1993年 NBAドラフト 

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前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:クリス・ウェバー(Chris Webber)
All Rookie Team
1st:ヴィン・ベイカーアンフェニー・ハーダウェイジャマール・マッシュバーンアイザイア・ライダークリス・ウェバー

 
主なプレイヤー
 
1.クリス・ウェバー(Chris Webber)
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出身校:ミシガン大学
ポジション: PF、C
所属チーム:GSW(1993~1994)→WSB-WAS(1994~1998)→SAC(1998~2005)→PHI(2005~2007)→DET(2007)→GSW(2008)
キャリア平均:20.7PPG、9.8RPG、4.2APG、1.4SPG、1.4BPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:5回(1997、2000~2003)

208cm、111kgの体格に高い身体能力を備え、ボールハンドリング、シュート力、アシスト能力に秀でたリーグ屈指のオールラウンドプレイヤーとして活躍した。
ミシガン大学ではウェバーを中心に1年生で固めたスターターでNCAAトーナメント決勝に進出するという快挙を成し遂げ、惜しくも優勝は叶わなかったものの、彼らは「ファブ・ファイブ」と呼ばれ、全米を熱狂させるほどの社会現象を引き起こした。
翌年も続けて決勝に進出し、ノースカロライナ大学を相手に熱戦を繰り広げたが、優勝まであと一歩という試合終盤にウェバーが致命的なミスを犯し、またしても優勝を逃してしまう。
当時の大統領ビル・クリントンは、敗戦の戦犯となったウェバーの心痛を察して直接電話で慰めている。
大学での生活を2年残してNBAへ進む事を表明したウェバーは、1位指名権を持つオーランド・マジックへの入団が確実視され、自身もシャキール・オニールとのコンビに期待を膨らませる。
しかし、予想通りマジックから指名を受けたものの、事前の交渉により直後にゴールデンステイト・ウォリアーズへとトレードされる。
ウェバーは1年目から平均17.5得点、9.1リバウンド、2.2ブロック、FG成功率55.2%を記録するなどセンセーショナルな活躍を見せ、当時の史上最年少となる新人王に輝いたが、起用法をめぐってヘッドコーチのドン・ネルソンと激しく対立し、翌シーズンの開幕前にワシントン・ブレッツへトレードされる。
名将と名高いネルソンとの確執はウェバーのイメージを落とし、さらに移籍後は故障で満足にコートに立つ事ができずに非難の的となる事もあったが、ウェバーの復調に伴ってチーム成績が徐々に改善されていくと、従来のパワーフォワードのイメージを覆すオールランドな能力に周囲の評価も少しづつ高まっていった。
ところが、場当たり的な補強に終始するチームに対して、勝ちきれないことに不満を募らせていたウェバーは公然と批判を口にしてしまい、これが原因となってミッチ・リッチモンドらとのトレードでサクラメント・キングスへと放出されてしまう。
上昇の兆しを見せていたチームから一転、最下位を争うキングスへの移籍はウェバーを失意の底に沈める事になったが、ウェバーの移籍と同時にジェイソン・ウィリアムスブラディ・ディバッツらその後のチームの核となる選手が顔を揃え、ウェバーは急速に力をつけていくチームの中でエースとして再び高い評価を受ける。
2000-01シーズンに平均27.1得点、11.1リバウンド、4.2アシストの活躍で初めてオールNBA1stチームに選出され、シーズンMVPの候補にも挙げられた。
シーズン終了後にはキングスと長期高額契約を結び、長くチームを牽引する活躍を期待されたが、この頃から徐々に故障による欠場が目立ち始め、さらに悪いことに、ウェバーを欠いていたにも関わらずチームが好成績を残し続けたため、ファンやメディアの間ではウェバー不要論が囁かれた。
戦列復帰後も、欠場中にエースとして台頭していたペジャ・ストヤコビッチと得点機会をめぐって対立し、方針転換を迫られたキングスはウェバーの放出を決断する。
2004-05シーズンの途中にフィラデルフィア・76ersへと移籍し、リーグを代表するスコアリングスターのアレン・アイバーソンとのコンビにも注目が集まったが、期待されたほどの効果をもたらすことができず、2007年になって故郷デトロイトに本拠地を置くピストンズへ移籍。
2008年には古巣ウォリアーズとベテラン最低保証額で契約を結び、9試合に出場した後に現役を引退した。
キングス時代につけていた背番号『4』が同チームの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/QM8lsrwsQqM
 
2.ショーン・ブラッドリー(Shawn Bradley)
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出身校:ブリガムヤング大学
ポジション: C
所属チーム:PHI(1993~1995)→NJN(1995~1997)→DAL(~2005)
キャリア平均:8.1PPG、6.3RPG、0.7APG、2.5BPG

大学では229cmの長身を武器に1年生時から平均5.2ブロックを記録して注目を浴びたが、1学年目が終了した後、2年の間モルモン教の布教活動のために世界各地を周った。
その後は大学には戻らず、NBAドラフトにエントリーしてフィラデルフィア・76ersから指名を受けて入団する。
デビューから6シーズン連続で平均3本以上のブロックを記録し続けたが、線が細く、身長の割に得点やリバウンドは少なかった。
また経験の少なさからファウルやターンオーバーが多く出場時間も制限されていたが、徐々に改善を見せ、1996-97シーズンにはキャリアハイとなる平均13.2得点、8.4リバウンド、リーグトップとなる3.4ブロックを記録している。
ダラス・マーべリックスでは9シーズンを過ごし、ブロック数はチーム歴代1位となっている。
アメリカとドイツの2重国籍を取得し、マーべリックスのチームメイトでもあるダーク・ノビツキーとは、ともにドイツ代表としてプレーしている。
youtube:http://youtu.be/DIfN-L43lKo
 
3.アンフェニー・ハーダウェイ(Anfernee Hardaway)
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出身校:メンフィス大学
ポジション: PG、SG、SF
所属チーム:ORL(1993~1999)→PHO(1999~2004)→NYK(2004~2006)、MIA(2007~2008)
キャリア平均:15.2PPG、4.5RPG、5.0APG、1.6SPG
ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:4回(1995~1998)

「ペニー」の愛称で親しまれ、端正なルックスとダイナミックなプレーで絶大な人気を誇った。
2mを超す大型ポイントガードとして活躍し、大学時代にはマジック・ジョンソンから「鏡を見ているようだ」と評されている。
大学時代にシャキール・オニールと映画で共演した経験があり、これがきっかけとなって、ドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズから指名を受けた直後に、オニールが在籍するオーランド・マジックへとトレード移籍する事になった。
デビュー当初はいきなり大型契約を要求した事でファンからブーイングを受ける事もあったが、平均16.0得点、5.4リバウンド、6.6アシスト、2.3スティールを記録してチームを初のプレイオフに導くと、ハーダウェイはファンのお気に入りの選手となった。
2年目の1994-95シーズンには平均20.9得点、7.2アシスト、4.4リバウンド、FG成功率51.2%を記録し、早くもオールNBA1stチーム入りを果たしたほか、チーム初となるファイナル進出の原動力となった。
この頃、マジック・ジョンソンは「自分よりもマイケル・ジョーダンタイプだ」と発言を改め、華やかさと勝負強さを併せ持つハーダウェイの人気は一層高まり、リーグを背負って立つ新しい世代の筆頭選手として期待された。
ハーダウェイは常々チームの柱はオニールだと口にしていたが、チームは勝負所ではハーダウェイにボールを回すように指示し、オニール不在時にハーダウェイが爆発的な活躍を見せた事でファンの間でもオニール不要論が広まった。
1996年、オニールがFA権を行使してロサンゼルス・レイカーズへ移籍すると、ハーダウェイの危惧していた通りチームのバランスは崩れ、負担が増大したハーダウェイは故障で多くの試合を欠場する事になった。
プレイオフでも万全の体調ではなかったが、欠場に対するファンからの批判も多く、ハーダウェイは怪我をおして強行出場を決める。
強豪マイアミ・ヒートを相手に惜しくも敗退したものの、獅子奮迅ともいえる大活躍を見せたハーダウェイはファンから喝采を浴びた。
しかし、その代償は大きく、怪我の症状を悪化させたハーダウェイのプレーが全盛期の水準に戻る事は以後なかった。
期待通りのパフォーマンスを見せられないハーダウェイに対してファンから容赦のないブーイングがとぶようになると、ハーダウェイはトレードを志願するようになり、1999年にフェニックス・サンズへと移籍する。
サンズではリーグを代表するトップポイントガードとして活躍するジェイソン・キッドとプレーする事になり、シューティングガードとしてプレーするハーダウェイとのコンビは「バックコート2000」と名付けられ注目を集めた。
移籍1年目こそ平均16.9得点、5.8リバウンド、5.3アシストの活躍を見せたが、翌シーズンは故障により4試合の出場にとどまり、その間にキッドはトレードでチームを去る事になったため、「バックコート2000」が機能したのはわずか1シーズンのみとなった。
その後、ハーダウェイの個人成績は低下の一途を辿り、2005年を最後に一旦リーグから離れたが、2007年にマイアミ・ヒートと契約して16試合に出場し、かつての同僚であるシャキール・オニールとともにプレーした。
youtube:http://youtu.be/B-affheP3v4
 
4.ジャマール・マッシュバーン(Jamal Mashburn)
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出身校:ケンタッキー大学
ポジション: SF
所属チーム:DAL(1993~1997)→MIA(1997~2000)→CHH-NOH(2000~2004)
キャリア平均:19.1PPG、5.4RPG、4.0APG、1.0SPG
ALL TEAM:All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:1回(2003)

大学時代から「モンスターマッシュ」の異名で呼ばれ、卓越したスコアラーとして活躍した。
低迷を続けるダラス・マーべリックスに入団し、1年目は新人トップとなる平均19.2得点を記録する。
翌1994-95シーズンには平均24.1得点を記録してチームの成績改善に貢献すると、チームメイトのジェイソン・キッドジム・ジャクソンらとともに「トリプルJ」、「スリーJ’s」と呼ばれ注目された。
ディフェンスの名手スコッティ・ピッペンが「最も守りづらい選手」と語り、ピッペンを相手に50得点を叩き出した事もあった。
チームとともに躍進が期待されたが、すぐに中心選手の3人の関係に軋轢が生じてしまい、3人はそれぞれトレードで放出される事になった。
マイアミ・ヒートへの移籍後は3番手の得点源となり、故障や起用法もあって数字を下降させると、2000年にエディ・ジョーンズらとのトレードでシャーロット・ホーネッツへ放出される。
目の前でジョーンズ獲得に喜びを見せるヒートの面々に落胆しながらも、マッシュバーンは新天地で再び輝きを取り戻す活躍を見せる。
移籍1年目からエースとしてチームをプレイオフに導き、プレイオフの初戦では優勝候補にも挙げられていた古巣ヒートを相手にシリーズ平均23.7得点、6.0リバウンド、4.7アシストを記録し、3戦全勝で破るアップセットを演じて見せた。
フランチャイズをニューオリンズに移転して迎えた2002-03シーズンには、平均21.6得点、6.1リバウンド、5.6アシストを記録し、10シーズン目にして初めてオールスターに選出されたほか、オールNBA3rdチームに選出されるなどキャリア最高の時期を送る。
しかし、翌2003-04シーズンは膝の故障などで開幕から欠場が続き、シーズン終盤に復帰して平均20.8得点という成績を残したが、その後の回復が思わしくなく、コートに戻る事ができないまま全盛期での現役引退を余儀なくされた。
youtube:http://youtu.be/iwszyn3BMTc
 
5.アイザイア・ライダー(Isaiah Rider)
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出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション: SG
所属チーム:MIN(1993~1996)→POR(1996~1999)→ATL(1999~2000)→LAL(2000~2001)→DEN(2001~2002)
キャリア平均:16.7PPG、3.8RPG、2.7APG

スラムダンクコンテストに優勝するほどの高い身体能力を持ち、ミネソタ・ティンバーウルブズでは1年目から主力として活躍した。
翌1994-95シーズンには平均20.4得点を記録し、早くもチームのエースとなったが、大学時代から問題視されていた素行の悪さは改善されるどころか悪化の一途をたどっていく。
能力の衰えを見せる前にプレーする場を失い、9シーズンでリーグを去ることになった。
youtube:http://youtu.be/me_qYC11jho
 
6.カルバート・チェイニー(Calbert Cheaney)
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出身校:インディアナ大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:WSB-WAS(1993~1999)→BOS(1999~2000)→DEN(2000~2002)→UTA(2002~2003)→GSW(2003~2006)
キャリア平均:9.5PPG、3.2RPG、1.7APG

名門インディアナ大時代には全米屈指のスコアラーとして活躍した。
ワシントン・ブレッツに入団し、2年目の1994-95シーズンから先発に定着して平均16.6得点の成績を残す。
デビューから5シーズン連続で2桁得点を記録し、キャリア後半は主にシックスマンとしてプレーした。
一時期、アシックスと契約を結んでいた事もあって日本のバスケ雑誌の広告スペースに頻繁に登場し、ワシントンのシューティングスターとしてその名を広く知られていた。
youtube:http://youtu.be/gLVH2tvXOag
 
7.ボビー・ハーリー(Bobby Hurley)
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出身校:デューク大学
ポジション: PG
所属チーム:SAC(1993~1998)→VAN(1998)
キャリア平均:3.8PPG、1.1RPG、3.3APG

大学時代はクリスチャン・レイトナーグラント・ヒルらとともにデューク大学の黄金期を築き、カレッジバスケ界屈指の司令塔として期待されてサクラメント・キングスに入団する。
開幕を先発として迎え、19試合を終えて平均7.1得点、6.1アシストを記録していたが、試合後の帰宅中に交通事故に遭い、選手生命の危機に瀕する重傷を負う。
懸命なリハビリの末、翌1994-95シーズンに奇跡的なカムバックを果たしたが、出場時間が一気に減少し、1年目に残した成績を上回る活躍を見せられないまま1998年に7シーズンという短いキャリアを終えた。
youtube:http://youtu.be/pWehBWJWGKY
 
8.ヴィン・ベイカー(Vin Baker)
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出身校:ハートフォード大学
ポジション: PF、C
所属チーム:MIL(1993~1997)→SEA(1997~2002)→BOS(2002~2004)→NYK(2004~2005)→HOU(2005)→LAC(2005~2006)
キャリア平均:15.0PPG、7.4RPG、1.9APG、1.0BPG
ALL TEAM :All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:4回(1995~1998)

1994年に初めてオールスター期間中に有望な新人が集まるオールスター・ルーキーチャレンジが開催されたが、シーズン前半で目立った成績を残していなかったベイカーはこのイベントに参加する事ができなかった。
この事に発奮したベイカーはシーズン後半から20得点10リバウンド以上を連発する見違えるプレーを披露し、終わってみれば平均13.5得点、7.6リバウンドの成績でオールルーキー1stチームに選出された。
翌1994-95シーズンも勢いは衰えず、同期の中ではアンファニー・ハーダウェイとともに最速でオールスターに出場し、1995-96シーズンには平均21.1得点、9.9リバウンドを記録するなどリーグを代表するパワーフォワードへと成長していく。
1997年、シアトル・スーパーソニックスのオールスターフォワード、ショーン・ケンプがトレードを志願した事で、ベイカーは3つのチームが絡むトレードでソニックスへと移籍する。
プレイオフ進出も叶わなかったチームから一転、優勝も狙えるチームのフォワードとしてプレーを始めたベイカーは平均19.2得点、8.0リバウンドを記録し、チームの61勝21敗という好成績に貢献した。
翌1998-99シーズンは故障により多くの試合を欠場したが、2000年にはアメリカ代表としてシドニーオリンピックに出場して金メダルを獲得するなど、順風満帆なキャリアを送るかに思われた。
しかし、この頃からアルコール依存症やうつ病に苦しむようになり、体重の増加などによって急激に数字を悪化させていく事になった。
youtube:http://youtu.be/9Hnf_UPM2xw
 
9.ロドニー・ロジャース(Rodney Rogers)
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出身校:ウェイクフォレスト大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:DEN(1993~1995)→LAC(1995~1999)→PHO(1999~2002)→BOS(2002)→NJN(2002~2004)→NOH(2004~2005)→PHI(2005)
キャリア平均:10.9PPG、4.5RPG、2.0APG、1.0SPG
個人賞:Sixth Man of the Year(1999-2000)

がっしりとした体格でフィジカル面に強さを見せた一方で、左手から放つアウトサイドシュートも大きな武器となった。
デンバー・ナゲッツでの新人時代に見せた、ユタ・ジャズを相手にしてゲーム終盤のわずかな時間に3本のスリーポイントシュートを立て続けに沈めた大逆転シーンが広く知られている。(逆転後、再逆転を許して敗戦している)
キャリア前半は多くのシーズンで先発を務め、ロサンゼルス・クリッパーズ在籍中の1997-98シーズンにキャリアハイとなる平均15.1得点、5.6リバウンドを記録している。
1999年にフェニックス・サンズへ移籍してからは、控えとして起用される機会が増えたが、移籍1年目に平均13.8得点を記録してシックスマン賞を受賞すると、その後もリーグ有数のシックスマンとして活躍を続けた。
youtube:http://youtu.be/rhCy8q2p5Jw
 
10.リンジー・ハンター(Lindsey Hunter)
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出身校:ジャクソン州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:DET(1993~2000)→MIL(2000~2001)→LAL(2001~2002)→TOR(2002~2003)→DET(2003~2008)→CHI(2008~2010)
キャリア平均:8.5PPG、2.2RPG、2.7APG、1.2SPG

デトロイト・ピストンズ入団当初はアイザイア・トーマスの再来と呼ばれるなど期待されていたが、しばらくは先発と控えを行き来するシーズンが続いた。
1996-97シーズンに先発に定着すると、キャリアハイとなる平均14.2得点を記録した。
一方でゲームコントロールは主にグラント・ヒルジョー・デューマスが担い、アシストは過去最低となる平均1.9本となった。
ベテランとなってからはディフェンス力とリーダーシップが高く評価されるようになり、コーチやチームメイトから必要不可欠なプレイヤーとして名前を挙げられている。
2002年にロサンゼルス・レイカーズで、2004年にピストンズで、計2個のチャンピオンリングを獲得している。
youtube:http://youtu.be/MzO1NRoKjLg
 
11.アラン・ヒューストン (Allan Houston)
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出身校:テネシー大学
ポジション: SG
所属チーム:DET(1993~1996)→NYK(1996~2005)
キャリア平均:17.3PPG、2.9RPG、2.4APG、.402 3P%
オールスター出場:2回(2000~2001)

デトロイト・ピストンズ入団当初は主にジョー・デューマスのバックアップを務め、正確なショットを武器に徐々に出場時間を増やしていく。
1995-96シーズンから先発に定着すると、グラント・ヒルに次ぐ平均19.7得点を記録するなど目覚ましい活躍を見せ、将来のスター候補として期待を集めた。
ヒルとともにピストンズを背負って立つ存在になると思われていたが、シーズン終了後にFA権を行使し、大規模な改革に着手したニューヨーク・ニックスへと移籍した。
移籍1年目は先発の座を勝ち取りながらもジョン・スタークスと出場時間を分け合い、ピストンズ時代よりも数字を下降させたが、チームの成績改善に主力として貢献する。
1999-2000シーズンは大黒柱のパトリック・ユーイングが故障を抱えていた事もあってチームは開幕から波に乗り切る事ができずにいたが、辛うじて8位でプレイオフに滑り込むと、優勝候補のマイアミ・ヒートを初戦で破るアップセットを演じた。
ヒューストンは最終戦の残り0.8秒で逆転ショットを沈め、その後は第8シードのチームがファイナルへ進出する史上初の快挙の原動力となった。
2001年にニックスと長期高額契約を結んでケビン・ガーネットに次ぐ高給取りとなったが、2002-03シーズンにキャリアハイとなる平均22.5得点を記録したものの、翌2003-04シーズンに負った膝の負傷が引き金となって2005年に現役を引退する事になった。
youtube:http://youtu.be/I3ROUYUXw5E
 
12.ジョージ・リンチ (George Lynch)
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出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:LAL(1993~1996)→VAN(1996~1998)→PHI(1998~2001)→CHH-NOH(2001~2005)
キャリア平均:6.6PPG、5.0RPG、1.4APG、1.1SPG

ノースカロライナ大学では中心メンバーとして活躍し、NCAAトーナメント決勝ではクリス・ウェバーらを擁するミシガン大学を破って全米優勝を果たしている。
ロサンゼルス・レイカーズに入団し、シーズンの半分で先発を務めて平均9.6得点、5.8リバウンド、1.4スティール、FG成功率50.8%を記録する。
その後のキャリアで平均得点が2桁を上回ったシーズンは1度もなかったが、数字に表れない部分で貢献できるブルーカラープレイヤーとして高く評価され、在籍するチームでは重要な選手として活躍を続けた。
youtube:http://youtu.be/6342f4PS2tw
 
16.レックス・ウォルターズ (Rex Walters)
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出身校:カンザス大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:ニュージャージ・ネッツ、フィラデルフィア・76ers、マイアミ・ヒート
キャリア平均:NJN(1993~1995)→PHI(1995~1998)→MIA(1998~2000)
4.6PPG、1.2RPG、1.7APG、.361 3P%

少ない出場時間でスリーポイントシュートを沈めるスポットシューターとして活躍した。
母親が日本人とのハーフである事から日本とゆかりのある選手として知られている。
 
20.スコット・バレル (Scott Burrell)
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出身校:コネチカット大学
ポジション: SF
所属チーム:CHH(1993~1997)→GSW(1997)→CHI(1997~1999)→NJN(1999~2001)→CHH(2001)
キャリア平均:6.9PPG、3.5RPG、1.4APG、.373 3P%

シャーロット・ホーネッツに入団し、2年目から頭角を現して平均11.5得点、5.7リバウンド、スリーポイント成功率40.9%を記録するなど、主力として50勝32敗の好成績をおさめたチームに大きく貢献した。
翌シーズンも序盤から好調を持続していたが、故障によって1月以降の試合を全て欠場すると、その後は本来の姿を取り戻す事ができなかった。
2001年にNBAを離れ、その後はスペインや日本などでプレーした。
youtube:http://youtu.be/cSUl5GBJzhM
 
22.クリス・ミルズ (Chris Mills)
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出身校:アリゾナ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:CLE(1993~1997)→NYK(1997~1998)→GSW(1998~2003)
キャリア平均:11.2PPG、4.9RPG、1.9APG

クリーブランド・キャバリアーズに入団し、1年目は控えながら多くの出場時間を得て平均9.4得点、5.1リバウンドを記録した。
その後すぐに先発に定着し、1995-96シーズンには平均15.1得点を記録する。
主力の故障や引退が相次ぐキャバリアーズの中で、チームをプレイオフ進出圏内にとどまらせる活躍を見せた。
youtube:http://youtu.be/HftaAgNONko
 
23.アーヴィン・ジョンソン (Ervin Johnson)
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出身校:ニューオリンズ大学
ポジション: C
所属チーム:SEA(1993~1996)→DEN(1996~1997)→MIL(1997~2003)→MIN(2003~2005)→MIL(2005~2006)
キャリア平均:4.1PPG、6.1RPG、0.5APG、1.3BPG、.505FG%

22歳で大学に入学し、この頃から本格的にバスケットボールを始める。
シアトル・スーパーソニックス入団後、経験の乏しさから目立った活躍ができなかったが、3年目には短い出場時間ながらファイナルで先発を任されるまでの成長を見せた。
1996年にデンバー・ナゲッツに移籍すると、82試合全てに先発出場を果たし、平均7.1得点、11.1リバウンド、2.8ブロックを記録するなどディフェンスで能力を発揮した。
「マジック」のニックネームで知られるアーヴィン・ジョンソンとはスペルが異なる。(EarvinとErvin)
youtube:http://youtu.be/2sawUNiCKFA
 
24.サム・キャセール (Sam Cassell)
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出身校:フロリダ州立大学
ポジション: PG
所属チーム:HOU(1993~1996)→PHO(1996)→DAL(1996~1997)→NJN(1997~1999)→MIL(1999~2003)→MIN(2003~2005)→LAC(2005~2008)→BOS(2008)
キャリア平均:15.7PPG、3.2RPG、6.0APG、1.1SPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:1回(2004)

ヒューストン・ロケッツで1年目から2連覇を経験し、控えの若手ながら度胸満点のプレーを見せて優勝に貢献した。
1995-96シーズンにシックスマンとして平均14.5得点、4.6アシストを記録するなど、将来の中心選手として活躍を期待されていたが、1996年にチャールズ・バークリー獲得のためにフェニックス・サンズにトレードされてからは、多くのチームを渡り歩くジャーニーマンとしてのキャリアを歩む事になった。
得点とアシストで素晴らしい数字を残し、所属するチームの成績を向上させていたが、スコアリング重視でシュートを打ち過ぎると批判される事もあり、オールスター出場には縁のないキャリアを送っていた。
2003年にミネソタ・ティンバーウルブズに移籍すると、移籍1年目にキャリアハイとなる平均19.8得点を記録し、ケビン・ガーネットらとともにチームを史上初のディビジョン優勝に導いた。
このシーズンにデビュー以来11年目にして初のオールスター出場を果たしたほか、オールNBA2ndチームにも選出されるなど、ようやくリーグ屈指の司令塔として評価される事になった。
youtube:http://youtu.be/tmU7TmBe41M
 
28.ルーシャス・ハリス (Lucious Harris)
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出身校:カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
ポジション: SG、PG
所属チーム:DAL(1993~1996)→PHI(1996~1997)→NJN(1997~2004)→CLE(2004~2005)
キャリア平均:7.2PPG、2.3RPG、1.4APG

シュート力に優れたガードとして、キャリアの大半をベンチからの貴重な得点源として活躍した。
1997年から在籍したニュージャージ・ネッツで長く活躍し、2002-03シーズンにキャリアハイとなる平均10.3得点を記録している。
 
30.ジョージ・ミュアサン (Gheorghe Muresan)
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ポジション: C
所属チーム:WSB(1993~1999)→NJN(1999~2000)
キャリア平均:9.8PPG、6.4RPG、0.5APG、1.5BPG、.573FG%
個人賞:Most Improved Player(1995-1996)

ルーマニア出身。
ドイツ語読みで「ゲオルゲ・ムレシャン」と表記される事もあり。
231cmのNBA最長身(タイ記録)のビッグセンターとして注目を集めるものの、ワシントン・ブレッツ入団後はフットワークの悪さを指摘され、NBAへの順応に苦しんだ。
年々プレーに改善を見せ、3年目の1995-96シーズンに平均14.5得点、9.6リバウンド、2.3ブロック、リーグトップとなるFG成功率58.4%という数字を残し、最も成長した選手に与えられるMIPを受賞した。
翌1996-97シーズンにもリーグトップのFG成功率60.4%を記録したが、その後はシーズンを棒に振る故障を負い、復帰後はかつての姿を取り戻すことができず2000年に現役を引退した。
youtube:http://youtu.be/rezOgWv3F-A
 
37.ニック・バン・エクセル (Nick Van Exel)
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出身校:シンシナティ大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:LAL(1993~1998)→DEN(1998~2002)→DAL(2002~2003)→GSW(2003~2004)→POR(2004~2005)→SAS(2005~2006)
キャリア平均:14.4PPG、2.9RPG、6.6APG
オールスター出場:1回(1998)

変則的なプレーでディフェンスを翻弄してはビッグショットを沈め、「ニック・ザ・クイック」や「ベビーフェイス・キラー」と呼ばれるなど、再建期にあったロサンゼルス・レイカーズの立て直しに大きく貢献した。
しかし、シャキール・オニールが加入して本格的に優勝が狙えるようになると、そのトリッキーで派手なプレースタイルはチームメイトからも批判され、1998年にデンバー・ナゲッツへとトレードされる。
ナゲッツはバン・エクセル加入前に11勝71敗とドン底のシーズンを送っていたが、バン・エクセル加入後はシーズン14勝、35勝、40勝と、徐々に成績を改善させていった。
2001-02シーズン、前半45試合で平均21.4得点、8.1アシストとキャリア最高の数字を残していたが、チームが再び低迷を始めたため、シーズン途中にダラス・マーべリックスへトレードされる。
以降は得点力に優れたシックスマンとして活躍し、サンアントニオ・スパーズでプレーしたのを最後に引退した。
youtube:http://youtu.be/_CjODk1TNjM
 
45.ブライオン・ラッセル (Bryon Russell)
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出身校:カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
ポジション: SF、SG
所属チーム:UTA(1993~2002)→WAS(2002~2003)→LAL(2003~2004)→DEN(2004~2006)
キャリア平均:7.9PPG、3.5RPG、1.3APG、1.0SPG、.369 3P%

ユタ・ジャズに入団し、タフなディフェンス力を武器に除々に出場時間を増やしていくと、4年目となる1996-97シーズンに先発の座を掴む。
アウトサイドのシュート力も毎シーズンのように向上し、1999-2000シーズンにキャリアハイとなる平均14.1得点を記録している。
1998年のファイナルではシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンとマッチアップし、“LAST SHOT”と呼ばれるジョーダンの劇的なクラッチショットの犠牲者となった。
ワシントン・ウィザーズ在籍時には、そのジョーダンとチームメイトとなっている。
youtube:http://youtu.be/l6BWz-3OC5s
 

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