1989年 NBAドラフト
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前年のドラフト・翌年のドラフト・ドラフトトップ
新人王:デビッド・ロビンソン(David Robinson )
All Rookie Team
1st:ブラディ・ディバッツ、シャーマン・ダグラス、ティム・ハーダウェイ、プー・リチャードソン、デビッド・ロビンソン(1987年ドラフト)
主なプレイヤー
1.パービス・エリソン(Pervis Ellison)
出身校:ルイビル大学
ポジション: C、PF
所属チーム:SAC(1989~1990)→WSB(1990~1994)→BOS(1994~2000)→SEA(2000)
キャリア平均:9.5PPG、6.7RPG、1.5APG、1.6BPG、.510FG%
個人賞:Most Improved Player(1991-1992)
ルイビル大でNCAA優勝を果たし、1年生ながら最優秀選手に選出される。
その支配的なプレーから「Never Nervous Pervis」と呼ばれた。
しかし、サクラメント・キングス入団後は足の故障に悩まされ、チームメイトから「Out of service Pervis(役立たず)」と呼ばれるなど低調な成績に終わり、1シーズンでワシントン・ブレッツへトレードされた。
1991-92シーズン、66試合に出場し、出場時間は平均38分を記録、デビュー以来最も健康なシーズンを送る。
このシーズンに平均20.0得点、11.2リバウンド、2.7ブロックを記録し、最も成長した選手に贈られるMIPを受賞した。
才能の片鱗を見せつけたものの、その後ふたたび故障を再発させ、以降はバックアップセンターとしてプレーする事になった。
youtube:http://youtu.be/UpiH_6KHat4
2.ダニー・フェリー(Danny Ferry)
出身校:デューク大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:CLE(1990~2000)→SAS(2000~2003)
キャリア平均:7.0PPG、2.8RPG、1.3APG、.393 3P%
ドラフトではロサンゼルス・クリッパーズから指名を受けたが、入団を拒否してイタリアのクラブでプレーする事を選択した。
クリッパーズはロン・ハーパーや将来のドラフト指名権を獲得する代わりに、フェリーの権利をクリーブランド・キャバリアーズにトレードする。
フェリーはキャバリアーズと10年に渡る長期高額契約を結び、1990-91シーズンからNBAでのプレーを始めた。
「ラリー・バード2世」と呼ばれるなど活躍を期待されていたフェリーだったが、厚い選手層を誇るチームの中で出場時間を勝ち取ることができず、目立った成績を残せないシーズンが続いた。
1995-96シーズン、故障者が続出したことでようやく先発に起用され、初めての2桁となる平均13.3得点を記録する。
スリーポイントシュートは成功率39.4%を記録し、ダン・マーリーに次ぐチーム2位の143本を成功させるなど、高いシュート力で存在感を発揮した。
しかし、1997年にオールスターフォワードのショーン・ケンプが加入し、さらに若手の台頭もあって再び出場時間が制限され、フェリーの活躍はごく短い期間にとどまる事になった。
10年の契約が終了すると、サンアントニオ・スパースへ移籍し、キャリア最終年となった2003年に自身初となるチャンピオンリングを獲得した。
父親は元NBA選手のボブ・フェリー。
youtube:http://youtu.be/wvPvBTIwkAM
3.ショーン・エリオット(Sean Elliott)
出身校:アリゾナ大学
ポジション: SF
所属チーム:SAS(1989~1993)→DET(1993~1994)→SAS(1994~2001)
キャリア平均:14.2PPG、4.3RPG、2.6APG、.375 3P%
オールスター出場:2回(1993、1996)
得点能力の高いフォワードとして、全盛期はデビッド・ロビンソンとともにサンアントニオ・スパーズを牽引した。
1995-96シーズンにキャリアハイとなる平均20.0得点を記録し、地元サンアントニオで行われたオールスターゲームでは2回目となる出場を果たしている。
翌シーズン以降、故障により徐々に数字を下降させていったが、1999年のプレイオフでは劇的な逆転ショットを決めるなど活躍し、チーム史上初となる優勝に大きく貢献した。
しかし、その直後に腎臓病であることを公表し、腎臓移植手術を受けることになった。
引退の危機に瀕することになったエリオットだったが、2000年3月にチームに復帰し、NBA史上初めて腎臓移植後に復帰した選手になった。
2000-01シーズンの終了後に引退を発表し、背番号『32』はスパーズの永久欠番となった。
日系人の妻を持ち、日本とゆかりのある選手としても知られている。
youtube:http://youtu.be/e1PlPaqBO5g
4.グレン・ライス(Glen Rice)
出身校:ミシガン大学
ポジション: SF
所属チーム:MIA(1989~1995)→CHH(1995~1999)→LAL(1999~2000)→NYK(2000~2001)→HOU(2001~2003)→LAC(2003~2004)
キャリア平均:18.3PPG、4.4RPG、2.1APG、1.0SPG、.400 3P%
個人賞:All-Star Game MVP(1997)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:3回(1996~1998)
203cmの身長から素早いリリースでシュートを放ち、90年代を代表するシューターとして活躍した。
創設2年目のマイアミ・ヒートに入団すると、1試合50得点以上を叩き出す爆発力を見せ、デビューから6シーズンで平均19.3得点を記録するなどチーム初期の本格的なエースとして活躍した。
1995年にシャーロット・ホーネッツに移籍してからはさらに得点力が増し、1996-97シーズンにはキャリアハイとなる平均26.8得点を記録、スリーポイント成功率はリーグトップとなる47.0%を記録した。
1997年に出場したオールスターゲームでは、第3クォーターだけで20得点を叩き出し、史上初のトリプルダブルを記録したマイケル・ジョーダンを抑えてMVPを獲得している。
1999年にロサンゼルス・レイカーズに移籍し、シャキール・オニール、コービー・ブライアントに次ぐ3番目のスコアラーとして優勝に貢献する。
シーズン終了後にレイカーズを去ると、その後は足の故障に悩まされ、3つのチームを渡り歩いた後、2004年に引退した。
息子のグレン・ライスJr.も2013年にNBAデビューを果たしている。
youtube:http://youtu.be/vShi7hQSL1k
5.J.R.リード(J.R. Reid)
出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: PF、C
所属チーム:CHH(1989~1992)→SAS(1992~1996)→NYK(1996)、CHH(1997~1999)→LAL(1999)→MIL(1999~2000)→CLE(2000~2001)
キャリア平均:8.5PPG、5.0RPG、1.0APG
youtube:http://youtu.be/wNPLCz-EBiw
7.ジョージ・マクラウド(George McCloud)
出身校:フロリダ州立大学
ポジション: SF
所属チーム:IND(1989~1993)、DAL(1995~1997)→LAL(1997)→PHO(1997~1998)→DEN(1999~2002)
キャリア平均:9.0PPG、3.1RPG、2.3APG
デビュー当初は目立った成績を残せず、4シーズンをプレーした後に海外のチームへと移籍した。
1995年にダラス・マーべリックスに加入すると、1995-96シーズンに主力の離脱によって先発のチャンスを掴み、スリーポイントを武器に平均18.9得点を記録するなど結果を残す。
このシーズンのスリーポイント成功率は37.9%を記録し、リーグトップとなる678本のスリーポイントシュートを放った。
しかし、翌シーズンにチームの再建計画によって多くのプレイヤーとともにトレードで放出されると、その後は再びベンチから登場するシューターとしてプレーすることになった。
youtube:http://youtu.be/JRSCo6tj8Fk
10.プー・リチャードソン(Pooh Richardson)
出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション: PG
所属チーム:MIN(1989~1992)→IND(1992~1994)→LAC(1994~1999)
キャリア平均:11.1PPG、2.8RPG、6.5APG、1.3SPG
本名はジェローム・リチャードソン。
ニックネームの「pooh」は「くまのプーさん」に因む。
名門UCLAでは一年生時からスターターを務め、アシストやスリーポイントの成功率で同校の記録をつくった。
ミネソタ・ティンバーウルブズ初のドラフト指名選手となり、2年目には平均17.1得点、9.0アシストを記録してチームを牽引した。
翌シーズンも同様の活躍を見せたが、1992年にチームを去ると、以降は数字を下降させていった。
11.ニック・アンダーソン(Nick Anderson)
出身校:イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校
ポジション: SG、SF
所属チーム:ORL(1989~1999)→SAC(1999~2001)→MEM(2001~2002)
キャリア平均:14.4PPG、5.1RPG、2.6APG、1.4SPG
オーランド・マジックでは得点力のあるスウィングマンとして1年目から活躍し、3年目にはチームトップの平均19.9得点を記録する。
その後、シャキール・オニールら能力の高い選手が多く揃い、個人成績を下降させたもののリーグ屈指のスターティングファイブの一角としてチームとともに注目された。
1995年のプレイオフでは、マイケル・ジョーダンが電撃復帰したシカゴ・ブルズとカンファレンス準決勝で対戦し、第1戦の試合終了直前にジョーダンから勝利を決定づける値千金のスティールを決めた。
試合後アンダーソンは「45番は23番のようには見えない」とコメントし、それを伝え聞いたジョーダンは罰金を支払ってまで背番号を45番から23番に戻している。
ブルズを4勝2敗で破ったマジックは、インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス決勝を制して初のファイナルへと進出し、前年王者のヒューストン・ロケッツと相まみえた。
不調のレギュラーシーズンを過ごし、苦しみながらプレイオフを勝ち上がってきたロケッツに対し、勢いに勝るマジックの優位は揺るぎないものと見られていたが、第1戦は中盤まで大量リードを奪いながら終盤にロケッツの猛攻にあい、残り10秒を残してリードは3点までに縮まっていた。
ここでフリースローラインに立ったアンダーソンは、1本でも決めれば勝利を手繰り寄せられる場面でシュート2本連続で外してしまい、直後に自身のオフェンスリバウンドから得たフリースローのチャンスでも2本連続で外してしまった。
終了直前にスリーポイントシュートを決められ延長に持ち込まれると、勢いを失ったマジックは勝利を逃し、その後もロケッツに傾いた流れを戻す事ができずに4戦全敗という屈辱のスウィープ負けを喫した。
フリースロー成功率70%の数字を残しながら、重要な局面で4本連続でシュートを外したアンダーソンは、シリーズ敗戦の戦犯として批判を浴びた。
翌年のプレイオフでは完全復活を果たしたブルズの前に完敗し、以降、チームは崩壊の道を辿る。
1995年のファイナル以降、極度のシュートスランプに陥っていたアンダーソンは、1996-97シーズンにフリースロー成功率がシューターとしては考えられない40.4%まで下降した。
ファイナル進出時の選手が次々とチームを離れる中、チーム生え抜きの選手としてプレーを続けたが、1999年、再建期を迎えたチームの構想により、ついに10シーズンを過ごしたマジックを去る事になった。
その後、サクラメント・キングスなどでプレーし、2002年に現役を引退した。
マジックでの通算出場試合数は歴代1位の記録となっており、通算得点もチーム2位の記録となっている。
デビューから引退するまで一貫して高校時代に亡くなった友人がつけていた背番号『25』でプレーした。
youtube:http://youtu.be/5-2aTKPuFl8
12.ムーキー・ブレイロック(Mookie Blaylock)
出身校:オクラホマ大学
ポジション: PG
所属チーム:NJN(1989~1992)→ATL(1992~1999)→GSW(1999~2002)
キャリア平均:13.5PPG、4.1RPG、6.7APG、2.3SPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 2nd 4回
オールスター出場:1回(1994)
本名はDaron Oshay Blaylock。
スティール王に2度輝き、オールディフェンシブチームの常連となるなど、リーグ屈指のディフェンス力を持つ司令塔として活躍した。
ニュージャージ・ネッツでの2年目に先発として平均14.1得点、6.1アシスト、2.3スティールを記録し、以降11シーズン連続で平均2.0本以上のスティールを記録し続けた。
1992年からはアトランタ・ホークスでプレーし、1993-94シーズンに平均13.8得点、9.7アシスト、2.6スティールを記録、キャリア唯一となるオールスターに選出されている。
スリーポイントシュートの試投数も多く、リーグトップとなる604本のスリーポイントシュートを放った1996-97シーズンに、キャリアハイとなる平均17.4得点を記録している。
人気ロックバンド、パール・ジャムがデビュー前に「ムーキー・ブレイロック」の名で活動していたことがよく知られており、1991年にリリースされたアルバム「TEN」は、ブレイロックの背番号10から付けられている。
youtube:http://youtu.be/ro3w-jrICTQ
14.ティム・ハーダウェイ (Tim Hardaway)
出身校:テキサス大学エルパソ校
ポジション: PG
所属チーム:GSW(1989~1996)→MIA(1996~2001)→DAL(2001~2002)→DEN(2002)→IND(2003)
キャリア平均:17.7PPG、3.3RPG、8.2APG、1.6SPG
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:5回(1991~1993、1997~1998)
高速で左右に切り返す「キラー・クロスオーバー」を武器に、183cmという身長ながら類稀なスピードでディフェンスを切り刻んだ。
ゴールデンステイト・ウォリアーズでは1年目から先発を務め、2年目には平均22.9得点、9.7アシスト、2.6スティールを記録してオールスターに選出される。
翌シーズンからは2シーズン連続で20得点10アシスト以上を記録し、リーグを代表するポイントガードとして活躍した。
チームメイトのクリス・マリン、ミッチ・リッチモンドとは、「RUN-TMC」と呼ばれるハイスコアリングトリオとしてリーグを席巻する原動力となったが、リッチモンドは1991年にトレードでチームを去り、ハーダウェイもシーズンを全休する重傷を負うなど、ウォリアーズの好調なシーズンは長くは続かなかった。
復帰後、クリス・ウェバーやラトレル・スプリーウェルら若手選手との間に溝が生まれ、全幅の信頼を寄せていたドン・ネルソンがヘッドコーチを辞任すると、居場所を失ったハーダウェイは1996年にマイアミ・ヒートへと移籍した。
故障の影響により生命線であるスピードを失ったかに思われたハーダウェイは「終わった選手」とも囁かれたが、ヒートの司令塔として平均20.3得点、8.6アシストを記録する活躍を見せると、オールスターにも返り咲き、さらには初めてオールNBA1stチームにも選出されるなど完全復活を果たした。
シュートを打ち過ぎるとの批判もあったが、勝負所でスリーポイントを決めるなどクラッチシューターとしても名を馳せた。
息子のティム・ハーダウェイJrも2013年にNBAデビューを果たしている。
youtube:http://youtu.be/V0HRPIu02Xo
16.ダナ・バロス (Dana Barros)
出身校:ボストン大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:SEA(1989~1993)→PHI(1993~1995)→BOS(1995~2000)→DET(2000~2002)、BOS(2004)
キャリア平均:10.5PPG、1.9RPG、3.3APG、.411 3P%
個人賞:Most Improved Player(1994-1995)
オールスター出場:1回(1995)
シアトル・スーパーソニックスでの1年目は主にネイト・マクミランの控えとして起用され、平均9.7得点と一定の活躍を見せた。
しかし翌シーズンにゲイリー・ペイトンが入団すると、バロスの出場時間はさらに減少し、1993年にトレードで放出される。
フィレデルフィア・76ersに移籍したバロスは先発の座を与えられると、平均13.3得点、5.2アシストと結果を残し、さらに翌シーズンには平均20.6得点、7.5アシストと飛躍を遂げてオールスター出場も果たした。
高い成功率を誇ったスリーポイントシュートは、前シーズンから1試合に1本以上を成功させるという連続記録をこのシーズンに89までに伸ばし、これは2013年にカイル・コーバーが更新するまで長くNBA記録となっていた。
シーズン終了後、評価を高めたバロスはボストン・セルティックスと長期高額契約を結ぶ。
故郷ボストンに凱旋したバロスだったが、期待されていた活躍を見せられず、次第に成績を下降させていく事になった。
youtube:http://youtu.be/6eYU0bS2oEA
17.ショーン・ケンプ (Shawn Kemp)
出身校:トリニティ・バレー・コミュニティ大学
ポジション: PF、C
所属チーム:SEA(1989~1997)→CLE(1997~2000)→POR(2000~2002)→ORL(2002~2003)
キャリア平均:14.6PPG、8.4RPG、1.6APG、1.1SPG、1.2BPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 3回
オールスター出場:6回(1993~1998)
ニックネームは“レインマン”。
由来は本人いわく、単純に雨男だったからとのこと。
NBAでは雨を降らせるように迫力あるダンクを連発し、“レインマン”の名は広く親しまれることになった。
高校卒業後、進学予定だったケンタッキー大の不正によって大学でのプレーが不可能となり、テキサス州の短大への転籍を経てシアトル・スーパーソニックスに入団する。
経験の少なさが懸念されたが、1年目にシックスマンとして81試合に出場すると、2年目には早くも平均15.0得点、8.4リバウンド、1.5ブロックを記録し、適応能力の高さを見せた。
派手なダンクやブロックなど身体能力を生かしたプレー以外にも、ミドルレンジのショットも年々向上し、リーグを代表するフォワードへと成長していく。
1995-96シーズンは平均19.6得点、11.4リバウンド、1.6ブロック、FG成功率56.1%を記録し、プレイオフではチームをファイナルへと導く活躍を見せた。
選手として全盛期を迎えていたケンプだったが、契約問題からチームとの関係が次第に悪化し、1997年に8シーズンを過ごしたソニックスを去ることになった。
3つのチームが絡む大型トレードでクリーブランド・キャバリアーズへ移籍すると、新人選手を中心とした布陣の中でケンプはリーダーとしてチームを牽引する姿を見せたが、徐々に増えていく体重にチーム関係者は懸念を見せた。
キャバリアーズで3シーズンを過ごした後、2000年にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされると、薬物やアルコールの問題を抱えていたケンプは急激に数字を悪化させていく事になった。
youtube:http://youtu.be/8fGnwvkumTQ
18.B.J.アームストロング (B.J. Armstrong)
出身校:アイオワ大学
ポジション: PG
所属チーム:CHI(1989~1995)→GSW(1995~1997)→CHH(1997~1999)→ORL(1999)
キャリア平均:9.8PPG、1.8RPG、3.3APG、.425 3P%
オールスター出場:1回(1994)
子供に間違われるような童顔から「ザ・キッド」と呼ばれ、女性や子供を中心に多くのファンに親しまれた。
シカゴ・ブルズでの1年目から81試合に出場し、翌シーズンからは控えながら先発のジョン・パクソンと出場時間を分けあい、高いシュート力を武器にこのシーズンからの3連覇に貢献した。
1992-93シーズンはパクソンから先発の座を奪い、平均12.3得点、4.0アシスト、リーグトップとなるスリーポイント成功率45.3%を記録している。
マイケル・ジョーダンの引退により、翌シーズンは得点機会が増加し、平均14.8得点を記録して初のオールスターに選出された。
得点志向が強くコーチと度々衝突し、1995年にエクスパンションドラフトによってチームを去ることになった。
怪我に強い選手として知られ、577試合に連続で出場している。
アームストロングの背番号『10』は、ブルズではボブ・ラブの背番号として永久欠番となっているが、アームストロングのデビュー後に永久欠番になる事が決まったため、ブルズ在籍中は番号を変更することなくプレーを続けた。
youtube:http://youtu.be/jMUVdIIO0Yw
21.ブルー・エドワーズ (Blue Edwards)
出身校:イーストカロライナ大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:UTA(1989~1992)→MIL(1992~1994)→BOS(1994~1995)→UTA(1995)→VAN(1995~1999)→MIA(1999)
キャリア平均:10.8PPG、3.4RPG、2.0APG、1.0SPG
本名はセオドア・エドワーズ。
愛称の「ブルー」は、赤ん坊の頃に食べものを詰まらせ真っ青になった様子を見た家族が名付けた。
ユタ・ジャズで除々に出場時間を増加させ、3年目には81試合で先発出場を果たして平均12.6得点、FG成功率52.2%を記録する。
翌シーズンにミルウォーキー・バックスへ移籍し、キャリアハイとなる平均16.9得点を記録した。
youtube:http://youtu.be/vXo91-QMwKw
26.ブラディ・ディバッツ (Vlade Divac)
ポジション: C
所属チーム:LAL(1989~1996)→CHH(1996~1999)→SAC(1999~2004)→LAL(2004~2005)
キャリア平均:11.8PPG、8.2RPG、3.1APG、1.1SPG、1.4BPG
オールスター出場:1回(2001)
ユーゴスラビア出身。
216cmのビッグマンながらボールの扱いに優れ、アシストやロングレンジのシュート力にも能力を発揮するなど多彩なプレーで活躍した。
ロサンゼルス・レイカーズに入団し、2年目に出場したファイナルでは5試合の出場で平均18.2得点、8.8リバウンド、2.4ブロックの活躍を見せた。
レイカーズが低迷を始めた後も主力としてチームを支え続け、1994-95シーズンは平均16.0得点、10.4リバウンド、4.1アシスト、2.2ブロックを記録してチームの再建に貢献している。
1996年にシャキール・オニールの加入が決まると、サラリーキャップ調整のために新人コービー・ブライアントとのトレードでシャーロット・ホーネッツへと移籍する。
その後、サクラメント・キングスに加入し、クリス・ウェバーらとともに低迷していたチームを強豪へと押し上げた。
コート上だけでなく、ロッカールームでも良きリーダーとしてチームをまとめ、キングスはディバッツを失った後にメンバー間の確執などによって崩壊の道を辿る事になった。
背番号『21』はキングスの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/c-RWYBR9T4k
28.シャーマン・ダグラス (sherman Douglas)
出身校:シラキュース大学
ポジション: PG
所属チーム:MIA(1989~1992)→BOS(1992~1995)→MIL(1995~1997)→NJN(1997~1999)→LAC(1999)→NJN(1999~2001)
キャリア平均:11.0PPG、2.2RPG、5.9APG、1.0SPG
ドラフト下位指名ながらマイアミ・ヒートでは1年目から主力として活躍し、同期入団のグレン・ライスや、シラキュース大のチームメイトであるロニー・サイカリーらとともにチームを牽引した。
2年目にチームトップとなる平均18.5得点、8.5アシストを記録している。
youtube:http://youtu.be/hwy915OTHsI
36.クリフォード・ロビンソン (Clifford Robinson)
出身校:コネチカット大学
ポジション: PF、SF、C
所属チーム:POR(1989~1997)→PHO(1997~2001)→DET(2001~2003)→GSW(2003~2005)→NJN(2005~2007)
キャリア平均:14.2PPG、4.6RPG、2.2APG、1.0SPG、1.0BPG
個人賞:Sixth Man of the Year(1992-1993)
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:1回(1994)
今では多くのプレイヤーが着用するヘアバンドの先駆け的存在としても知られる。
208cmのビッグマンながら機動力と優れたシュート力を持ち、ポートランド・トレイルブレイザーズではクライド・ドレクスラーがチームを去ってからエースとして平均20得点以上を記録した。
1992年のファイナルでシカゴ・ブルズと対戦した際に、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンのディフェンスに感銘を受け、ディフェンスに対する意識を高めていく。
キャリア晩年になると、あらためてロビンソンのディフェンス力が評価され、チームから信頼の厚い選手として活躍した。
18シーズンという長い現役生活を送り、そのほとんどで欠場の少ないシーズンを送った。
また、デビューから5シーズン連続で全試合出場も果たしている。
youtube:http://youtu.be/ohEDD1Hx49A
38.ダグ・ウェスト (Doug West)
出身校:ビラノバ大学
ポジション: SG
所属チーム:MIN(1989~1998)→VAN(1998~2001)
キャリア平均:9.6PPG、2.5RPG、1.9APG
ドラフトでは新設されたばかりのミネソタ・ティンバーウルブズから指名を受け、9シーズンに渡って同チームでプレーした。
デビューからしばらくは目立った成績を残す事ができなかったが、先発に定着した3年目のシーズンに平均14.0得点を記録する活躍を見せると、翌シーズンはチームトップとなる平均19.3得点を記録した。
しかしこのシーズンをピークに数字は低下していき、次第に出場時間も減少していった。
スラムダンクコンテストに出場するなど身体能力が高く、ディフェンス力でも能力の高さを見せた。
youtube:http://youtu.be/hP4n3Sxq7XA