
主なドラフト選手
1.シャキール・オニール

Shaquille O’Neal
出身校:ルイジアナ州立大学
ポジション:C
所属チーム:ORL(1992~1996)→LAL(1996~2004)→MIA(2004~2008)→PHO(2008~2009)→CLE(2009~2010)→BOS(2010~2011)
キャリア平均:23.7PPG、10.9RPG、2.5APG、2.3BPG、.582FG%
個人賞:Rookie of the Year、MVP(1999-2000)、Finals MVP3回(1999-2000、2000-2001、2001-2002)、All-Star Game MVP3回(2000、2004、2009)
ALL TEAM:All-NBA 1st 8回、All-NBA 2nd 2回、All-NBA 3rd 4回、All-Defensive 2nd 3回
オールスター出場:15回(1993~1998、2000~2007、2009)
「シャック」の愛称で親しまれ、オーランド・マジックに入団した1年目から破壊的なパワーと、その巨体からは想像できないスピードを武器に、「シャック・アタック」と呼ばれた豪快なダンクでリーグを席巻した。
1年目は平均23.4得点、13.9リバウンド、3.5ブロックの活躍で新人王を受賞。
2年目にはチームを創設以来初のプレーオフ進出へ導くなど、瞬く間にリーグを代表するセンターとなった。
キャリアを重ねるごとにオフェンスの幅を広げ、ドリブルやパスにも高いセンスを発揮するなど、完成度の高い史上屈指のセンターとして君臨する。
1996年のアトランタオリンピックではドリームチームⅢのメンバーとして金メダルを獲得し、さらに大会期間中にロサンゼルス・レイカーズへの移籍を公表してリーグを騒然とさせた。
1999-2000シーズンには平均29.7得点、13.6リバウンド、3.8アシスト、3.0ブロック、FG成功率57.4%を記録し、レギュラーシーズンMVP、オールスターMVP、ファイナルMVPを独占。
レイカーズを1988年以来となる優勝へ導き、自身初のチャンピオンリングを獲得した。
続く2001年、2002年もファイナルを制し、レイカーズをミネアポリス時代以来となる3連覇へ導く。
しかし、ともに黄金時代を築いたコービー・ブライアントとの関係は次第に悪化し、2004年にマイアミ・ヒートへ移籍した。
ヒートではドゥエイン・ウェイドとの強力なコンビでチームを牽引し、2006年には球団史上初となるNBA優勝に大きく貢献した。
その後もフェニックス・サンズ、クリーブランド・キャバリアーズ、ボストン・セルティックスでプレーし、2011年に現役引退を表明した。
史上唯一となる13シーズン連続平均20得点・10リバウンド以上を達成し、数々のNBA記録やチーム記録を打ち立てた。
全盛期にはインサイドで止める術がないほどの支配力を誇り、NBA史上最高のセンターの一人として評価されている。
一方で最大の弱点はフリースローであり、相手チームは故意にファウルをしてフリースローを打たせる「ハック・ア・シャック」と呼ばれる戦術を多用した。
フリースロー成功率がキャリア平均52.7%だったのに対し、10度リーグトップとなったFG成功率は58.2%を記録している。
背番号「34」がレイカーズで、背番号「32」がマジックとヒートで永久欠番となっている。
2016年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
2.アロンゾ・モーニング

Alonzo Mourning
出身校:ジョージタウン大学
ポジション:C、PF
所属チーム:CHH(1992~1995)→MIA(1995~2003)→NJN(2003~2004)→MIA(2005~2008)
キャリア平均:17.1PPG、8.5RPG、1.1APG、2.8BPG、.527FG%
個人賞:Defensive Player of the Year2回(1998-1999、1999-2000)
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 2回
オールスター出場:7回(1994~1997、2000~2002)
愛称は「ゾー」。
208cmの身長はセンターとして決して高い方ではなかったが、鍛え上げられた肉体でフィジカル面では相手を圧倒し、ミドルレンジからのシュートも高い精度で決めることができた。
また、最優秀守備選手賞に2度選ばれるなどディフェンス面での評価は非常に高く、攻守両面でインサイドを支配できる存在として、同期のシャキール・オニールとともにリーグを代表するセンターとして活躍した。
シャーロット・ホーネッツでは1年目から平均21.0得点、10.3リバウンド、3.5ブロックを記録してオールスターに選出され、創設間もないチームを初のプレーオフ進出へ導く。
ラリー・ジョンソンとのコンビは将来を期待されたが、両者の確執もあって1995年にマイアミ・ヒートへトレードされた。
ヒートでは名将パット・ライリーのもとでリーグ屈指のディフェンダーへと成長し、1998-99シーズンには平均20.1得点、11.0リバウンド、3.9ブロックを記録。
初のブロック王に輝くとともに、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選出され、最優秀守備選手賞も受賞した。
翌1999-2000シーズンにも最優秀守備選手賞を受賞し、リーグ最高峰のセンターとして不動の地位を築く。
2000年にはアメリカ代表としてシドニーオリンピックに出場し、金メダルを獲得。
まさに全盛期を迎えていたが、大会終了後に腎臓の疾患を患っていることが判明し、突如として選手生命の危機に直面する。
モーニングは腎臓移植手術を決断し、一時は現役続行も危ぶまれたが、シーズン終盤に奇跡的な復帰を果たした。
しかし、以前のようなプレーを継続することは難しく、その後は引退と復帰を繰り返すことになる。
2005年に古巣ヒートへ復帰すると、長年ライバルとして競い合ってきたシャキール・オニールとチームメイトとなり、バックアップセンターとしてチームを支えた。
2006年のNBAファイナル第6戦では5ブロックを記録するなど往年の存在感を発揮し、ヒート初優勝に大きく貢献している。
2009年に現役引退を表明し、背番号「33」はヒート史上初の永久欠番となった。
2014年にバスケットボール殿堂入りを果たした。
3.クリスチャン・レイトナー

Christian Laettner
出身校:デューク大学
ポジション:PF、C
所属チーム:MIN(1992~1996)→ATL(1996~1999)→DET(1999~2000)→DAL(2000~2001)→WAS(2001~2004)→MIA(2004~2005)
キャリア平均:12.8PPG、6.7RPG、2.6APG、1.1SPG
オールスター出場:1回(1997)
カレッジバスケットボール界を代表するスター選手として名を馳せ、デューク大学ではNCAAトーナメント2連覇を達成。
1992年のバルセロナオリンピックでは、NBAスターで構成された”ドリームチーム”の中で唯一の大学生選手として選出され、金メダル獲得に貢献した。
1992年のNBAドラフトではシャキール・オニール、アロンゾ・モーニングに次ぐ全体3位でミネソタ・ティンバーウルブズへ入団。
フランチャイズプレーヤーとして大きな期待を背負い、ルーキーイヤーにキャリアハイとなる平均18.2得点を記録した。
しかし、その後は同期のオニールやモーニングがリーグを代表するスター選手として注目される一方で、レイトナーは期待されたほどの成長を遂げられなかった。
身長211cmの体格に3Pシュートまで打てる広いシュートレンジと、戦術理解度の高さに定評があったが、大学時代の華々しいキャリアから一転、負けの込む弱小チームでの環境に対応できず、コート内外での傲慢な態度や「扱いづらさ」がチームメイトからも問題視されていった。
1995年に高卒ルーキーのケビン・ガーネットが入団すると、チームはガーネットを未来のフランチャイズプレイヤーとして据えることを決断する。
レイトナーはこれに公然と不満を示し、タイムアウト中にガーネットと激しい口論を起こすなど衝突を繰り返す。
当時のGMだったケビン・マクヘイルは、チームの役割を受け入れられないレイトナーに見切りをつけ、1995-96シーズンの途中にトレードでアトランタ・ホークスへ放出される。
結果的にこれが転機となり、実力者の揃うホークスでは自身の役割に集中し、堅実なインサイドプレーヤーとして評価を高めていく。
1996-97シーズンには平均18.1得点、8.8リバウンドを記録してチームの躍進に貢献するとともに、キャリア唯一となるNBAオールスターゲームに選出された。
しかし、1998-99シーズンにアキレス腱断裂の重傷を負うと、それまでの運動能力を取り戻すことはできず、以降は出場時間が減少。
キャリア最終年を過ごしたマイアミ・ヒートでは、ドラフトで先に指名されたシャキール・オニール、そしてアロンゾ・モーニングとチームメイトになり、2005年に現役を引退した。
引退後は自身のバスケットボールアカデミーを運営し、若手の育成や指導に携わる一方で、不動産ビジネスにも進出している。
4.ジム・ジャクソン

Jim Jackson
出身校:オハイオ州立大学
ポジション:SF、SG
所属チーム:DAL(1992~1997)→NJN(1997)→PHI(1997~1998)→GSW(1998)→POR(1998~1999)→ATL(1999~2001)→CLE(2001)→MIA(2001~2002)→SAC(2002~2003)→HOU(2003~2004)→PHO(2005~2006)→LAL(2006)
キャリア平均:14.3PPG、4.7RPG、3.2APG
低迷期のダラス・マーベリックスに入団すると、ルーキーイヤーから平均16.3得点、4.4リバウンド、4.7アシストを記録するなど高い能力を発揮したが、契約交渉のもつれから28試合の出場にとどまり、チームも11勝71敗でリーグ最低勝率に終わった。
翌1993-94シーズンは全82試合に先発出場し、新人のジャマール・マッシュバーンとともに若きスコアラーとしてチームを牽引。
チーム成績こそ振るわなかったものの、その得点能力はリーグでも高く評価された。
翌1994-95シーズンにはドラフト全体2位で加入したジェイソン・キッドが加わり、ジャクソン、マッシュバーンとのトリオ「Three J’s」がリーグを席捲する。
ジャクソン自身は故障でシーズン終盤を欠場したものの、1試合50得点を記録するなど平均25.7得点をマークし、チームも36勝46敗と前年から23勝も勝ち星を伸ばしたことから、マーベリックス復活の象徴として大きな期待を集めた。
しかし、キッドとの私生活を巡る確執をはじめ、チーム内の不和や故障者の続出によって「Three J’s」はわずか数年で全員がチームを放出される事態に発展する。
ジャクソンも1997年にニュージャージー・ネッツへトレードされ、その後も数多くのチームを転々と渡り歩くジャーニーマンの一人として知られるようになった。
それでも安定した得点力と豊富な経験を武器に、2006年までの長きわたって第一線でプレーを続けた。
5.ラフォンゾ・エリス

LaPhonso Ellis
出身校:ノートルダム大学
ポジション:PF、SF
所属チーム:DEN(1992~1998)→ATL(1998~2000)→MIN(2000~2001)→MIA(2001~2003)
キャリア平均:11.9PPG、6.5RPG、1.6APG
デンバー・ナゲッツに入団すると、ルーキーイヤーから平均14.7得点、9.1リバウンド、1.4ブロックを記録。
恵まれた身体能力とオールラウンドなプレーで将来を嘱望され、その才能はチャールズ・バークリーから「未来のパワーフォワードを見た」と称賛されるほどだった。
2年目にはナゲッツのプレーオフ進出に貢献し、チームは第8シードから第1シードのシアトル・スーパーソニックスを破る歴史的なアップセットを達成。
このシリーズではチームトップとなる平均16.0得点を記録し、続くカンファレンス・セミファイナルでは強豪ユタ・ジャズを相手に最終戦までもつれこむ激戦を演じる。
惜しくもカンファレンス・ファイナル進出はならなかったものの、エリスとチームの未来は明るいように思われた。
しかし、翌1994-95シーズンは左ひざの重傷で6試合の出場に終わり、チームも徐々に勢いを失っていく。
それでも懸命なリハビリを経て復活を果たし、1996-97シーズンにはキャリアハイとなる平均21.9得点を記録。
一時は本来の実力を取り戻したものの、その後も故障との戦いが続き、全盛期を長く維持することはできなかった。
1998年にナゲッツを離れてからは主にシックスマンとしてプレーし、2003年に現役を引退した。
6.トム・ググリオッタ

Tom Gugliotta
出身校:ノースカロライナ州立大学
ポジション:PF、SF
所属チーム:WSB(1992~1994)→GSW(1994~1995)→MIN(1995~1998)→PHO(1998~2004)→UTA(2004)→BOS(2004~2005)→ATL(2005)
キャリア平均:13.0PPG、7.3RPG、2.8APG、1.4SPG
オールスター出場:1回(1997)
愛称は「グーグス」。
ワシントン・ブレッツに入団すると、ルーキーイヤーから主力として活躍。
2年目には平均17.1得点、9.3リバウンド、3.5アシスト、2.2スティールを記録し、得点、リバウンド、パス、ディフェンスを高いレベルでこなす万能型フォワードとして将来を嘱望された。
しかし、1994-95シーズン開幕直後にクリス・ウェバーとの大型トレードでゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍すると、チームのアップテンポなスタイルに馴染めず不振に陥る。
シーズン途中にミネソタ・ティンバーウルブズへ再びトレードされると徐々に調子を取り戻し、若いチームを支える中心選手として再び輝きを放った。
1996-97シーズンには平均20.6得点、8.7リバウンド、4.1アシストを記録し、得点とリバウンドでチームトップの成績をマーク。
ケビン・ガーネット、ステフォン・マーブリーらとともにチーム史上初となるプレーオフ進出の原動力となり、自身もキャリア唯一となるNBAオールスターゲームに選出された。
1998年には、ガーネットとの大型契約によってサラリーキャップに余裕がなくなったティンバーウルブズを離れ、フェニックス・サンズへ移籍。
ジェイソン・キッドとのコンビも機能し、移籍1年目からチームトップとなる平均17.0得点、8.9リバウンドを記録するなど、主力フォワードとして活躍を続けた。
その実績が評価され、2000年シドニーオリンピックのアメリカ代表にも選出されたものの、故障のため出場を辞退。
復帰後は度重なる故障の影響で全盛期のパフォーマンスを取り戻すことができず、徐々に出場機会を減らしていくと2005年に現役を引退した。
9.クラレンス・ウェザースプーン

Clarence Weatherspoon
出身校:サザンミシシッピ大学
ポジション:PF、SF
所属チーム:PHI(1992~1998)→GSW(1998~1999)→MIA(1999~2000)→CLE(2000~2001)→NYK(2001~2003)→HOU(2003~2005)
キャリア平均:11.5PPG、7.5RPG、1.5APG、1.0SPG
フィラデルフィア・76ersに入団すると、198cmとパワーフォワードとしては小柄ながら、屈強な肉体を武器にインサイドで存在感を発揮。
前シーズンまでチームのエースだったチャールズ・バークリーを思わせるプレースタイルから、「ベイビー・バークリー」の愛称で親しまれた。
2年目の1993-94シーズンにはキャリアハイとなる平均18.4得点、10.1リバウンドを記録し、得点とリバウンドの両部門でチームトップの成績を残す。
このシーズンは得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックのすべてでシーズン100以上を記録したリーグ5人のうちの一人となり、そのオールラウンドな能力を証明した。
しかし、同じ5人に名を連ねたアキーム・オラジュワン、デビッド・ロビンソン、ショーン・ケンプ、クリフォード・ロビンソンとは対照的に、オールスターには選出されなかった。
その後も安定した成績を残していたが、ジェリー・スタックハウス、アレン・アイバーソンら若いスコアラーの加入によって役割が変化。
チームとの方向性の違いもあり、1997-98シーズン途中にゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされた。
移籍後は先発よりもベンチから起用される機会が増え、得点成績は徐々に下降したものの、リバウンドやディフェンス、泥臭いプレーでチームに貢献するロールプレーヤーとして息の長いキャリアを築いた。
11.ロバート・オーリー

Robert Horry
出身校:アラバマ大学
ポジション:PF、SF
所属チーム:HOU(1992~1996)→PHO(1996~1997)→LAL(1997~2003)→SAS(2003~2008)
キャリア平均:7.0PPG、4.8RPG、2.1APG、1.0SPG
ヒューストン・ロケッツに入団し、経験豊富な選手が揃うチームの中で1年目から先発を務め、平均10.1得点を記録した。
4年目の1995-96シーズンには平均12.0得点、5.8リバウンド、4.0アシスト、1.6スティール、1.5ブロックを記録。
攻守両面で高い能力を発揮するオールラウンドプレイヤーとして、「スコッティ・ピッペン2世」とも呼ばれ、チームの将来を担う存在として期待された。
しかし翌シーズン、チャールズ・バークリー獲得のためのトレード要員としてフェニックス・サンズへ移籍。
移籍直後、起用法を巡ってヘッドコーチのダニー・エインジにタオルを投げつける騒動を起こし、シーズン途中にロサンゼルス・レイカーズへ放出された。
レイカーズではベンチスタートが中心となり、得点も平均5〜6得点にとどまったが、大舞台では驚異的な勝負強さを発揮。
2002年のカンファレンス決勝第4戦でサクラメント・キングスを相手に試合終了間際の逆転スリーポイントを沈めるなど、数々のクラッチショットでチームの3連覇に大きく貢献した。
その勝負強さはサンアントニオ・スパーズ移籍後も変わらず、2005年のファイナル第5戦では延長終了間際に決勝スリーポイントを決めるなど、プレーオフの大一番で何度もチームを救う活躍を見せ、「ビッグ・ショット・ロブ」の異名で親しまれた。
異なる3つのチームで合計7個のチャンピオンリングを獲得し、これはNBA史上でも屈指の実績である。
また、プレーオフやファイナルにおけるスリーポイント成功数など、多くのポストシーズン記録を保持している。
俳優・ラッパーのウィル・スミスと容姿が似ていることでも知られている。
12.ハロルド・マイナー

Harold Miner
出身校:サザンカリフォルニア大学
ポジション:SG、PG
所属チーム:MIA(1992~1995)→CLE(1995~1996)
キャリア平均:9.0PPG、2.2RPG、1.2APG
大学時代は卓越した身体能力と多彩な得点パターンを武器に活躍し、そのプレースタイルから「ベイビー・ジョーダン」の異名で注目を集めた。
マイアミ・ヒートでは、垂直跳び122cmともいわれる驚異的な跳躍力を生かした豪快なダンクでファンを魅了し、1993年と1995年のスラムダンクコンテストで優勝。
リーグ屈指のダンカーとして高い人気を誇った。
しかし、レギュラーシーズンでは得点力を十分に発揮できず、膝の故障にも悩まされたことで出場機会は限られた。
期待されたほどの成長を遂げることはできず、わずか4シーズンで現役を引退した。
14.マリク・シーリー

Malik Sealy
出身校:セントジョンズ大学
ポジション:SF、SG
所属チーム:IND(1992~1994)→LAC(1994~1997)→DET(1997~1999)→MIN(1999~2000)
キャリア平均:10.1PPG、3.2RPG、1.7APG、1.1SPG
愛称は「レッドマン」。
インディアナ・ペイサーズでNBAデビューを果たし、2チーム目となるロサンゼルス・クリッパーズで頭角を現す。
1996-97シーズンにはキャリアハイとなる平均13.5得点を記録し、攻守にバランスの取れたウイングプレーヤーとして評価を高めた。
コート外でも多彩な才能を発揮し、映画に出演したほか、ネクタイをデザインする会社を経営するなど実業家としても活動。
その誠実な人柄からチームメイトや関係者の信頼も厚かった。
2000年、ミネソタ・ティンバーウルブズ在籍中に、ケビン・ガーネットの自宅で開かれた誕生日パーティーからの帰宅途中、飲酒運転の車との衝突事故により30歳の若さで他界した。
ガーネットは学生時代からシーリーに憧れ、NBAでは同じ背番号21を着用。
ブルックリン・ネッツ移籍後には、シーリーが最後に着けていた背番号2を選び、その功績に敬意を表した。
また、ティンバーウルブズは背番号「2」を球団史上初の永久欠番に制定し、今なおシーリーは球団を象徴する存在として語り継がれている。
17.ダグ・クリスティ

Doug Christie
出身校:ペパーダイン大学
ポジション:SG、SF
所属チーム:LAL(1992~1994)→NYK(1994~1996)→TOR(1996~2000)→SAC(2000~2005)→ORL(2005)→DAL(2005)→LAC(2007)
キャリア平均:11.2PPG、4.1RPG、3.6APG、1.9SPG
ALL TEAM: All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd 3回
キャリア初期は故障に苦しむシーズンを送り、出場時間にも恵まれなかったが、新興チームのトロント・ラプターズへの移籍を機に頭角を現した。
移籍1年目の1996-97シーズンに平均14.5得点、5.3リバウンド、3.9アシスト、2.5スティールを記録し、ポイントガードを任せられるほどのボールコントロールの良さと、高いディフェンス力で一躍注目選手となる。
翌1997-98シーズンには平均16.5得点を記録してチームの得点源としても活躍し、攻守両面でラプターズを支える中心選手へと成長した。
2000年にサクラメント・キングスへトレードされてからはリーグ屈指のディフェンダーとしてさらに評価を高め、クリス・ウェバー、ブラディ・ディバッツらとともに、美しいパスワークを武器としたキングス黄金期の中心選手として活躍した。
相手チームのエースを徹底マークするディフェンスに加え、速攻の先頭を走る運動量や高確率のアウトサイドシュートでもチームに貢献し、キングス在籍中は毎シーズン平均15点前後を記録する安定した成績を残している。
キングスに在籍した5シーズンでオールディフェンシブチームに4回選出され、そのうち2002-03シーズンにはオールディフェンシブ1stチームにも選ばれた。
コート外では妻との強い絆でも知られ、試合中に妻が観客席から声援を送る姿は名物となっていた。
18.トレイシー・マレー

Tracy Murray
出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション:SF
所属チーム:POR(1992~1995)→HOU(1995)→TOR(1995~1996)→WSB-WAS(1996~2000)→DEN(2000~2001)→TOR(2001~2002)→LAL(2002~2003)→POR(2003)
キャリア平均:9.0PPG、2.5RPG、0.8APG、.388 3P%
高いシュート力と爆発的な得点能力を誇るシューターとして知られ、一方でディフェンスや安定感に課題があり、キャリアを通じて先発に定着することは少なかった。
キャリア最初の3シーズンは十分な出場機会を得られず、平均5得点前後にとどまったが、1995-96シーズンに新設チームのトロント・ラプターズへ移籍すると状況が一変。
主にシックスマンとして平均30分近くプレーし、キャリアハイとなる平均16.2得点を記録して得点力を存分に発揮した。
翌シーズンからはワシントン・ブレッツで試合の流れを変えるベンチスコアラーとして起用され、1998年2月にはゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で50得点を記録するなど爆発力を見せつけた。
2000年にトレードでチームを去って以降は徐々に出場機会が減少し、全盛期のような得点力を発揮することはできなかったが、古巣ポートランド・トレイルブレイザーズでのプレーを最後にNBAを離れるまで、リーグ屈指のシューターとして存在感を放ち続けた。
その後はヨーロッパでもプレーを続け、長く現役生活を送っている。
従兄には、ロサンゼルス・クリッパーズなどで活躍したラモンド・マレーがいる。
21.ジョン・バリー

Jon Barry
出身校:ジョージア工科大学
ポジション:SG
所属チーム:MIL(1992~1995)→GSW(1995~1996)→ATL(1996~1997)→LAL(1997~1999)→SAC(1999~2001)→DET(2001~2003)→DEN(2003~2004)→ATL(2004)→HOU(2004~2006)
キャリア平均:5.7PPG、1.8RPG、2.2APG、.392 3P%
往年の名選手リック・バリーを父に持ち、兄弟のブレント、ドリューもNBAでプレーしたバスケットボール一家の出身。
キャリアの大半をベンチプレーヤーとして過ごしたが、高確率のアウトサイドシュートと状況判断に優れたプレーを武器に、チームに流れをもたらすスーパーサブとして重宝された。
派手さはないものの、勝負どころで確実に仕事をこなす選手としてコーチ陣から厚い信頼を得ていた。
デトロイト・ピストンズ在籍時の2001-02シーズンにはキャリアハイとなる平均9.0得点を記録し、スリーポイント成功率46.9%はリーグ2位を記録している。
その後はサクラメント・キングスで、リーグ屈指の層の厚さを誇った控え選手たちを「ベンチモブ(Bench Mob)」と名付け、自身もその中心メンバーとして活躍。
この愛称はキングスの代名詞として広く知られるようになった。
現役引退後はNBA解説者としても活動し、現役時代と同様にバスケットボールへの深い理解と分析力で高い評価を受けている。
24.ラトレル・スプリーウェル

Latrell Sprewell
出身校:アラバマ大学
ポジション:SF、SG
所属チーム:GSW(1992~1999)→NYK(1999~2003)→MIN(2003~2005)
キャリア平均:18.3PPG、4.1RPG、4.0APG、1.4SPG
ALL TEAM: All-NBA 1st 1回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:4回(1994、1995、1997、2001)
高校までは陸上の長距離選手として活躍し、高校4年生になって初めて本格的にバスケットボールを始める。
遅咲きの選手ながら、疲れ知らずの豊富な運動量と優れた身体能力ですぐにチームの中心選手となり、アラバマ大学ではロバート・オーリーらとともに活躍した。
1992年のNBAドラフトで全体24位指名を受けてゴールデンステイト・ウォリアーズに入団すると、開幕戦からスターティングメンバーに名を連ね、2年目には平均21.0得点、4.9リバウンド、4.7アシストを記録してオールスターにも選出された。
野性味あふれるドライブから豪快なダンクを叩き込み、リーグ屈指のエキサイティングな選手として全国区の人気を獲得したが、チーム内部では選手間やコーチとの確執が絶えず、主力選手が次々とチームを去る中でプレーオフ進出も次第に遠ざかっていった。
スプリーウェル自身も1997年にヘッドコーチへ就任したP. J. カーリシモと激しく対立し、同年12月には練習中にカーリシモの首を絞めるという前代未聞の暴行事件を起こしてしまう。
NBAから無期限の出場停止処分を受け、その後82試合の出場停止へ変更されたが、二度とウォリアーズでプレーすることはなく、1999年に追われるようにニューヨーク・ニックスへ移籍した。
全米を騒然とさせた事件によって1年以上公式戦から離れていたスプリーウェルの獲得には賛否が巻き起こったが、闘争心むき出しでプレーする姿はすぐに熱狂的なニックスファンの支持を集めた。
移籍1年目のプレーオフでは、第8シードからファイナル進出という史上初の快挙を成し遂げたチームの原動力となる。
サンアントニオ・スパーズとのファイナルでは1勝4敗で敗れたものの、ティム・ダンカンとデビッド・ロビンソンのツインタワーが待ち構えるインサイドへ果敢に挑み続け、チームトップとなるシリーズ平均26.0得点を記録した。
2003年には4チームが絡む大型トレードでミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍し、ケビン・ガーネット、サム・キャセールとともに「ビッグスリー」を形成する。
チームはフランチャイズ記録となる58勝24敗を挙げ、ガーネットがMVPを受賞するなど球団史上最高クラスのシーズンを送った。
しかし翌2004-05シーズンは契約交渉の難航もあって精彩を欠き、主力選手の故障も重なったチームは勝ち越しながらプレーオフ進出を逃した。
シーズン終了後、ウルブズから提示された3年2100万ドルの契約を拒否し、「家族をに食べさせなければならない」と発言したことが大きな批判を浴びる。
結果的に他球団からオファーを得ることはできず、そのままNBAを去ることになった。
29.P.J.ブラウン

P.J. Brown
出身校:ルイジアナ工科大学
ポジション:PF、C
所属チーム:NJN(1993~1996)→MIA(1996~2000)→CHH-NOH-NOK(2000~2006)→CHI(2006~2008)→BOS(2008)
キャリア平均:9.1PPG、7.7RPG、1.5APG、1.0BPG
ALL TEAM: All-Defensive 2nd 3回
本名はコリアー・ブラウンJr.。
「P.J.」は幼い頃から好物だったピーナッツバター&ジャム(Peanut Butter and Jelly)に由来する愛称である。
ドラフトではニュージャージー・ネッツから指名を受けたが、1年目はギリシャでのプレーを選択する。
翌シーズンにNBAデビューを果たすと、堅実なディフェンスと献身的なプレーで徐々に評価を高め、チームの守備を支える存在となった。
1996年にマイアミ・ヒートへ移籍すると、1年目からオールディフェンシブ2ndチームに選出される活躍を見せ、チーム史上最高勝率となる61勝21敗の好成績に大きく貢献。
その後もシャーロット・ホーネッツやニューオーリンズ・ホーネッツなどで主力として活躍し、リーグ屈指のディフェンダーとして長く信頼を集めた。
オフェンスでは多くのシュートを打つタイプではなかったものの、安定したミドルレンジシュートと高いフリースロー成功率を武器に堅実な得点を重ね、スクリーンやリバウンドなど目立たない仕事でもチームを支え続けた。
2007-08シーズンには一度引退を表明したものの、シーズン途中にボストン・セルティックスへ復帰。
ベテランビッグマンとしてインサイドを支え、現役最後のシーズンにチャンピオンリングを獲得した。
41.ポパイ・ジョーンズ

Popeye Jones
出身校:マリー州立大学
ポジション:PF
所属チーム:DAL(1993~1996)→TOR(1996~1998)→BOS(1998~1999)→DEN(1999~2000)→WAS(2000~2002)→DAL(2002~2003)→GSW(2003~2004)
キャリア平均:7.0PPG、7.4RPG、1.3APG
本名はロナルド・ジェローム・ジョーンズ。
愛称の「ポパイ」は、漫画『ポパイ』の主人公を思わせるたくましい腕から付けられたと言われている。
ドラフトではヒューストン・ロケッツから指名を受けたが、直後にダラス・マーベリックスへトレードされる。
1年間ヨーロッパでプレーした後、1993年にNBAデビューを果たした。
1994-95シーズンには平均10.3得点、10.6リバウンドのダブルダブルを記録し、オフェンスリバウンド数でリーグトップに立つ活躍を見せる。
「Three J’s」が脚光を浴びたマーベリックスにおいて、インサイドを支える縁の下の力持ちとして欠かせない存在だった。
翌1995-96シーズンも平均11.1得点、10.8リバウンドと成績を伸ばし、2年連続でシーズン・ダブルダブルを達成。
得点よりもリバウンドやルーズボール、スクリーンワークでチームに貢献する職人肌のビッグマンとして評価を高めた。
その後は複数のチームを渡り歩き、ベテランになってからもリバウンドと献身的なプレーで長く現役を続けた。



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