1990年 NBAドラフト
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新人王:デリック・コールマン(Derrick Coleman)
All Rookie Team
1st:ディー・ブラウン、デリック・コールマン、ケンドール・ギル、デニス・スコット、ライオネル・シモンズ
主なプレイヤー
1.デリック・コールマン(Derrick Coleman)
出身校:シラキュース大学
ポジション: PF、C
所属チーム:NJN(1990~1995)→PHI(1995~1999)→CHH(1999~2001)→PHI(2001~2004)→DET(2004~2005)
キャリア平均:16.5PPG、9.5RPG、2.5APG、1.3BPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 3rd 2回
オールスター出場:1回(1994)
身長208cm、スピードとパワー、さらに優れたスキルを持つ万能フォワードとして活躍した一方で、素行の悪さから問題児として扱われる事もあり、キャリア後半は実力に見合わない成績に終わった。
高い注目を集めてニュージャージ・ネッツに入団すると、平均18.4得点、10.3リバウンドの活躍を見せ、期待に応えるように新人王を獲得する。
3年目からは3シーズン連続で平均20得点、10リバウンド以上を記録し、4年目にはオールスター出場、シーズンが終了するとドリームチームⅡの一員としてバスケットボール世界選手権で優勝を果たした。
リーグを代表するフォワードへと成長し、NBA史にその名を刻む選手となる事を期待されたが、高額契約を結んだ頃から故障による欠場が増え、またコート内外での素行不良も目立ち始めるなど「悪童」としてのイメージが強くなっていった。
1995年にネッツを放出されてからは、全盛期ほどのパフォーマンスを見せる事はできなかったものの、ロールプレイヤーとして一定の活躍を続け、2005年まで15シーズンにわたりプレーを続けた。
youtube:http://youtu.be/D5WNITeDTh0
2.ゲイリー・ペイトン(Gary Payton)
出身校:オレゴン州立大学
ポジション: PG
所属チーム:SEA(1990~2003)→MIL(2003)→LAL(2003~2004)→BOS(2004~2005)→MIA(2005~2007)
キャリア平均:16.3PPG、3.9RPG、6.7APG、1.8SPG
個人賞:Defensive Player of the Year(1995-1996)
ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-NBA 2nd 5回、All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 1st 9回
オールスター出場:9回(1994~1998、2000~2003)
相手を封じ込めてしまうディフェンスから「グローブ」と呼ばれ、すべてのプレーを高いレベルでこなす世界最高のバスケットボール選手と評価された。
シアトル・スーパーソニックス入団当初は期待に応えるような活躍ができず、プレイグラウンド仕込みの激しいトラッシュトークばかりが注目されるなど、周囲から敬意を払われるようなプレイヤーとなる事ができなかった。
2年目のシーズン終盤、ヘッドコーチにジョージ・カールが就任すると、ソニックスは攻撃的なディフェンスを武器に勝ち星を重ねるようになり、ペイトンはディフェンスのエースとして重要な役割を果たすようになっていく。
オフェンス面でも3年目に初めて2桁得点を記録し、翌シーズンに平均16.5得点、6.0アシスト、2.3スティールの活躍で初めてオールスターに選出されると、ソニックスは63勝19敗というフランチャイズ記録となる好成績を収めた。
しかしこの好成績がソニックス、そしてペイトンを苦しめる事になった。
ソニックスはリーグ断トツとなる成績でプレイオフに進出したものの、シーズン最終戦でプレイオフ進出を決めた第8シードのデンバー・ナゲッツに1回戦で敗退してしまう。
第1シードのチームが第8シードのチームに敗退したのはこれが史上初の出来事であり、ナゲッツが一躍シンデレラチームとして脚光を浴びたのに対し、ソニックスは不名誉な記録を歴史に刻む事になった。
さらに翌年も格下のチームにプレイオフ1回戦で敗退すると、ソニックスのプレースタイルはレギュラーシーズンで通用しても、ギアを一段上げるプレイオフでは通用しないと批判された。
故郷に戻らずオフをあえてシアトルで過ごし、否定的な意見に耳を傾けて過ごしたペイトンは、悔しさを胸に1995-96シーズンを迎える。
平均19.3得点、7.5アシスト、リーグトップとなる2.9スティールを記録し、初めて最優秀守備選手賞を受賞するとともに、チームを2年前のシーズンを上回る64勝18敗という好成績に導く。
プレイオフ初戦で成長著しいサクラメント・キングスを3勝1敗で退け、2年続いた呪縛から解放されると、続くカンファレンス準決勝でディフェンディングチャンピオンのヒューストン・ロケッツを4戦全勝のスィープで打ち破った。
カンファレンス決勝ではリーグ最強のコンビと名高いジョン・ストックトンとカール・マローン擁するユタ・ジャズと対戦し、最終戦までもつれこむ激闘のすえに勝利を収めると、ペイトンは相棒のショーン・ケンプとともにストックトン&マローンに代わるリーグを代表するコンビと称賛された。
ファイナルでは歴史的な72勝という成績を記録したシカゴ・ブルズの前に力負けしたものの、ペイトンはリーグ屈指の選手として評価を不動のものにした。
1997-98シーズンに平均19.2得点、8.3アシスト、2.3スティールを記録し、初めてオールNBA1stチームに選出されたほか、常連となっていたオールディフェンシブ1stチームにも同時選出されている。
この頃、ケンプやジョージ・カールら長年ともに戦ってきた仲間が次々とチームを去り、ペイトンはゆるやかに下降線を辿っていくチームの中で、1999-2000シーズンに平均24.2得点を記録するなど孤軍奮闘を続けた。
しかし、補強を進めないフロント陣への批判が原因となり、2002-03シーズンの途中に13シーズンを過ごしてきたソニックスを放出される事になった。
ミルウォーキー・バックスにトレードされたペイトンは、フリーエージェントとなったシーズン終了後、悲願の優勝実現のためにスター選手の揃うロサンゼルス・レイカーズへと移籍する。
ペイトンのほかに、シャキール・オニール、コービー・ブライアント、カール・マロンと錚々たる面々が揃うレイカーズは、前評判通りにプレイオフを勝ち進んだものの、ファイナルではスター不在と囁かれたデトロイト・ピストンズの前に完敗し、シーズン終了後に主力選手が次々とチームを離れるなどスター軍団はわずか1年で崩壊する事になった。
ペイトンは2005年に元チームメイトのシャキール・オニールに誘われるようにしてマイアミ・ヒートへ移籍し、このシーズンに念願のチャンピオンリングを獲得した。
ペイトンはもう1シーズンをプレーした後、17シーズンという現役生活に幕を下ろした。
長年過ごしたソニックスでは数々のチーム記録をつくるなど永久欠番になるべき実績を残しているが、ソニックスはその後オクラホマシティ・サンダーとなったため、ソニックス以外で背番号『20』を見たくないとの理由で拒否している。
youtube:http://youtu.be/i_a2KPCzKWw
3.マムード・アブドゥル・ラウーフ(Mahmoud Abdul-Rauf)
出身校:ルイジアナ州立大学
ポジション: PG
所属チーム:DEN(1990~1996)→SAC(1996~1998)、VAN(2000~2001)
キャリア平均:14.6PPG、1.9RPG、3.5APG、.905FT%
個人賞:Most Improved Player(1992-1993)
改名前の名はクリス・ジャクソン。
1991年にイスラム教への改宗により改名する。
ルイジアナ州立大では1年目の選手としてNCAA記録となる平均30.2得点という数字を残す。
デンバー・ナゲッツ入団当初は体重の増加などにより不振に陥ったが、3年目に平均19.2得点を記録して最も成長した選手に贈られるMIPを受賞している。
リングに触れずにネットに沈む正確無比なシュート力をもち、フリースローの通算成功率は90%を超える。
1996年、試合開始前の国家斉唱セレモニーに参列しないことがクローズアップされ、スポーツの枠を超えた騒動へと発展した。
youtube:http://youtu.be/PsYybr2Xk7Y
4.デニス・スコット(Dennis Scott)
出身校:ジョージア工科大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:ORL(1990~1997)→DAL(1997~1998)→PHO(1998)→NYK(1999)→MIN(1999)→VAN(1999~2000)
キャリア平均:12.9PPG、2.8RPG、2.1APG、.397 3P%
ニックネームは「3-D」。
大学時代はケニー・アンダーソンとともにチームをNCAAトーナメントのファイナル4に導き、ドラフト4位という高順位でオーランド・マジックに入団する。
1年目から得意のスリーポイントシュートを武器に平均15.7得点を記録し、前年に入団したニック・アンダーソンとともに得点源となる活躍を見せた。
1992年にシャキール・オニールが入団すると、インサイドで活躍するオニールの恩恵を受け、スコットのアウトサイドも猛威をふるい始めた。
1995-96シーズンに平均17.5得点を記録し、スリーポイントシュート成功率は42.5%、NBA新記録となる成功数267本という数字を残している。
しかし、オニールがチームを去ってからは激しいマークによって成功率を下降させ、さらに故障もあって出場時間も減少していく。
1997年に7シーズンを過ごしたマジックを去り、その後はチームを渡り歩いた後に2000年に引退した。
youtube:http://youtu.be/qcp-SbJXIyI
5.ケンドール・ギル(Kendall Gill)
出身校:イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校
ポジション: SG、SF
所属チーム:CHH(1990~1993)→SEA(1993~1995)→CHH(1995~1996)→NJN(1996~2001)→MIA(2001~2002)→MIN(2002~2003)→CHI(2003~2004)→MIL(2004~2005)
キャリア平均:13.4PPG、4.1RPG、3.0APG、1.6SPG
若手の有望選手が多く揃うシャーロット・ホーネッツで得点源となる活躍を見せ、攻守にレベルの高いプレーを見せる事から「ネクスト・ジョーダン」と呼ばれ高く評価された。
1年目に全試合に出場し、2年目には平均20.5得点、5.1リバウンド、4.2アシスト、1.9スティールを記録すると、3年目にはチーム初のプレイオフ進出に貢献した。
1993年にシアトル・スーパーソニックスに移籍すると、ゲイリー・ペイトンとともに強力なバックコートを形成し、チームはギル移籍1年目にフランチャイズ記録となる63勝19敗という成績を残した。
キャリア後半は得点力は落ちたもののディフェンス力は健在で、1998-99シーズンには平均2.7スティールを記録してリーグトップとなっている。
引退後はプロボクサーとして活動した。
youtube:http://youtu.be/MkpSPcHWF7M
7.ライオネル・シモンズ(Lionel Simmons)
出身校:ラサール大学
ポジション: SF
所属チーム:SAC(1990~1997)
キャリア平均:12.8PPG、6.2RPG、3.3APG、0.8BPG
サクラメント・キングスに入団し、1年目に平均18.0得点、8.8リバウンド、4.0アシスト、1.4スティール、1.1ブロックを記録、新人王争いではデリック・コールマンに次いで2位の得票を集める活躍を見せた。
その後も同様の活躍でチームを牽引していたが、故障により1994年以降に数字を激減させる。
ベンチプレイヤーとして3シーズンを過ごした後、1997年に7シーズンという短いキャリアを終えた。
youtube:http://youtu.be/nUPAbxPdMt4
11.タイロン・ヒル(Tyrone Hill)
出身校:ザビエル大学
ポジション: PF、C
所属チーム:GSW(1990~1993)→CLE(1993~1997)→MIL(1997~1999)→PHI(1999~2001)→CLE(2001~2003)→PHI(2003)→MIA(2003)
キャリア平均:9.4PPG、8.6RPG、0.8APG、.502FG%
オールスター出場:1回(1995)
リバウンドとディフェンスで力を発揮するロールプレイヤーとしてチームを支えた。
1994-95シーズン、キャリアハイとなる平均13.8得点、10.9リバウンドを記録してオールスター出場を果たしている。
youtube:http://youtu.be/zJ49NSM5flA
13.ロイ・ボウト(Loy Vaught)
出身校:ミシガン大学
ポジション: PF
所属チーム:LAC(1990~1999)→DET(1999~2000)→DAL(2000~2001)→WAS(2001)
キャリア平均:10.1PPG、7.1RPG、0.9APG、.504FG%
ロサンゼルス・クリッパーズに入団し、デビュー当初は出場時間に恵まれなかったものの、先発に固定された1994-95シーズンに平均17.5得点、9.7リバウンドを記録し、翌シーズンもチームをリードする活躍を見せた。
低迷を続けるチームの中で奮闘したが、故障を機に出場時間が減少し、数字も急激に下降させていった。
16.テリー・ミルズ(Terry Mills)
出身校:ミシガン大学
ポジション: PF
所属チーム:DEN(1990~1991)→NJN(1991~1992)→DET(1992~1997)→MIA(1997~1999)→DET(1999~2000)→IND(2000~2001)よく
キャリア平均:10.6PPG、5.4RPG、1.3APG、.384 3P%
デビュー当初は出場時間に恵まれなかったが、デトロイト・ピストンズへ移籍してからは先発で起用されるようになり、1993-94シーズンにキャリアハイとなる平均17.3得点、8.4リバウンドを記録した。
この頃からスリーポイントを多投するようになり、ビッグマンながら成功率40%前後を記録する高い精度を誇った。
伯父に元NBA選手のジョン・ロング、従兄に同じく元NBA選手のグラント・ロングがいる。
19.ディー・ブラウン (Dee Brown)
出身校:ジャクソンビル大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:BOS(1990~1998)→TOR(1998~2000)→ORL(2000~2002)
キャリア平均:11.1PPG、2.6RPG、3.7APG、1.3SPG
新人のときに出場したスラムダンクコンテストでは、片腕で目を覆う目隠しダンクで優勝し、一躍有名になる。
この際、履いていたシューズの機能であるポンプでエアを送り込むというパフォーマンスが大きな話題となり、シューズの売上にも大いに貢献した。
ラリー・バードが引退し、レジ―・ルイスが死去するなど、相次いでエースを失うボストン・セルティックスの中で、平均15得点前後を記録し、チームの貴重な得点源として活躍した。
キャリアの後半になると、アウトサイドシュートを多投するようになり、1998-99シーズンには先発出場がなかったものの、スリーポイントの試投数と成功数でリーグトップとなっている。
youtube:http://youtu.be/AoQ-QI08qDw
21.ジェイソン・ウィリアムズ (Jayson Williams)
出身校:セントジョンズ大学
ポジション: PF、C
所属チーム:PHI(1990~1992)→NJN(1992~1999)
キャリア平均:7.3PPG、7.5RPG、0.6APG
オールスター出場:1回(1998)
デビュー当初は目立った成績を残す事ができなかったが、1992年にニュージャージ・ネッツへ移籍してからは、チャック・デイリーの指導の下でリバウンダーとして能力を開花させていく。
1996-97シーズンに先発に抜擢されると、平均13.4得点、13.5リバウンドを記録して一気にブレイクする。
リバウンドでリーグトップを独占してきたデニス・ロドマンを脅かす存在になるかと思われたが、1998-99シーズンに30試合の出場に終わると、30歳の若さでリーグを去る。
引退後、専属の運転手の死亡事件に関する裁判で懲役5年の実刑判決を受けている。
youtube:http://youtu.be/TSWYr8C911U
27.エルデン・キャンベル (Elden Campbell)
出身校:クレムゾン大学
ポジション: C、PF
所属チーム:LAL(1990~1999)→CHH-NOH(1999~2003)→SEA(2003)→DET(2003~2005)→NJN(2005)→DET(2005)
キャリア平均:10.3PPG、5.9RPG、1.1APG、1.5BPG
ロサンゼルス・レイカーズではデビューから7シーズン連続で得点力を向上させ、1996-97シーズンにキャリアハイとなる平均14.9得点、8.0リバウンドを記録する。
攻守にわたってチームへの貢献度が高く、低迷していたレイカーズの復活に重要な役割を果たした。
1999年にトレードでレイカーズを去ったが、デトロイト・ピストンズ在籍時の2004年にファイナルで古巣のレイカーズを撃破し、チャンピオンリングを獲得している。
youtube:http://youtu.be/6VNe_Wx2YgE
29.トニー・クーコッチ (Toni Kukoc)
ポジション: SF、PF
所属チーム:CHI(1993~2000)→PHI(2000~2001)→ATL(2001~2002)→MIL(2002~2006)
キャリア平均:11.6PPG、4.2RPG、3.7APG、1.0SPG
個人賞:Sixth Man of the Year(1995-1996)
クロアチア出身。
細身で手足が長く、「ピンクパンサー」の異名を持つ。
208cmの長身ながらアウトサイドシュートやパス能力が高く、「ヨーロッパのマジック・ジョンソン」と呼ばれた。
ドラフト指名後もユーロリーグに残り、マイケル・ジョーダンが引退した1993年にシカゴ・ブルズでNBAデビューを果たす。
2年目には平均15.7得点、5.4リバウンド、4.6アシストを記録し、各スタッツでスコッティ・ピッペンに次ぐ成績を残した。
1995-96シーズンはベンチからの活躍でシックスマン賞を受賞し、歴史的なシーズンをおくって優勝を果たしたチームに大きく貢献した。
ジョーダンら主力がチームを去った1998-99シーズンにエースとして活躍し、キャリアハイとなる平均18.8得点、7.0リバウンド、5.3アシストを記録した。
youtube:http://youtu.be/3P7jeR3PRO0
38.ジャド・ブシュラー (Jud Buechler)
出身校:アリゾナ大学
ポジション: SF
所属チーム:NJN(1990~1991)→SAS(1991)→GSW(1991~1994)→CHI(1994~1999)→DET(1999~2001)→PHO(2001)→ORL(2001~2002)
キャリア平均:3.3PPG、1.8RPG、0.8APG、.366 3P%
主にベンチプレイヤーとして、短い時間の中で流れを変えるディフェンスと安定したジャンプショットでチームに貢献した。
シカゴ・ブルズ在籍時には1996年からの3連覇に貢献している。
オフシーズンはビーチバレーのプロプレイヤーとして活動した。
40.ビンボ・コールズ (Bimbo Coles)
出身校:バージニア工科大学
ポジション: PG
所属チーム:MIA(1990~1996)→GSW(1996~1999)→ATL(1999~2000)→CLE(2000~2003)→BOS(2003)→MIA(2003~2004)
キャリア平均:7.8PPG、2.1RPG、3.9APG、0.9SPG
本名はバーネル・コールズ。
「Bimbo」は「子供」を意味するイタリア語から派生したスラングで、「うるさいやつ」という意味を持つとのこと。
マイアミ・ヒートに入団し、1年目からバックアップガードとしてプレーする。
2年目の1991-92シーズンに平均10.1得点、4.5アシストを記録し、チーム初のプレイオフ進出に貢献した。
43.トニー・マッセンバーグ (Tony Massenburg)
出身校:メリーランド大学
ポジション: PF、C
所属チーム:SAS(1990~1991)→CHH(1991~1992)→BOS(1992)→GSW(1992)、LAC(1994~1995)→TOR(1995~1996)→PHI(1996)→NJN(1996~1997)→VAN(1997~1999)→HOU(1999~2000)→VAN-MEM(2000~2002)→UTA(2002~2003)→SAC(2003~2004)→SAS(2004~2005)
キャリア平均:6.2PPG、4.3RPG、0.4APG
最初の2シーズンで4チームに在籍し、1992年から2シーズンはスペインでプレーした。
13シーズンのキャリアで12のチームに所属し、多くのチームでプレーした選手として知られている。
特定のチームに定着することはできなかったが、2005年、37歳になるまでの長い期間プレーを続けた。
1998-97シーズン、バンクーバー・グリズリーズ在籍時に記録した平均11.2得点がキャリアハイとなっている。
45.アントニオ・デイビス (Antonio Davis)
出身校:テキサス大学エルパソ校
ポジション: PF、C
所属チーム:IND(1993~1999)→TOR(1999~2003)→CHI(2003~2005)→NYK(2005~2006)→TOR(2006)
キャリア平均:10.0PPG、7.5RPG、1.1APG、1.0BPG
オールスター出場:1回(2001)
ドラフト指名後にヨーロッパのクラブへ移籍し、1993年にNBAデビューを果たす。
インディアナ・ペイサーズではシックスマンとして活躍し、デイル・デイビスとのパワフルなフロントコンビは「デイビス・ブラザーズ」と呼ばれ、ファンの間でも高い人気を誇った。
トロント・ラプターズ移籍後の2000-01シーズンに平均13.7得点、10.1リバウンドとキャリア唯一となるダブルダブルを記録し、オールスターに選出されている。
ビッグマンとしては珍しく、オールスター・スラムダンクコンテストにも出場している。
youtube:http://youtu.be/rP9USYM45os
48.セドリック・セバロス (Cedric Ceballos)
出身校:カリフォルニア州立大学フラトン校
ポジション: SF
所属チーム:PHO(1990~1994)→LAL(1994~1997)→PHO(1997~1998)→DAL(1998~2000)→DET(2000)→MIA(2000~2001)
キャリア平均:14.3PPG、5.3RPG、1.2APG、.500FG%
オールスター出場:1回(1995)
無名の選手としてフェニックス・サンズに入団したが、2年目に出場したスラムダンクコンテストで優勝し、一躍その名を全国に知らしめる。
どんな態勢からでもシュートをねじ込める力強さと器用さを持ち、3年目にリーグトップとなるシュート成功率57.6%を記録するなど、キャリアを通じて高い成功率を誇った。
1994年にロサンゼルス・レイカーズへ移籍すると、平均21.7得点を記録するエースとして活躍した。
故障によって出場できなかったもののオールスターにも選出されている。
しかし、その後トレードでチームを去ると、得点力のあるシックスマンとして活躍を見せたものの、全盛期のような数字を残すことはできなかった。
youtube:http://youtu.be/BiltPWeQXYo