1952年 NBAドラフト

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新人王:ドン・メインケ(Don Meineke)
 
主なプレイヤー
 
1.マーク・ワークマン(Mark Workman)

出身校:ウェストバージニア大学
ポジション: PF
所属チーム:MLH(1952)→PHW(1952~1953)→BLB(1953~1954)
キャリア平均:4.9PPG、2.9RPG、0.6APG

ミルウォーキー・ホークスでデビューし、5試合に出場してすぐにフィラデルフィア・ウォリアーズへトレードされた。
1年目を平均5.1得点という成績で終えると、シーズン終了後にボルチモア・ブレッツに移籍し、14試合の出場のみにとどまった翌シーズンを最後にNBAを去っている。
 
9.クライド・ラブレット(Clyde Lovellette)
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出身校:カンザス大学
ポジション: C
所属チーム:MNL(1953~1957)→CIN(1957~1958)→STL(1958~1962)→BOS(1962~1964)
キャリア平均:17.0PPG、9.5RPG、1.6APG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:4回(1956~1957、1960~1961)

1952年にミネアポリス・レイカーズからドラフト指名を受け、翌1953年にデビューを果たす。
1年目は控えとしてプレーし、ジョージ・マイカンらのサポート役としてチームの優勝に貢献した。
マイカンはこのシーズン限りで引退し、ラブレットはリーグ最強センターの後任という大役を任される。
1955-56シーズンに平均21.5得点、14.0リバウンドを記録してオールスターに選出されたが、ラブレットの奮闘も虚しく、レイカーズは成績を下降させていった。
1957年にシンシナティ・ロイヤルズに移籍し、迎えた1957-58シーズンにキャリアハイとなる平均23.4得点を記録したが、シーズンが終了するとすぐにセントルイス・ホークスへと移籍した。
移籍後は強豪チームの主力として2度のファイナル進出に貢献したが、ボストン・セルティックスの絶頂期と重なってしまい、優勝は実現できないまま1962年にチームを去った。
ラブレットが移籍したのは、これまで優勝の障害となってきたセルティックスだった。
セルティックスではビル・ラッセルトム・ヘインソーンらのバックアップを務め、個人成績は大きく後退させる事になったが、在籍した2シーズンで2度の優勝を経験し、合計3個のチャンピオンリングを獲得して1964年に選手生活に幕を下ろした。
youtube:http://youtu.be/tAuQLyeB9mM
 
Round 10.ジーン・コンリー(Gene Conley)
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出身校:ワシントン州立大学
ポジション: PF
所属チーム:BOS(1952~1953、1958~1961)、NYK(1962~1964)
キャリア平均:5.9PPG、6.3RPG、0.6APG

NBAとMLBを長期兼業したマルチ・アスリートとして知られ、ワールドシリーズ制覇、NBAファイナル制覇を経験した唯一の選手となっている。
MLBでは投手として活動し、11年間で91勝96敗、防御率3.82の成績を残し、オールスターに3度、選ばれている。
NBAでは通算6シーズンをプレーし、ボストン・セルティックスで1958-59シーズンからの3連覇に貢献した。
1962-63シーズンに記録した平均9.0得点がキャリアハイとなっている。
youtube:http://youtu.be/74jMUktOSXk
 
Other Picks.ドン・メインケ(Don Meineke)
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出身校:デイトン大学
ポジション: PF
所属チーム:FTW(1952~1955)→ROC-CIN(1955~1956、1957~1958)
キャリア平均:6.8PPG、4.7RPG、1.3APG
個人賞:Rookie of the Year

フォートウェイン・ピストンズに入団し、1年目に平均10.7得点、6.9リバウンドを記録すると、このシーズンから新設された新人王に選ばれた。
しかし、翌1953-54シーズンは数字が落ち込み、その後、持ち直す事のないまま1955年にトレードされた。
移籍先のロチェスター・ロイヤルズで1シーズンをプレーした後に引退したが、1957年に現役復帰し、1シーズンを過ごした後に再び引退した。
youtube:http://youtu.be/mJzG8xaiSsc
 

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