宣言して臨んだドラフトではバンクーバー・グリズリーズから2位指名という高い評価を受けた。
将来のスター候補と目されていたスウィフトだったが、1年目のシーズンは平均4.9得点と期待外れに終わる。
才能を生かしきれないスウィフトに対してファンから「スローマイル」と揶揄されたりもしたが、フランチャイズをメンフィスへと移した翌2001-02シーズンには主に控えとして起用されながら平均11.8得点、1.7ブロックを記録し、その片鱗を見せ始める。
しかし、その後はヘッドコーチやチームメイトとの衝突を繰り返し、故障などもあって徐々にプレーの場を失っていく。
2005年、フリーエージェントとなったスウィフトはヒューストン・ロケッツへと移籍するが、チームにフィットできないままわずか1年で古巣グリズリーズへトレードされ、出場時間はさらに減少することになった。
2009年、フェニックス・サンズでのプレーを最後にNBAから離れ、その後は中国のプロリーグでプレーした。
2012年に拳銃の不法所持で逮捕されている。
ビッグプレーを決めた際に見せる、手のひらを交差させて鳥のように羽ばたかせる仕草がトレードマークとして知られている。
youtube:https://youtu.be/d28iCSTEwD8
 
3.ダリアス・マイルズ(Darius Miles)
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出身校:イーストセントルイス高校
ポジション: SF
所属チーム:LAC(2000~2002)→CLE(2002~2004)→POR(2004~2006)、MEM(2008~2009)
キャリア平均:10.1PPG、4.9RPG、1.9APG、1.1BPG

ドラフトでは高卒選手として過去最高順位で指名を受け、ロサンゼルス・クリッパーズに入団する。
206cmの身長にガード並みの俊敏さを備え、マイケル・ジョーダンが「もっと早く指名されてもおかしくなかった」と語るなど、デビュー前からその将来性には大きな期待がかかった。
しかし、エルトン・ブランドラマ―・オドムらフォワード陣の選手層が厚いクリッパーズでは先発の座を勝ち取る事ができず、2年目のシーズン終了後にアンドレ・ミラーとのトレードでクリーブランド・キャバリアーズへと移籍する。
若手中心のキャバリアーズではリーダーとしての役割が期待され、マイルズも「準備はできている」と自信を口にしたが、シーズンが始まるとチームは不振を極め、先発として出場時間を増やしたマイルズも移籍前を上回る成績を残す事ができなかった。
翌20003-04シーズン、新たにレブロン・ジェームズというチームの核となり得る選手を獲得したキャバリアーズは、シーズン途中にマイルズをポートランド・トレイルブレイザーズへとトレードする。
加入当初の期待も虚しく放出される形となったが、ブレイザーズ移籍後は課題だったシュート力も向上し、2005-06シーズンには開幕からチームのリーディングスコアラーとなる活躍を見せる。
ようやく待ちに待ったブレイクかと思われた矢先、膝の故障で戦線を離脱し、シーズン後半に復帰したものの、最終的に40試合の出場で平均14.0得点の成績に終わった。
マイルズはシーズン終了後に膝の手術に踏み切り、2006-07シーズン、2007-08シーズンを全休。
故障からの完全復活を目指したが、完治には至らず、ブレイザーズはマイルズとの契約を更新しないことを決断した。
現役続行は難しいと思わる中、2008年12月にメンフィス・グリズリーズと契約を結んだが、翌2009年1月にウェーバーにかけられ、そのまま現役を引退する事となった。
youtube:https://youtu.be/W8yFXsyGafI
 
4.マーカス・ファイザー(Marcus Fizer)
mf

出身校:アイオワ州立大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:CHI(2000~2004)→MIL(2004~2005)→NOK(2005~2006)
キャリア平均:9.6PPG、4.6RPG、1.2APG

大学時代の恩師でもあるティム・フロイドがヘッドコーチを務めるシカゴ・ブルズに入団する。
身長203cmとパワーフォワードとしては小柄だったが、体重120kgを生かしたパワフルなプレーを得意とし、前評判ではチャールズ・バークリーにも例えられた。
NBA入り後はスピードやサイズ不足がネックとなり、「トゥイナー」のレッテルを貼られるなど伸び悩んだが、2年目のシーズンに主に控えとしてプレーしながら平均12.3得点を記録する。
しかし、以降は膝の怪我もあって成績を下降させ、このシーズンに記録した数字がキャリアハイとなった。
2006年を最後にNBAから離れ、その後は海外でプレーを続けた。
youtube:https://youtu.be/OtLfHM7-sos
 
5.マイク・ミラー(Mike Miller) ※現役
mk

出身校:フロリダ大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:ORL(2000~2003)→MEM(2003~2008)→MIN(2008~2009)→WAS(2009~2010)→MIA(2010~2013)→MEM(2013~2014)→CLE(2014~2015)→DEN(2015~2016)
キャリア平均:10.8PPG、4.3RPG、2.6APG、.407 3P%
個人賞:Rookie of the Year、Sixth Man of the Year1回(2005-2006)

ニックネームは痩せすぎを意味する「Skinny」。
リーグ屈指のシュート力を武器に活躍するスウィングマンであり、そのほかリバウンドやゲームメイクなどオールラウンドな能力でチームに貢献する。
グラント・ヒルのバックアップとしてオーランド・マジックに入団したが、故障したヒルに代わって先発に抜擢されると、平均11.9得点、スリーポイントシュート成功率40.7%を記録して新人王を受賞する活躍を見せた。
2003年にメンフィス・グリズリーズへトレードで移籍し、主に控えとしてプレーした2005-06シーズンに平均13.7得点を記録してこのシーズンのシックスマン賞に輝く。
再び先発起用された翌2006-07シーズンには、平均18.5得点、5.4リバウンド、4.3アシストを記録するオールラウンドな活躍を見せた。
このシーズンにスリーポイントシュート成功率は40.6%を記録し、成功数はリーグトップと3本差の202本を決めている。
2011年から2シーズンをマイアミ・ヒートでプレーし、シックスマンとしてヒートの2連覇に貢献した。
youtube:https://youtu.be/v-Dbw1g_lTI
 
8.ジャマール・クロフォード(Jamal Crawford) ※現役
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出身校:ミシガン大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:CHI(2000~2004)→NYK(2004~)→GSW(~2009)→ATL(2009~2011)→POR(2011~2012)→LAC(2012~2016)
キャリア平均:15.5PPG、2.4RPG、3.6APG、1.0SPG
個人賞:Sixth Man of the Year3回(2009-2010、2013-2014、2015-2016)

ディフェンスを翻弄するハンドリングスキルでファンを魅了し、勝負強い得点力でリーグ屈指のシックスマンとして活躍する。
シカゴ・ブルズ入団当初は故障の影響もあって活躍できずにいたが、4年目の2003-04シーズンにポイントガードからシューティングガードにコンバートされ、その高い得点能力を発揮し始める。
このシーズンに73試合で先発を務めて平均17.3得点、5.1アシストを記録し、シーズン終了後にサイン&トレードでニューヨーク・ニックスへと移籍する。
当時のニックスは選手・コーチ・フロントがそれぞれ衝突し、チーム状態が崩壊しつつある暗黒時代と呼ばれる時期にあったが、クロフォードは人員過剰となっていたガード陣の中で出場時間を勝ち取り、2007-08シーズンにキャリアハイとなる平均20.6得点を記録するなど、不振を極めるチームの中で一人気を吐くプレーを見せた。
2009年にアトランタ・ホークスに移籍し、出場した79試合全てを控えとしてプレーした2009-10シーズンに平均18.0得点を記録する。
ホークスはこのシーズンに53勝29敗の好成績を収め、流れを変える活躍でチームに貢献したクロフォードが初のシックスマン賞を受賞した。
以降、リーグを代表するシックスマンとして活躍を続け、合計3度のシックスマン賞に輝いている。
youtube:https://youtu.be/jrp1-MF9RJk
 
16.ヒドゥ・ターコルー(Hedo Turkoglu)
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ポジション: SF、PF
所属チーム:SAC(2000~2003)→SAS(2003~2004)→ORL(2004~2009)→TOR(2009~2010)→PHO(2010)→ORL(2010~2014)→LAC(2014~2015)
キャリア平均:11.1PPG、4.0RPG、2.8APG、.384 3P%
個人賞:Most Improved Player(2007-2008)

トルコ出身、身長208cmの長身シューター。
ゲーム終盤に力を発揮するクラッチプレイヤーとして活躍したほか、ポイントフォワードとしてゲームメイクをこなす器用さを見せた。
18歳からトルコのプロリーグでプレーし、4シーズンを過ごした後にNBA入りを決意、サクラメント・キングスに入団する。
キングスでは「ベンチモブ」と恐れられた控え組の中心選手となり、シックスマン賞の候補に挙がる活躍を見せた。
フリーエージェントとして加入したオーランド・マジックでは、当初、グラント・ヒルの控えとしてプレーしていたが、ヒルの故障・移籍を機に先発に昇格し、低迷を続けるチームの再建に主力選手として貢献していく。
2007-08シーズンに初めて82試合全てに先発として出場し、キャリアハイとなる平均19.5得点、5.7リバウンド、5.0アシストというオールラウンドな成績を残すと、このシーズンに最も成長した選手に贈られるMIPを受賞した。
チームも52勝30敗でディビジョンを制し、翌2008-09シーズンにはファイナルに進出するなど躍進を遂げる。
選手として全盛期を迎えたターコルーだったが、より高額の契約を望んでチームを移籍した後は以前のような活躍を見せる事ができず、古巣マジックに復帰してからも若手選手の台頭によって徐々に出場時間が減少していった。
youtube:https://youtu.be/Shx9aYoRQgg
 
17.デズモンド・メイスン(Desmond Mason)
dm

出身校:オクラホマ州立大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:SEA(2000~2003)→MIL(2003~2005)→NOK(2005~2007)→MIL(2007~2008)→OKC(2008~2009)→SAC(2009~2010)
キャリア平均:12.1PPG、4.5RPG、1.6APG

シアトル・スーパーソニックスに入団し、2年目の2001-02シーズンに控えとして起用されながら30分強の出場時間を得て平均12.4得点の成績を残す。
この年に行われたオールスター・スラムダンクコンテストに優勝し、リーグ屈指のスラムダンカーとしてその名を馳せた。
シュート力に難があったものの、鋭いドライブからスピード感溢れる強烈なダンクはファンお気に入りのプレーとなった。
2003年にミルウォーキー・バックスへトレードされてからは先発としてプレーする機会も増え、71試合で先発を務めた2004-05シーズンにはキャリアハイとなる平均17.2得点という成績を残している。
2010年、オクラホマシティ・サンダーでのプレーを最後に現役を引退した。
大学では芸術を専攻していたメイスンは、現在、アートの分野で活動している。

youtube:https://youtu.be/g_AMnNV6ITQ
youtube:https://youtu.be/LU2A1qns5l0
 
18.クィンティン・リチャードソン(Quentin Richardson)
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出身校:デポール大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:LAC(2000~2004)→PHO(2004~2005)→NYK(2005~2009)→MIA(2009~2010)→ORL(2010~2012)→NYK(2013)
キャリア平均:10.3PPG、4.7RPG、1.5APG、.355 3P%

愛称は「Q-RICH」。
デビューから4シーズンをロサンゼルス・クリッパーズで過ごし、先発に定着した2003-04シーズンにキャリアハイとなる平均17.2得点を記録する。
シーズン終了後、フリーエージェントとしてフェニックス・サンズに移籍。
タレントが揃うサンズの中で得点機会は若干減少させることになったが、スリーポイントシュートはリーグ最多の631本を放ち、成功数もリーグ最多となる226本を記録した。
サンズは前年の29勝から62勝へと劇的な復活を見せ、スティーブ・ナッシュのパスからショーン・マリオンらがダンクを叩き込み、リチャードソンが長距離砲を炸裂させるオフェンスはリーグで最もエキサイティングなチームとして旋風を巻き起こした。
シーズン終了後にカート・トーマスらとのトレードでニューヨーク・ニックスへと移籍し、チームの課題である得点力改善を期待される。
しかし移籍後は故障に苦しむようになり、以前ほどの活躍を見せられず成績を下降させていった。
シュートを決めた後に両手の拳で頭をポンポンと叩く仕草がトレードマークとして知られている。
youtube:https://youtu.be/qAixOt1Y0xo
 
19.ジャマール・マグロワ(Jamaal Magloire)
jm

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: C
所属チーム:CHH-NOH(2000~2005)→MIL(2005~2006)→POR(2006~2007)→NJN(2007~2008)→DAL(2008)→MIA(2008~2011)→TOR(2011~2012)
キャリア平均:7.2PPG、6.5RPG、0.6APG
オールスター出場:1回(2004)

カナダ出身。
ケンタッキー大学での2年生時にNCAAトーナメント優勝を経験し、大学4年間で同校の通算ブロック数の記録を更新した。
シャーロット・ホーネッツ入団後2シーズンは控えとして起用され、フランチャイズをニューオリンズに移転した2002-03シーズンから先発に昇格し、82試合全てに先発として出場した。
翌2003-04シーズンも全82試合に先発で出場し、平均13.6得点、10.3リバウンドのシーズン・ダブルダブルを記録する。
この活躍が認められ、この年のオールスターゲームにコーチ推薦で出場すると、あわやMVP獲得かというほどの活躍を見せて会場を沸かせた。
しかし、翌シーズンは故障によってシーズンの大半を欠場し、自らトレードを要求して2005年にミルウォーキー・バックスへと移籍する。
その後はチームを転々とし、2011年に地元のトロントに本拠地を置くラプターズに移籍。
2012年にチームのコンサルタントとして契約し、現役を引退。
2013年から同チームのアシスタント・コーチを務める。
youtube:https://youtu.be/lTE7Iq1BEZs
 
20.スピーディ・クラクストン(Speedy Claxton)
sx

出身校:ホフストリア大学
ポジション: PG
所属チーム:PHI(2001~2002)→SAS(2002~2003)→GSW(2003~2005)→NOH-NOK(2005~2006)→ATL(2006~2009)
キャリア平均:9.3PPG、2.5RPG、4.3APG、1.5SPG

本名はクレイグ・クラクストン。
愛称の「スピーディ」の通りスピードを武器に活躍し、また、スティールの名手としてディフェンス面でチームに貢献した。
ルーキーシーズンを膝の故障で全休し、その後も故障に苦しむキャリアを送った。
サンアントニオ・スパーズ在籍時の2003年に優勝を経験している。
キャリアハイとなったのは2005-06シーズンのニューオリンズ/オクラホマシティ・ホーネッツ時代。
新人クリス・ポールのバックアップを務め、控えながら30分弱の出場時間を得て平均12.3得点を記録した。
この活躍によりアトランタ・ホークスと大型契約を結ぶことに成功したが、移籍後は故障のため満足にプレーする事ができなかった。
2009年にゴールデンステイト・ウォリアーズへとトレードされ、プレーの機会も与えられないまま解雇されている。
youtube:https://youtu.be/CtpacH3pfSI
 
21.モーリス・ピータソン(Morris Peterson)
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出身校:ミシガン州立大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:TOR(2000~2007)→NOH(2007~2010)→OKC(2010~2011)
キャリア平均:10.7PPG、3.5RPG、1.5APG、.373 3P%

トロント・ラプターズで長く活躍し、チームの中心選手が顔ぶれを変えていく中、一貫して活躍を続けるピータソンはトロントで高い人気を誇った。
スリーポイントシュート、ドライブからのアクロバティックショット、ディフェンス能力など、あらゆるプレーを一定水準以上でこなしたほか、怪我にも強く、2002-03シーズンから4シーズン連続で全試合出場を果たしている。
2005-06シーズンにキャリアハイとなる平均16.8得点という成績を残したが、翌シーズンに連続出場を途絶えさせる故障を負うと、先発の座を失い成績を下降させる。
シーズン終了後にフリーエージェントとしてニューオリンズ・ホーネッツに移籍、再び先発として起用されるようになったが、出場時間は20分強にとどまり、前年を上回る成績を残す事ができなかった。
2011年、オクラホマシティ・サンダーでプレーしたのを最後に現役を引退。
2015年からカナダのスポーツ専門放送局の解説者となっている。
従兄弟にインディアナ・ペイサーズなどに所属していたジョナサン・ベンダーがいる。
youtube:https://youtu.be/NOsBAD1R-ww
 
37.エディ・ハウス(Eddie House)
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出身校:アリゾナ州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:MIA(2000~2003)→LAC(2003~2004)→CHA(2004)→MIL(2004~2005)→SAC(2005)→PHO(2005~2006)→NJN(2006~2007)→BOS(2007~2010)→NYK(2010)→MIA(2010~2011)
キャリア平均:7.5PPG、1.7RPG、1.6APG、.390 3P%

ボールを持ったら即シュートを狙う攻撃的なスコアリングガードで、短い時間で大量得点を狙えることから主にシックスマンとして活躍した。
シュートセレクションに難はあったものの、優れたシュート力を買われて多くのチームを渡り歩いている。
ボストン・セルティック在籍時の2008年に優勝を経験。
翌2008-09シーズンには20分弱の出場時間の中でスリーポイントシュートを放ち続け、チームトップとなる成功率44.4%を記録したほか、レイ・アレンの199本に次ぐ151本を成功させた。
サクラメント・キングス時代のチームメイト、マイク・ビビーの妹を妻に持つ。

youtube:https://youtu.be/VfJly8ZupbA
 
43.マイケル・レッド(Michael Redd)
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出身校:オハイオ州立大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:MIL(2000~2011)→PHO(2011~2012)
キャリア平均:19.0PPG、3.8RPG、2.1APG、.380 3P%
オールスター出場:1回(2004)

頭上に大きくふりかぶる独特のフォーム、左手から放たれるクイックリリースのスリーポイントを武器にリーグ屈指のスコアラーとして活躍した。
強豪オハイオ州立大学で1年目から平均21.9得点を記録する得点源として活躍していたが、不安定なシュート力やディフェンス面での問題を抱え、アーリーエントリーを宣言して臨んだドラフトでは2巡目全体43位と低い評価になった。
ミルウォーキー・バックスでの1年目はほとんど出場の機会を与えられなかったが、2年目の2001-02シーズンになるとレイ・アレンのバックアップとして頭角を現し、初の2桁得点を記録したほか、スリーポイントシュート成功率はアレンを上回る44.4%を記録した。
その成長はチームに対して不満を募らせていたアレンの放出を決断させ、アレンに代わるエースとしてバックスを牽引していく事になる。
主力選手を大量放出して迎えた2003-04シーズン、レッドは期待に応えるように平均21.7得点という数字を残し、初めてオールスターにも選出される。
その後も着実に成績をアップさせ、2006-07シーズンにキャリアハイとなる平均26.7得点を記録。
さらに、2008年にアメリカ代表として北京オリンピックに出場し、2大会ぶりの金メダル獲得に貢献するなどキャリアの全盛期を迎える。
しかし、この頃から故障に苦しむようになり、10試合に出場にとどまった2010-11シーズンを最後にバックスを退団。
2011-12シーズンをフェニックス・サンズでプレーし、シーズンが終了すると現役からの引退を表明した。
バックスではデビューから11シーズンを過ごし、通算得点などが現在もチーム記録の上位にランクされている。
youtube:https://youtu.be/mawgnrbZCqo
 

ドラフト外.ラジャ・ベル(Raja Bell)

rb

出身校:フロリダ国際大学
ポジション: SG
所属チーム:PHI(2000~2002)→DAL(2002~2003)→UTA(2003~2005)→PHO(2005~2008)→CHA(2008~2009)→GSW(2009~2010)→UTA(2010~2012)
キャリア平均:9.9PPG、2.8RPG、1.7APG、.406 3P%
ALL TEAM:All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd 1回

アメリカ領ヴァージン諸島出身。
マイナーリーグであるCBAから這い上がり、フィラデルフィア.76ersと10日間契約を結んで2000-01シーズンの終盤5試合に出場する。
わずかな出場時間の中で目立った数字を残す事はできなかったが、プレイオフに入ってからは執拗なディフェンスで存在感を発揮し、ヘッドコーチのラリー・ブラウンやエースのアレン・アイバーソンを感嘆させる活躍を見せた。
その後はディフェンスに特化した選手として活躍の場が限定され、しばらくは鳴かず飛ばずの時期が続いたが、2003年のユタ・ジャズへの加入が転機となり、オフェンス面でも能力を発揮していく。
移籍1年目の2003-04シーズンに控えとして82試合全てに出場し、25分弱をプレーするシックスマンとして活躍、平均11.2得点を記録する。
さらに、2005年にフェニックス・サンズへ移籍してからはシューターとしても才能を開花させ、平均14.7得点を記録した2006-07シーズンにリーグ最多となる205本のスリーポイントシュートを成功させた。
また、このシーズンに初めてオールディフェンシブ1stチームにも選出され、リーグ屈指のオフェンスチームで活躍しながら、名実ともに最高レベルのディフェンダーとして認められる事になった。
youtube:https://youtu.be/ridI5EL11pk

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