1984年 NBAドラフト

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前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)
All Rookie Team
1st:チャールズ・バークリーサム・ブゥイマイケル・ジョーダンアキーム・オラジュワンサム・パーキンス
 
主なプレイヤー
 
1.アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon)
キャプチャ

出身校:ヒューストン大学
ポジション: C
所属チーム:HOU(1984~2001)→TOR(2001~2002)
キャリア平均:21.8PPG、11.1RPG、2.5APG、1.7SPG、3.1BPG、.512FG%
個人賞:MVP(1993-1994)、Defensive Player of the Year2回(1992-1993、1993-1994)、Finals MVP2回(1993-1994、1994-1995)
ALL TEAM:All-NBA 1st 6回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 3回、All-Defensive 1st 5回、All-Defensive 2nd 4回
オールスター出場:12回(1985~1990、1992~1997)

「ドリーム」というニックネームをもち、ディフェンスを翻弄する変幻自在のムーブは「ドリームシェイク」と呼ばれた。
同時代をプレーした多くの選手が「彼を止める事のできる人間はいない」と口を揃え、NBA史上最高のセンターのひとりとして考えられている。
ナイジェリアの裕福な家庭に育ち、1980年にアメリカに移住して名門ヒューストン大学に入学すると、カレッジバスケ界屈指のセンターへと成長した。
NBAの各チームはオラジュワンを獲得するため、ドラフト1位指名権を手に入れようと熾烈な負け合戦を演じたと噂され、リーグはこれを契機に翌年からロッタリー制を導入する事になった。
ヒューストン・ロケッツに入団したオラジュワンは、1年目に平均20.6得点、11.9リバウンド、2.7ブロックを記録し、213cmのビッグマンとしては規格外の俊敏さ、身体能力の高さを見せた。
新人王はマイケル・ジョーダンに譲ったが、223cmのラルフ・サンプソンとの「ツインタワー」でリーグを席巻し、2年目には早くもファイナル進出を果たす。
1986-87シーズンからは3年連続でオールNBA1stチームにも選出され、リーグを代表する選手へ成長した。
一方で、サンプソンの故障後はプレイオフで成果を上げられず、チームを率いるオラジュワンへの風当たりは次第に強くなっていく。
90年代初めに怪我や不整脈の影響で欠場が多くなると、ロケッツはオラジュワンをトレードする動きを見せ、トレード成立直前の段階にまで至っている。
オラジュワンはチームに対して不信感の募らせたが、1992年にヘッドコーチに就任したルディ・トムジャノビッチの説得により球団と和解し、以降ロケッツは優勝を狙えるまでに成績を上昇させる。
1993-94シーズン、オラジュワンはチームを過去最高の58勝に導き、平均27.3得点、11.9リバウンド、3.6アシスト、1.6スティール、3.7ブロックの活躍でシーズンMVPを受賞、前シーズンに続き最優秀守備選手賞も受賞した。
プレイオフでは1986年以来のファイナル進出を果たし、大学時代からのライバルであるパトリック・ユーイング擁するニューヨーク・ニックスと対戦する。
最終戦までもつれる激戦を制し、チーム初の優勝を手にすると、オラジュワンはファイナルMVPを受賞した。
翌シーズン、チームは不調が続いたが、シーズン後半に大学時代のチームメイトであるクライド・ドレクスラーが加入し、下馬評を覆して2連覇を達成した。
2001年、大学時代から20年以上を過ごしてきたヒューストンを去り、トロント・ラプターズで1シーズンを過ごした後に引退した。
1993年にアメリカの国籍を取得し、1996年のアトランタ五輪ではアメリカ代表として金メダルを獲得している。
ロケッツのチーム記録をいくつも更新し、背番号『34』は2002年にロケッツの永久欠番となった。
キャリア通算ブロック数はNBA歴代1位の記録となっている。
引退後、コービー・ブライアントやレブロン・ジェームスら多くのスター選手を相手にポストムーブの指導を行っている。
youtube:http://youtu.be/QoKMBu9lAuo
 
2.サム・ブゥイ(Sam Bowie)
キャプチャ

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: C
所属チーム:POR(1984~1989)→NJN(1989~1993)→LAL(1993~1995)
キャリア平均:10.9PPG、7.5RPG、2.1APG、1.8BP

たび重なる脚の怪我により能力を発揮できず、ドラフト3位のマイケル・ジョーダンが活躍したことから、多くの場合は「史上最大の失敗ドラフト指名選手」として語られる。
ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、1年目は平均10.0得点、8.6リバウンド、2.7ブロックと、ディフェンスではチームの柱となる活躍を見せる。
しかし、翌シーズンから故障に苦しむキャリアをおくり、活躍できないまま1989年にニュージャージ・ネッツへトレードされた。
ネッツ移籍後は一時的に健康を取り戻し、1989-90シーズンには平均14.7得点、10.1リバウンドを記録するなど活躍している。
4シーズン連続で60試合以上に出場したが、ロサンゼルス・レイカーズ移籍後にまたしても故障に見舞われ、1995年に現役を引退する事になった。
youtube:http://youtu.be/Kpi_tDsXu4w
 
3.マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)
キャプチャ

出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:CHI(1984~1994、1994~1998)→WAS(2001~2003)
キャリア平均:30.1PPG、6.2RPG、5.3APG、2.3SPG
個人賞:Rookie of the Year、MVP5回(1987-1988、1990-1991、1991-1992、1995-1996、1997-1998)、Finals MVP6回(1990-1991、1991-1992、1992-1993、1995-1996、1996-1997、1997-1998)、Defensive Player of the Year(1987-1988)、All-Star Game MVP3回(1988、1996、1998)
ALL TEAM:All-NBA 1st 10回、All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 9回
オールスター出場:14回(1985~1993、1996~1998、2002~2003)

得点王10回、5度のシーズンMVP、6度の優勝とファイナルMVP獲得、そして「エアー」と呼ばれた滞空時間の長いジャンプからの独創的なプレイと大舞台での異常なまでの勝負強さ。
記録・記憶ともに跳び抜けた存在として、歴代最高のプレイヤーとして評価されている。
youtube:http://youtu.be/LAr6oAKieHk
 
4.サム・パーキンス(Sam Perkins)
キャプチャ

出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: PF、C、SF
所属チーム:DAL(1984~1990)→LAL(1990~1993)→SEA(1993~1999)→IND(1999~2001)
キャリア平均:11.9PPG、6.0RPG、1.5APG、.362 3P%

ニックネームは「ビッグ・スムース」。
大学時代はジェームズ・ウォージーマイケル・ジョーダンらとともにプレーし、NCAAトーナメント優勝を果たしている。
ダラス・マーべリックスでは1年目から多くの試合で先発を務め、2年目には平均15.4得点、8.6リバウンドを記録、チームの主力として以降も活躍を続ける。
マーべリックスで6シーズンをプレーした後、1990年にジェームズ・ウォージーが所属するロサンゼルス・レイカーズに移籍した。
移籍1年目にファイナルに進出し、マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズを相手に敗退したものの、唯一の勝利となった第1戦では終了間際に決勝点となる逆転スリーポイントシュートを決めている。
1993年にシアトル・スーパーソニックスへ移籍してからはシックスマンとして起用される機会が増えたが、この頃からスリーポイントシュートを多投するようになり、その成功率は40%に迫る高い精度を誇った。
1996年に再びファイナルに進出したものの、またしてもジョーダンのブルズの前に敗退し、インディアナ・ペイサーズに移籍して迎えた2000年のファイナルでは、古巣のレイカーズに完敗し、ついに優勝を経験する事なく2001年に現役を引退する事になった。
youtube:http://youtu.be/TuNgoWlruyg
 
5.チャールズ・バークリー(Charles Barkley)
キャプチャ

出身校:オーバン大学
ポジション: PF
所属チーム:PHI(1984~1992)→PHO(1992~1996)→HOU(1996~2000)
キャリア平均:22.1PPG、11.7RPG、3.9APG、1.5SPG、.541FG%
個人賞:MVP(1992-1993)、All-Star Game MVP(1991)
ALL TEAM:All-NBA 1st 5回、All-NBA 2nd 5回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:11回(1987~1997)

パワーフォワードとしては小柄な198cm(実際は193cm程度と言われた)の身長でありながら、パワフルなプレーで20cm以上も身長差のある相手を圧倒し、一方でガードのようなスキルを見せるなど、過去に例を見ない唯一無二の存在として活躍した。
そのプレースタイルから「空飛ぶ冷蔵庫」「リバウンドをとる小山」の異名を持ち、また歯に衣着せぬ物言いから「サー・チャールズ」の愛称でも親しまれた。
フィラデルフィア・76ersに入団し、モーゼス・マローンジュリアス・アービングら錚々たる顔ぶれが揃う中、1年目からチームの主力として活躍する。
3年目には平均23.0得点、14.6リバウンド(リーグ1位)、4.9アシスト、1.8スティール、1.5ブロック、FG成功率59.4%(リーグ3位)と、全てに高い数字を記録し、翌1987-88シーズンにはリーグ4位の平均28.3得点を記録して初めてオールNBA1stチームに選出されている。
バークリーがリーグを代表する選手となった一方で、チームは優勝とは縁のないシーズンが続き、本格的な補強をすすめないチームに対して不満を爆発させバークリーはトレードを志願し、1992年に1対3のトレードでフェニックス・サンズへと移籍する事になった。
我の強いバークリーの獲得にはメディアから不安の声があがったが、バークリーは移籍1年目にサンズを62勝の好成績に導き、初となるシーズンMVPを獲得した。
プレイオフでは苦しみながらも勝ち進んで自身初のファイナル進出を果たしたが、親友であり、同期のライバルであるマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズの前に敗退し、あと1歩で優勝に届かなかった。
その後は腰や背中の故障に苦しみながら現役を続け、1996年には優勝を求めてヒューストン・ロケッツに移籍もしたが、ついに念願の優勝はかなわず、2000年に現役を引退した。
背番号『34』は76ersとサンズで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/TKmpQyo9muU
 
7.アルビン・ロバートソン(Alvin Robertson)
キャプチャ

出身校:アーカンソー大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:SAS(1984~1989)→MIL(1989~1993)→DET(1993)→TOR(1995~1996)
キャリア平均:14.0PPG、5.2RPG、5.0APG、2.7SPG
個人賞:Defensive Player of the Year(1985-1986)、Most Improved Player(1985-1986)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 2nd 4回
オールスター出場:4回(1986~1988、1991)

リーグ屈指のディフェンス力を誇り、サンアントニオ・スパーズの中心選手として活躍した。
2年目に平均17.0得点、6.3リバウンド、5.5アシスト、リーグトップの3.7スティールを記録し、オールスターに選出される活躍を見せると、このシーズンに最も成長した選手に贈られるMIPを受賞し、同時に最優秀守備選手賞も受賞した。
1986年のフェニックス・サンズ戦では20得点、10リバウンド、10アシスト、10スティールを記録し、クアドラプル・ダブルを達成している。
高いスティール能力から「シーフ」のニックネームを持ち、キャリア通算平均の2.71という数字は歴代最高となっている。
現役最後となった1995-96シーズンに新設されたばかりのトロント・ラプターズに在籍し、チーム公式戦初となる得点を決めている。
youtube:http://youtu.be/5uLlBOhjqHs
 
9.オーティス・ソープ(Otis Thorpe)
キャプチャ

出身校:プロビデンス大学
ポジション: PF、C
所属チーム:KCK-SAC(1984~1988)→HOU(1988~1995)→POR(1995)→DET(1995~1997)→VAN(1997~1998)→SAC(1998)→WAS(1998~1999)→MIA(1999~2000)→CHH(2000~2001)
キャリア平均:14.0PPG、8.2RPG、2.2APG、.546FG%
オールスター出場:1回(1992)

カンザスシティ・キングスに入団し、1年目は主に控えを務めながら全82試合に出場して平均12.8得点、6.8リバウンドを記録した。
チームがサクラメント・キングスとなってからは先発としてプレーし、1987-88シーズンには平均20.8得点、10.2リバウンド、3.2アシストの好成績を収めた。
1988年にトレードでヒューストン・ロケッツに移籍すると、アキーム・オラジュワンと強力なフロントコートを形成し、1994年の優勝に大きく貢献した。
翌シーズンの途中にクライド・ドレクスラーとのトレードでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍し、以降も2001年まで17シーズンという長い現役生活をおくった。
キャリアを通して欠場が少なく、3年目の1986-87シーズンから6年連続で全試合に出場している。
youtube:http://youtu.be/djsachV08Ic
 
11.ケビン・ウィリス(Kevin Willis)
キャプチャ

出身校:ミシガン州立大学
ポジション: PF、C
所属チーム:ATL(1984~1994)→MIA(1994~1996)→GSW(1996)→HOU(1996~1998)→TOR(1998~2001)→DEN(2001)→HOU(2001~2002)→SAS(2002~2004)→ATL(2004~2005)、DAL(2007)
キャリア平均:12.1PPG、8.4RPG、0.9APG
ALL TEAM:NBA All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:1回(1992)

アトランタ・ホークスで長く活躍し、ゴール下のパワフルなプレーでドミニク・ウィルキンスらとともにチームを支えた。
1991-92シーズンに平均18.3得点、リーグ2位となる15.5リバウンドを記録し、オールスターに選出されている。
1994年に11シーズンを過ごしたホークスを去ってからは、チームを渡り歩き、2003年にサンアントニオ・スパーズで自身初の優勝を経験した。
2005年に一時現役を引退したが、2007年に復帰してダラス・マーベリックスで5試合に出場し、44歳になるまでプレーを続けた。
youtube:http://youtu.be/tDHOg8tcSL0
 
13.ジェイ・ハンフリーズ(Jay Humphries)
キャプチャ

出身校:コロラド大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:PHO(1984~1988)→MIL(1988~1992)→UTA(1992~1995)→BOS(1995)
キャリア平均:11.1PPG、2.5RPG、5.5APG、1.5SPG

フェニックス・サンズに入団し、1年目は主に控えながら多くの出場時間を与えられ、2年目に先発に定着すると、平均11.0得点、6.4アシストを記録した。
1988年にミルウォーキー・バックスに移籍してからはチームを牽引するプレーを見せ、1989-90シーズンには平均15.3得点、5.8アシストを記録してプレイオフ進出に貢献している。
 
14.マイケル・ケイジ(Michael Cage)
キャプチャ

出身校:サンディエゴ州立大学
ポジション: C、PF
所属チーム:CLE(1984~1988)→SEA(1988~1994)→CLE(1994~1996)→PHI(1996~1997)→NJN(1997~2000)
キャリア平均:7.3PPG、7.6RPG、0.9APG、.515FG%

クリーブランド・キャバリアーズ入団当初は控えとしてプレーし、先発に定着した3年目のシーズンに平均15.7得点、11.5リバウンドを記録すると、翌シーズンにはリーグトップとなる平均13.0リバウンドを記録した。
1988年にシアトル・スーパーソニックスに移籍してからは出場時間も減少し、数字も下降させていったが、リバウンドに強さを見せるインサイドプレイヤーとしてプレーを続け、15シーズンという長い現役生活をおくった。
youtube:http://youtu.be/OrvT67vLZd4
 
16.ジョン・ストックトン (John Stockton)
キャプチャ

出身校:ゴンザガ大学
ポジション: PG
所属チーム:UTA(1984~2003)
キャリア平均:13.1PPG、2.7RPG、10.5APG、2.2SPG、.515FG%、.384 3P%
個人賞:All-Star Game MVP(1993)
ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-NBA 2nd 6回、All-NBA 3rd 3回、Defensive 2nd 5回
オールスター出場:10回(1989~1997、2000)

ドラフト指名時、「ゴンザガ大のストックトンか、ストックトン大のゴンザガか」と囁かれた事がストックトンの無名時代をあらわす逸話として知られているが、実際はNBAの各チームのスカウトはストックトンに目を付け、ドラフト後もユタ・ジャズには「ストックトンを手放す気はないか?」との問合せが相次いだ。
ジャズでの最初の3シーズンを控えとして過ごし、4年目のシーズンに先発に定着すると、平均14.7得点、13.8アシスト、3.0スティール、FG成功率57.4%とという素晴らしい数字を残し、アシスト王はこのシーズンから9年連続でストックトンが独占することになった。
シュート成功率もガードとしては非常に高く、ゲーム終盤の競った場面ではクラッチシューターとして、チーム得点王のカール・マローンよりも恐れられる存在となった。
ゲイリー・ペイトンが「マイケル・ジョーダンよりも手強い」「唯一の目標」と語るなど多くの選手から敬意を集めていた。
一方で見えない部分でダーティープレーを行う選手としても知られ、問題児として名高いデニス・ロドマンは「NBAで一番汚い選手」とストックトンについてコメントしている。
同僚のカール・マローンと並んで怪我に強く、19シーズンのキャリアのうち、17シーズンで全試合出場を果たした。
また、609試合連続先発出場はNBA記録となっている。
歴代最多のアシスト記録とスティール記録を持ち、NBA史に残る名ポイントガードとしてジャズを長期間にわたる好成績に導いたが、ついに優勝を実現する事なく2003年に現役を引退した。
ジャズはストックトンが在籍した19シーズンで全てプレイオフに進出し、2004年に背番号『12』が永久欠番となった。
youtube:http://youtu.be/lAPu4nLzDbQ
 
18.バーン・フレミング (Vern Fleming)
キャプチャ

出身校:ジョージア大学
ポジション: PG
所属チーム:IND(1984~1995)→NJN(1995~1996)
キャリア平均:11.3PPG、3.4RPG、4.8APG、1.0SPG

デビューから11シーズンをインディアナ・ペイサーズの司令塔として活躍した。
1年目から多くの試合に先発し、平均14.1得点、3.1アシストを記録する。
プレーメーカーとして年々向上を見せ、1989-90シーズンには平均14.3得点、7.4アシストを記録し、チームの3シーズンぶりのプレイオフ進出に貢献した。
しかし、翌シーズンに故障で1ヶ月欠場した間に先発の座を奪われ、以降はベンチプレイヤーとしてプレーすることになった。
 
20.トニー・キャンベル (Tony Campbell)
キャプチャ

出身校:オハイオ州立大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:DET(1984~1987)→LAL(1988~1989)→MIN(1989~1992)→NYK(1992~1994)→DAL(1994)→CLE(1994~1995)
キャリア平均:11.6PPG、3.1RPG、1.5APG

デビューからしばらくは目立った成績を残すことができなかったが、1989年に新設されたばかりのミネソタ・ティンバーウルブズに移籍すると、平均23.2得点と一気にオフェンス能力を爆発させる。
その後も若いチームのエースとして活躍を見せたが、1992年にニューヨーク・ニックスに移籍してからは、厚い選手層の中で出場時間を勝ち取る事ができず、数字を下降させていくことになった。
 
27.ロン・アンダーソン (Ron Anderson)

出身校:カリフォルニア州立大学フレズノ校
ポジション: SF
所属チーム:CLE(1984~1985)→IND(1985~1988)→PHI(1988~1993)→NJN(1993)→WSB(1994)
キャリア平均:10.6PPG、3.5RPG、1.4APG

デビューからしばらく目立った成績を残せずにいたが、1988年にフィラデルフィア・76ersに移籍すると、移籍1年目にシックスマンとして平均16.2得点、5.0リバウンドを記録する活躍を見せた。
76ersではその後もベンチから登場して2桁得点を記録するシックスマンとして活躍した。
youtube:http://youtu.be/t1JN0gUi5W8
 
46.ジェローム・カーシー (Jerome Kersey)
キャプチャ

出身校:ロングウッド大学
ポジション: SF
所属チーム:POR(1984~1995)→GSW(1995~1996)→LAL(1996~1997)→SEA(1997~1999)→SAS(1999~2000)→MIL(2000~2001)
キャリア平均:10.3PPG、5.5RPG、1.9APG、1.2SPG

ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、3年目に控えとして平均12.3得点、6.0リバウンドを記録すると、翌シーズンはエースのキキ・バンダウェイの故障によって先発に昇格し、平均19.2得点、8.3リバウンド、3.1アシストと大活躍を見せた。
以降、不動のスモールフォワードとしてチームを支え、チームの2度のファイナル進出に主力として貢献した。
1995年に11シーズンを過ごしたブレイザーズも去り、その後も2001年までの長いキャリアをおくった。
1999年、サンアントニオ・スパーズ在籍時に自身初の優勝を経験している。
youtube:http://youtu.be/2An1IsvNvCQ
 
208.カール・ルイス (Carl Lewis)
キャプチャ

Did Not Play

陸上競技選手として、オリンピックで9つの金メダルを獲得したアメリカのスーパースター。
シカゴ・ブルズから指名を受けたほか、NFLのドラフトでもダラス・カウボーイズからも指名を受けた。
しかし、どちらにも入団することなく、陸上競技に専念した。
 

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