
主なドラフト選手
1.ジョー・バリー・キャロル

Joe Barry Carroll
出身校:パデュー大学
ポジション:C
所属チーム:GSW(1980~1984、1985~1987)→HOU(1987~1988)→NJN(1988~1990)→DEN(1990~1991)→PHO(1991)
キャリア平均:17.7PPG、7.7RPG、1.8APG、1.0SPG、1.6BPG
オールスター出場:1回(1987)
213cmのビッグマンながら優れたフットワークを備え、1980年ドラフト最大の目玉として注目を集めた。
ゴールデンステイト・ウォリアーズはキャロルを確実に獲得するため、ボストン・セルティックスの名将レッド・アワーバックの提案を受け入れ、同年のドラフト3位指名権とロバート・パリッシュを放出してドラフト1位指名権を獲得した。
ウォリアーズは狙い通りキャロルを指名したが、セルティックスは3位でケビン・マクヘイルを獲得。
結果的にセルティックスはドラフト1位指名権との交換でパリッシュとマクヘイルという黄金期を支えた二人を同時に手に入れ、このトレードはNBA史上最悪のトレードの一つとして語り継がれている。
キャロルには厳しい評価も少なくなかったが、1年目から平均18.9得点、9.3リバウンドを記録。
ウォリアーズで過ごした7シーズンでは平均20.4得点、8.3リバウンド、1.7ブロックを記録し、ドラフト1位として十分に期待に応える活躍を見せた。
3年目にはキャリアハイとなる平均24.1得点、2.0ブロックを記録している。
キャロルはスリーピー・フロイドらとともにチームを牽引したが、1984年に高額契約を提示したイタリアリーグへ電撃移籍し、エースを失ったウォリアーズは22勝60敗とリーグ最低勝率に沈んだ。
翌1985年にウォリアーズへ復帰すると、1986-87シーズンには初のオールスターに選出された。
しかし翌1987-88シーズンは開幕から不調が続き、シーズン序盤にトレードで放出されると、その後は全盛期の輝きを取り戻せないまま1991年に現役を引退した。
2.ダレル・グリフィス

Darrell Griffith
出身校:ルイビル大学
ポジション:SG
所属チーム:UTA(1980~1991)
キャリア平均:16.2PPG、3.3RPG、2.1APG、1.2BP
個人賞:Rookie of the Year
その風貌と高い身体能力から、「ダンク」と「フランケンシュタイン」を掛け合わせた「ダンケンシュタイン」の愛称で親しまれた。
ユタ・ジャズに入団すると、1年目から平均20.6得点を記録する活躍で新人王を獲得した。
入団当初はアウトサイドシュートを苦手としていたが、年々スリーポイントシュートを積極的に狙うようになり、1983-84シーズンには試投数、成功数、成功率の3部門でリーグトップの成績を記録した。
エイドリアン・ダントリーとともに80年代前半のジャズを支えたが、1985年にシーズンを全休する大怪我を負うと、その後は先発の座を失い、成績も徐々に下降していった。
11シーズンにわたってジャズ一筋でプレーし、通算得点やスリーポイント成功数など球団史に残る実績を築いた。現在でも多くの球団記録でカール・マローンやジョン・ストックトンらと並び、歴代上位に名を連ねている。
背番号「35」はジャズの永久欠番となっている。
3.ケビン・マクヘイル

Kevin McHale
出身校:ミネソタ大学
ポジション:PF
所属チーム:BOS(1980~1993)
キャリア平均:17.9PPG、7.3RPG、1.7APG、1.7BPG、.554FG%
個人賞:Sixth Man of the Year2回(1983-1984、1984-1985
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-Defensive 1st 3回、All-Defensive 2nd 3回
オールスター出場:7回(1984、1986~1991)
ローポストで見せる多彩な得点技術はNBA史上屈指と評され、ラリー・バードやロバート・パリッシュらとともにボストン・セルティックスの黄金期を築いた。
キャリア前半はシックスマンとして活躍し、1983-84シーズンに平均18.4得点、7.4リバウンド、1.5ブロックを記録してシックスマン賞を受賞すると、翌シーズンも同賞を受賞し、史上初の2年連続受賞を達成した。
208cmの身長と驚異的なリーチを武器に、オールディフェンシブチームの常連となるなど、オフェンスだけでなくディフェンスでもリーグ屈指の実力を誇った。
80年代中盤からは先発に定着し、1986-87シーズンには平均26.1得点、9.9リバウンド、2.2ブロック、リーグトップのFG成功率60.4%を記録。
オールNBA 1stチームに選出されるなど、リーグを代表するビッグマンとして活躍した。
1993年に引退するまで13シーズンすべてをセルティックスでプレーし、3度の優勝に貢献。
背番号「32」はセルティックスの永久欠番となり、1999年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。
陽気で社交的な性格で知られ、寡黙なラリー・バードとは微妙な緊張関係にあったと言われている。
8.アンドリュー・トニー

Andrew Toney
出身校:ルイジアナ大学
ポジション:SG
所属チーム:PHI(1980~1988)
キャリア平均:15.9PPG、2.2RPG、4.2APG、.500FG%
オールスター出場:2回(1983~1984)
正確無比なミドルシュートと勝負どころでの得点力を武器に、フィラデルフィア・76ersの黄金時代を支えたクラッチスコアラーとして活躍した。
76ers入団当初は控えとしてプレーし、平均15得点前後を稼ぐシックスマンとして存在感を発揮する。
先発に定着した3年目の1982-83シーズンには平均19.7得点、4.5アシストを記録して初めてオールスターに選出された。
トーニーのほか、ジュリアス・アービング、モーゼス・マローン、モーリス・チークスという4人のオールスター選手を擁した76ersは65勝17敗という好成績を収め、プレーオフでも12勝1敗と他チームを圧倒してNBA優勝を果たした。
とくにボストン・セルティックス戦では驚異的な勝負強さを発揮し、「ボストン・ストラングラー(ボストン絞殺者)」の異名で恐れられた。
また、ロサンゼルス・レイカーズとの大一番でも幾度となく勝負を決める活躍を見せ、リーグ屈指のクラッチシューターとして高い評価を受けた。
しかし、慢性的な足の故障に苦しみ、1985-86シーズン以降は出場試合数が激減
1987-88シーズンを最後に、わずか30歳で現役を引退した。
11.キキ・ヴァンダウェイ

Kiki Vandeweghe
出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション:SF、PF
所属チーム:DEN(1980~1984)→POR(1984~1989)→NYK(1989~1992)→LAC(1992~1993)
キャリア平均:19.7PPG、3.4RPG、2.1APG、.525FG%、.872FT%
オールスター出場:2回(1983~1984)
本名はアーネスト・モーリス・ヴァンダウェイ。
カーリーヘアに由来して「キキ」の愛称で親しまれた。
キャリア通算のフリースロー成功率は87%を超え、高いシュート力を生かすために多彩なフェイクを駆使して得点を量産した。
とくにステップバックから放つジャンプシュートは「キキムーブ」と呼ばれ、多くの選手に影響を与えた。
デンバー・ナゲッツに入団すると、2年目に平均21.5得点、FG成功率56.0%を記録。
アレックス・イングリッシュやダン・イッセルとともに、リーグ屈指の破壊力を誇るナゲッツのオフェンスを支えた。
このシーズン以降、7シーズン連続で平均20得点以上を記録し、1983-84シーズンにはキャリアハイとなる平均29.4得点をマークした。
リーグを代表するスコアラーへと成長したヴァンダウェイを獲得するため、ポートランド・トレイルブレイザーズは3選手と2つのドラフト指名権を放出。
1984年に大型トレードでブレイザーズへ移籍した。
移籍後もエースとして活躍を続け、1986-87シーズンにはリーグ5位となる平均26.9得点に加え、リーグトップの3ポイントシュート成功率48.1%を記録した。
しかし翌シーズンは故障で37試合の出場にとどまり、先発の座をジェローム・カーシーに譲ると、1989年にトレードでニューヨーク・ニックスへ移籍した。
ニックスでも故障に苦しんだが、32歳を迎えた1990-91シーズンには75試合に出場し、パトリック・ユーイングに次ぐチーム2位の平均16.3得点を記録。
その後2シーズンをプレーし、1993年に現役を引退した。
父アーニー・ヴァンダウェイと叔父メル・ハッチンスはともにプロバスケットボール選手で、ハッチンスは4度のオールスター出場を果たしている。
また、姪のココ・ヴァンダウェイはプロテニス選手として活躍している。
25.ジェフ・ルーランド

Jeff Ruland
出身校:アイオナ大学
ポジション:C、PF
所属チーム:WSB(1981~1986)→PHI(1986~1987、1991~1992)→DET(1992~1993)
キャリア平均:17.4PPG、10.2RPG、3.0APG、.564FG%
オールスター出場:2回(1984~1985)
ドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズから指名を受けたが、NBAではプレーせずスペインのプロリーグへ渡る。
ウォリアーズはルランドの交渉権をワシントン・ブレッツへトレードし、1981年にNBAへ復帰したルランドはブレッツでNBAキャリアをスタートさせた。
1年目は控えながら全82試合に出場し、チーム2位となる平均14.4得点、チームトップの平均9.3リバウンドを記録した。
先発に定着した3年目には平均22.2得点、12.3リバウンド、FG成功率57.9%を記録し、初のオールスターに選出されるなどチームの中心選手へと成長する。
翌シーズンもオールスターに選出されたが故障のため出場できず、その後も長期離脱を繰り返したことで全盛期は短く終わり、1987年に現役を引退した。
その後4年間リーグを離れていたが、1991年に5年ぶりの現役復帰を果たし、2シーズンで計24試合に出場した。
35.リック・マホーン

Rick Mahorn
出身校:ハンプトン大学
ポジション:PF、C
所属チーム:WSB(1980~1985)→DET(1985~1989)→PHI(1989~1991)、NJN(1992~1996)→DET(1996~1999)→PHI(1999)
キャリア平均:6.9PPG、6.2RPG、1.0APG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回
激しいフィジカルプレーと容赦ないディフェンスで相手ビッグマンを苦しめたNBA屈指のディフェンダー。
一方で、リーグ屈指のダーティープレーヤーとしても知られ、デトロイト・ピストンズでは「バッドボーイズ」の象徴的存在として恐れられた。
ワシントン・ブレッツに入団し、2年目に先発へ定着すると、平均12.2得点、8.9リバウンドを記録。
以降はローポストの名ディフェンダーとして活躍した。
1985年にデトロイト・ピストンズへ移籍すると、リーグ中の選手から恐れられた「バッドボーイズ」の中心メンバーとしてチームを支え、1988-89シーズンにはチーム初優勝に大きく貢献した。
激しいプレースタイルから対戦相手には嫌われる存在だった一方で、その闘志あふれる姿勢はファンから高い人気を集めた。
58.カート・ランビス

Kurt Rambis
出身校:サンタクララ大学
ポジション:PF
所属チーム:LAL(1981~1988)→CHH(1988~1989)→PHO(1989~1992)→SAC(1992~1993)→LAL(1993~1995)
キャリア平均:5.2PPG、5.6RPG、1.1APG、.534FG%
黒縁メガネがトレードマークで、『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントを思わせる風貌から「スーパーマン」のニックネームで親しまれた。
泥臭く全力でボールを追い続ける献身的なプレーでファンから絶大な人気を集め、ロサンゼルス・レイカーズの「ショータイム」を陰で支えた名脇役として知られている。
レイカーズでは主にバックアップとしてプレーし、1980年代の黄金時代に4度の優勝へ貢献した。
1988年にフェニックス・サンズへ移籍した後、1989年のエクスパンション・ドラフトで創設間もないシャーロット・ホーネッツへ加入すると、それまでのキャリアで最も多くの出場時間を得て、1989-90シーズンにはキャリアハイとなる平均11.1得点、9.4リバウンドを記録した。



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