
主なドラフト選手
1.ジェームズ・ウォージー

James Worthy
出身校:ノースカロライナ大学
ポジション:SF、PF
所属チーム:LAL(1982~1994)
キャリア平均:17.6PPG、5.1RPG、3.0APG、1.1SPG、.521FG%
個人賞:Finals MVP(1987-1988)
ALL TEAM:All-NBA 3rd 2回
オールスター出場:7回(1986~1992)
優れた身体能力とスピードを武器に、豪快な速攻と大舞台での勝負強さでレイカーズ黄金時代を支えた名スモールフォワード。
華やかなスター選手が揃うチームの中でも常に勝利に直結する活躍を見せ、重要な試合になるほど真価を発揮したことから、「ビッグ・ゲーム・ジェームズ」の異名で親しまれた。
ノースカロライナ大学ではマイケル・ジョーダンやサム・パーキンスらとともにプレーし、エースとして1982年のNCAAトーナメント優勝に貢献。
決勝ではMOP(最優秀選手)にも選ばれ、大きな注目を集めてロサンゼルス・レイカーズへ入団した。
入団当初はジャマール・ウィルクスの控えとして経験を積んだが、年々出場時間を伸ばし、3年目には先発へ定着。
ショータイム・レイカーズの速攻では常に先頭を駆け抜け、高々とボールを掲げて叩き込む「リバティー・ダンク」をトレードマークに、観客を魅了した。
1985-86シーズンには平均20.0得点、5.2リバウンドを記録し、初のオールスターに選出。
以降もマジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバーらとともにレイカーズ黄金時代の中心選手として活躍し、チームの5度の優勝に大きく貢献した。
特に大舞台での強さは群を抜いており、その異名を決定づけたのが1988年のNBAファイナル第7戦だった。
優勝が懸かった大一番で36得点、16リバウンド、10アシストのトリプルダブルを記録し、レイカーズを優勝へ導く圧巻のパフォーマンスでファイナルMVPを受賞している。
1994年に現役を引退するまで12シーズンすべてをレイカーズで過ごし、背番号「42」はチームの永久欠番となった。
2003年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。
2.テリー・カミングス

Terry Cummings
出身校:デポール大学
ポジション:PF、SF
所属チーム:SDC(1982~1984)→MIL(1984~1989)→SAS(1989~1995)→MIL(1995~1997)→SEA(1997)→PHI(1997~1998)→NYK(1998~1999)→GSW(1999~2000)
キャリア平均:16.4PPG、7.3RPG、1.9APG、1.1SPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:2回(1985、1989)
力強いポストプレーと安定した得点力を武器に、80年代を代表するパワーフォワードとして活躍。
毎年のように20得点前後を記録する高い得点能力を誇り、長年にわたってチームの中心選手を務めた実力派として知られている。
サンディエゴ・クリッパーズに入団すると、1年目から平均23.7得点、10.6リバウンドを記録し、新人王を受賞。
リーグ屈指の若手フォワードとして鮮烈なデビューを飾った。
その後はミルウォーキー・バックスへ移籍し、シドニー・モンクリーフやポール・プレッシーらとともに東地区屈指の強豪を支える中心選手として活躍。
さらにサンアントニオ・スパーズでも主力を務め、デビューから10シーズンのうち7シーズンで平均20得点以上を記録するなど、リーグを代表するフォワードとして安定した成績を残した。
しかし、1992-93シーズンに膝を故障してシーズンの大半を欠場すると、この怪我を境に全盛期の爆発的な得点力は失われ、その後は平均得点が2桁に届くこともなくなった。
それでも豊富な経験を生かして控えとしてチームに貢献し続け、衰えを受け入れながら現役生活を継続。
2000年に引退するまで18シーズンにわたりNBAでプレーし、息の長いキャリアを築いた。
2001年には通算18,000得点、9,000リバウンド以上を記録した実績が評価され、ミルウォーキー・バックスは背番号「34」を永久欠番としている。
3.ドミニク・ウィルキンス

Dominique Wilkins
出身校:ジョージア大学
ポジション:SF
所属チーム:ATL(1982~1994)→LAC(1994)→BOS(1994~1995)、SAS(1996~1997)、ORL(1999)
キャリア平均:24.8PPG、6.7RPG、2.5APG、1.3SPG
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 4回、All-NBA 3rd 2回
オールスター出場:9回(1986~1994)
圧倒的な身体能力と豪快なダンクを武器に、80年代NBAを代表するスコアラーとして活躍。
爆発的な得点力に加え、リングへ向かって一直線に飛び込むダイナミックなプレーは多くのファンを魅了し、「ヒューマン・ハイライト・フィルム」の愛称で親しまれた。
歴代最高のダンカーの一人としても高く評価されている。
ドラフトではユタ・ジャズから全体3位で指名されたが、開幕前のトレードでアトランタ・ホークスへ移籍。
1年目から全82試合に先発出場し、翌シーズンからは11年連続で平均20得点以上を記録するなど、リーグ屈指のフォワードへと成長した。
1985-86シーズンには平均30.3得点で初の得点王を獲得。
翌シーズンからはマイケル・ジョーダンが7年連続で得点王を独占したため、ウィルキンスは「ジョーダンに勝った最後の男」として語られることも多い。
また、オールスターのスラムダンクコンテストではジョーダンとの名勝負を幾度も繰り広げ、とりわけ1988年大会の決勝は史上最高のダンクコンテストの一つとして現在も語り継がれている。
ウィルキンスの成長とともにホークスも東地区屈指の強豪となり、1985-86シーズンから5シーズン連続で50勝以上を記録。
優勝候補として毎年プレーオフを戦うチームへと成長した。
90年代に入るとやや停滞したものの、1993-94シーズンにレニー・ウィルケンズがヘッドコーチに就任すると、ホークスはリーグ首位を争う快進撃を見せる。
ウィルキンスにとって悲願の優勝が最も現実味を帯びたシーズンだったが、球団は将来を見据え、シーズン途中にチームの象徴でもあったウィルキンスをロサンゼルス・クリッパーズへ電撃トレードした。
シーズン終了後にクリッパーズを退団すると、その後はセルティックスやスパーズなどでプレーしたほか、ヨーロッパでも活躍。
ギリシャでは得点王にも輝くなど衰えぬ得点能力を見せ、1999年に現役を引退した。
背番号「21」はホークスの永久欠番となり、2006年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。
弟のジェラルド・ウィルキンスはニューヨーク・ニックスなどで活躍した元NBA選手であり、甥のダミアン・ウィルキンスもNBAでプレーした。
6.トレント・タッカー

Trent Tucker
出身校:ミネソタ大学
ポジション:SG
所属チーム:NYK(1982~1991)→SAS(1992)→CHI(1992~1993)
キャリア平均:8.2PPG、2.0RPG、2.0APG、.408 3P%
正確なアウトサイドシュートを武器としたシューティングガード。
高い3ポイントシュート成功率と勝負どころでの冷静なプレーを持ち味とし、ベンチから試合の流れを変えるシックスマンとして活躍した。
デビューから9シーズンをニューヨーク・ニックスで過ごし、主にベンチからの得点源としてチームに貢献した。
1986-87シーズンにはキャリアハイとなる平均11.4得点を記録し、安定したシュート力でニックスのバックコートを支えた。
1990年、シカゴ・ブルズとのプレーオフで残り0.1秒から劇的な決勝ブザービーターを決める。
しかし、このシュートを巡って「本当に時間内にボールを放したのか」が大きな議論となり、NBAは後に「残り0.3秒未満では、インバウンズからのプレーはダンクまたはタップシュートのみ有効」とするルールを制定した。
この規定は現在でも「トレント・タッカー・ルール」として知られ、NBAルール史に名を残している。
1991年にサンアントニオ・スパーズへ移籍すると、ベテランシューターとしてプレーオフ進出に貢献。
その後はシカゴ・ブルズでもプレーし、1993年には控えとしてチャンピオンリングを獲得した。
1994年に現役を引退した後は、ミネソタ州選出の上院議員を務めるなど、政界でも活動している。
8.クラーク・ケロッグ

Clark Kellogg
出身校:オハイオ州立大学
ポジション:PF
所属チーム:IND(1982~1987)
キャリア平均:18.9PPG、9.5RPG、2.9APG、1.5SPG
恵まれた体格と高い運動能力を兼ね備えたパワーフォワード。
豪快なダンクと力強いリバウンドを武器に攻守で存在感を発揮し、「スペシャルK」の愛称で親しまれた。
インディアナ・ペイサーズに入団すると、1年目から平均20.1得点、10.6リバウンドを記録。
新人ながらチームの大黒柱として活躍し、オールルーキー1stチームに選出されるとともに、新人王投票では2位となった。
その後もペイサーズの主力として安定した成績を残し、将来を嘱望されるビッグマンだったが、慢性的な膝の故障に悩まされ続ける。
度重なる手術とリハビリを経ても本来の動きを取り戻すことはできず、1987年、わずか5シーズンというあまりにも短い現役生活に終止符を打った。
引退後は解説者へ転身し、CBSスポーツのNBAおよびNCAAバスケットボール中継で長年にわたり人気アナリストとして活躍している。
11.ファット・リーバー

Fat Lever
出身校:アリゾナ州立大学
ポジション:PG、SG
所属チーム:POR(1982~1984)→DEN(1984~1990)→DAL(1990~1994)
キャリア平均:13.9PPG、6.0RPG、6.2APG、2.2SPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:2回(1988、1990)
本名はラファイエット・リーバー。
得点・リバウンド・アシスト・スティールのすべてで高い能力を発揮したオールラウンドなポイントガードで、トリプルダブルを量産した1980年代を代表する万能選手のひとりとして知られる。
ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、1年目は先発と控えを行き来しながら平均7.8得点、5.3アシスト、1.9スティールを記録した。
1984年にデンバー・ナゲッツへ移籍すると、不動の司令塔として起用され、移籍1年目から平均12.8得点、7.5アシスト、2.5スティールをマーク。
チームの中心選手へと成長すると、191cm、77kgという細身の体格ながら優れた読みとポジショニングでリバウンドにも抜群の強さを発揮し、1986-87シーズンには平均18.9得点、8.9リバウンド、8.0アシスト、2.5スティールとシーズン平均トリプルダブルに迫る驚異的な成績を残した。
さらに1988-89シーズンには平均19.8得点、9.3リバウンド、7.9アシスト、2.7スティールを記録。
ガードでありながらチーム最多リバウンドを記録するなど、リーグ屈指のオールラウンドプレーヤーとして活躍し、2度のオールスター出場を果たした。
1990年にナゲッツを離れた後は故障に苦しみ、ダラス・マーベリックスなどでプレーしたものの全盛期の輝きを取り戻すことはできず、1994年に現役を引退した。
通算43回のトリプルダブルは、引退当時歴代2位の記録であり、現在でもNBA史に名を残す万能ガードのひとりに数えられている。
背番号「12」はナゲッツの永久欠番となっている。
13.スリーピー・フロイド

Sleepy Floyd
出身校:ジョージタウン大学
ポジション:PG、SG
所属チーム:NJN(1982~1983)→GSW(1983~1987)→HOU(1987~1993)→SAS(1993~1994)→NJN(1994~1995)
キャリア平均:12.8PPG、2.6RPG、5.4APG、1.2SPG
オールスター出場:1回(1987)
本名はエリック・オーガスタス・フロイド。
眠たそうな表情から「スリーピー」の愛称で親しまれたが、コートでは爆発的な得点力と優れたゲームメークを兼ね備えた攻撃型ポイントガードとして活躍した。
ヒューストン・ロケッツに入団し、デビューから3シーズンをプレーした後、1983年にゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍。
ウォリアーズでは司令塔として才能を開花させ、得点とアシストの両面でチームを牽引した。
1986-87シーズンには平均18.8得点、10.3アシストを記録し、自身唯一となるシーズン・ダブルダブルを達成すると、リーグ屈指のポイントガードとしてオールスターにも選出された。
同シーズンのプレーオフでは、王者ロサンゼルス・レイカーズとのカンファレンス準決勝第4戦で歴史的なパフォーマンスを披露。
後半だけで39得点、第4クォーターだけで29得点を叩き出し、最終的に51得点を記録した。
この第4クォーター29得点は、現在もNBAプレーオフ史上1クォーター最多得点記録となっている。
1990年にウォリアーズを離れた後はヒューストン・ロケッツ、サンアントニオ・スパーズ、ニュージャージー・ネッツでプレーし、1993年に現役を引退した。
18.リッキー・ピアース

Ricky Pierce
出身校:ライス大学
ポジション:SG、PG
所属チーム:DET(1982~1983)→SDC(1983~1984)→MIL(1984~1991)→SEA(1991~1994)→GSW(1994~1995)→IND(1995~1996)→DEN(1996~1997)→CHH(1997)→MIL(1997~1998)
キャリア平均:14.9PPG、2.4RPG、1.9APG
個人賞:Sixth Man of the Year2回(1986-1987、1989-1990)
オールスター出場:1回(1991)
16シーズンに及ぶキャリアの大半をシックスマンとして過ごし、ミドルレンジからのジャンプシュートと鋭いドライブを武器に、ベンチから試合の流れを一変させるスコアラーとして活躍した。
ミルウォーキー・バックスでの1986-87シーズンに初のシックスマン賞を受賞。
1989-90シーズンに出場した59試合すべてで控えとしてプレーしながら、チームトップとなる平均23.0得点を記録して2度目のシックスマン賞を受賞した。
翌1990-91シーズンには自身初となるオールスターに選出され、リーグ屈指の得点力を持つシックスマンとして高い評価を受けた。
1991年にシアトル・スーパーソニックスへ移籍すると、1991-92シーズンは先発として起用され、チームトップの平均21.7得点を記録。
以降も安定した得点力でチームを支え、1994年にはゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍した。
キャリア終盤はインディアナ・ペイサーズやデンバー・ナゲッツでもプレーし、1998年に現役を引退。
通算18,000得点以上を記録しながら、キャリアを通じてほとんどを控え選手として過ごした、NBA史を代表するシックスマンのひとりとして知られている。
20.ポール・プレッシー

Paul Pressey
出身校:タルサ大学
ポジション:SG、SF
所属チーム:MIL(1982~1990)→SAS(1990~1992)→GSW(1992~1993)
キャリア平均:10.6PPG、3.9RPG、5.1APG、1.4SPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 2nd 1回
優れたパスセンスと高いディフェンス能力を兼ね備えたオールラウンドプレーヤー。
フォワードでありながらゲームメークを担う「ポイントフォワード」の先駆者として知られている。
ミルウォーキー・バックスに入団し、3年目に先発へ定着すると、平均16.1得点、5.4リバウンド、6.8アシストを記録。
得点だけでなく、味方を生かすプレーでも才能を発揮し、チームの中心選手へと成長した。
翌1985-86シーズンにはフォワードながらチームトップとなる平均7.8アシストを記録し、「ポイントフォワード」という新しいスタイルを確立。
高いバスケットボールIQを生かしたゲームメークに加え、卓越したディフェンス力でも評価され、オールディフェンシブ1stチームに2度、2ndチームに3度選出されるなど、攻守両面で強豪バックスを支えた。
1989年にサクラメント・キングスへ移籍した後は、ゴールデンステイト・ウォリアーズやインディアナ・ペイサーズでもプレーし、1994年に現役を引退した。
息子のフィル・プレッシーも2013年にNBAデビューを果たした。
48.クレイグ・ホッジス

Craig Hodges
出身校:カリフォルニア大学ロングビーチ校
ポジション:SG、PG
所属チーム:SDC(1982~1984)→MIL(1984~1988)→PHO(1988)→CHI(1988~1992)
キャリア平均:8.5PPG、1.3RPG、2.5APG、.400 3P%
ドラフト下位指名ながらサンディエゴ・クリッパーズでは1年目から先発に起用される機会も多く、平均10得点前後を記録するシューターとして存在感を示した。
1986年にミルウォーキー・バックスへ移籍すると、1987-88シーズンからは控えとして起用されるようになったが、スポットシューターとして驚異的なスリーポイント成功率を誇り、ベンチからチームに大きく貢献した。
1988年にシカゴ・ブルズへ移籍すると、マイケル・ジョーダンらを支えるベンチメンバーとして活躍し、1991年と1992年の2連覇に貢献。リーグを代表するシューターとして知られた。
オールスター・スリーポイントシュートコンテストでは圧倒的な強さを発揮し、1990年から1992年まで史上初の3連覇を達成。
1991年大会では歴代最高となる19本連続成功という驚異的な記録も打ち立てた。
1992年にブルズを退団した後はNBAでプレーする機会に恵まれず、そのまま現役を引退した。
72.マーク・イートン

Mark Eaton
出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション:C
所属チーム:UTA(1982~1993)
キャリア平均:6.0PPG、7.9RPG、1.0APG、3.5BPG
個人賞:Defensive Player of the Year2回(1984-1985、1988-1989)
ALL TEAM:All-Defensive 1st 3回、All-Defensive 2nd 2回、
オールスター出場:1回(1989)
224cmの長身を生かした圧倒的なブロック力でゴール下を支配した守備のスペシャリスト。
NBA史上屈指のショットブロッカーとして知られ、ディフェンスだけで試合の流れを変えられる存在だった。
高校卒業後は自動車整備工として3年間働き、その後名門UCLAへ編入学。異色の経歴を経てNBA入りを果たした。
ユタ・ジャズでは2年目から先発に定着し、得点能力こそ高くなかったものの、圧倒的なサイズと守備力でゴール下を支えた。
1984-85シーズンには平均9.7得点、11.3リバウンドに加え、平均5.6ブロックという驚異的な数字を記録して初のブロック王を獲得。
この数字は2位のアキーム・オラジュワンの約2倍という圧倒的なものだった。
1988-89シーズンにはカール・マローン、ジョン・ストックトンとともにジャズ躍進の原動力となり、自身初のオールスターに選出。
シーズン終了後には2度目の最優秀守備選手賞(DPOY)を受賞し、リーグ最高のディフェンダーとしての評価を確立した。
デビューから引退まで11シーズンをジャズ一筋でプレーし、1993年に現役を引退。
背番号「53」はジャズの永久欠番となっている。
キャリア通算平均3.5ブロックは現在もNBA史上最高記録であり、通算3,064ブロックは歴代上位に位置するなど、NBA史に名を刻むリムプロテクターとして語り継がれている。
2021年に64歳で死去した。



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