1985年 NBAドラフト

NBAネタ
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前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)
All Rookie Team
1st:ジョー・デューマスパトリック・ユーイングカール・マローンゼイビア・マクダニエルチャールズ・オークリー
 
主なプレイヤー
 
1.パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)
nba

出身校:ジョージタウン大学
ポジション: C、PF
所属チーム:NYK(1985~2000)→SEA(2000~2001)→ORL(2001~2002)
キャリア平均:21.0PPG、9.8RPG、1.9APG、1.0SPG、2.4BPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 6回、All-Defensive 2nd 3回
オールスター出場:11回(1986、1988~1997)

身長213cm、ニューヨーク・ニックスのシンボルとして長く活躍し、時代を代表するセンターとしてNBA史に大きな足跡を残した。
ジャマイカ出身で、12歳のときに家族でアメリカに移住する。
その後、バスケットボール選手としてその名が全米に広まると、名門ジョージタウン大学へと進学し、同校を優勝に導くなどカレッジバスケ界最大のスターとして活躍した。
NBAの各チームはユーイングの獲得を切望したが、前年のドラフトではアキーム・オラジュワンを獲得するため複数のチームがわざと試合に負けたという疑惑が起こり、NBAは同じ事態を避けるため、この年から上位3位までの指名権が抽選で決まるロッタリー制を導入する必要に迫られた。
このドラフトで低迷を続ける名門球団ニューヨーク・ニックスが1位指名権を引き当て、ユーイングは最大のマーケットを持つ大都市チームへの入団が決まった。
リーグ全体の繁栄のためにNBAとニックスの間で不正があったのでは、という陰謀説も囁かれたが、それほどまでにユーイングの存在はNBAを変えるほどの影響力があると考えられていた。
ファンはニックスの時代が到来する事を確信し、自身も「何回優勝できるのか楽しみだ」と豪語したが、平均20.0得点、9.0リバウンド、2.1ブロックという活躍で新人王を受賞したものの、チームは低迷から抜け出す事ができず、期待されていたほどの影響力を発揮する事はできなかった。
ニックスはユーイング入団後の2シーズンで30勝に到達する事ができなかったが、ユーイングは大黒柱としてチームを支え、ユーイングを中心に徐々に戦力が整っていくとチーム成績も上昇を見せた。
1989-90シーズンに平均28.6得点、10.9リバウンド、4.0ブロック、FG成功率55.1%を記録し、オールNBA1stチームには3年連続で選出されていたオラジュワンを抑えて初めて選出された。
さらに1991年にパット・ライリーがヘッドコーチに就任すると、ライリーはかつてハードなディフェンスで黄金期を築いた70年代ニックスのプレースタイルを復活させ、ニックスはリーグで最もタフなチームとして優勝候補にあげられる成績を残していく。
1992年にはドリームチームの一員としてバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、名実ともにリーグを代表するセンターとなったユーイングだったが、プレイオフでは大学時代からのライバルであるオラジュワンやマイケル・ジョーダンがニックスの前に立ちはだかり、最大の目標である優勝はついに果たす事ができなかった。
1997-98シーズンからは故障に苦しむようになり、ユーイングに代わって若い選手がチームの中心となっていくと、居場所を失くしたユーイングは2000年に15シーズンを過ごしたニックスを去る事になった。
その後2シーズンをプレーし、2002年に現役を引退した。
ユーイングはニックスのあらゆるチーム記録を保持し、背番号『33』は同チームの永久欠番となっている。
2008年には息子のパトリック・ユーイングJrもジョージタウン大学を経てドラフト指名を受け、2010年にNBAデビューを果たしている。
youtube:http://youtu.be/I6gyP12HBOY
 
2.ウェイマン・ティスデイル(Wayman Tisdale)
nba

出身校:オクラホマ大学
ポジション: PF
所属チーム:IND(1985~1989)→SAC(1989~1994)→PHO(1994~1997)
キャリア平均:15.3PPG、6.1RPG、1.3APG、.505FG%

インディアナ・ペイサーズでは、15得点前後、FG50%以上を記録するインサイドの中心選手として活躍した。
1989年にサクラメント・キングスに移籍し、1989-90シーズンにチームトップとなる平均22.3得点を記録している。
引退後は本格派ベーシストとして活躍していたが、2007年に骨癌と診断され右足を切断し、その後2009年に44歳の若さで死去している。
youtube:http://youtu.be/1j3qIHqCGas
 
3.ベノイト・ベンジャミン(Benoit Benjamin)
キャプチャ

出身校:クレイトン大学
ポジション: C
所属チーム:LAC(1985~1991)→SEA(1991~1993)→LAL(1993)→NJN(1993~1995)→VAN(1995)→MIL(1995~1996)→TOR(1996)→PHI(1998~1999)→CLE(1999)
キャリア平均:11.4PPG、7.5RPG、1.3APG、2.0BPG

ロサンゼルス・クリッパーズではデビューから2桁得点を記録し続け、1988-89シーズンにはキャリアハイとなる平均16.4得点、8.8リバウンド、2.8ブロックを記録した。
クリッパーズを去ってからは故障などにより数字を下降させたが、バックアップセンターとして15シーズンに渡ってプレイを続けた。
クリッパーズでの通算ブロック数と平均ブロック数は、2014年の時点でチーム歴代1位となっている。
 
4.ゼイビア・マクダニエル(Xavier McDaniel)
キャプチャ

出身校:ウィチタ州立大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:SEA(1985~1990)→PHO(1990~1991)→NYK(1991~1992)→BOS(1992~1995)、NJN(1996~1998)
キャリア平均:15.6PPG、6.1RPG、2.0APG
オールスター出場:1回(1988)

ニックネームは「X-MAN」。
より威圧的に見えるようにと大学時代から髪の毛と眉毛の両方を剃るなど、闘争心を全面に押し出すスタイルで活躍した。
シアトル・スーパーソニックスにでは1年目から平均17.1得点、8.0リバウンドを記録し、新人王の投票ではパトリック・ユーイングに次ぐ得票を集めた。
翌シーズンには平均23.0得点を記録し、トム・チェンバースデイル・エリスとともにそれぞれが平均23得点以上を叩き出すハイスコアリングトリオを形成する。
4年目の1988-90シーズンにはシックスマンとしてプレーしながら平均20.5得点を記録するなど、先発・控えを問わずに高い得点力を発揮した。
1990年にソニックスを去ってからは得点力を下降させたが、1991年に移籍したニューヨーク・ニックスではタフな選手としてチームのプレイスタイルにマッチし、プレイオフでは2連覇を目指すシカゴ・ブルズを激しく荒々しいディフェンスで苦しめている。
敗れはしたもののブルズにとっては最もタフで過酷なシリーズとなり、マクダニエルは大いに存在感を発揮した。
youtube:http://youtu.be/ibgXpouwhgk
 
7.クリス・マリン(Chris Mullin)
キャプチャ

出身校:セントジョンズ大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:GSW(1985~1997)→IND(1997~2000)→GSW(2000~2001)
キャリア平均:18.2PPG、4.1RPG、3.5APG、1.6SPG、.509FG%、.384 3P%
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 2回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:5回(1989~1993)

ロサンゼルス五輪ではマイケル・ジョーダンパトリック・ユーイングらとともに金メダルを獲得した。
ゴールデンステイト・ウォリアーズに入団した当初、アルコール依存症の問題を抱え、3年目のシーズンにリハビリプログラムを受けてこれを克服している。
翌1988-89シーズンに平均26.5得点、5.9リバウンド、5.1アシスト、2.1スティールを記録し、リーグを代表するフォワードとして活躍を始めた。
このシーズンから5年連続で平均25得点、FG成功率50%以上を記録し、この間、オールスターにも5年連続で選出されている。
身体能力は決して高い方ではなかったが、いとも簡単にディフェンスを外してしまう姿は特殊能力を使う宇宙人にも例えられ、とくに左手から放つショットは非常に高い精度を誇った。
チームメイトのティム・ハーダウェイは「マリンにボールを渡せばアシストになる」と語り、マジック・ジョンソンも「神の左手」とそのシュート力を称えた。
1992年にはドリームチームの一員としてバルセロナ五輪で金メダルを獲得したが、この頃から故障が目立つようになり、徐々に数字を下降させていくと、1997年にインディアナ・ペイサーズにトレードされた。
その後、2000年にウォリアーズに復帰し、1シーズンをプレーして現役を引退した。
ウォリアーズでは13シーズンを過ごし、背番号『17』が同チームの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/o0_5P21Idxs
 
8.デトレフ・シュレンプ(Detlef Schrempf)
キャプチャ

出身校:ワシントン大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:DAL(1985~1989)→IND(1989~1993)→SEA(1993~1999)→POR(1999~2001)
キャリア平均:13.9PPG、6.2RPG、3.4APG、.384 3P%
個人賞:Sixth Man of the Year2回(1990-1991、1991-1992)
ALL TEAM:All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:3回(1993、1995、1997)

西ドイツに生まれ育ち、高校時代にアメリカへ移住する。
インディアナ・ペイサーズで頭角を現し、1990-91シーズンに平均16.1得点、8.0リバウンド、3.7アシストを記録し、シックスマン賞を受賞すると、翌年も2年連続で受賞した。
1992-93シーズンには主に先発として起用され、平均19.1得点、9.5リバウンド、6.0アシストというオールラウンドな記録を残し、初めてオールスターに選出された。
シーズン終了後にシアトル・スーパーソニックスに移籍すると、1994-95シーズンに32歳にしてキャリアハイとなる平均19.2得点を記録し、オールNBA3rdチームに選出される活躍でチームの好成績に大きく貢献した。
youtube:http://youtu.be/MJQ8hvYFGwk
 
9.チャールズ・オークリー(Charles Oakley)
キャプチャ

出身校:バージニア・ユニオン大学
ポジション: PF、C
所属チーム:CHI(1985~1988)→NYK(1988~1998)→TOR(1998~2001)→CHI(2001~2002)→WAS(2002~2004)→HOU(2004)
キャリア平均:9.7PPG、9.5RPG、2.5APG、1.1SPG
オールスター出場:1回(1994)

ドラフトでは地元のクリーブランド・キャバリアーズから指名を受けたが、直後にシカゴ・ブルズへとトレードされる。
1年目からディフェンスとリバウンドでチームに貢献する活躍を見せ、2年目には平均14.5得点、リーグ2位となる13.1リバウンドを記録するなどチームの中心選手として活躍した。
またチームメイトに対するラフプレーには猛然と立ち向かい、チームの「警官役」として、エースのマイケル・ジョーダンからも厚い信頼を置かれていた。
しかしポジションの重なるホーレス・グラントが成長を見せると、かねてからチームにサイズが必要だと考えていたフロント陣は、ニューヨーク・ニックスで出場機会を失いつつあったビル・カートライトを獲得するため、オークリーをトレードで放出する。
オークリーのトレードにはジョーダンも激怒したと噂されたが、オークリーは腐ることなくニックスをタフな強豪チームへと成長させ、古巣ブルズの前に強大なライバルとして立ちはだかった。
ニックスでは地味な仕事や汚れ役を一手に引き受けるハードワーカーとしてプレーし、チームのハート&ソウルとしてファンから絶大な人気を誇った。
1998年にトロント・ラプターズにトレードされた際には、ニューヨークのメディアやファンの間では大きな議論が巻き起こっている。
その後はチームを転々としたが、頼れる大ベテランとしてチームに貢献する活躍を見せた。
youtube:http://youtu.be/a48AVHq1CaY
 
13.カール・マローン (Karl Malone)
キャプチャ

出身校:ルイジアナ工科大学
ポジション: PF
所属チーム:UTA(1985~2003)→LAL(2003~2004)
キャリア平均:25.0PPG、10.1RPG、3.6APG、1.4SPG、.516FG%
個人賞:All-Star Game MVP2回(1988-1989、1992-1993)、MVP2回(1996-1997、1998-1999)
ALL TEAM:All-NBA 1st 11回、All-NBA 2nd 2回、All-NBA 3rd 1回、All-Defensive 1st 3回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:14回(1988~1998、2000~2002)

ボディビルダーのような肉体と優れた身体能力を持ち、チームに得点を運び続ける姿から「メイルマン」のニックネームで親しまれた。
ユタ・ジャズでは1年目から先発を務め、2年目に平均21.7得点を記録すると、以降17シーズンにわたって平均20得点以上を記録し続けた。
入団当初は身体能力を生かしたパワフルなプレーを得意としていたが、50%に届かなかったフリースロー成功率は4年目以降に毎シーズンのように80%近くを記録し、ミドルレンジからのジャンプショットは年々正確さを増していった。
控えを務めていたジョン・ストックトンが先発に昇格すると、マローンとストックトンは素晴らしい連携を見せ、とくに二人が見せるピック&ロールは「分かっていても止められない」という必殺技として相手チームの脅威となった。
マイケル・ジョーダンの存在により得点王に輝く事はなかったが、キャリアを通して常に得点ランクの上位となる記録を残し続け、通算得点はカリーム・アブドゥル=ジャバーに次ぐ歴代2位となっている。
1989-90シーズンに平均31.0得点、11.0リバウンド、FG成功率56.2%という高い数字を記録し、前年に初めて選出されたオールNBA1stチームには、1998-99シーズンまで11年連続で選出されている。
マローンとストックトンを中心にジャズは長期間に渡り好成績を残し続けたが、優勝に近づく事はできず、万年優勝候補と囁かれた。
1997年から2年連続でファイナルに進出したが、どちらもシカゴ・ブルズの前に惜敗すると、次第にプレイオフを勝ち上がる力を失っていった。
2003年にストックトンが引退したのを機に、マローンは優勝を求めてロサンゼルス・レイカーズに移籍する。
同時にゲイリー・ペイトンのレイカーズ加入も決定し、シャキール・オニールコビー・ブライアント、そしてマローンというリーグ史に残る4選手が一堂に揃う事になった。
大きな注目を集める事になったレイカーズだったが、プレイオフを勝ち上がって順当にファイナルへと進出したものの、スター不在といわれたデトロイト・ピストンズの前に完敗し、マローンの悲願はまたしても叶う事はなかった。
シーズン終了後、主力選手が次々とチームを去っていく中、マローンはどのチームとも契約せず、2005年に現役引退を表明した。
長年に渡り健康を維持し、レイカーズでは40試合に欠場したものの、ジャズでの18シーズンでは欠場はわずかに10試合のみと、異常なまでのタフさを誇った。
ジャズのチーム記録をいくつも保持し、背番号『32』は同チームの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/Jv6vD1iKOU4
 
16.ビル・ウェニントン (Bill Wennington)
キャプチャ

出身校:セントジョンズ大学
ポジション: C
所属チーム:DAL(1985~1990)→SAC(1990~1991)、CHI(1993~1999)→SAC(1999~2000)
キャリア平均:4.6PPG、3.0RPG、0.6APG

カナダ出身。
キャリア初期は活躍できず、NBAで6シーズンを過ごした後にイタリアへと渡る。
この頃、トニー・クーコッチ視察のためにイタリアを訪れていたシカゴ・ブルズ関係者の目にとまり、クーコッチとともに1993年からブルズでプレーする。
ブルズではウィル・パデュールーク・ロングリーのバックアップを務め、213cmのビッグマンながらインサイドでのプレーよりもミドルレンジでのジャンプショットを得意とした。
1996年からの3連覇に貢献し、優勝時にはシカゴのマクドナルドでウェニントンの名前をもじった「ビーフ・ウェニントン」というメニューが販売されている。
明るく社交的な性格で、ロッカールームではムードメーカーとしての役割も果たした。
youtube:http://youtu.be/pFiWXsGjggM
 
18.ジョー・デュマース (Joe Dumars)
キャプチャ

出身校:マクニーズ州立大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:DET(1985~1999)
キャリア平均:16.1PPG、2.2RPG、4.5APG、.382 3P%
個人賞:Finals MVP(1988-1989)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 1st 4回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:6回(1990~1993、1995、1997)

デトロイト・ピストンズでの1年目、シーズンの半分以上で先発を務めて平均9.4得点を記録する。
オフェンス面では平凡な成績に終わったが、ディフェンスでは新人離れしたレベルの高いプレーを見せ、ディフェンスを重視するチームの中でデュマースは重要な選手となる。
当時、得点王を独占していたシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンは、デュマースを「対戦したディフェンダーの中で最も優れた選手」と評価している。
その一方でオフェンス力も毎年のように向上させ、1988-89シーズンには平均17.2得点、5.7アシストを記録する。
この年のファイナルでは、前年に敗れたロサンゼルス・レイカーズを相手にシリーズ平均27.3得点の活躍で雪辱を果たし、チームを初の優勝に導いた立役者としてファイナルMVPに輝いた。
ピストンズは当時「バッドボーイズ」と呼ばれ、度を超したダーティープレーでNBAの全チームから忌み嫌われていたが、その中で唯一紳士的なプレーを続けたデュマースは、敵味方問わず多くの選手から尊敬の念を集めた。
1992-93シーズンにはキャリアハイとなる平均23.5得点を記録し、1994年にカナダで開催された世界選手権ではNBAを代表する選手としてドリームチームⅡのメンバーに選ばれている。
1999年に現役を引退し、背番号『4』はピストンズの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/etFAuDqIsj4
 
23.A.C.グリーン (A.C. Green)
キャプチャ

出身校:オレゴン州立大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:LAL(1985~1993)→PHO(1993~1996)→DAL(1996~1999)→LAL(1999~2000)→MIA(2000~2001)
キャリア平均:9.6PPG、7.4RPG、1.1APG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:1回(1990)

優れたリバウンダーとして活躍し、80年代後半のロサンゼルス・レイカーズの2連覇に貢献した。
1991-92シーズンにはキャリアハイとなる平均13.6得点、9.3リバウンドを記録している。
故障に強い選手として「Iron Man(鉄人)」の名で知られ、1,192試合連続出場という金字塔を打ち立てた。
16シーズンで欠場したのは3試合のみだったが、それも2年目にヘッドコーチの判断による欠場で、故障によるものではなかった。
1996-97シーズンはシーズン中のトレードの関係で83試合に出場している。
1999-2000シーズンにパワーフォワードを必要としていた古巣レイカーズに復帰し、自身3個目となるチャンピオンリングを獲得した。
敬虔なクリスチャンで、39歳で結婚するまで貞操を守っていた事でも知られている。
youtube:http://youtu.be/0gNYsxBY1bg
 
24.テリー・ポーター (Terry Porter)
キャプチャ

出身校:ウィスコンシン大学スティーブンスポイント校
ポジション: PG
所属チーム:POR(1985~1995)→MIN(1995~1998)→MIA(1999)→SAS(1999~2002)
キャリア平均:12.2PPG、3.0RPG、5.6APG、1.2SPG、.386 3P%
オールスター出場:2回(1991、1993)

ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、2年目から先発に定着する。
同時期にクライド・ドレクスラーも先発に定着し、ポーターとドレクスラーというバックコートの先発が固定されて以降、ブレイザーズは強豪への階段を昇っていく事になった。
安定したゲームメイクと要所で決めるスリーポイントを武器にチームの不動の司令塔として活躍し、2度のファイナル進出に大きく貢献している。
1990-91シーズンには平均17.0得点、8.0アシストを記録してオールスターに初めて選出された。
キャリア後半は若手に出場時間を譲るようになったが、指導役としても貢献している。
NBA歴代上位となる通算アシスト数を残して2002年に現役を引退。
2003年にミルウォーキー・バックスのヘッドコーチに就任し、新たなキャリアをスタートさせている。
youtube:http://youtu.be/Xvx4pahNMdc
 
31.マヌート・ボル (Manute Bol)
キャプチャ

出身校:ブリッジポート大学
ポジション: C
所属チーム:WSB(1985~1988)→GSW(1988~1990)→PHI(1990~1993)→MIA(1993~1994)→WSB(1994)→PHI(1994)→GSW(1994~1995)
キャリア平均:2.6PPG、4.2RPG、0.3APG、3.3BPG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回

南部スーダンのディンカ族の酋長の息子として生まれ、アメリカの大学コーチのスカウトによって18歳の時に渡米する。
歴代最高身長(当時)の231cmながら、体重は100kgと針金のように細く、NBAで通用するかは疑問視されていた。
ワシントン・ブレッツに入団すると、大方の予想通り、オフェンスでは全くといっていいほど貢献することはできなかったが、ブロックでは1年目から平均5.0本と圧倒的な能力を見せた。
キャリアを通して出場時間は短かったが、時間あたりのブロック本数は非常に多く、またゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍してからスリーポイントも打ち始めるなど、ユニークなキャラクターで存在感を発揮した。
キャリア通算の平均ブロックが平均得点を上回る唯一の選手で、通算ブロック2,086本という数字も、通算試投数1,635本を上回っている。
引退後は内戦で苦しむ母国スーダンのために熱心なチャリティー活動を行っていたが、2010年に腎臓障害とスティーブンス・ジョンソン症候群により47歳で死去している。
youtube:http://youtu.be/0gpya5OTOnM
 
35.タイロン・コービン (Tyrone Corbin)
キャプチャ

出身校:デポール大学
ポジション: SF
所属チーム:SAS(1985~1987)→CLE(1987~1988)→PHO(1988~1989)→MIN(1989~1991)→UTA(1991~1994)→ATL(1994~1995)→SAC(1995~1996)→MIA(1996)→ATL(1996~1999)→SAC(1999~2000)→TOR(2000~2001)
キャリア平均:9.2PPG、4.7RPG、1.8APG、1.2SPG

特定のチームに定着することができず、多くのチームを渡り歩くジャーニーマンとしてキャリアを送った。
1989年にエクスパンション・ドラフトでミネソタ・ティンバーウルブズに移籍し、1990-91シーズンは82試合全てに先発出場して平均18.0得点、7.2リバウンド、4.2アシスト、2.0スティールとオールラウンドな活躍を見せた。
youtube:http://youtu.be/WXoAKHzVlz4
 
45.ジョン・ホット ロッド ・ウィリアムズ (Hot Rod Williams)
キャプチャ

出身校:テュレーン大学
ポジション: C、PF
所属チーム:CLE(1986~1995)→PHO(1995~1998)→DAL(1998~1999)
キャリア平均:11.0PPG、6.8RPG、1.8APG、1.6BPG

「ホットロッド」はエンジンを意味し、赤ん坊の頃にエンジンのような唸り声をあげていたことから家族に名付けられた。
NBAでは疲れ知らずのタフガイぶりから「ホットロッド」の名は広く知られる事になった。
クリーブランド・キャバリアーズに入団し、USBLで1年プレーした後、1986年からNBAでのキャリアをスタートさせる。
1年目はパワーフォワードとして先発を務め、平均14.6得点、7.9リバウンド、2.1ブロックの活躍を見せると、チームメイトのブラッド・ドアティロン・ハーパーとともにオールルーキー1stチームに選出された。
ラリー・ナンスがチームに加入してからは、ドアティとナンスのバックアップとしてプレーし、ベンチから登場してチームにエネルギーを注ぎ込むシックスマンとして活躍した。
1989-90シーズンは全試合に出場し、先発は29試合だったものの、平均16.8得点、8.1リバウンド、2.0ブロックを記録する活躍を見せている。
youtube:http://youtu.be/xJHzwl9nI04
 
47.ジェラルド・ウィルキンス (Gerald Wilkins)
キャプチャ

出身校:テネシー大学チャタヌーガ校
ポジション: SG、SF
所属チーム:NYK(1985~1992)→CLE(1992~1995)→VAN(1995~1996)→ORL(1996~1999)
キャリア平均:13.0PPG、2.9RPG、3.0APG、1.0SPG

スター選手として活躍したドミニク・ウィルキンスの弟として知られ、兄と同じように豪快なダンクを見せたほか、執拗なディフェンスで相手チームのポイントゲッターにマッチアップする事も多く、マイケル・ジョーダンとの激しい攻防から「ジョーダン・ストッパー」とも呼ばれた。
下位指名ながらニューヨーク・ニックスでは1年目から多くの出場時間を与えられ、同期入団のパトリック・ユーイングとともに新人ながらチームを支える活躍を見せた。
2年目にはシーズンの大半で先発を務め、平均19.1得点を記録している。
ニックスで7シーズンを過ごし、1992年にクリーブランド・キャバリアーズに移籍する。
キャバリアーズは好成績を収めたものの、プレイオフではシカゴ・ブルズの前に敗退し、ウィルキンスにとってはニックス在籍時の1991年から4シーズン続けてブルズに辛酸を味わされることになった。
兄ドミニクが引退した年と同じ1999年に引退した。
息子のダミアン・ウィルキンスはドラフト外ながら2004年にNBAデビューを果たしている。
youtube:http://youtu.be/JHh99QLKR68
 
54.サム・ミッチェル (Sam Mitchell)
キャプチャ

出身校:マーサー大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:MIN(1989~1992)→IND(1992~1995)→MIN(1995~2002)
キャリア平均:8.7PPG、3.7RPG、1.1APG

ドラフトではヒューストン・ロケッツから指名を受けたが、プレーすることなく解雇される。
1989年に新設されたミネソタ・ティンバーウルブズと契約し、ようやくNBA入りを果たすと、1年目から多くの出場時間を与えられ、2年目には平均14.6得点、6.3リバウンドを記録するなどチームの重要な選手として活躍する。
1992年にインディアナ・ペイサーズにトレードされたが、フリーエージェントとなって再びウルブズに戻り、合計10シーズンをウルブズでプレーした。
ウルブズのチーム記録には、いくつものカテゴリーでミッチェルの名が上位にランクされている。
 
66.マイケル・アダムズ(Michael Adams)
キャプチャ

出身校:ボストン大学
ポジション: PG
所属チーム:SAC(1985)→WSB(1986~1987)→DEN(1987~1991)→WSB(1991~1994)→CHH(1994~1996)
キャリア平均:14.7PPG、2.9RPG、6.4APG、1.7SPG
オールスター出場:1回(1992)

身長178cmという小柄な体型ながら、抜群のクイックネスと攻撃的なスリーポイントを武器に活躍した。
デビュー当初は目立った成績を残せず、解雇される憂き目にあいながら1988年にデンバー・ナゲッツに加入する。
ラン&ガンというチームスタイルにフィットしたアダムズは、ナゲッツの司令塔として数シーズンにわたり平均15得点前後、6アシスト以上を記録する活躍を見せた。
この頃、スリーポイントシュートを79試合連続で1本以上成功させ、大学の後輩でもあるダナ・バロスが更新するまでNBA記録となっていた。
1990-91シーズンになると、ナゲッツはさらにオフェンスに偏重したスタイルとなり、アダムズはアーリーオフェンスの中心として平均26.5得点、10.5アシスト、2.2スティールと大幅に数字をアップさせる。
翌シーズンにワシントン・ブレッツへ移籍してからは数字を下降させたが、在籍した3シーズンで司令塔を務め、移籍1年目には平均18.1得点、7.6アシストを記録し、デビュー7年目にして初めてオールスターに選出された。
youtube:http://youtu.be/7-oLBc4zXNU
 
87.スパッド・ウェブ (Spud Webb)
キャプチャ

出身校:ノースカロライナ州立大学
ポジション: PG
所属チーム:ATL(1985~1991)→SAC(1991~1995)→ATL(1995~1996)→MIN(1996)、ORL(1998)
キャリア平均:9.9PPG、2.1RPG、5.3APG、1.1SPG

身長170cmという小柄なウェブは、驚異的なジャンプ力でスラムダンク・コンテストに優勝し、日本でも「小さかったら高く跳べ」のキャッチコピーで大人気となった。
本名はアンソニー・ジェローム・ウェブ。
「スパッド」のニックネームは、ソビエト連邦が打ち上げた世界初の人工衛星が由来。
ドラフトではデトロイト・ピストンズから指名を受けたが、プレーする場を与えられないまま解雇される。
アトランタ・ホークスと契約を結んでNBAデビューを果たすと、1年目に控えとして平均7.8得点、4.3アシストを記録し、エネルギッシュなプレーでチームの人気者となった。
1995年に移籍したサクラメント・キングスでは先発として起用され、移籍1年目にキャリアハイとなる平均16.0得点、7.1アシストを記録している。
youtube:http://youtu.be/DnNEe8N1cxs
 
160.マリオ・エリー (Mario Elie)
キャプチャ

出身校:アメリカン・インターナショナル大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:PHI(1990~1991)→GSW(1991~1992)→POR(1992~1993)→HOU(1993~1999)→SAS(1999~2000)→PHO(2000~2001)
キャリア平均:8.6PPG、2.8RPG、2.6APG、.365 3P%

ドラフトではミルウォーキー・バックスから指名を受けたが、直後に解雇され、海外や独立リーグでプレーした。
1990年にフィラデルフィア・76ersと契約して念願のNBAデビューを果たすものの、3試合の出場のみですぐに解雇される。
その後、ゴールデンステイト・ウォリアーズと10日間契約を結び、ベンチスタートで平均7.0得点を記録すると、ここでようやくシーズン契約を結ぶ事に成功した。
ヒューストン・ロケッツ移籍後はいぶし銀の活躍を見せ、チームの2連覇にも大きく貢献している。
1996-97シーズンは先発に固定され、キャリアハイとなる平均11.7得点、4.0アシスト、スリーポイント成功率42.0%を記録した。
1998年はサンアントニオ・スパーズに移籍し、ファイナルではティム・ダンカンデビッド・ロビンソンにマークが集中する中、勝利をたぐりよせるスリーポイントシュートを沈め、自身3個目のチャンピオンリングを獲得している。
重要な場面で活躍することから、「スーパーマリオ」のニックネームで親しまれた。
youtube:http://youtu.be/JbamGd8Io9o
 

この記事を書いた人
TANA

バスケ初心者でありながらバスケサークルを立ち上げる。
2025年までの代表。
初心者ならではの視点でバスケを見つめ、「もっと楽な道」がないかを常に探求し続ける。

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