1991年 NBAドラフト

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新人王:ラリー・ジョンソン(Larry Johnson)
All Rookie Team
1st:スティシー・オーグモンラリー・ジョンソンディケンベ・ムトンボビリー・オーウェンススティーブ・スミス
 
主なプレイヤー
 
1.ラリー・ジョンソン(Larry Johnson)
nba

出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション: PF、SF
所属チーム:CHH(1991~1996)→NYK(1996~2001)
キャリア平均:16.2PPG、7.5RPG、3.3APG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:2回(1993、1995)

愛称は「LJ」、CM出演をきっかけに「グランマ」の名でも親しまれた。
身長201cmとパワーフォワードとしては小柄だったが、ボディビルダーのような肉体に加えてスピードも併せ持ち、ローポストからスピンムーブやポンプフェイクを駆使して得点を重ねた。
大学時代、地元の2年制大学からカレッジバスケの強豪ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)へ転校し、移籍1年目に中心選手としてNCAAトーナメント優勝に貢献する。
この決勝戦では名門デューク大学を相手に103-73と圧倒し、NCAAトーナメント史上初の3桁得点・最多得点差での優勝となった。
1991年NBAドラフトでは創設間もないシャーロット・ホーネッツに指名され、入団してすぐに若いチームを牽引する活躍を見せる。
1年目は平均平均19.2得点、11.0リバウンドの成績で新人王を受賞、翌シーズンは平均22.1得点、10.5リバウンド、4.3アシストとオールラウンドな活躍を見せ、2年目にしてオールスター出場も果たす。
このシーズンにアロンゾ・モーニングも入団し、高い能力を持つ若手選手が揃うホーネッツは「フューチャーブルズ」と呼ばれ大きな期待を集めた。
しかし、チームの中心選手であるジョンソンとモーニングの間に軋轢が生じ、1995年にモーニングがマイアミ・ヒートへ移籍すると、続いてジョンソンも1996年にニューヨーク・ニックスへトレードされた。
ニックス移籍後は故障の影響やチーム事情もあって個人成績を低下させたが、アウトサイドシュートを磨きあげるなどプレースタイルを変化させ、チームを救うシュートをいくつも決めている。
2001年、長年悩まされてきた背中や腰の故障の悪化により引退を表明し、10シーズンというキャリアを終えた。
高校時代にボクシングの州チャンピオンになっていることでも知られ、1998年のプレイオフでマイアミ・ヒートの元チームメイト、アロンゾ・モーニングを相手に乱闘騒動を起こした際には、モーニングの繰り出すパンチをことごとくかわす華麗なフットワークを見せた。
youtube:http://youtu.be/sTwQ0qYUKvg
 
2.ケニー・アンダーソン(Kenny Anderson)
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出身校:ジョージア工科大学
ポジション: PG
所属チーム:NJN(1991~1996)→CHH(1996)→POR(1996~1998)→BOS(1998~2002)→SEA(2002~2003)→NOH(2003)→IND(2003~2004)→ATL(2004~2005)→LAC(2005)
キャリア平均:12.6PPG、3.1RPG、6.1APG、1.5SPG
オールスター出場:1回(1994)

圧倒的なハンドリングスキルを持ち、高校時代にはすでにニューヨーク最大の大物選手としてその名が知られていた。
しかし、ニュージャージ・ネッツ入団当初はムーキー・ブレイロックから先発の座を奪うことができず、1年目は平均17分の出場で7.0得点、3.2アシストの成績に終わる。
翌1992-93シーズン、ブレイロックがトレードでチームを去り、新ヘッドコーチに就任した名将チャック・デイリーは、ドラゼン・ペトロビッチデリック・コールマンに、アンダーソンを加えた3人をチームの中心に据える。
先発として起用されたアンダーソンは平均16.9得点、8.2アシストと結果を残し、さらに3年目となる翌1993-94シーズンは平均18.8得点、9.6アシストの活躍で初めてオールスターにも選出された。
チームは不慮の事故でペトロビッチを失うという不幸に見舞われたが、アンダーソンとコールマンはリーグを代表するデュオになると期待され、ネッツには明るい将来が約束されていると思われていた。
しかし、中心選手であるコールマンが徐々に問題児としてチームとの関係を悪化させ、1995年、ついに放出されてしまうと、アンダーソンもネッツ残留を拒んで翌1996年にシャーロット・ホーネッツへと移籍した。
その後は多くのチームを渡り歩く事になったが、オールスターに再び選出されるような活躍を見せる事はなかったものの、ベテランらしいプレーで在籍するチームに貢献した。
youtube:http://youtu.be/FByBHhS14js
 
3.ビリー・オーウェンス(Billy Owens)
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出身校:シラキュース大学
ポジション: SF、PF、SG
所属チーム:GSW(1991~1994)→MIA(1994~1996)→SAC(1996~1998)→SEA(1999)→PHI(1999~2000)→GSW(2000)→DET(2000~2001)
キャリア平均:11.7PPG、6.7RPG、2.8APG

高校時代から全米屈指のプレイヤーとして知られ、身長203cmのサイズに見合わない高いボールハンドリングスキルを持っていたことから「マジック2世」とも評された。
ドラフトではサクラメント・キングスから指名を受け、シーズン開幕当日にミッチ・リッチモンドとのトレードでゴールデンステイト・ウォリアーズへと移籍する。
中心選手として活躍していたリッチモンドを放出し、NBAでのプレー経験のない新人選手を獲得したこのトレードは大きな物議となったが、オーウェンスは1年目から平均14.3得点、8.0リバウンドを記録し、チームも前年を11勝上回る55勝27敗の好成績を収めた。
翌1992-23シーズン、キャリアハイとなる平均16.5得点を記録したものの、チームは主力選手の故障もあって停滞する。
その後は期待されていたほどの成長を遂げる事が出来ず、いつしか「未完の大器」と呼ばれるようになった。
youtube:http://youtu.be/oJWmMzTCYc4
 
4.ディケンベ・ムトンボ(Dikembe Mutombo)
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出身校:ジョージタウン大学
ポジション: C
所属チーム:DEN(1991~1996)→ATL(1996~2001)→PHI(2001~2002)→NJN(2002~2003)→NYK(2003~2004)→HOU(2004~2009)
キャリア平均:9.8PPG、10.3RPG、1.0APG、2.8BPG、.518FG%
個人賞:Defensive Player of the Year4回(1994-1995、1996-1997、1997-1998、2000-2001)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 1st 3回、All-Defensive 2nd 3回
オールスター出場:8回(1992、1995~1998、2000~2002)

コンゴ共和国出身。
218cmの長身でゴール下にそびえたつ姿から「マウント・ムトンボ」と呼ばれ、リーグ屈指のショットブロッカーとしていくつものシュートを叩き落とした。
デンバー・ナゲッツに入団し、1年目から平均16.6得点、12.3リバウンド、3.0ブロックを記録する活躍で、新人として唯一オールスターに選出された。
2年目以降はチームの方針もあってオフェンス機会が減少していったが、ブロック王に3度、リバウンド王に2度、そして最優秀守備選手賞には4度輝くなど、チームへの貢献度と存在感はシーズンを重ねるごとに増していった。
ブロックをした際に相手選手に向かって人差し指を振る“ワッグル”と呼ばれる仕草を見せていたが、後にテクニカルファウルをとられることになったため、その後は観客に向かって行うようになった。
キャリア後半は故障が目立つようになったが、ヒューストン・ロケッツではヤオ・ミンのバックアップ兼指導役として重要な役割を果たしている。
22歳のときにコンゴ共和国からアメリカのジョージタウン大に留学しているが、バスケットボールではなく医師を目指しての留学だった。
慈善活動に熱心であり、引退後も母国を中心にアフリカの医療改善に取り組んでいる。
youtube:http://youtu.be/7UbI1qQHKNs
 
5.スティーブ・スミス(Steve Smith)
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出身校:ミシガン州立大学
ポジション: SG
所属チーム:MIA(1991~1994)→ATL(1994~1999)→POR(1999~2001)→SAS(2001~2003)→NOH(2003~2004)→CHA(2004~2005)→MIA(2005)
キャリア平均:14.3PPG、3.2RPG、3.1APG、.358 3P%
オールスター出場:1回(1998)

203cmの長身ガードとして活躍し、マジック・ジョンソンを輩出したミシガン州立大出身という事もあって「マジック2世」と呼ばれた。
アウトサイドから精密機械のようにシュートを決め、インサイドでもミスマッチを利用したポストプレーで得点を重ねた。
アトランタ・ホークス在籍時の1997-98シーズンに、平均20.1得点、4.2リバウンド、4.0アシストを記録して、キャリアで唯一となるオールスターに選出されている。
1999-2000シーズンはポートランド・トレイルブレイザーズに移籍し、プレイオフでは優勝候補筆頭のロサンゼルス・レイカーズを崖っぷちまで追い詰めたが、あと1歩のところで勝利を逃した。
最も優勝に近づいたシーズンを残念な結果で終えると、翌シーズンは若手選手の台頭により先発の座を奪われ、シーズン終了後にサンアントニオ・スパーズへ移籍する。
チームにおける役割は徐々に減っていったが、2003年に念願のチャンピオンリングを獲得している。
youtube:http://youtu.be/RiKiK0oVptI
 
7.ルーク・ロングリー(Luc Longley)
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出身校:ニューメキシコ大学
ポジション: C
所属チーム:MIN(1991~1994)→CHI(1994~1998)→PHO(1998~2000)→NYK(2000)
キャリア平均:7.2PPG、4.9RPG、1.5APG、1.0BPG

オーストラリア出身。
ミネソタ・ティンバーウルブズに入団し、主にバックアップセンターとして平均20分に満たない出場時間の中でプレーした。
3年目のシーズン途中にシカゴ・ブルズに移籍すると、1995-96シーズンから先発に起用され、チームはこのシーズンから3連覇を達成した。
ミドルレンジからのショットは安定していたが、得点源としてよりも、チームのオフェンスを機能させるうえで重要な役割を果たした。
1997-98シーズンにキャリアハイとなる平均11.4得点、5.9リバウンドを記録している。
youtube:http://youtu.be/qO9Z08tA6dw
 
9.ステイシー・オーグモン(Stacey Augmon)
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出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション: SG、SF
所属チーム:ATL(1991~1996)→DET(1996~1997)→POR(1997~2001)→CHH-NOH(2001~2004)→ORL(2004~2006)
キャリア平均:8.0PPG、3.2RPG、1.6APG、1.0SPG

マイケル・ジョーダンにも比較されるほどのアクロバティックなプレーを見せ、アメリカのDCコミックに登場するヒーロー「プラスチックマン」の名で呼ばれた。
ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)ではラリー・ジョンソンらとともに活躍し、中心選手のひとりとしてNCAAトーナメント優勝に貢献した。
アトランタ・ホークスに入団し、3年目のシーズンに記録した平均14.8得点がキャリアハイとなっている。
NBA入り当初は攻守に活躍を見せていたが、徐々にディフェンスに特化したプレースタイルへと変わっていった。
1996年にホークスを去ってからは平均得点も5得点前後にまで低下させたが、勝負所の時間帯でもコートに立っている事が多く、ディフェンスのスペシャリストとして2006年までの長い現役生活を送った。
youtube:http://youtu.be/advAxdbCdRU
 
10.バイソン・デリ(Bison Dele) [ブライアン・ウィリアムズ]
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出身校:アリゾナ大学
ポジション: C、PF
所属チーム:ORL(1991~1993)→DEN(1993~1995)→LAC(1995~1996)→CHI(1996~1997)→DET(1997~1999)
キャリア平均:11.0PPG、6.2RPG、1.1APG、.528FG%

NBA入り後しばらくは目立った成績を残せずにいたが、ロサンゼルス・クリッパーズに在籍していた1995-96シーズンに前年の倍となる平均15.8得点を記録し、一躍FA市場の注目プレイヤーとなる。
しかし、自身が望むほどの高額契約は提示されず、1996年の開幕時点でどのチームにも所属することができなかった。
シーズン終盤になってようやくシカゴ・ブルズと契約し、プレイオフではベンチプレイヤーとしてチームの優勝に貢献した。
この活躍によってデトロイト・ピストンズと5年間の高額契約を結ぶことに成功する。
移籍1年目にさっそくキャリアハイとなる平均16.2得点、8.9リバウンドを記録し、チームの重要なインサイドプレイヤーとして活躍を見せた。
しかし翌シーズン終了後、契約を数年残したまま突如として引退する。
2002年、自身の所有する船での航海中に消息不明となり、その後、兄によって殺害された事が兄のガールフレンドから告白された。
youtube:http://youtu.be/8n_cYIo4kO0
 
11.テレル・ブランドン(Terrell Brandon)
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出身校:オレゴン大学
ポジション: PG
所属チーム:CLE(1991~1997)→MIL(1997~1999)→MIN(1999~2002)
キャリア平均:13.8PPG、3.0RPG、6.1APG、1.6SPG
オールスター出場:2回(1996、1997)

クリーブランド・キャバリアーズに入団し、デビューからしばらくはマーク・プライスの控えとしてプレーした。
1994-95シーズンにプライスが故障で戦列を離れると、シーズン途中から先発を務め、予想を上回る活躍を見せた。
1995-96シーズンはキャバリアーズの正ポイントガードとして開幕を迎え、平均19.3得点、6.5アシストを記録、オールスターに初めて選出された。
翌シーズンも同様の成績を残すと、スポーツ・イラストレイテッド誌はブランドンをNBAで最高のポイントガードと評した。
キャリア晩年は故障が多くなったが、ミネソタ・ティンバーウルブズ在籍時の1999-2000シーズンには平均17.1得点を記録し、アシストではリーグ5位となる8.9アシストを記録した。
スポーツマンシップ賞を受賞するなどコート内外の活動も評価され、ブランドンが開催していたバスケットボールキャンプにはレブロン・ジェームスも少年時代に参加している。
youtube:http://youtu.be/qhJQSk6xJIk
 
12.グレッグ・アンソニー(Greg Anthony)
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出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション: PG
所属チーム:NYK(1991~1995)→VAN(1995~1997)→SEA(1997~1998)→POR(1998~2001)→CHI(2001~2002)→MIL(2002)
キャリア平均:7.3PPG、1.9RPG、4.0APG、1.2SPG

キャリアの多くを控えとしてプレーし、マーク・ジャクソンゲイリー・ペイトンといった名ポイントガードのバックアップを務めている。
1995年にエクスパンションドラフトによって創設されたばかりのバンクーバー・グリズリーズに移籍すると、先発として起用され、移籍1年目にキャリアハイとなる平均14.0得点、6.9アシストを記録した。
 
13.デイル・デイビス (Dale Davis)
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出身校:クレムゾン大学
ポジション: C、PF
所属チーム:IND(1991~2000)→POR(2000~2004)→GSW(2004~2005)→IND(2005)→DET(2005~2007)
キャリア平均:8.0PPG、7.9RPG、0.9APG、1.2BPG、.530FG%
オールスター出場:1回(2000)

インディアナ・ペイサーズに入団し、1年目から屈強な肉体を武器にインサイドで存在感を発揮した。
3年目のシーズンには平均11.7得点、10.9リバウンドのシーズン・ダブルダブルを記録している。
スクリーンやディフェンスなど縁の下の力となってペイサーズを支え続け、チームメイトのアントニオ・デイビスとともに「デイビス・ブラザーズ」と呼ばれるなど高い人気を誇る選手として活躍した。
1999-2000シーズンに平均10.0得点、9.9リバンドを記録し、デビューから9シーズン目にして初めてオールスターに選出されている。
翌シーズンは若返りを必要としたチームの構想により、ジャーメイン・オニールとのトレードでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍する。
移籍後は多くの試合で先発を務め、重要なインサイドプレイヤーとして活躍した。
キャリアの晩年に古巣のペイサーズに復帰し、長年ともに戦ってきたレジ―・ミラーの引退を見届けている。
youtube:http://youtu.be/t8df2zCpypk
 
16.クリス・ギャトリング (Chris Gatling)
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出身校:オールドドミニオン大学
ポジション: PF、C
所属チーム:GSW(1991~1996)→MIA(1996)→DAL(1996~1997)→NJN(1997~1999)→MIL(1999)→ORL(1999~2000)→DEN(2000)→CLE(2000~2001)→MIA(2001~2002)
キャリア平均:10.3PPG、5.3RPG、0.7APG、.513FG%
オールスター出場:1回(1997)

シュート成功率が非常に高く、短い時間の中でも高得点を連発した。
1996-97シーズンは先発出場が1試合だけだったが、平均19.0得点を記録する活躍を見せ、キャリアで唯一となるオールスターに出場している。
常にチームの重要プレイヤーとして活躍しながら、なぜかトレードによる移籍が非常に多い選手として知られている。
youtube:http://youtu.be/CovCgSwFFRg
 
21.エリック・マードック (Eric Murdock)
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出身校:プロビデンス大学
ポジション: PG
所属チーム:UTA(1991~1992)→MIL(1992~1995)→VAN(1995~1996)→DEN(1996~1997)→MIA(1997~1998)→NJN(1998~1999)→LAC(1999~2000)
キャリア平均:10.1PPG、2.5RPG、4.9APG、1.6SPG

ユタ・ジャズでの1年目は出場時間が得られず、シーズン終了後にミルウォーキー・バックスへトレードされた。
移籍後は先発に抜擢され、平均14.4得点、7.6アシストの好成績を残した。
翌シーズンもキャリアハイとなる平均15.3得点を記録したが、チームが再建を進める中で1995年にトレードされ、以降は控えとしてプレーする事が多くなった。
 
24.リック・フォックス (Rick Fox)
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出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: SF
所属チーム:BOS(1991~1997)→LAL(1997~2004)
キャリア平均:9.6PPG、3.8RPG、2.8APG、1.0SPG

カナダ出身。
ボストン・セルティックスに入団し、ラリー・バード以来の快挙となる、新人として開幕先発出場を果たした。
1995-96シーズンに平均14.0得点、5.6リバウンド、4.6アシスト、1.4スティールとオールラウンドな活躍を見せ、翌シーズンにはキャリアハイとなる平均15.4得点を記録した。
セルティックスの支柱としてチームを支えていたが、1997年にセルティックスと伝統的なライバルでるロサンゼルス・レイカーズに移籍し、ファンを驚かせた。
レイカーズでは数字を下降させたが、クレバーなプレーでチームに貢献し、主要メンバーとして2000年からの3連覇に貢献している。
NBA屈指の男前としても知られ、テレビドラマや映画にも出演している。
youtube:http://youtu.be/iTtGfPJQf9k
 
31.ランディ・ブラウン (Randy Brown)
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出身校:ニューメキシコ州立大学
ポジション: PG
所属チーム:SAC(1991~1995)→CHI(1995~2000)→BOS(2000~2002)→PHO(2002~2003)
キャリア平均:4.8PPG、1.8RPG、2.2APG、1.1SPG

キャリアの大半をベンチプレイヤーとして過ごしたが、卓越したディフェンス力でエースプレイヤーを封じ込めた。
シカゴ・ブルズで3連覇に貢献し、チームが解体された1998-99シーズンからは先発で起用された。
このシーズンにキャリアハイとなる平均8.8得点、3.8アシストを記録している。
 
37.エリオット・ペリー (Elliot Perry)
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出身校:メンフィス大学
ポジション: PG
所属チーム:LAC(1991)→CHH(1991~1992)、PHO(1993~1996)→MIL(1996~1999)→NJN(1999~2000)→ORL(2000)→PHO(2000~2001)→MEM(2001~2002)
キャリア平均:6.3PPG、1.4RPG、3.1APG、1.0SPG、.359 3P%

デビュー当初はチームに定着することができず、CBAでプレーした後にフェニックス・サンズと契約する。
1994-95シーズンは主力の故障によって51試合に先発出場し、平均9.7得点、4.8アシスト、シュート成功率52%という記録を残した。
チャールズ・バークリーらチームメイトはこの活躍を称賛し、このシーズンに最も成長した選手に贈られるMIPの候補にもなった。
ハイソックスがトレードマークで、ニックネームも“ソックス”だった。
 
45.ボビー・フィルズ (Bobby Phills)
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出身校:サザン大学
ポジション: SG
所属チーム:CLE(1991~1997)→CHH(1997~2000)
キャリア平均:11.0PPG、3.1RPG、2.7APG、1.3SPG、.390 3P%
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回

ミルウォーキー・バックスからドラフト指名を受けるものの、すぐに解雇され、CBAでプレーした後にクリーブランド・キャバリアーズと契約する。
持ち前のシュート力とディフェンス力で少しづつ出場時間を増加させ、1995-96シーズンには平均14.6得点、スリーポイント成功率44%を記録した。
2000年、交通事故により30歳の若さで他界。
フィルズがつけていた背番号『13』は、シャーロット・ホーネッツの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/deRDhiZHXKY
 
48.アイザック・オースティン (Isaac Austin)
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出身校:アリゾナ州立大学
ポジション: C
所属チーム:UTA(1991~1993)→PHI(1993~1994)、MIA(1996~1998)→LAC(1998)→ORL(1998~1999)→WAS(1999~2000)→VAN(2000~2001)→MEM(2001~2002)
キャリア平均:7.6PPG、4.7RPG、1.2APG
個人賞:Most Improved Player(1996-1997)

デビュー当初は活躍できず、1994年から2年間はフランスやトルコでプレーした。
1996年にマイアミ・ヒートと契約を結ぶと、82試合全てに出場し、主にベンチプレイヤーとしてプレーしながら平均9.7得点、5.8リバウンドを記録した。
このシーズンに最も成長した選手に贈られるMIPを受賞し、翌シーズンには平均13.5得点、7.1リバウンドとさらに成績をアップさせた。
FA市場で注目を浴び、マジックと高額契約を結んだものの、期待されたほどの活躍を見せる事はできず、次第に数字を下降させていった。
youtube:http://youtu.be/eZErm1nVwb4
 

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