新人王:チャック・パーソン(Chuck Person)
All Rookie Team
1st:ブラッド・ドアティ、チャック・パーソン、ロイ・タープリー、ロン・ハーパー、ジョン・ウィリアムズ(1985年ドラフト)
主なプレイヤー
1.ブラッド・ドアティ(Brad Daugherty)

出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: C
所属チーム:CLE(1986~1994)
キャリア平均:19.0PPG、9.5RPG、3.7APG、.532FG%
ALL TEAM:NBA All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:5回(1988~1989、1991~1993)
213cmのサイズに加えて柔らかく巧みなテクニックを持ち、強豪クリーブランド・キャバリアーズの中心選手として活躍した。
また、パッサーとしても非常に優れ、1992-93シーズンは司令塔のマーク・プライスに次ぐ平均4.4アシストを記録している。
1991-92シーズンに平均21.5得点、10.4リバウンド、FG成功率57%を記録し、プレイオフではチームをカンファレンス決勝へと導く活躍を見せた。
リーグを代表するセンターとして活躍していたが、背中の故障により、選手として全盛期を迎えつつあった1994年に28歳という若さで引退することになった。
youtube:http://youtu.be/Si34lCbYRVM
2.レン・バイアス(Len Bias)

出身校:メリーランド大学
ポジション:
所属チーム:BOS
マイケル・ジョーダンに匹敵する才能を持つと評価されながら、ボストン・セルティックスに指名を受けたドラフトから2日後にドラッグの過剰摂取が原因で急死した。
この事件以降、リーグは薬物検査の強化徹底を行い、アメリカ政府はクラック・コカインに対して重罰を科す法律を定めた。
youtube:http://youtu.be/gDQnsK6bpPM
4.チャック・パーソン(Chuck Person)

出身校:オーバン大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:IND(1986~1992)→MIN(1992~1994)→SAS(1994~1999)→CHH(1999)→SEA(1999~2000)
キャリア平均:14.7PPG、5.1RPG、2.8APG、.362 3P%
個人賞:Rookie of the Year
元NBA選手でもある俳優チャック・コナーズのファンであった母親によって「チャック」と命名され、チャック・コナーズ主演のテレビドラマに因んで「ライフルマン」のニックネームで呼ばれた。
インディアナ・ペイサーズに入団し、1年目に平均18.8得点、8.3リバウンドを記録して新人王を受賞する。
ニックネームを体現するかのように狙撃手のような正確なショットで得点を重ね、3年目のシーズンにキャリアハイとなる平均21.6得点を記録した。
デビューから6シーズンを過ごしたペイサーズでは通算平均19.0得点を記録する先発フォワードとして活躍していたが、1992年にトレードでチームを去ってからは控えとして出場する機会が増え、要所での得点を期待されるシューターとしてチームに貢献した。
トラッシュトーカ―としても知られ、ラリー・バードとは互いに挑発し合いながら好勝負を演じた。
弟のウェズリー・パーソンも1994年にNBAにデビューし、フェニックス・サンズなどで活躍した。
youtube:http://youtu.be/THi_rfVIQhk
5.ケニー・ウォーカー(Kenny Walker)

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:NYK(1986~1991)、WSB(1993~1995)
キャリア平均:7.0PPG、4.0RPG、0.7APG
「スカイ・ウォーカー」の異名を持つダンクの名手として知られ、1989年のスラムダンクコンテストでチャンピオンとなっている。
1年目にニューヨーク・ニックスの先発フォワードとして平均10.4得点を記録したが、これがキャリアハイとなり、以後は出場時間の減少に伴い成績も下降した。
NBA以外ではイタリアやスペイン、日本でもプレーしている。
youtube:http://youtu.be/lGLJO-6KWB4
7.ロイ・タープリー(Roy Tarpley)

出身校:ミシガン大学
ポジション: PF、C
所属チーム:DAL(1986~1991、1994~1995)
キャリア平均:12.6PPG、10.0RPG、1.0APG、1.1SPG、1.2BPG
個人賞:Sixth Man of the Year(1987-1988)
ダラス・マーべリックスに入団し、2年目となる1987-88シーズンに控えでプレーしながら平均13.5得点、11.8リバウンドを記録、このシーズンのシックスマン賞を受賞した。
その後も15得点11リバウンド以上を記録するインサイドプレイヤーとして活躍したが、1991年にコカイン使用容疑によりリーグを追放される。
海外でプレーした後、1994年にマーベリックスに復帰したものの、更生プログラムの期間中にアルコールを飲んだとして永久追放処分を受けリーグを去った。
youtube:http://youtu.be/Hw74PMToyBs
8.ロン・ハーパー(Ron Harper)

出身校:マイアミ大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:CLE(1986~1989)→LAC(1989~1994)→CHI(1994~1999)→LAL(1999~2001)
キャリア平均:13.8PPG、4.3RPG、3.9APG、1.7SPG
クリーブランド・キャバリアーズに入団し、1年目から平均22.9得点、4.8リバウンド、4.8アシスト、2.5スティールという素晴らしい数字を残した。
チーム成績の差もあって新人王はチャック・パーソンに譲ったが、攻守にレベルが高く、アクロバティックなプレーも披露するハーパーは「お金がないチームのマイケル・ジョーダン」とも評された。
1989年に膝に重傷を負い、トレードでロサンゼルス・クリッパーズへ放出されたが、そこで高い得点力を復活させ、ファンからは「ハリウッド・ハーパー」と呼ばれ親しまれた。
1994年にシカゴ・ブルズに移籍してからは故障の影響やシステムの違いから成績を大きく下降させたが、ディフェンスに重点を置いたプレースタイルで復活し、1996年からの3連覇の主要メンバーとして活躍した。
その後、ロサンゼルス・レイカーズのヘッドコーチに就任したフィル・ジャクソンに請われ、オフェンスシステムを運用するためのキープレイヤーとしてレイカーズに移籍し、チームの2度の優勝に貢献している。
youtube:http://youtu.be/uw9X1HX35qQ
10.ジョニー・ドーキンス(Johnny Dawkins)

出身校:デューク大学
ポジション: PG
所属チーム:SAS(1986~1989)→PHI(1989~1994)→DET(1994~1995)
キャリア平均:11.1PPG、2.5RPG、5.5APG、1.1SPG
サンアントニオ・スパーズに入団し、1年目は控えながら81試合に出場して平均10.3得点を記録する。
2年目は多くの試合で先発を務め、平均15.8得点、7.4アシストと大きく成績を伸ばした。
1989年にトレードでフィラデルフィア・76ersへ移籍すると、移籍1年目こそ平均14.3得点、7.4アシストの活躍を見せたが、翌シーズンは故障で長期欠場を強いられた。
復帰後は徐々に控えとしてプレーする機会が増え、数字は年々下降していくことになった。
11.ジョン・サリー(John Salley)

出身校:ジョージア工科大学
ポジション: PF、C
所属チーム:DET(1986~1992)→MIA(1992~1995)→TOR(1995~1996)→CHI(1996)、LAL(1999~2000)
キャリア平均:7.0PPG、4.5RPG、1.2APG、1.3BPG、.506FG%
長い手足から「スパイダー」の異名を持ち、デトロイト・ピストンズではベンチから登場してリバウンドやブロックショットでチームに貢献した。
ピストンズ、シカゴ・ブルズ、ロサンゼルス・レイカーズで合計4度の優勝を経験しており、異なる3つのチームでチャンピオンリングを獲得した初めてのプレイヤーとなった。
12.ジョン・ウィリアムズ(John Williams)

出身校:ルイジアナ州立大学
ポジション: SF
所属チーム:WSB(1986~1992)→LAC(1992~1994)→IND(1994~1995)
キャリア平均:10.1PPG、5.1RPG、2.9APG、1.3SPG
前年にドラフト指名された同姓同名のジョン・ウィリアムズが「ホット・ロッド」と呼ばれたのに対し、短い時間で熱くなる(ベンチから出てすぐ活躍する)ことから「ホットプレート」と呼ばれた。
ワシントン・ブレッツに入団し、3年目にはシックスマンとして平均13.7得点、7.0リバウンド、4.3アシストを記録した。
体重が年々増加していったが、ずんぐりした体型からは想像できない器用なプレーを繰り出し、異質なオールラウンドプレイヤーとして存在感を発揮した。
youtube:http://youtu.be/LhtBZbAcqIo
15.デル・カリー(Dell Curry)

出身校:バージニア工科大学
キャリア:1986-2002
ポジション: SG
所属チーム:UTA(1986~1987)→CLE(1987~1988)→CHH(1988~1999)→MIL(1999)→TOR(1999~2002)
キャリア平均:11.7PPG、2.4RPG、1.8APG、.402 3P%
個人賞:Sixth Man of the Year(1993-1994)
スリーポイントシュートはキャリア通算で4割以上の成功率を誇り、長くリーグ屈指のシックスマンとして活躍した。
シャーロット・ホーネッツで10シーズンにわたってプレーし、1993ー94シーズンに記録した平均16.3得点という数字は、82試合すべてをベンチから出場した選手の中で歴代最高の記録となっている。
息子のステファン・カリーもNBA選手となり、リーグを代表するスタープレイヤーとして活躍する。
youtube:http://youtu.be/nMqpGkyO4rk
22.スコット・スカイルズ(Scott Skiles)

出身校:ミシガン州立大学
ポジション: PG
所属チーム:MIL(1986~1987)→IND(1987~1989)→ORL(1989~1994)→WSB(1994~1995)→PHI(1995~1996)
キャリア平均:11.1PPG、2.5RPG、6.5APG、.379 3P%
個人賞:Most Improved Player(1990-1991)
プレー中の表情が似ているという理由で、人気ホラー映画「チャイルド・プレイ」の「チャッキー」の名がニックネームとなっている。
NBAデビューからしばらくは目立つ成績を残す事ができなかったが、エクスパンションドラフトで新設されたばかりのオーランド・マジックへの移籍を機に先発として起用されるようになり、移籍2年目に平均17.2得点、8.4アシストを記録した。
このシーズンに1試合30アシストというNBA記録もつくり、最も成長した選手に贈られるMIPを受賞している。
アンファニー・ハーダウェイ入団後は出場時間が減少したが、ハーダウェイの指導役としての役割も果たし、同時起用される場面も多く見られた。
youtube:http://youtu.be/uB_vcYPsXbY
24.アルビダス・サボニス (Arvydas Sabonis)

ポジション: C
所属チーム:POR(1995~2001、2002~2003)
キャリア平均:12.0PPG、7.3RPG、2.1APG、1.1BPG、.500FG%
ヨーロッパ史上最高のセンターとの呼び声高く、ソウル五輪ではデビッド・ロビンソンやダニー・マニングといった後にNBAで活躍するメンバーで臨んだアメリカ代表を破って金メダルを獲得している。
ドラフト指名から9年後にポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、故障や体重増加の影響から全盛期の姿からは程遠い状態にあったものの、広いシュートレンジや高いパス能力など異質のプレーを見せた。
1997-98シーズンにキャリアハイとなる平均16.0得点、10.0リバウンド、3.0アシストを記録している。
2001年に1度引退したが、2002年に復帰し、1シーズンをベンチプレイヤーとして過ごしている。
youtube:http://youtu.be/LW9q-0x2gu8
25.マーク・プライス (Mark Price)

出身校:ジョージア工科大学
ポジション: PG
所属チーム:CLE(1986~1995)→WSB(1995~1996)→GSW(1996~1997)→ORL(1997~1998)
キャリア平均:15.2PPG、2.6RPG、6.7APG、1.2SPG、.402 3P%
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 3rd 3回
オールスター出場:4回(1989、1992~1994)
シュートの名手として知られるが、NBA選手の間ではチームメイトの能力を引き上げる選手としても評価が高く、80年代後半から90年代前半にかけてリーグを代表する司令塔として活躍した。
ドラフトではダラス・マーべリックスから指名を受け、直後に将来のドラフト指名権とのトレードでクリーブランド・キャバリアーズに移籍する。
同期のチームメイトの多くが活躍を見せる中、控えのプライスは目立った成績を残すことができず、チームは翌年のドラフトでケビン・ジョンソンを指名する。
期待の新人ポイントガードの加入に発奮するかのように、2年目を迎えたプライスは平均16.0得点、6.0アシストという好成績を残し、ジョンソンをトレードへと追いやった。
3年目にはオールスター出場を果たし、チームも57勝25敗の好成績を収めると、マジック・ジョンソンはキャバリアーズを90年代を代表するチームになると評価した。
その言葉通り、キャバリアーズは地区を代表する強豪チームとなり、プライスもオールスターの常連となるなどリーグ屈指の選手へと成長したが、チームとしての全盛期にシカゴ・ブルズが圧倒的な力でリーグを支配し始め、プレイオフではブルズの前に敗退するシーズンが続いた。
1993年、マイケル・ジョーダンの引退によって新たなチャンピオンチームが生まれる可能性が高まったが、主力に故障者が相次いでいたキャバリアーズに優勝を争う力はすでになく、プライスも故障が目立ち始めるようになった1995年にチームを去る事になった。
弟のブレント・プライスとワシントン・ブレッツでチームメイトとなっている。
背番号『25』はキャバリアーズの永久欠番となった。
youtube:http://youtu.be/Sua9u318wGo
27.デニス・ロドマン (Dennis Rodman)

出身校:サザンオクラホマ州立大学
ポジション: PF
所属チーム:DET(1986~1993)→SAS(1993~1995)→CHI(1995~1999)→LAL(1999)→DAL(2000)
キャリア平均:7.3PPG、13.1RPG、1.8APG、.521FG%
個人賞:Defensive Player of the Year2回(1989-1990、1990-1991)
ALL TEAM:All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 1st 7回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:2回(1990、1992)
80年代後半から90年代にかけてリーグ屈指のリバウンダー、ディフェンダーとして活躍し、どんな密集地帯でもくぐり抜けてリバウンドを奪取する姿から「ワーム」と呼ばれた。
高校卒業後にホームレスを経験するなど「殺人以外の事は全てやった」と語る時期を過ごす。
その後、知人の勧めでNAIAに所属するサザンオクラホマ大学に入学し、3年間で平均25.7得点、15.7リバウンドという活躍を見せると、無名の大学の選手ながらNBA関係者も注目する存在となった。
25歳でNBAデビューを果たしたロドマンは、「父親のような存在」と慕うチャック・デイリーのもと、デトロイト・ピストンズが重点を置くディフェンスで重要な選手へと成長する。
ハードなディフェンスを見せるピストンズは「バッドボーイズ」として恐れられ、ロドマンはチームの中心選手として1989年からの2連覇に貢献した。
1990年に初めて最優秀守備選手賞を受賞し、リーグ最高のディフェンダーと認められたロドマンはカメラの前で男泣きした。
翌年も2年連続で最優秀守備選手賞を受賞したものの、長年イースタン・カンファレンスの覇権を争ってきたシカゴ・ブルズに屈すると、ピストンズは徐々に下降線を辿っていく。
ロドマンはこの頃から取り憑かれたようにリバウンドを奪取し始め、1991-92シーズンには近年稀にみる平均18.7リバウンドという数字を残し、以降、狂気のリバウンダーとして他を寄せ付けない圧倒的な能力を発揮していく。
しかし、シーズン終了後にチャック・デイリーがチームを去った事に対して激しく落ち込み、「バッドボーイズ」時代のヒールとしての行動とは異なる奇行も徐々に目立つようになっていく。
1993年、トレードでサンアントニオ・スパーズに移籍したロドマンは、全身にタトゥーを施し、髪を染めるなどの(当時としては)奇抜な行動をとるようになり、また練習に遅刻する、タイムアウト中のハドルに加わらないなどの問題行動も度々起こした。
移籍当初にヘッドコーチを務めていたジョン・ルーカスは、ロドマンに対しては自身の経験もあって比較的寛容な姿勢を見せていたが、厳格で知られるボブ・ヒルがヘッドコーチに代わってからはロドマンとチームの関係は悪化の一途を辿っていった。
ファンやチームメイトからも厄介者として扱われるようになり、1995年にタダ同然でシカゴ・ブルズに放出される。
ロドマンにとってブルズはかつての宿敵であったばかりか、チームの中心選手スコッティ・ピッペンには大怪我を負わせた因縁もあり、リーグ屈指の問題児として名高いロドマンの獲得には不安視する声も多くあがった。
その一方で、マイケル・ジョーダンとピッペンは、チームフロントからロドマンの獲得を計画段階で事前に知らされ、「チャールズ・バークリーかロドマンを獲得できる」と聞かされた二人は迷うことなくロドマン獲得を希望したと言われている。
大きな注目を集めて迎えた1995-96シーズン、ロドマンはリバウンドとディフェンスで期待通りの活躍を見せる一方で、難解な事で知られるトライアングル・オフェンスにもすぐに順応し、チームメイトやコーチ陣を驚かせた。
ロドマンはヘッドコーチのフィル・ジャクソンに対して敬意を示し、シーズン中にはジョーダンやピッペンを称賛するコメントを何度も残した。
抜群のケミストリーを生みだしたブルズは72勝10敗を記録する歴史的なシーズンを送り、チーム3シーズンぶりとなる、ロドマンにとっては6シーズンぶり3度目の優勝を果たした。
シーズン終了後に出版した自伝がベストセラーになるなど、ロドマンの個性的なキャラクターは多くのファンの関心を集め、ロドマンの熱狂的なファンを指す「ロドマニア」という言葉も生まれた。
ブルズで3連覇を達成した後、多くの主力選手とともにチームを去り、ロサンゼルス・レイカーズやダラス・マーべリックスに在籍し、2000年にNBAを去ってからは独立リーグでプレーを続けた。
背番号『10』はピストンズで永久欠番となっている。
ブルズでは10番がすでに永久欠番となっていたため、レスキューへの電話番号911に因み、チームを救う存在として91番をつけてプレーした。
youtube:http://youtu.be/FTqgZa7IyYs
29.ジョニー・ニューマン (Johnny Newman)

出身校:リッチモンド大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:CLE(1986~1987)→NYK(1987~1990)→CHH(1990~1993)→NJN(1993~1994)→MIL(1994~1997)→DEN(1997~1999)→CLE(1999)→NJN(1999~2001)→DAL(2001~2002)
キャリア平均:11.0PPG、2.2RPG、1.5APG
クリーブランド・キャバリアーズに入団し、同期のチームメイトの多くが活躍する中、出場時間を勝ち取る事が出来ず、2年目の開幕直後に解雇される。
すぐにニューヨーク・ニックスに加入し、1988-89シーズンには平均16.0得点を記録する先発プレイヤーとして活躍した
1990年にフリーエージェントとしてシャーロット・ホーネッツに移籍し、移籍1年目に平均16.9得点を記録している。
その後は得点力のあるシックスマンとして多くのチームを渡り歩き、16シーズンという長い現役生活をおくった。
youtube:http://youtu.be/CzqC2eWY9pk
30.ネイト・マクミラン (Nate McMillan)

出身校:ノースカロライナ州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:SEA(1986~1998)
キャリア平均:5.9PPG、4.0RPG、6.1APG、1.9SPG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
ドラフトでは下位での指名となったが、入団したシアトル・スーパーソニックスでは1年目から司令塔として活躍し、1試合25アシストをマークするなど平均8.2アシストを記録する活躍を見せた。
ゲイリー・ペイトンの入団によって控えとしてプレーする事になったが、チームからの信頼度は高く、その後も先発と変わらない時間をプレーした。
ディフェンス能力が高く、1993-94シーズンはリーグトップとなる平均3.0スティールを記録している。
1996年のシカゴ・ブルズとのファイナルでは故障によりシリーズ前半を欠場していたが、その間にチームは1勝もできないまま3連敗で追い詰められた。
マクミランは第4戦から強行出場し、マイケル・ジョーダンを相手に好ディフェンスを見せると、ソニックスはシリーズ敗退寸前から2連勝する健闘を見せた。
デビュー以来ソニックス一筋でプレーし、ファンからは「ミスター・ソニック」の称号を与えられるなどソニックスを代表する選手として活躍した。
背番号『10』はソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)の永久欠番となったが、永久欠番となった選手の中で唯一オールスター未出場の選手として知られている。
youtube:http://youtu.be/b21uQ31QVAg
33.ケビン・ダックワース (Kevin Duckworth)

出身校:イースタンイリノイ大学
ポジション: C
所属チーム:SAS(1986)→POR(1986~1993)→WSB(1993~1995)→MIL(1995~1996)→LAC(1996~1997)
キャリア平均:11.8PPG、5.8RPG、0.9APG
個人賞:Most Improved Player(1987-1988)
オールスター出場:2回(1989、1991)
サンアントニオ・スパーズに入団し、1年目のシーズン途中にポートランド・トレイルブレイザーズへとトレードされる。
スパーズで出場機会に恵まれなかったダックワースは、移籍後は先発を任されるようになり、2年目のシーズンに平均15.8得点、7.4リバウンドを記録して最も成長した選手に贈られるMIPを受賞した。
翌シーズンには平均18.1得点を記録してオールスターにも選出され、チームのインサイドの要として2度のファイナル進出に貢献している。
キャリア後半は体重増加によって数字を降下させ、チームを渡り歩いた後、1997年に引退した。
2008年に心不全によって44歳の若さで他界した。
youtube:http://youtu.be/GwUdjKAPdxo
46.ジェフ・ホーナセック (Jeff Hornacek)

出身校:アイオワ州立大学
ポジション: SG
所属チーム:PHO(1986~1992)→PHI(1992~1994)→UTA(1994~2000)
キャリア平均:14.5PPG、3.4RPG、4.9APG、1.4SPG、.403 3P%
オールスター出場:1回(1992)
フェニックス・サンズに入団し、1年目はオフェンス面での成績は平均5.3得点に終わったものの、ポイントガードもこなせる起用さを見せた。
ユーティリティープレイヤーとして2年目以降も出場時間を増加させ、それに伴いオフェンスでも得点源として活躍していく。
1991-92シーズンに平均20.1得点、5.0リバウンド、5.1アシスト、2.0スティールというオールラウンドな成績を残し、初めてオールスターに選出された。
シーズン終了後、チャールズ・バークリーとのトレードでフィラデルフィア・76ersに移籍すると、司令塔としての役割も任され、平均19.1得点、6.9アシストを記録している。
1994年にユタ・ジャズに移籍してからはジョン・ストックトンとバックコートコンビを組み、技術と判断力に優れる成熟したプレーで2度のファイナル進出に貢献している。
2000年までジャズでプレーを続け、背番号『14』はジャズの永久欠番となった。
フリースローを打つ前に頬を3回撫でる仕草を見せたが、この動作は3人の子供へのメッセージだと語っている。
youtube:http://youtu.be/TV38gSMuCqA
60.ドラゼン・ペトロビッチ (Drazen Petrovic)

ポジション: SG
所属チーム:POR(1989~1991)→NJN(1991~1993)
キャリア平均:15.4PPG、2.3RPG、2.4APG、.506FG%、.437 3P%
ALL TEAM:All-NBA 3rd 1回
クロアチア出身。
アメリカの大学を経ずにNBA入りして成功を収めた最初のヨーロッパ出身選手として知られる。
1986年のドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズから指名を受けたものの、ヨーロッパにとどまり、1988年にスペインのレアル・マドリードに入団した。
スペインで1シーズンを過ごした後にNBAのステージへと進む事を決意し、ブレイザーズがレアル・マドリードに違約金を支払ってNBA入りが実現する。
ヨーロッパでは最優秀選手にも選ばれる活躍を見せていたペトロビッチだったが、ブレイザーズでは控えとして起用され十分な出場時間を得られずにいた。
3年目のシーズンには出場機会が激減し、平均4.4得点まで数字が下降すると、言葉の障壁にも悩まされていた事もあって不満を爆発させるようになり、シーズンの途中にトレードでニュージャージ・ネッツへと移籍する。
ネッツでもシーズン終了まで全て控えとしてプレーしたが、出場時間はブレイザーズ時代と比べて増加し、移籍後は平均12.6得点まで数字がアップした。
翌シーズンは開幕から先発で起用され、82試合全てに出場してチームトップとなる平均20.6得点を記録する。
ネッツをチーム史上初のプレイオフに導いたほか、シーズン中のスリーポイントシュート成功数はリーグ9位の123本を決め、成功率はこのシーズンに100本以上を決めた12人のうち、断トツとなる44.4%を記録した。
その後、デリック・コールマンやケニー・アンダーソンらが加入し、チームには明るい未来が約束されているかに思われたが、1993年に交通事故によって28歳での突然の死を迎える。
ペトロビッチの死後、背番号『3』がネッツの永久欠番となった。
youtube:http://youtu.be/HLlPtBsGbYo



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