1968年 NBAドラフト

        2,827 views

前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:ウェス・アンセルド(Wes Unseld)
All Rookie Team
1st:ゲイリー・グレゴール、アート・ハリス、エルヴィン・ヘイズ、ウェス・アンセルド、ビル・ヒューイット
 
主なプレイヤー
 
※赤字はABA時代のもの・キャリア平均はNBA・ABAの通算平均
1.エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes)
01

出身校:ヒューストン大学
ポジション: PF、C
所属チーム:SDR-HOU(1968~1972)→BAL-CAP-WSB(1972~1981)→HOU(1981~1984)
キャリア平均:21.0PPG、12.5RPG、1.8APG、1.0SPG、2.0BPG
ALL TEAM:All-NBA 1st 3回、All-NBA 2nd 3回、All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:12回(1969~1980)

NBA史に残る名選手として活躍し、「THE BIG E」のニックネームで呼ばれた。
ヒューストン大学最終学年に平均36.8得点、18.9リバウンドという数字を残し、シーズン中には47連勝を記録していたUCLAに勝利して連勝をストップさせた。
ルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー)を擁するUCLAとの対戦は大きな注目を集め、この試合は「Game of the Century(世紀の試合)」と称えられた。
大学卒業後、ドラフト1位指名でサンディエゴ・ロケッツに入団すると、さっそく平均28.4得点、17.1リバウンドを記録し、新人にして得点王に輝く。
創設2年目のロケッツをプレイオフに導く活躍を見せたが、新人王はボルチモア・ブレッツを強豪へと変貌させたウェス・アンセルドが受賞した。
ロケッツで4シーズンを過ごした後、1972年にブレッツに移籍し、アンセルドとともにブレッツを牽引する。
ヘイズとアンセルドに率いられたブレッツは70年代後半にファイナルに3度進出し、1978年にチーム史上唯一となる優勝を遂げている。
ファイナルMVPにはブルーカラー役に徹したアンセルドが選ばれたが、ヘイズはチームトップとなる平均20.7得点、11.9リバウンド、2.0ブロックを記録し、ブレッツの優勝に大きな役割を果たした。
その後、1981年に古巣のロケッツに復帰し、3シーズンを過ごした後に現役を引退した。
デビューから12シーズン連続でオールスターに選出され、この間、10シーズンで平均21得点、11リバウンド以上を記録している。
また、16シーズンに渡る選手生活で欠場はわずかに9試合しかなく、長くコンディションを維持しトップ選手として活躍を続けた。
背番号『11』はブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)の永久欠番となり、通算得点と通算ブロックは現在もチーム記録となっている。
youtube:http://youtu.be/JMMKJKnF3x4
 
2.ウェス・アンセルド(Wes Unseld)
02

出身校:ルイビル大学
ポジション: C
所属チーム:BAL-CAP-WSB(1968~1981)
キャリア平均:10.8PPG、14.0RPG、3.9APG、1.1SPG、.509FG%
個人賞:Rookie of the Year、MVP1回(1968-69)、Finals MVP1回(1977-78)
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回
オールスター出場:5回(1969、1971~1973、1975)

身長200cmながらゴール下を支配するセンターとして活躍し、速攻の起点となるリバウンドからのアウトレットパスはアンセルドの代名詞となった。
ボルチモア・ブレッツに入団し、平均13.8得点、18.2リバウンドの活躍を見せると、前シーズン36勝46敗に終わっていたブレッツは57勝25敗の好成績を収め、チーム初のディビジョン優勝を果たした。
中心選手としてブレッツを牽引したアンセルドは新人王とシーズンMVPを同時受賞し、ウィルト・チェンバレン以来史上2人目の快挙を成し遂げた。
アンセルドはブレッツを強豪へと成長させたが、キャピタル・ブレッツ、ワシントン・ブレッツへと名前を変えていく中で、チームは主力選手の離脱などにより徐々に成績を下降させていく。
1972年にスター選手のエルヴィン・ヘイズが加入すると、アンセルドはチームプレーに徹するブルーカラープレイヤーとしてチームを支え、平均得点は2桁に届かなくなったものの、ブレッツの成績改善に大きな役割を果たした。
70年代後半、フェニックス・サンズやポートランド・トレイルブレイザーズなど若返りを進めるチームが成功を収めていく中、ブレッツは時代と逆行するようにアンセルドやヘイズらベテラン選手を中心にシーズンを戦う。
1977-78シーズン、ブレッツは前シーズンから成績を落としてプレイオフを迎えたが、ヘッドコーチのディック・モッタは「オペラは太った女が歌うまで終わらない(勝負は最後まで分からない)」と何度も繰り返し、周囲の予想を裏切るようにしてプレイオフを勝ち進んでいった。
ファイナルでは若い選手を中心に勢いにのるシアトル・スーパーソニックスと対戦し、最終戦までもつれこむ激戦を制してチーム初の優勝を遂げた。
アンセルドはシリーズ平均9.0得点、11.7リバウンド、3.9アシストを記録し、数字以上の貢献度でファイナルMVPの栄冠に輝いた。
ブレッツは翌年もファイナルに進出したが、雪辱に燃えるソニックスの前に敗退し、以降、主力の衰えとともにチーム成績も下降していく事になった。
アンセルドはプレイオフを逃した1980-81シーズンの終了後に現役を引退し、ブレッツ一筋で過ごした13シーズンの選手生活に幕を下ろした。
背番号『41』はブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)の永久欠番となり、出場試合数、通算リバウンドは現在もチーム記録となっている。
youtube:http://youtu.be/OgWkBiEy7AQ
 
3.ボブ・カウフマン(Bob Kauffman)
03

出身校:ギルフォード大学
ポジション: PF、SF、C
所属チーム:SEA(1968~1969)→CHI(1969~1970)→BUF(1970~1974)→ATL(1974~1975)
キャリア平均:11.5PPG、7.0RPG、2.7APG
オールスター出場:3回(1971~1973)

シアトル・スーパーソニックスでの2シーズンでは目立った成績を残す事ができなかったが、1970年に新設されたばかりのバッファロー・ブレーブスに移籍すると、平均20.4得点、10.7リバウンド、4.5アシストを記録し、オールスターに選出されるほどの成長を見せた。
以降3シーズンにわたりチームの中心選手として活躍を続けていたが、若手選手の台頭によってベンチに追いやられてからは出場時間も激減し、1974年にブレーブスを去ると、1シーズンをプレーして現役を引退する事になった。
 
4.トム・ボーウィンクル(Tom Boerwinkle)
04

出身校:テネシー大学
ポジション: C
所属チーム:CHI(1968~1978)
キャリア平均:7.2PPG、9.0RPG、3.2APG

シカゴ・ブルズに入団し、ボブ・ラブジェリー・スローンらとともにチームの中心選手として活躍した。
3年目の1970-71シーズンにキャリアハイとなる平均10.8得点、13.8リバウンドを記録し、さらにビッグマンでありながらチームトップとなる4.8アシストを記録した。
1972年に故障して以降は数字を大きく落としたが、その後もブルズ一筋で1978年までプレーを続けた。
ブルズでの通算リバウンドはマイケル・ジョーダンに次ぐチーム歴代2位の記録となっている。
2013年、骨髄異形成症候群により67歳で死去した。
youtube:http://youtu.be/FOx2jEt4VBs
 
8.ゲイリー・グレゴール(Gary Gregor)
01

出身校:サウスカロライナ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:PHO(1968~1969)→ATL(1969~1970)→POR(1970~1972)→MIL(1972)→ABA(1972~1974)
キャリア平均:8.9PPG、6.3RPG、1.3APG

フェニックス・サンズに入団し、1年目に平均11.1得点、8.9リバウンドを記録してオールルーキー1stチームに選出される。
その後はチームを渡り歩きながらも活躍を続けていたが、1972年に移籍したミルウォーキー・バックスで出場機会が激減し、シーズン途中にABAのニューヨーク・ネッツに移籍した。
 
11.ビル・ヒューイット(Bill Hewitt)
02

出身校:サザンカリフォルニア大学
ポジション: PF
所属チーム:LAL(1968~1969)→DET(1969~1972)→BUF(1972~1973)、CHI(1974)
キャリア平均:5.7PPG、5.5RPG、1.3APG

ロサンゼルス・レイカーズに入団し、1年目に平均7.2得点、4.4リバウンドを記録してオールルーキー1stチームに選出される。
その後もリバウンドに強さを見せるバックアップとしてプレーを続け、デトロイト・ピストンズ在籍時の1970-71シーズンにキャリアハイとなる平均7.7得点、7.3リバウンドを記録している。
 
12.ドン・チェイニー(Don Chaney)
03

出身校:ヒューストン大学
ポジション: SG
所属チーム:BOS(1968~1975)→ABA(1975~1976)→LAL(1976~1977)→BOS(1977~1980)
キャリア平均:8.4PPG、4.0RPG、2.2APG、1.2SPG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 5回

ヒューストン大ではエルヴィン・ヘイズとともに活躍した。
ボストン・セルティックス入団後、3年目に平均11.5得点、5.7リバウンドを記録して頭角を現す。
主にシックスマンとしてプレーしながらリーグを代表するディフェンダーとしても活躍し、70年代の2度の優勝に貢献している。
1975年にABAのスピリッツ・オブ・セントルイスに移籍したが、ABAの消滅により翌1976にNBAに復帰し、ロサンゼルス・レイカーズでプレーした後、1977年にセルティックスに復帰して1980年に現役を引退した。
 
16.アート・ハリス(Art Harris)

出身校:スタンフォード大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:SEA(1968~1969)→PHO(1969~1972)
キャリア平均:9.1PPG、2.4RPG、2.7APG

シアトル・スーパーソニックスに入団し、1年目に平均12.4得点を記録してオールルーキー1stチームに選出される。
しかし、2年目のシーズン途中にトレードされてからは数字を下降させ、3シーズンをプレーした後に現役を引退した。
 
23.スチュ・ランツ(Stu Lantz)
04

出身校:ネブラスカ大学
ポジション:SG、PG
所属チーム:SDR-HOU(1968~1972)→DET(1972~1974)→NOJ(1974)→LAL(1974~1976)
キャリア平均:12.4PPG、3.3RPG、2.9APG

サンディエゴ・ロケッツに入団し、2年目から先発で起用されると、3年目には平均20.6得点、5.0リバウンド、4.2アシストを記録してエルヴィン・ヘイズとともにチームの中心選手となった。
しかし、1972年にトレードでチームを去ってからは数字を落とし、出場機会も次第に減少していった。
ロサンゼルス・レイカーズでのプレーを最後に1976年に現役を引退し、その後はチック・ハーンとともにレイカーズ専属の人気解説者となった。
 
30.ドン・メイ(Don May)

出身校:デイトン大学
ポジション: SF
所属チーム:NYK(1968~1970)→BUF(1970~1971)→ATL(1971~1973)→PHI(1973~1974)→KCO(1974~1975)
キャリア平均:8.8PPG、3.5RPG、1.0APG

デビューから2シーズンはほとんど出場の機会を与えられなかったが、1970年に新設されたばかりのバッファロー・ブレーブスに移籍すると、平均20.2得点、7.5リバウンドと大きく数字を伸ばした。
ともに成長を遂げたボブ・カウフマンとともにチームの中心選手となったが、シーズン終了後にトレードされてからは出場時間が減少し、チームを転々とした後、1975年に現役を引退した。
 
79.リック・アデルマン(Rick Adelman)
05

出身校:ロヨラメリーマウント大学
ポジション: PG
所属チーム:SDR(1968~1970)→POR(1970~1973)→CHI(1973~1974)→NOJ(1974~1975)→KCO(1975)
キャリア平均:7.7PPG、2.4RPG、3.5APG

デビューから2シーズンは控えとして起用されたが、1970年に新設されたばかりのポートランド・トレイルブレイザーズに移籍してからは出場時間が大幅に増加し、チームの主要選手のひとりとして平均12.6得点を記録した。
1973年に3シーズンを過ごしたブレイザーズを去ってからは徐々に出場機会を失い、1975年に現役を引退する事になった。
引退後は低迷するチームを強豪に導く名将として活躍している。
 
147.ロン・ブーン(Ron Boone)
06

出身校:アイダホ州立大学
ポジション: SG
所属チーム:ABA(1968~1976)→KCK(1976~1978)→LAL(1978~1979)→UTA(1979~1981)
キャリア平均:16.8PPG、4.2RPG、3.7APG、1.3SPG
ALL TEAM:All-ABA 1st 1回All-ABA 2nd 1回
オールスター出場:4回(19711974~1976

ドラフトではNBAとABAから同時に指名を受け、ABAのダラス・チャパラルズ(後のサンアントニオ・スパーズ)への入団を選択した。
ABAでは平均20得点を上回る得点力を見せ、4度オールスターに選出されるなどリーグを代表する選手として活躍した。
1976年にABAが消滅し、ブーンは分配ドラフトによってカンザスシティ・キングスに加入する。
迎えた1976-77シーズン、ブーンはチームトップとなる平均22.2得点を記録し、ABA時代と変わらない活躍を見せた。
すでに30歳となっていたブーンは、その後5シーズンをプレーし、1981年に現役を引退した。
ABAとNBAで通算1,041試合に出場し、後にA.C.グリーンに破られるまでアメリカのプロバスケットボール史上最長記録となっていた1,041試合連続出場という偉業を達成している。
youtube:http://youtu.be/QTdIF6Qd-hc
 

- PR -