
主なドラフト選手
1.マイカル・トンプソン

Mychal Thompson
出身校:ミネソタ大学
ポジション:C、PF
所属チーム:POR(1978~1986)→SAS(1986~1987)→LAL(1987~1991)
キャリア平均:13.7PPG、7.4RPG、2.3APG、1.1BPG、.504FG%
バハマ出身で、アメリカ合衆国以外の出身選手として初めてNBAドラフト1位指名を受けた。
ポストプレーとリバウンドを武器に長く活躍し、後年はロサンゼルス・レイカーズのシックスマンとして黄金期を支えた。
ポートランド・トレイルブレイザーズに入団すると、1年目から平均14.7得点、8.3リバウンドを記録し、1981-82シーズンには平均20.8得点、11.7リバウンド、4.0アシストの好成績を残した。
ブレイザーズでは7シーズンにわたって中心選手として活躍したが、1986年にチームを離れると役割は大きく変化し、1987年から所属したロサンゼルス・レイカーズではカリーム・アブドゥル=ジャバーの控えを務めた。
ベンチスタートながら先発に匹敵する出場時間を任され、重要なシックスマンとして1987年、1988年のリーグ2連覇に大きく貢献した。
2人の息子もNBA選手となり、長男のマイケル・トンプソンは2012年にNBAデビュー。
次男のクレイ・トンプソンはリーグを代表するシューターとして活躍し、4度の優勝を経験している。
2.フィル・フォード

Phil Ford
出身校:ノースカロライナ大学
ポジション:PG
所属チーム:KCK(1978~1982)→NJN(1982)→MIL(1982~1983)→HOU(1983~1984)
キャリア平均:11.6PPG、1.8RPG、6.4APG、1.2SPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回
優れたゲームメイクとスピードを武器に活躍したポイントガードで、ルーキーイヤーからリーグ屈指の司令塔として高い評価を受けた。
1年目から平均15.9得点、8.6アシスト、2.2スティールを記録し、前シーズン31勝に終わっていたカンザスシティ・キングスを48勝へと躍進させる。
この活躍により新人王を受賞しただけでなく、オールNBA 2ndチームにも選出された。
3年目の1980-81シーズンにはキャリアハイとなる平均17.5得点、8.8アシストを記録し、プレーオフではチームをカンファレンス決勝へと導いた。
しかし翌シーズンは、台頭してきたラリー・ドリューと出場時間を分け合うようになり成績が下降。
シーズン終了後にニュージャージ・ネッツへトレードされた。
移籍後は故障の影響もあって全盛期のプレーを取り戻すことができず、1984年に現役を引退した。
4.マイケル・レイ・リチャードソン

Micheal Ray Richardson
出身校:モンタナ大学
ポジション:PG、SG
所属チーム:NYK(1978~1982)→GSW(1982~1983)→NJN(1983~1986)
キャリア平均:14.8PPG、5.5RPG、7.0APG、2.6SPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 2回
オールスター出場:4回(1980~1982、1985)
ニックネーム「シュガーレイ」で親しまれた196cmの大型ポイントガード。
優れたゲームメイクとリーグ屈指のディフェンス力を武器に、得点、アシスト、スティールのすべてで高い能力を発揮した。
ニューヨーク・ニックス2年目のシーズンに平均15.3得点、10.1アシスト、3.2スティールを記録し、アシスト王とスティール王の2冠を達成。
このシーズンから3年連続でオールスターに選出され、NBAを代表するポイントガードとして活躍を続けた。
1982年にゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍すると一時は成績を落としたが、1983年にニュージャージー・ネッツへ移籍してから再び復調し、1984-85シーズンには平均20.1得点、8.0アシスト、3.0スティールを記録して4度目のオールスター選出を果たした。
しかし、その一方で薬物問題を克服することができず、1986年にリーグの薬物規定違反によりNBAから永久追放処分を受けた。
その後はCBAやヨーロッパを中心とした海外リーグでプレーを続け、2002年まで現役生活を送った。
2025年に70歳で死去した。
5.パービス・ショート

Purvis Short
出身校:ジャクソン州立大
ポジション:SF
所属チーム:GSW(1978~1987)→HOU(1987~1989)→NJN(1989~1990)
キャリア平均:17.3PPG、4.3RPG、2.5APG、1.0SPG
高いアーチを描くジャンプショットを武器に得点を量産し、「レインボーマン」の愛称で親しまれたスコアラー。
ゴールデンステイト・ウォリアーズでは入団当初こそ控えとしてプレーしていたが、試合の流れを変えるシックスマンとして高い得点力を発揮した。
1982-83シーズンから先発に定着すると、4シーズン連続で平均20得点以上を記録し、1984-85シーズンにはリーグ4位となる平均28.0得点をマークした。
1986-87シーズンに膝を故障して34試合の出場にとどまると、それまでの得点力に陰りが見え始めたが、その後は再びシックスマンとして起用され、ベンチから安定した得点源として活躍を続けた。
現役最後となった1989-90シーズンには82試合すべてに出場し、主に控えながら平均13.1得点を記録して現役生活を終えた。
6.ラリー・バード

Larry Bird
出身校:インディアナ州立大学
ポジション:SF、PF
所属チーム:BOS(1979~1992)
キャリア平均:24.3PPG、10.0RPG、6.3APG、1.7SPG、.376 3P%
個人賞:Rookie of the Year(1979-1980)、MVP3回(1983-1984、1984-1985、1985-1986)、Finals MVP2回(1983-1984、1985-1986)、All-Star Game MVP1回(1982)
ALL TEAM:All-NBA 1st 9回、All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 2nd 3回
オールスター出場:12回(1980~1988、1990~1992)
卓越したシュート力、勝負強さ、そして試合を読むバスケットボールIQを兼ね備えた史上最高級のオールラウンドプレーヤー。
現役時代から「レジェンド」と称され、ボストン・セルティックスを3度の優勝へ導き、1980年代のNBA黄金期を象徴する存在となった。
高校卒業後は名門インディアナ大学に進学したものの、環境に馴染めず退学
その後は清掃員として働きながら地元の短大に通っていたが、周囲の説得を受けてインディアナ州立大学へ編入した。
インディアナ州立大学ではチームを強豪へと押し上げ、4年生時にはシーズン無敗の成績でNCAAトーナメント決勝へ進出。
決勝ではマジック・ジョンソン率いるミシガン州立大学と対戦し、惜しくも優勝を逃したものの、この試合はNCAA決勝史上最高視聴率を記録する歴史的な一戦となった。
この大会後、マジック・ジョンソンは1979年のNBAドラフト1位でロサンゼルス・レイカーズへ入団。
一方、バードはすでに前年のドラフトでボストン・セルティックスから指名されており、1979年にセルティックスへ加入した。
バード加入前に29勝53敗と低迷していたセルティックスは、加入1年目で61勝21敗へと劇的に躍進。
バードは平均21.3得点、10.4リバウンド、4.5アシストを記録して新人王を受賞し、新人ながらオールNBA1stチームにも選出された。
その後、セルティックスは1981年、1984年、1986年に優勝を果たし、バード自身も1984年から1986年にかけて3年連続でシーズンMVPを受賞。
これはNBA史上でも限られた選手だけが達成した偉業であり、バードはリーグ最高の選手として1980年代のNBAを牽引した。
身体能力で圧倒するタイプではなかったが、正確なシュート、優れたパスセンス、リバウンド能力、ディフェンス、そして試合の流れを読む洞察力により、得点・リバウンド・アシスト・スティールのすべてで高い水準を維持した。
また、試合終盤での勝負強さは特に有名で、強い闘争心と勝利への執念でチームを鼓舞した。
キャリア後半は背中の故障に悩まされながらも、1992年には「ドリームチーム」の一員としてバルセロナ五輪で金メダルを獲得。
同年に現役引退を表明した。
1998年にバスケットボール殿堂入りを果たし、背番号「33」はセルティックスの永久欠番となっている。
引退後はインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチを務め、最優秀監督賞を受賞している。
Twitterのロゴの鳥「ラリー」は、ラリー・バードに由来することでも知られている。
9.レジー・セウス

Reggie Theus
出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション:SG、PG
所属チーム:CHI(1978~1984)→KCK-SAC(1984~1988)→ATL(1988~1989)→ORL(1989~1990)→NJN(1990~1991)
キャリア平均:18.5PPG、3.3RPG、6.3APG、1.2SPG
オールスター出場:2回(1981、1983)
優れた得点力と、201cmの長身を生かした視野の広いパスワークで高い評価を受けた。
シカゴ・ブルズでは1年目から平均16.3得点、5.2アシストを記録し、新人王投票で次点となる活躍を見せる。
3年目の1980-81シーズンに初めてオールスターへ選出され、1982-83シーズンにはキャリアハイとなる平均23.8得点を記録して2度目のオールスター出場を果たした。
しかし翌シーズン、ヘッドコーチ交代によってチーム構想から外されると、控えに降格され、十分な出場機会を得られないままシーズン途中にトレードされた。
カンザスシティ・キングスへ移籍すると再び平均20得点前後を記録するなど本来の実力を取り戻し、プレーメーカーとしても才能を発揮する。
1985-86シーズンにはリーグ6位となる平均9.6アシストを記録し、マジック・ジョンソンに続き、身長6フィート6インチ(約198cm)以上の選手としてシーズン750アシストを達成した史上2人目の選手となった。
1988年にキングスを退団してからは3チームを渡り歩き、1990-91シーズンにはニュージャージ・ネッツでチーム最年長ながらトップとなる平均18.6得点を記録する。
しかし、シーズン終了後にNBAを離れ、イタリアやギリシャでプレーしたのち、35歳となった1993年に現役を引退した。
15.マイク・ミッチェル

Mike Mitchell
出身校:オーバン大学
ポジション:SF
所属チーム:CLE(1978~1981)→SAS(1981~1988)
キャリア平均:19.8PPG、5.6RPG、1.3APG
オールスター出場:1回(1981)
高い得点能力を誇るスコアラーとして活躍し、安定したミドルレンジシュートと力強いドライブで得点を量産した。
クリーブランド・キャバリアーズに入団すると、先発に定着した2年目のシーズンに平均22.2得点を記録して才能を大きく開花させる。
翌シーズンには平均24.5得点とさらに成績を伸ばし、初めてオールスターに選出された。
1981年にサンアントニオ・スパーズへ移籍すると、リーグを代表するスコアラーだったジョージ・ガーヴィンに代わる得点源として活躍し、その後も毎シーズン安定して20得点前後を記録した。
10シーズンのキャリアで平均20得点以上を記録したシーズンは6度を数え、スパーズ在籍時の通算平均20.1得点は球団史に残る数字となっている。
2011年、癌のため55歳で死去した。
29.ジョン・ロング

John Long
出身校:デトロイト・マーシー大学
ポジション:SG
所属チーム:DET(1978~1986)→IND(1986~1989)→DET(1989)→ATL(1990~1991)→DET(1991)、TOR(1996~1997)
キャリア平均:13.6PPG、2.8RPG、1.9APG、1.0SPG
デトロイト・ピストンズでは1年目から平均16.1得点を記録し、チームの主力として活躍する。
1981-82シーズンには平均21.9得点を記録してチーム得点王となり、リーグ屈指の得点力を誇るガードへと成長した。
1983年にチャック・デイリーがヘッドコーチに就任すると、チームはディフェンス重視のスタイルへと変化し、1985年にジョー・デュマースが加入すると出場時間は徐々に減少していった。
1986年にインディアナ・ペイサーズへ移籍すると再び先発として高い得点能力を発揮したが、2年目に控えだったレジー・ミラーが先発に定着したことで再び出場機会を失い、その後はチームを渡り歩いた。
1991年を最後にNBAの舞台から遠ざかっていたが、1996年に創設間もないトロント・ラプターズと契約し、5年ぶりのNBA復帰を果たしている。
甥のグラント・ロングとテリー・ミルズも元NBA選手として活躍した。
36.モーリス・チークス

Maurice Cheeks
出身校:ウエスト・テキサスA&M大学
ポジション:PG
所属チーム:PHI(1978~1989)→SAS(1989~1990)→NYK(1990~1991)→ATL(1991~1993)→NJN(1993)
キャリア平均:11.1PPG、2.2RPG、6.7APG、2.1SPG、523FG%
ALL TEAM:All-Defensive 1st 4回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:4回(1983、1986~1988)
15シーズンのキャリアのうち11シーズンをフィラデルフィア・76ersでプレーし、優れたゲームメイクとリーグ屈指のディフェンス力でチームを支えた。
76ersでの1年目は、マイク・ビビーの父として知られるヘンリー・ビビーと出場時間を分け合い、82試合に出場して平均8.4得点、5.3アシスト、リーグ7位となる2.1スティールを記録した。
2年目に先発へ定着すると、強豪76ersの司令塔として着実に成長を遂げる。
1982-83シーズンには初めてオールスターに選出され、チークスのほかに3人のオールスター選手を擁した76ersは65勝17敗の好成績を収め、プレーオフでも12勝1敗と他チームを圧倒して優勝を果たした。
入団から10年連続で平均2.0本以上のスティールを記録したほか、アシストでも毎年リーグ上位に名を連ねた。
また、ポイントガードとしては驚異的なFG成功率を誇り、平均13.1得点を記録した1984-85シーズンにはFG成功率57.0%をマークしている。
通算アシスト数と通算スティール数は現在も76ersの球団記録となっており、引退時には通算スティール数でNBA歴代1位に立っていた。
背番号「10」は76ersの永久欠番となり、2018年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。
60.マイケル・クーパー

Michael Cooper
出身校:ニューメキシコ大学
ポジション:SG
所属チーム:LAL(1978~1990)
キャリア平均:8.9PPG、3.2RPG、4.2APG、1.2SPG
個人賞:Defensive Player of the Year(1986-1987)
ALL TEAM:All-Defensive 1st 5回、All-Defensive 2nd 3回
ショータイム時代のロサンゼルス・レイカーズを支えた万能シックスマンとして活躍し、NBA屈指のディフェンダーとして相手エースを封じ込めた。
ロサンゼルス・レイカーズに入団した1年目は故障のため3試合の出場にとどまり、マジック・ジョンソンがデビューした翌1979-80シーズンから本格的にキャリアをスタートさせる。
NBAで生き残るためにディフェンスを磨き、控えとしてプレーしながらも何度もオールディフェンシブ1stチームに選出されるなど、リーグを代表するディフェンダーへと成長した。
また優れた跳躍力も持ち味で、マジック・ジョンソンとのアリウーププレー「クープ・ア・ループ」は、ショータイムを象徴する名場面としてロサンゼルスのファンを魅了した。
アウトサイドシュートも年々精度を高め、2割台前半だった3ポイントシュート成功率は、1985-86シーズンに38.7%まで向上している。
1986-87シーズンには最優秀守備選手賞を受賞し、5度の優勝に貢献した。
背番号「21」はレイカーズの永久欠番となっている。
2024年にバスケットボール殿堂入りを果たした。



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