1981年 NBAドラフト

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前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:バック・ウィリアムズ(Buck Williams)
All Rookie Team
1st:アイザイア・トーマスケリー・トリプカジェイ・ヴィンセントバック・ウィリアムズジェフ・ルラウンド(1980年ドラフト)
 
主なプレイヤー
 
1.マーク・アグワイア(Mark Aguirre)
キャプチャ

出身校:デポール大学
ポジション: SF
所属チーム:DAL(1981~1989)→DET(1989~1993)→LAC(1993~1994)
キャリア平均:20.0PPG、5.0RPG、3.1APG
オールスター出場:3回(1984、1987~1988)

ダラス・マーべリックス入団後、2年目に平均24.4得点、3年目にリーグ2位となる平均29.5得点を記録し、リーグを代表するスコアラーとして活躍した。
マーべリックスで8シーズンを過ごし、この期間に記録した平均24.6得点は現在もチーム記録となっている。
1989年にデトロイト・ピストンズに移籍し、親友のアイザイア・トーマスらとともにチームの2連覇に貢献した。
youtube:http://youtu.be/RBQGvJhmHXs
 
2.アイザイア・トーマス(Isiah Thomas)
キャプチャ

出身校:インディアナ大学
ポジション: PG
所属チーム:DET(1981~1994)
キャリア平均:19.2PPG、3.6RPG、9.3APG、1.9SPG
個人賞:All-Star Game MVP2回(1984、1986)、Finals MVP(1989-1990)
ALL TEAM:All-NBA 1st 3回、All-NBA 2nd 2回
オールスター出場:12回(1982~1993)

ニックネームは「ジーク」。
2年生でインディアナ大をNCAAトーナメント優勝に導き、大学での生活を2年残してドラフトにエントリーすると、低迷を続けるデトロイト・ピストンズに指名を受けた。
弱小球団への入団に消極的だったトーマスだったが、シーズンが始まるとオールスターに選出されるほどの活躍を見せ、チームも前年より18勝も勝ち星を上積みさせた。
それでもプレイオフに進出できずにシーズンが終了すると、トーマスはNBAファイナルに足を運んで勝つための秘訣を探ろうとし、勝利に対して人一倍強い執着心を見せる。
その姿勢はチームを成長させた一方、相手チームの選手はコート上で人の良い笑顔を見せるトーマスを「勝利のためなら微笑んで人も殺す」と囁き、コート内外で物議となる行動やコメントを残したりもした。
1983-84シーズン、チャック・デイリーのヘッドコーチ就任を機にチームの状況はようやく上向き、7シーズンぶりのプレイオフ進出を決める。
3年目を迎えるトーマスは平均21.3得点、11.1アシスト、2.5スティールを記録し、以降4シーズン連続で20得点、10アシスト以上を記録するリーグ屈指の司令塔として活躍した。
必要以上に激しいディフェンスで相手チームを打ちのめすピストンズは「バッドボーイズ」と呼ばれ、NBAの全チームから忌み嫌われる存在となったが、トーマスを中心に着実に優勝へと歩みを進めていった。
1988年、これまで長く辛酸を味わされてきたボストン・セルティックスを破り、チーム史上初のファイナルに進出する。
しかし、次に大きな壁として立ちはだかったのは、2連覇を狙うロサンゼルス・レイカーズだった。
ピストンズはレイカーズを相手にシリーズを優位に進め、3勝2敗と王手をかけて第6戦を迎えた。
トーマスはこの試合で足首を骨折する重傷を負ったもののプレーを続行し、第4クォーターの12分だけで25得点を叩き出す神がかり的なパフォーマンスを見せたが、優勝までにあと1ゴール足りず、わずか1点差で敗退した。
トーマスは第7戦にも強行出場したが、最後は3点差で優勝を逃す結果に終わった。
惜しくも悲願達成とはならなかったが、ピストンズの躍進はセルティックスとレイカーズの2強時代の終焉を意味し、翌1989年に再びファイナルに進出すると、2年連続の対戦となったレイカーズを4戦全勝で破って雪辱を果たし、チーム初の優勝を決めた。
翌年はポートランド・ブレイザーズとのファイナルを制し、シリーズ平均27.6得点、7.0アシストの活躍でチームを牽引したトーマスがファイナルMVPの栄冠に輝いた。
レイカーズに続いて2連覇という歴史的快挙を達成したピストンズだったが、ピストンズがセルティックスの壁を超えたように、ピストンズの壁をシカゴ・ブルズが超えようとしていた。
1991年プレイオフ、ピストンズは5年連続となるカンファレンス決勝に進出したが、これまで封じ込めてきたブルズに1勝もできずに完敗する。
シリーズ敗退が決まった第4戦、ベンチにさがっていたピストンズの主力選手達は、ブルズの選手に挨拶を交わす事なく試合が終了する前にトーマスに率いられてコートを退場した。
トーマスの行動は大きな批判を受けることになり、この事件が1992年のドリームチームに選出されなかった大きな要因となったとされている。
この敗戦以降、ピストンズの成績は下降線を辿り始め、トーマスは故障で58試合の出場にとどまった1993-94シーズンを最後に現役を引退した。
ピストンズ一筋で現役生活を全うしたトーマスはチームの記録をいくつも更新し、背番号『11』はピストンズの永久欠番となった。
youtube:http://youtu.be/pNspQP7aGUs
 
3.バック・ウィリアムズ(Buck Williams)
キャプチャ

出身校:メリーランド大学
ポジション: PF
所属チーム:NJN(1981~1989)→POR(1989~1996)→NYK(1996~1998)
キャリア平均:12.8PPG、10.0RPG、1.3APG、.549FG%
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:3回(1982~1983、1986)

優れたディフェンス力と高い確率を誇る得点力を持ち、チーム力を向上させるフォワードとして活躍した。
ニュージャージ・ネッツでの1年目に平均15.5得点、12.3リバウンドを記録し、チームを前年から20勝も勝ち星を増加させる活躍を見せて新人王を獲得した。
デビューから6シーズン連続で15得点、12リバウンド以上を記録し、この間オールスターには3度選出された。
1989年に8シーズンを過ごしたネッツを去ることになり、能力の高い選手を揃えながら中堅以上の成績を残せずにいたポートランド・トレイルブレイザーズに移籍する。
ブレイザーズでは個人成績を下降させたものの、移籍1年目にオールディフェンシブ1stチームに選出される活躍を見せ、チームは前シーズンを20勝も上回る59勝23敗の好成績を残した。
プレイオフを勝ち上がれないブレイザーズだったが、ウィリアムズ加入後は3年連続でカンファレンス決勝に進出し、うち2回はファイナルへと勝ち上がった。
優勝は果たせなかったものの、その後も長くプレーを続け、現役最後の2シーズンをニューヨーク・ニックスで過ごした後、1998年に現役を引退した。
背番号『52』はネッツで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/sLLDjCLXtU0
 
6.オーランド・ウーリッジ(Orlando Woolridge)
キャプチャ

出身校:ノートルダム大学
ポジション: SF
所属チーム:CHI(1981~1986)→NJN(1986~1988)→LAL(1988~1990)→DEN(1990~1991)→DET(1991~1993)→MIL(1993)→PHI(1993~1994)
キャリア平均:16.0PPG、4.3RPG、1.9APG、.513FG%

リーグ有数のスラムダンカーとして名を馳せ、シカゴ・ブルズでは平均20得点以上、FG成功率50%以上を記録するエースとして活躍した。
1984-85シーズンにはセンセーショナルな活躍を見せる新人マイケル・ジョーダンとともに、4年目を迎えたウーリッジもこれまでで最高となる平均22.9得点を記録した。
その後、ブルズはジョーダンを中心としたチーム作りを始めたため、ウーリッジは1986年にニュージャージ・ネッツへと移籍する。
移籍後は薬物問題などにより低迷してしまったが、その後移籍したロサンゼルス・レイカーズではシックスマンとしてプレーし、ショータイムのフィニッシャーとして華々しいダンクを披露した。
1990-91シーズンにデンバー・ナゲッツで平均25.1得点、6.8リバウンドを記録し、往年の得点力を垣間見せている。
1993-94シーズンはフィラデルフィア・76ersで控えながら平均12.7得点を記録していたが、このシーズンを最後に現役を引退した。
2012年、52歳で死去した。
従兄に元NBA選手のウィリス・リードがいる。
youtube:http://youtu.be/UP7mSzbkYJ0
 
7.スティーブ・ジョンソン(Steve Johnson)
キャプチャ

出身校:オレゴン州立大学
ポジション: C
所属チーム:KCK(1981~1984)→CHI(1984~1985)→SAS(1985~1986)→POR(1986~1989)→MIN(1989~1990)→SEA(1990)→GSW(1990~1991)
キャリア平均:11.7PPG、5.5RPG、1.2APG、.572FG%
オールスター出場:1回(1988)

大学時代に平均21.0得点、FG成功率74.6%という驚異的な数字を残し、カンザスシティ・キングスに入団する。
1年目から平均12.8得点、5.9リバウンド、FG成功率61.3%と活躍したが、ディフェンスに難があり、ファウルが非常に多かったことから出場時間が制限されることになった。
1986年に移籍したポートランド・トレイルブレイザーズでは出場時間が増加し、移籍1年目にキャリアハイとなる平均16.8得点、7.2リバウンドを記録した。
翌1987-88シーズンに初めてオールスターに選出されている。
 
8.トム・チェンバース(Tom Chambers)
キャプチャ

出身校:ユタ大学
ポジション: PF
所属チーム:SDC(1981~1983)→SEA(1983~1988)→PHO(1988~1993)→UTA(1993~1995)、CHH(1997)→PHI(1997)
キャリア平均:18.1PPG、6.1RPG、2.1APG
個人賞:All-Star Game MVP(1987)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 2回
オールスター出場:4回(1987、1989~1991)

身長208cm、走力・ジャンプ力に優れたフォワードで、数少ない白人スコアラーとして高い得点能力を発揮した。
サンディエゴ・クリッパーズに入団し、1年目からチームトップとなる平均17.2得点を記録、チームのリーディングスコアラーとなる活躍を見せる。
1983年に移籍したシアトル・スーパーソニックスではコンスタントに平均20得点以上を記録し、1987年に初めてオールスターに選出された。
このオールスターゲームでは先発として出場し、両チームトップとなる34得点を叩き出して見事MVPを獲得した。
1988年にフェニックス・サンズへ移籍し、チェンバースはいよいよ全盛期を迎える。
チェンバースは前シーズン途中に加入したケビン・ジョンソンとともにチームを牽引し、前年28勝54敗と低迷していたサンズはプレイオフ・カンファレンス決勝まで勝ち進む快進撃を見せる。
翌シーズンにはキャリアハイとなる平均27.2得点の成績を残し、チームも2年連続でプレイオフ・カンファレンス決勝に進出した。
1992年にチャールズ・バークリーが加入してからは控えとなったが、シックスマンとしての役割を受け入れ、このシーズンのファイナル進出に貢献している。
その後はユタ・ジャズやイスラエルのプロリーグでプレーし、1997年にフィラデルフィア・76ersで1試合に出場した後、現役を引退した。
背番号『24』がサンズで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/AaWvvqm1ddM
 
9.ローランド・ブラックマン(Rolando Blackman)
キャプチャ

出身校:カンザス州立大学
ポジション: SG
所属チーム:DAL(1981~1992)→NYK(1992~1994)
キャリア平均:18.0PPG、3.3RPG、3.0APG
オールスター出場:4回(1985~1987、1990)

パナマ生まれ、ニューヨーク育ち。
ダラス・マーべリックスに入団し、1年目に控えとしてプレーして平均13.3得点を記録する。
その後は同期入団のマーク・アグワイアジェイ・ヴィンセントらとともにマブスの中心選手として活躍した。
3年目となる1983-84シーズンにキャリアハイの平均22.4得点、FG成功率54.6%を記録し、翌1984-85シーズンに初めてオールスターに選出される。
キャリアの大半となる11シーズンをマブスでプレーし、毎シーズン20得点前後を記録するなど長く活躍した。
現役最後の2シーズンを地元ニューヨークのニックスでプレーし、1994年に現役を引退した。
マーベリックスでの通算得点はダーク・ノビツキーに次ぐ歴代2位の記録となっており、背番号『22』は同チームの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/D0Qx6MQU8Yo
 
12.ケリー・トリプカ(Kelly Tripucka)
キャプチャ

出身校:ノートルダム大学
ポジション: SF
所属チーム:DET(1981~1986)→UTA(1986~1988)→CHH(1988~1991)
キャリア平均:17.2PPG、3.8RPG、3.0APG、.361 3P%
オールスター出場:2回(1982、1984)

デトロイト・ピストンズに入団し、1年目から82試合全てに先発出場して平均21.6得点を記録、同期入団のアイザイア・トーマスとともに新人にしてオールスター出場を果たした。
2年目の1982-83シーズンにはリーグ3位となる平均26.5得点、リーグトップの平均38.8分に出場し、その後もチームの主軸として活躍を続けた。
1986年にピストンズを去ってから数字を大きく落としたが、1988年に新設されたばかりのシャーロット・ホーネッツに加入すると、チームの初代得点王となる平均22.6得点を記録し復調を見せた。
しかし、若手を主体とするチームの路線により先発から控えへと回り、ホーネッツ3年目のシーズンにキャリア最低となる平均7.0得点に終わると、シーズン終了後にNBAから引退した。

youtube:http://youtu.be/AZzjvKmI3dc
 
13.ダニー・シェイズ(Danny Schayes)
キャプチャ

出身校:シラキュース大学
ポジション: C、PF
所属チーム:UTA(1981~1983)→DEN(1983~1990)→MIL(1990~1994)→LAL(1994)→PHO(1994~1995)→MIA(1995~1996)→ORL(1996~1999)
キャリア平均:7.7PPG、5.0RPG、1.1APG、.806FT%

211cmのビッグマンで、往年の名選手ドルフ・シェイズを父に持つ。
ユタ・ジャズに入団し、1年目は控え中心で82試合全てに出場する。
2年目に先発として起用され、シーズンの途中まで平均12.4得点、9.0リバウンド、3.3アシスト、1.4ブロックと期待に応える活躍を見せていたが、新人マーク・イートンの台頭があり、シーズン中にデンバー・ナゲッツにトレードされる。
移籍後は出場時間が激減し、個人成績も急降下させてしまったが、少しづつ信頼を取り戻し、1987-88シーズンに先発へと返り咲く。
このシーズンにキャリアハイとなる平均13.9得点、8.2リバウンドを記録したほか、プレイオフでは11試合に出場し、平均16.4得点、FG成功率62.5%とレギュラーシーズン以上のパフォーマンスを見せた。
その後は再び控えで起用される機会が増えていったが、貴重なビッグマンとして18シーズンという長い現役生活をおくった。
 
14.ハーブ・ウィリアムズ(Herb Williams)
キャプチャ

出身校:オハイオ州立大学
ポジション: C、PF
所属チーム:IND(1981~1989)→DAL(1989~1992)→NYK(1992~1996)→TOR(1996)→NYK(1996~1999)
キャリア平均:10.8PPG、5.9RPG、1.7APG、1.5BPG

インディアナ・ペイサーズでは1年目から先発で起用され、2年目には平均16.9得点、2.2ブロックを記録した。
1985-86シーズンに平均19.9得点、9.1リバウンド、2.4ブロックを記録し、エースセンターとしてドアマット時代のペイサーズを支えた。
1992年にニューヨーク・ニックスに移籍してからはパトリック・ユーイングらのバックアップを務め、一時トロント・ラプターズに移籍したものの、すぐにニックスに復帰して1999年までプレーを続けた。
現役最終年となった1998-99シーズンは6試合の出場にとどまったが、プレイオフでは8試合に出場し、自身2度目となるファイナルも経験した。
 
20.ラリー・ナンス (Larry Nance)
キャプチャ

出身校:クレムゾン大学
ポジション: PF
所属チーム:PHO(1981~1988)→CLE(1988~1994)
キャリア平均:17.1PPG、8.0RPG、2.6APG、2.2BPG、.546FG%
ALL TEAM:All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:3回(1985、1989、1993)

208cmの身長に1mを超える跳躍力を持ち、さらに長い腕を生かしたプレーで攻守に活躍した。
フェニックス・サンズでは1年目こそ出場機会に恵まれなかったが、2年目には82試合全てに先発出場し、平均16.7得点、8.7リバウンド、2.6ブロックという数字を残した。
1984年に初めて開催されたオールスター・スラムダンクコンテストでは、ジュリアス・アービングを下して初代チャンピオンとなり、翌1985年のオールスターでは本戦への出場も果たす。
1986-87シーズンにキャリアハイとなる平均22.5得点を記録する。
リーグを代表するフォワードとして活躍していたナンスだったが、全米を騒然とさせるドラッグ・スキャンダルがサンズを襲い、当事者のひとりとして疑惑の目を向けられたナンスは1988年にケビン・ジョンソンらとのトレードでクリーブランド・キャバリアーズへと放出された。
キャバリアーズではブラッド・ドアティホットロッド・ウィリアムズらとともに強力なフロントコートを形成し、チーム躍進の中心選手として再びオールスターに選出される活躍を見せた。
1993-94シーズン、平均14.7得点、9.0リバウンド、2.2ブロックとまだまだ存在感を発揮していたが、多くの試合を故障で欠場するようになっており、シーズン終了後に現役を引退した。
背番号『22』はキャバリアーズの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/fdBDOyzh8T8
 
24.ジェイ・ヴィンセント (Jay Vincent)
キャプチャ

出身校:ミシガン州立大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:DAL(1981~1986)→WSB(1986~1987)→DEN(1987~1989)→SAS(1989)→PHI(1989)→LAL(1989~1990)
キャリア平均:15.2PPG、5.5RPG、2.0APG

ダラス・マーべリックスでは下位指名ながら1年目から多くの試合で先発を務め、チームトップとなる平均21.4得点を記録した。
マブス在籍5シーズンで通算平均16.9得点、6.5リバウンドを記録し、同期入団のマーク・アグワイアローランド・ブラックマンとともにチームを支えた。
1986年にトレードされてからはチームを転々とし、1990年に現役を引退した。
弟に元NBA選手のサム・ヴィンセントがいる。
youtube:http://youtu.be/xwP0i0DTWlM
 
29.エディ・ジョンソン (Eddie Johnson)
キャプチャ

出身校:イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校
ポジション: SF、SG
所属チーム:KCK-SAC(1981~1987)→PHO(1987~1990)→SEA(1990~1993)→CHH(1993~1994)、IND(1995~1997)→HOU(1997~1999)
キャリア平均:16.0PPG、4.0RPG、2.1APG
個人賞:Sixth Man of the Year(1988-1989)

カンザスシティ・キングスに入団し、下位指名ながら1年目から一定の出場時間を与えられる。
2年目には82試合全てに先発出場して平均19.8得点を記録、チームの得点源となる活躍を見せた。
1984-85シーズンにキャリアハイとなる平均22.9得点を記録したが、本拠地移転によりサクラメント・キングスとなった翌1985-86シーズンからは控えとして起用される。
ベンチからの登場となってなお、高いシュート技術を持つジョンソンの得点力は衰えず、リーグ屈指のシックスマンとして活躍した。
1987年にフェニックス・サンズに移籍し、1988-89シーズンに平均21.5得点を記録してシックスマン賞を受賞している。
1994年にNBAを離れてギリシャのチームで1シーズンを過ごし、驚異的なシューターとして高い人気を誇った。
1995年にNBAに復帰、1999年まで18シーズンという長い現役生活をおくり、ベテランとなってからもプレイオフの大舞台で決勝シュートを決めるなど活躍を続けた。
NBA歴代上位となる通算19,202得点を記録しながら、オールスターに1度も選出されなかった選手としても知られている。
キャリア晩年、70年代後半から80年代にかけてアトランタ・ホークスで活躍したエディ・ジョンソンという同姓同名の選手が強姦罪で逮捕され、一部報道でジョンソンと勘違いされて騒動となった。
youtube:http://youtu.be/AclaHTMWxkk
 
31.ダニー・エインジ (Danny Ainge)
キャプチャ

出身校:ブリガムヤング大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:BOS(1981~1989)→SAC(1989~1990)→POR(1990~1992)→PHO(1992~1995)
キャリア平均:11.5PPG、2.7RPG、4.0APG、1.1SPG、.378 3P%
オールスター出場:1回(1988)

強気なプレーと精度の高いシュート力でボストン・セルティックス黄金期のバックコートを支えた。
高校時代にバスケットボール、野球、アメリカンフットボールの3つのスポーツでオールアメリカンに選出された唯一の人物として知られ、大学時代には大学生活を送る傍らMLBトロント・ブルージェイズで3シーズンをプレーしている。
(NBAとMLBの両方でプレーしたのはエインジを含めて12人)
セルティックス入団当初は出場時間も限られていたが、徐々に存在感を発揮し、1987-88シーズンに平均15.7得点、6.2アシストを記録してオールスターに選出される活躍を見せた。
セルティックスでは8シーズンを過ごし、2度の優勝に貢献している。
1992年にはポートランド・トレイルブレイザーズでファイナルに進出し、翌1993年にもフェニックス・サンズで2年連続でファイナルに進出したが、どちらもシカゴ・ブルズの前に敗退している。
youtube:http://youtu.be/51351mlTCtk
 
57.フランク・ブリコゥスキー (Frank Brickowski)
キャプチャ

出身校:ペンシルバニア州立大学
ポジション: C、PF、SF
所属チーム:SEA(1984~1986)→LAL(1986~1987)→SAS(1987~1990)→MIL(1990~1994)→CHH(1994)→SEA(1995~1996)→BOS(1996~1997
キャリア平均:10.0PPG、4.7RPG、1.9APG、.519FG%

デビューから数年は出場機会に恵まれなかったものの、サンアントニオ・スパーズ移籍後の1987-88シーズンに平均16.0得点を記録すると、以降は2桁得点を貴重なビッグマンとしていくつものチームで渋い活躍を見せた。
 
171.岡山 恭崇 (yasutaka okayama)
キャプチャ

キャリア:
所属チーム:

NBAドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズから指名を受けるもプレーはしなかった。
日本リーグでは230cmの長身を生かしたプレーを武器に、得点王やリバウンド王など数多くの個人賞を獲得した。
 

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