1997年 NBAドラフト

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新人王:ティム・ダンカン(Tim Duncan)
All Rookie Team
1st:ティム・ダンカンジードルナス・イルゴースカス(1996年ドラフト)ブレビン・ナイトロン・マーサーキース・バン・ホーン
 
主なプレイヤー
 
1.ティム・ダンカン(Tim Duncan)
キャプチャ

出身校:ウェイクフォレスト大学
ポジション: PF、C
所属チーム:SAS(1997~2016)
キャリア平均:19.0PPG、10.8RPG、3.0APG、2.2BPG、.506FG%
個人賞:Rookie of the Year、MVP2回(2001-2002、2002-2003)、Finals MVP3回(1998-1999、2002-2003、2004-2005)、All-Star Game MVP1回(2000)
ALL TEAM:All-NBA 1st 10回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 1回、All-Defensive 1st 8回、All-Defensive 2nd 6回
オールスター出場:15回(1998、2000~2011、2013、2015)

1996-97シーズン、強豪サンアントニオ・スパーズは大黒柱のデビッド・ロビンソンを故障で欠いたことで低迷にあえいだが、その成績が功を奏して1997年ドラフト1位指名権を見事に引き当て、ドラフトの目玉であるティム・ダンカンの獲得に成功する。
スパーズはダンカン獲得のためにレギュラーシーズンを故意に負け続けたのではないかと噂れるほど、デビュー前から逸材として大きな注目を集めた。
そして、コートに足を踏み入れた瞬間から、ダンカンの輝かしいキャリアがスタートする。
1年目に平均21.1得点、11.9リバウンド、2.5ブロック、FG成功率54.9%を記録し、新人王を受賞しただけでなく、新人にしてオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ2ndチーム入りも果たした。
ツインタワーとしてともにプレーするデビッド・ロビンソンは、エースとしての役割をダンカンに譲り、2年目には早くもスパーズファン待望の初優勝を実現させる。
一時、他チームへの移籍に大きく傾いた事もあったが、ロビンソンらの説得を受けて残留を決意し、長期にわたって強豪スパーズの大黒柱として活躍を続けた。
2001-02シーズンに平均25.5得点、12.7リバウンド、3.7アシスト、2.5ブロックを記録し、初のシーズンMVPを受賞している。
1999年から4度の優勝をチームにもたらしたダンカンだったが、2010年代に入ってからは個人成績も下降し始め、高齢化が進むチームとともにピークを過ぎたと見られるようになった。
しかし、スパーズは周囲の予想を裏切って常に好成績を収め続け、その中心にはやはりダンカンがいた。
2014年、スパーズはファイナルへ進出し、若い選手が躍動を見せる一方でダンカンはサポート役として安定した力を発揮し、いくつものファイナル記録を更新しながら見事に5回目となる優勝を果たした。
基本に忠実な姿からシャキール・オニールに「ビッグ・ファンダメンタル」と名付けられ、同年代をプレーしたケビン・ガーネットクリス・ウェバーダーク・ノビツキーらと比べると、しばしば「退屈な選手」と指摘される事もあった。
しかし、カール・マローンを指導したジェリー・スローンはダンカンを「史上最高のパワーフォワード」と評し、カリーム・アブドゥル・ジャバーら往年の名選手からも「同年代をプレーした選手の中でも最高の選手」と高く評価されている。
youtube:http://youtu.be/UZc3uq56JKU
 
2.キース・バン・ホーン(Keith Van Horn)
キャプチャ

出身校:ユタ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:NJN(1997~2002)→PHI(2002~2003)→NYK(2003~2004)→MIL(2004~2005)→DAL(2005~2006)
キャリア平均:16.0PPG、6.8RPG、1.6APG、.361 3P%

208cmの身長に優れたシュート力を備え、入団当初はラリー・バードにも例えられた。
ドラフト指名を受けたフィラデルフィア・76ersへの入団を拒否し、開幕前にニュージャージ・ネッツへ移籍する。
1年目からチームの主力として活躍し、4シーズンぶりのプレイオフ進出にも大きく貢献した。
2年目には平均21.8得点、8.5リバウンドを記録するなどエースとして着実な成長を見せたが、その後は故障に苦しみ、バン・ホーンの成績下降とともにチームもプレイオフから遠ざかっていった。
上昇の兆しを見せられないネッツだったが、2001-02シーズンに新加入のジェイソン・キッドがチームを変貌させる活躍を見せ、快進撃を始めたチームの中でバン・ホーンも再び輝きを取り戻していく。
ネッツはNBA加入以来初となるファイナル進出を果たしたが、ロサンゼルス・レイカーズの前に1勝もできずに完敗すると、精彩を欠いたバン・ホーンはチームメイトから「やる気のない選手がいる」と批判された。
ファイナル敗戦の戦犯とされたバン・ホーンはシーズン終了後にトレードされ、かつて入団を拒否した76ersへと放出される。
76ersではエースのアレン・アイバーソンをオフェンス面でサポートする役割を期待され、平均15.9得点の活躍で結果を残したが、シーズン終了後にまたしてもトレードで放出され、その後はチームを転々とするキャリアを送った。
2007-08シーズン、すでに引退状態にあったが、ジェイソン・キッドを核としたトレードに組みこまれ、ダラス・マーベリックスと再契約を結んでいる。
youtube:http://youtu.be/9fqoWAuhBF8
 
3.チャウンシー・ビラップス(Chauncey Billups)
キャプチャ

出身校:コロラド大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:BOS(1997~1998)→TOR(1998~1999)→DEN(1999~2000)→MIN(2000~2002)→DET(2002~2008)→DEN(2008~2011)→NYK(2011)→LAC(2011~2013)→DET(2013~2014)
キャリア平均:15.2PPG、2.9RPG、5.4APG、1.0SPG、.387 3P%
個人賞:Finals MVP1回(2003-2004)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:5回(2006~2010)

ゲーム終盤など大事な局面で得点することから「ミスタービッグショット」の異名を持つ。
デビューからしばらく特定のチームに定着できず目立った成績を残せなかったが、2000年から在籍したミネソタ・ティンバーウルブズでは主力選手の故障を機に先発のチャンスを掴み、2002年のプレイオフで平均22.0得点を記録する活躍を見せて一躍フリーエージェント市場で注目を集める存在となった。
シーズン終了後、子供の頃から憧れるジョー・デュマースの熱心な誘いを受けて、デュマースがGMを務めるデトロイト・ピストンズへ移籍する。
ポイントガードに対してとくに厳しく接する事で知られるラリー・ブラウンHCの指導を受け、自身をシューティングガードタイプの選手と認識していたビラップスは戸惑いながらも次第にリーグ有数の司令塔へと成長していく。
2004年、突出したスター選手のいないピストンズはチームバスケットを武器に好成績を残し、ビラップスは安定したゲームメイクと勝負強いプレーでチームを1990年以来となるファイナル進出に導く。
史上稀に見る大型補強を断行したロサンゼルス・レイカーズとの対戦では、劣勢を予想されたピストンズがシリーズの主導権を取り、4勝1敗で見事に優勝を成し遂げる。
ビラップスは平均21.0得点、5.2アシストの活躍でファイナルMVPに輝き、1989年のデュマース以来、オールスター出場経験のないファイナルMVP受賞者となった。
その後も長くピストンズで活躍を続けたが、チームが再建期に入った事で故郷のデンバー・ナゲッツへのトレードを希望し、ベテラン選手としてナゲッツの好成績に貢献した。
2014年に現役からの引退を表明。
現在、ピストンズ時代に着用していた背番号「1」が同チームの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/icDPHTOdlFQ
 
4.アントニオ・ダニエルズ(Antonio Daniels)
キャプチャ

出身校:ボーリング・グリーン州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:VAN(1997~1998)→SAS(1998~2002)→POR(2002~2003)→SEA(2003~2005)→WAS(2005~2008)→NOH(2008~2009)、PHI(2011)
キャリア平均:7.6PPG、1.8RPG、3.4APG

司令塔としての活躍を期待されてバンクーバー・グリズリーズに入団するも、1年目は不本意な成績に終わり、シーズン終了後にサンアントニオ・スパーズへトレードされた。
スパーズでの移籍1年目にNBA優勝を経験したが、わずかな出場時間をプレーするダニエルズの活躍は限定的なものだった。
その後、徐々に出場時間を増やし、チームの貴重なバックアッププレイヤーとして存在感を増していく。
2003年に移籍したシアトル・スーパーソニックスでは2004-05シーズンにシックスマンとして平均11.2得点を記録し、チームの重要な選手として活躍した。
youtube:http://youtu.be/–h_vX7SoGE
 
5.トニー・バティー(Tony Battie)
キャプチャ

出身校:テキサス工科大学
ポジション: C、PF
所属チーム:DEN(1997~1998)→BOS(1998~2003)→CLE(2003~2004)→ORL(2004~2009)→NJN(2009~2010)→PHI(2010~2012)
キャリア平均:6.1PPG、5.1RPG、0.6APG

身体能力に優れた身長211cmのビッグマンで、インサイドで迫力のあるプレーを見せた。
キャリアの大半を控えとしてプレーし、チームの重要なバックアッププレイヤーとして15年という長い現役生活を送っている。
1999年から在籍したボストン・セルティックスでは6シーズンを過ごし、ポール・ピアースがナイトクラブで暴漢に襲われた際には、同席していたバティーがピアースを救い出して病院へと運んだ。
youtube:http://youtu.be/TCCp2TanLYE
 
6.ロン・マーサー(Ron Mercer)
キャプチャ

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:BOS(1997~1999)→DEN(1999~2000)→ORL(2000)→CHI(2000~2002)→IND(2002~2003)→SAS(2003~2004)→NJN(2004~2005)
キャリア平均:13.6PPG、3.1RPG、2.1APG、1.1SPG

ケンタッキー大のチームメイトであるアントワン・ウォーカーが在籍し、さらに恩師リック・ピティーノがヘッドコーチを務めるボストン・セルティックスに入団する。
マーサーにとって望ましい環境の中で1年目から平均15.3得点の活躍を見せたが、翌シーズンは故障でシーズンの半分を欠場し、チームの低迷もあってシーズン終了後にトレードで放出された。
その後はチームを転々とするキャリアを送り、2000-01シーズンにキャリアハイとなる平均19.7得点を記録するなど活躍したが、翌シーズン途中のトレードを機に先発でプレーする機会は激減し、急激に個人成績を下降させていった。

youtube:http://youtu.be/Mly8_VGoIiw
 
7.ティム・トーマス(Tim Thomas)
キャプチャ

出身校:ビラノバ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:PHI(1997~1999)→MIL(1999~2004)→NYK(2004~2005)→CHI(2005~2006)→PHO(2006)→LAC(2006~2008)→NYK(2008~2009)→CHI(2009)→DAL(2009~2010)
キャリア平均:11.5PPG、4.1RPG、1.5APG、.369 3P%

アウトサイドシュートを得意とする208cmの長身シューターであり、高い身体能力を武器にダイナミックなプレーも見せた。
ドラフトではニュージャージ・ネッツから指名を受け、開幕前にキース・バン・ホーンとのトレードでフィラデルフィア・76ersに入団する。
1年目はシーズンの半分以上で先発を務め、平均11.0得点という成績を残したが、翌シーズンにジョージ・リンチが加入してからは出場機会を失い、シーズン途中にミルウォーキー・バックスへトレードされた。
移籍後は得意のアウトサイドシュートを武器に得点力の高いシックスマンとして活躍し、ハーフでスリーポイントシュートを8本成功させるという記録もつくっている。
2003-04シーズン途中にニューヨーク・ニックスにトレードされ、2チームでの通算でキャリアハイとなる平均14.7得点を記録した。
その後は多くのチームを渡り歩くことになったが、スリーポイントシュートの成功率は40%前後を記録し、プレイオフでクラッチショットを決めるなど信頼の置けるシューターとして活躍した。
youtube:http://youtu.be/1CfoiqoSn9o
 
8.アドナル・フォイル(Adonal Foyle)
キャプチャ

出身校:コルゲート大学
ポジション: C
所属チーム:GSW(1997~2007)→ORL(2007~2009)→MEM(2009)
キャリア平均:4.1PPG、4.7RPG、0.5APG、1.6BPG

イギリス連邦に加盟するセントビンセント・グレナディーンのカヌアン島出身。
ゴールデンステイト・ウォリアーズに入団し、身長208cm、体重122.5kgという巨漢でショットブロッカーとして活躍した。
毎シーズンのように平均2.0ブロック以上を記録したものの、得点やリバウンドの貢献が少なく、2004年に6年4,200万ドルで再契約を結んだ際には地元ファンからも批判を浴びている。
ドン・ネルソンがヘッドコーチに就任してから出場時間が激減し、2007年に解雇を言い渡されて10シーズンを過ごしたウォリアーズを去る事になった。
ブロック数はウォリアーズのチーム記録となっている。
2007年にアメリカ合衆国の市民権を得ている。
youtube:http://youtu.be/2ly2BpBMH6I
 
9.トレイシー・マグレイディ(Tracy McGrady)
キャプチャ

出身校:マウントジオン・クリスチャン・アカデミー高校
ポジション: SG、SF
所属チーム:TOR(1997~2000)→ORL(2000~2004)→HOU(2004~2010)→NYK(2010)→DET(2010~2011)→ATL(2011~2012)→SAS(2013)
キャリア平均:19.6PPG、5.6RPG、4.4APG、1.2SPG
個人賞:Most Improved Player(2000-2001)
ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 2回、
オールスター出場:7回(2001~2007)

ニックネームは「T-Mac」、「ビッグ・スリープ」など。
天才高校生として大学を経ずに直接NBA入りしたものの、トロント・ラプターズでの1年目は活躍の場を与えられず、2年目も従兄のヴィンス・カーターが大活躍する影でわずかに出場時間を増加させるにとどまっていた。
3年目になってようやく先発で起用される機会も増え、平均15.4得点、6.3リバウンド、1.9ブロックと個人成績を大きく伸ばすと、マグレイディとカーターはリーグを代表するコンビに成長すると期待された。
しかし、マグレイディは2番手の役割は望んでいないとして、フリーエージェントとなったシーズン終了後にオーランド・マジックへと移籍する。
マジックにはリーグを代表するスター選手グラント・ヒルも加入し、マグレイディは移籍後もサポート役としてプレーする事になると思われたが、ヒルが開幕してすぐに故障で戦列を離れてしまうと、マグレイディが平均26.8得点、7.5リバウンド、4.6アシスト、1.5スティール、1.5ブロックと周囲の想像をはるかに上回る素晴らしい活躍を見せ、限られた戦力のマジックをプレイオフ進出へと導いた。
一躍リーグを代表するトッププレイヤーとして評価を高めたマグレイディは、2002-03シーズンに平均32.1得点を記録して得点王に輝くなど、個人としては素晴らしいシーズンを過ごす。
しかし、2枚看板のひとりであるヒルは故障から回復できず、しかもその高額契約が足枷となってマジックは満足な補強もできない状況に陥り、プレイオフでは1回戦を突破できないシーズンが続いた。
2003-04シーズン、開幕戦を勝利した後に悪夢の19連敗を喫すると、不満を爆発させたマグレイディはチームに対してトレードを要求する。
シーズン終了後、ドラフト1位指名でマジックに入団したドワイト・ハワードはマグレイディのチーム残留を懇願したが、固い決意を翻すには至らず、スティーブ・フランシスらとのトレードでヒューストン・ロケッツに移籍した。
ロケッツはリーグのトップセンターのひとりであるヤオ・ミンを擁し、マグレイディの加入によって優勝候補の筆頭へと躍り出る。
マグレイディはシーズン中に幾度となく脅威的なパフォーマンスを披露したが、ロケッツは周囲が予想したほどの好成績を収める事ができず、マグレイディとヤオ・ミンがそろって故障を抱えるようになると、ふたりが揃って出場する機会も次第に減少していった。
2007-08シーズン、ヤオ・ミンが故障でチームから離脱し、ロケッツはシーズン半ばにしてプレイオフ戦線から脱落したかに思われたが、ここからマグレイディを中心に快進撃をスタートさせ、NBA歴代2位となる22連勝という快記録を成し遂げた。
プレイオフでも平均27.0得点、8.2リバウンド、6.8アシストと孤軍奮闘したマグレイディだったが、マジック時代から続く1回戦の壁はまたしても超える事ができなかった。
翌2008-09シーズン、故障を悪化させたマグレイディは著しく成績を下降させ、シーズン終盤になって手術を受ける事を決断する。
皮肉なことにマグレイディを失ったロケッツはプレイオフで1回戦を突破し、続くカンファレンス・準決勝で敗退したものの、この年のNBAチャンピオンとなるロサンゼルス・レイカーズを相手に最終戦までもつれ込む熱戦を演じた。
マグレイディはその後も本来の姿を取り戻す事ができず、2010年にロケッツを去ってからはいくつものチームを渡り歩く事になった。
2013年、プレイオフ直前にサンアントニオ・スパーズに加入し、6試合を無得点で終えると、シーズン終了後に現役引退を表明した。
高校時代に野球選手としても活躍していたマグレイディはNBA引退後に独立リーグのチームと契約を結び、投手として公式戦4試合に出場している。
youtube:http://youtu.be/dyharafaEeA
 
10.ダニー・フォートソン(Danny Fortson)
キャプチャ

出身校:シンシナティ大学
ポジション: PF、C
所属チーム:DEN(1997~1999)→BOS(1999~2000)→GSW(2000~2003)→DAL(2003~2004)→SEA(2004~2007)
キャリア平均:8.2PPG、7.2RPG、0.7APG

ミルウォーキー・バックスからドラフト指名を受け、直後にデンバー・ナゲッツへトレードされる。
身長201cm、体重118kgの屈強な肉体を武器にインサイドで活躍し、2年目には平均11.0得点、11.6リバウンドのダブルダブルを記録した。
キャリアの後半は故障の多さから出場時間も制限されたが、短い時間の中で力強くエネルギッシュなプレーを見せ、人気の高い選手として活躍した。
そのプレースタイルからファウルも多く、審判の標的となってしばしば退場処分を受けている。
youtube:http://youtu.be/S1kuoOzL2to
 
11.オースティン・クロージュア(Austin Croshere)
キャプチャ

出身校:プロビデンス大学
ポジション: PF
所属チーム:IND(1997~2006)→DAL(2006~2007)→GSW(2007~2008)→MIL(2008~2009)→SAS(2009)
キャリア平均:6.8PPG、4.0RPG、1.0APG

インディアナ・ペイサーズ入団当初は活躍の場を与えられなかったが、3年目の1999-2000シーズンに控えながら平均20分以上をプレーする選手へと成長し、平均10.3得点、6.4リバウンドを記録した。
ペイサーズはこのシーズンにチーム初のファイナルに進出し、クロージュアは大舞台でシーズン成績を超える平均15.2得点を記録して大きな注目を集めた。
しかし、翌シーズンから指揮を執る事になったアイザイア・トーマスの信頼を勝ち取ることができず、2001-02シーズン以降、急激に出場時間を減少させていった。
トーマスがヘッドコーチを解雇されてからは再び出場時間が増加し、心強いバックアップとして活躍した。
youtube:http://youtu.be/c_GT-4Im24Y
 
13.デレック・アンダーソン(Derek Anderson)
キャプチャ

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: SG、SF、PG
所属チーム:CLE(1997~1999)→LAC(1999~2000)→SAS(2000~2001)→POR(2001~2005)→HOU(2005~2006)→MIA(2006)→CHA(2006~2008)
キャリア平均:12.0PPG、3.2RPG、3.4APG、1.1SPG

1年目に平均11.7得点を記録し、クリーブランド・キャバリアーズの主力として活躍した4人の新人のひとりとして注目を集めた。
デビューから7シーズン連続で平均2桁得点を記録し、1999-2000シーズンに記録した平均16.9得点がキャリアハイとなっている。
一方でキャリアを通して故障に悩まされ、11シーズンの現役生活で60試合以上に出場したのは5シーズンしかなかった。
2006年に在籍したマイアミ・ヒートで優勝を経験している。
youtube:http://youtu.be/WaLHuqDXLLg
 
16.ブレビン・ナイト(Brevin Knight)
キャプチャ

出身校:スタンフォード大学
ポジション: PG
所属チーム:CLE(1997~2001)→ATL(2001)→MEM(2001~2003)→PHO(2003)→WAS(2003~2004)→MIL(2004)→CHA(2004~2007)→LAC(2007~2008)→UTA(2008~2009)
キャリア平均:7.3PPG、2.4RPG、6.1APG、1.7SPG

身長178cmの司令塔は1年目から平均9.0得点、8.2アシスト、リーグ2位の2.5スティールを記録し、クリーブランド・キャバリアーズで主力を務めた4人の新人のひとりとして注目を集めた。
2001年にキャバリアーズを去ってからは目立った成績を残すことができなかったが、2004年にエクスパンションドラフトで新設されたばかりのシャーロット・ボブキャッツに加入すると、平均10.1得点、リーグ2位の9.0アシスト、リーグ5位の2.0スティールを記録するなど活躍した。
youtube:http://youtu.be/s01of77hwIU
 
19.スコット・ポラード(Scot Pollard)
キャプチャ

出身校:カンザス大学
ポジション: C
所属チーム:DET(1997~1999)→SAC(1999~2003)→IND(2003~2006)→CLE(2006~2007)→BOS(2007~2008)
キャリア平均:4.4PPG、4.6RPG、0.4APG

機動力に優れた身長211cmのビッグマンで、サクラメント・キングス在籍時には献身的なプレーでチームの躍進に貢献した。
2000-01シーズンは77試合に出場して平均6.5得点、6.0リバウンド、1.3ブロックを記録し、優勝争いを繰り広げたキングスのベンチに厚みを加えた。
個性的な髪型やあごひげで知られ、キングス時代はちょんまげスタイルから「サムライ・スコット」と呼ばれていた。
youtube:http://youtu.be/TIpPN7wa-3A
 
21.アンソニー・パーカー(Anthony Parker)
キャプチャ

出身校:ブラッドリー大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:PHI(1997~1999)→ORL(1999~2000)、TOR(2006~2009)→CLE(2009~2012)
キャリア平均:9.1PPG、3.2RPG、2.3APG、.404 3P%

キャリア初期は故障もあって活躍できず、新天地を求めて2000年にイスラエルのプロリーグのチームと契約を結ぶ。
ユーロリーグでチームを優勝に導き、MVPを受賞するなどヨーロッパで大成功を収めた。
この活躍により、2006年にトロント・ラプターズからオファーを受けて6シーズンぶりにNBAに復帰し、海外出身の選手を多く抱える国際色豊かなチームにすぐにフィットしたパーカーは平均12.4得点を記録する活躍を見せた。
ラプターズでは3シーズンで常に平均2桁得点を記録する安定したプレーを見せ、2009年からクリーブランド・キャバリアーズで3シーズンを過ごした後に現役を引退した。
youtube:http://youtu.be/_E0H_W78LP4
 
23.ボビー・ジャクソン(Bobby Jackson)
キャプチャ

出身校:ミネソタ大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:DEN(1997~1999)→MIN(1999~2000)→SAC(2000~2005)→MEM(2005~2006)→NOK-NOH(2006~2008)→HOU(2008)→SAC(2008~2009)
キャリア平均:9.7PPG、3.1RPG、2.6APG、.354 3P%
個人賞:Sixth Man of the Year(2002-2003)

デンバー・ナゲッツでは1年目から多くの試合で先発に起用され、平均11.6得点、4.4リバウンド、4.7アシスト、1.5スティールを記録した。
2000年に移籍したサクラメント・キングスでは控えとしてプレーする事になったが、ゲーム終盤の重要な局面でも起用され、信頼度の高い選手として活躍する。
ジャクソンは「ベンチモブ」と恐れられたキングスベンチ陣の中心的選手となり、2002-03シーズンには平均15.2得点を記録してシックスマン賞を受賞した。
その後もシックスマンとして2桁を超える得点を記録していたが、故障の影響により徐々に数字を下降させ、チームを渡り歩いた後にキングスへと復帰し、2008年から1シーズンをプレーして現役を引退した。
ファンからは「アクション・ジャクソン」の名で親しまれた。
youtube:http://youtu.be/HN3bYWkVnEM
 
37.マーク・ジャクソン(Marc Jackson)
キャプチャ

出身校:テンプル大学
ポジション: C、PF
所属チーム:GSW(2000~2002)→MIN(2002~2003)→PHI(2003~2005)→NJN(2005~2006)→NOK(2006~2007)
キャリア平均:8.4PPG、4.3RPG、0.8APG

ゴールデンステイト・ウォリアーズからドラフト指名を受けたが、NBA入りせずにトルコやスペインでプレーした。
2000-01シーズンにウォリアーズに戻り、ようやくNBAのキャリアをスタートさせる。
シーズン序盤は控えとして起用され目立った活躍もできずにいたが、シーズン途中から先発として起用され始めると20得点&10リバウンド以上を連発し、新人王候補にも名前があがるなど一躍脚光を浴びた。
シーズン後半に故障で失速し、1年目は平均13.2得点、7.5アシストの成績で終える。
その後は本領を発揮できないまま個人成績を大きく下降させてしまったが、2003年から在籍したフィラデルフィア・76ersでは重要な控え選手として出場時間を増やし、2004-05シーズンに平均12.0得点を記録している。
ポイントガードとして活躍したマーク・ジャクソンとはスペルが異なる。(MarcとMark)
youtube:http://youtu.be/RVueeSqnhzw
 
42.スティーブン・ジャクソン(Stephen Jackson)
キャプチャ

出身校:バトラー・カウンティー・コミュニティ大学
ポジション: SF、SG、PF
所属チーム:NJN(2000~2001)→SAS(2001~2003)→ATL(2003~2004)→IND(2004~2007)→GSW(2007~2009)→CHA(2009~2011)→MIL(2011~2012)→SAS(2012~2013)→LAC(2013~2014)
キャリア平均:15.1PPG、3.9RPG、3.1APG、1.3SPG

フェニックス・サンズからドラフト指名を受けたものの、ロスターに残る事ができずにCBAや海外でプレーした。
2000年にニュージャージ・ネッツと契約を結び、ようやくNBAデビューを果たすと、翌2001年からプレーすることになったサンアントニオ・スパーズでは先発のひとりとしてチームの優勝に貢献した。
2003年に移籍したアトランタ・ホークスでは平均18.1得点を記録するチームの得点源となり、以降は多くのチームを渡り歩きながら平均20得点前後を叩き出すスウィングマンとして活躍した。
2007年からはゴールデンステイト・ウォリアーズに在籍し、2008-09シーズンにキャリアハイとなる平均20.7得点を記録したほか、5.1リバウンド、6.5アシストと多彩な活躍を見せた。
優れたプレーを見せる一方で、たび重なるテクニカルファウル、乱闘騒動、拳銃発砲騒動などトラブルメーカーとしても知られ、自由奔放なプレースタイルはヘッドコーチとの衝突の要因ともなった。
youtube:http://youtu.be/5U6I5PxEOyw
 
44.セドリック・ヘンダーソン(Cedric Henderson)

出身校:メンフィス大学
ポジション: SF
所属チーム:CLE(1997~2001)→GSW(2001~2002)
キャリア平均:7.3PPG、2.9RPG、1.6APG

クリーブランド・キャバリアーズに入団すると、下位指名ながら1年目から先発を務めて平均10.1得点、4.0リバウンドを記録し、キャバリアーズの主力として活躍した4人の新人のひとりとして注目を集めた。
しかし、1999年にラモンド・マレーが加入してからは出場時間が激減し、2001年にゴールデンステイト・ウォリアーズに移籍した後、1シーズンをプレーして引退している。
 
47.アルビン・ウィリアムス(Alvin Williams)
キャプチャ

出身校:ビラノバ大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:POR(1997~1998)→TOR(1998~2006)→LAC(2007)
キャリア平均:9.0PPG、2.5RPG、4.1APG、1.2SPG

ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、1年目のシーズン途中にトロント・ラプターズへトレードされる。
移籍後すぐは出番に恵まれなかったが、徐々に出場時間を増やし、2001-02シーズンには82試合全てに先発出場して平均11.8得点、5.7アシスト、1.6スティールを記録した。
翌シーズンにはキャリアハイの平均13.2得点を記録したが、その後は故障を抱えるようになり、2006年に8シーズンを過ごしたラプターズを解雇された。
アシスト数とスティール数は、ラプターズのチーム記録上位にランクされている。
youtube:http://youtu.be/A3VZcMDCaJM
 

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