「1994年 NBAドラフト」年代別に振り返るNBA選手名鑑

NBA
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主なドラフト選手

1.グレン・ロビンソン

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Glenn Robinson

出身校:パデュー大学

ポジション:SF

所属チーム:MIL(1994~2002)→ATL(2002~2003)→PHI(2003~2004)→SAS(2004~2005)

キャリア平均:20.7PPG、6.1RPG、2.7APG、1.2SPG

オールスター出場:2回(2000、2001)

ニックネームは「ビッグ・ドッグ」。

大学2年生時に平均30.3得点、10.1リバウンドを記録し、カレッジバスケットボール界屈指のプレイヤーとして鳴り物入りでミルウォーキー・バックスに入団する。

しかし、「10年総額1億ドル」という前代未聞の大型契約を要求してチームと対立し、泥沼の交渉の末に「10年総額6,800万ドル」というルーキーとしては史上最高額の契約を勝ち取ったが、デビュー前からトラブルメーカーのイメージがつきまとうことになった。

なお、この騒動がきっかけとなって、NBAは翌年からドラフトの指名順位によって新人契約の年数と金額の上限をあらかじめ設定する「ルーキー・スケール」を導入することになった。

ロビンソンは大金に見合うだけの価値を証明するように、1年目から評判通りの得点能力を発揮。

独特のゆったりとしたテンポから放たれる高精度のミドルレンジ・ジャンパーと、ディフェンスをなぎ倒す力強いドライブを武器に、ルーキートップとなる平均21.9得点を記録する。

しかし、契約騒動の影響もあってか、新人王争いではグラント・ヒルジェイソン・キッドに及ばなかった。

長く低迷を続けていたバックスはロビンソン加入後も浮上の兆しを見せられずにいたが、ジョージ・カールのヘッドコーチ就任後から徐々に勝ち星を増やし、ロビンソンも1997-98シーズンにキャリアハイとなる平均23.4得点を記録するなど、エースとしてチームを牽引した。

2000-01シーズンにはレイ・アレンサム・キャセールとともに強力なビッグ3を形成し、チームを15シーズンぶりのディビジョン優勝へ導く。

プレーオフではカンファレンス決勝まで勝ち進み、フィラデルフィア・76ersを相手に第7戦までもつれ込む激闘を演じた。

デビュー当時の騒動を経て、ようやくリーグを代表するスコアラーとして認められるようになったロビンソンだったが、ともにチームを支えてきたアレンと得点機会をめぐって衝突し、チーム内の不和の一因となる。

2002年にはデビューから8シーズンを過ごしたバックスを離れることになった。

その後はアトランタ・ホークス、フィラデルフィア・76ersを経て、キャリア最終年となる2004-05シーズンにサンアントニオ・スパーズへ移籍。

全盛期のような得点力は失っていたものの、経験豊富なベテランとしてチームを支え、自身初となるチャンピオンリングを獲得した。

息子のグレン・ロビンソン3世もNBAでプレーし、スラムダンクコンテストに優勝するなど活躍した。

2.ジェイソン・キッド

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Jason Kidd

出身校:カリフォルニア大学バークレー校

ポジション:PG、SG

所属チーム:DAL(1994~1996)→PHO(1996~2001)→NJN(2001~2008)→DAL(2008~2012)→NYK(2012~2013)

キャリア平均:12.6PPG、6.3RPG、8.7APG、1.9SPG

個人賞:Rookie of the Year

ALL TEAM:All-NBA 1st 5回、All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 4回、All-Defensive 2nd 5回

オールスター出場:10回(1996、1998、2000~2004、2007~2008、2010)

通算5回のアシスト王に輝き、在籍したチームをことごとく浮上させたことから、NBA史に残る名司令塔として高く評価されている。

少年時代の多くを過ごしたプレーグラウンドでは5歳年上のゲイリー・ペイトンを相手に技術を磨き、高校時代には全米屈指の大物選手として注目を集めた。

NBAドラフトではリーグ最弱とも言われていたダラス・マーベリックスから指名を受け、キッドのプレーメーカーとしての能力が十分に発揮できないのではと懸念されたが、見事にチームを牽引する。

平均11.7得点、7.7アシストを記録したほか、前年から23勝も勝ち星を上積みさせた功績が評価され、グラント・ヒルとともに新人王を受賞した。

キッドの加入によってマーベリックスのさらなる飛躍が期待されたが、翌シーズンはチームメイトの不祥事や故障が重なって失速し、低迷はチーム内の不協和音へと発展する。

キッドもプライベートをめぐって主力のジム・ジャクソンと対立し、混乱に陥ったマーベリックスはキッドら中心選手の放出を決断した。

1996-97シーズン途中にフェニックス・サンズへ加入すると、開幕13連敗を喫していたチームをプレーオフ進出へ導き、サンズを再び強豪へ押し上げる原動力となる。

1998-99シーズンには平均16.9得点、10.8アシスト、2.3スティールを記録し、自身初のアシスト王を獲得。

さらにオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに同時選出され、リーグ最高峰のポイントガードとしての地位を確立した。

シーズン終了後にはアンファニー・ハーダウェイが加入し、2人のオールラウンドなバックコートは「バックコート2000」と呼ばれ、大きな期待を集めた。

しかし、ハーダウェイは故障の影響で本来の力を発揮できず、2000-01シーズンは4試合の出場にとどまる。

さらにこのシーズン中、キッドは家庭内暴力事件で逮捕され、期待とは裏腹に問題が相次いだサンズは、イメージ刷新のためシーズン終了後にキッドを放出した。

2001年、ステフォン・マーブリーとの交換トレードでニュージャージー・ネッツへ移籍すると、スピードあふれるトランジションゲームの中心となり、低迷していたネッツを2年連続でNBAファイナルへ導く。

自身は2001-02シーズン、2002-03シーズンと2年連続でシーズンMVP投票2位に入り、その影響力の大きさを証明した。

2008-09シーズン途中、7シーズンを過ごしたネッツを離れ、古巣のダラス・マーベリックスへ復帰する。

キッド不在の間に優勝候補へ成長していたマーベリックスにとって、キッドは優勝への最後のピースと期待されたが、プレーオフでは若手ポイントガードに後れを取る場面もあり、30代半ばを過ぎたキッドには限界を指摘する声も上がった。

それでもマーベリックスは契約延長を決断し、2010-11シーズン、37歳にして悲願のチャンピオンリングを獲得。

豊富な経験とゲームコントロールでチームの初優勝に大きく貢献した。

デビュー当時はジャンプシュートが苦手だったことから、「”J”(ジャンプシュート)がない”ASON Kidd”」と揶揄されることもあったが、努力によってシュート力を磨き、キャリア後半にはスリーポイント成功率40%を超えるシーズンも記録している。

また、ポイントガードとしては驚異的なリバウンド能力を誇り、「Mr.トリプルダブル」と称されるほど万能な選手だった。

2006-07シーズンには平均13.0得点、8.2リバウンド、9.2アシストを記録し、シーズン平均トリプルダブルに迫る活躍を見せている。

通算トリプルダブル数は引退時点でNBA歴代3位を誇り、歴代でも屈指のオールラウンドプレーヤーとして名を残した。

ネッツ時代に着用した背番号「5」は、現在のブルックリン・ネッツの永久欠番となっている。

2018年にバスケットボール殿堂入りを果たした。

3.グラント・ヒル

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Grant Hill

出身校:デューク大学

ポジション:SF、SG

所属チーム:DET(1994~2000)→ORL(2000~2007)→PHO(2007~2012)→LAC(2012~2013)

キャリア平均:16.7PPG、6.0RPG、4.1APG、1.2SPG

個人賞:Rookie of the Year

ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 4回

オールスター出場:7回(1995~1998、2000~2001、2005)

高い身体能力、クレバーなプレースタイル、血統の良さを感じさせる立ち振る舞いなど、デビュー当初からNBAを背負って立つ逸材として大きな期待を集めた。

名門デューク大学ではクリスチャン・レイトナーらとともに2度のNCAAトーナメント制覇を果たし、1994年NBAドラフトでデトロイト・ピストンズから全体3位指名を受ける。

デトロイト・ピストンズでプレーを始めたヒルは、1年目に平均19.9得点、6.4リバウンド、5.0アシスト、1.8スティールの活躍を見せ、ジェイソン・キッドとともに新人王を同時受賞した。

さらにこのシーズンに出場したオールスターでは、北米4大プロスポーツリーグ史上初となる、新人としてファン投票最多得票での先発出場を果たしている。

1996-97シーズンには平均21.4得点、9.0リバウンド、7.3アシストを記録、初めてオールNBA1stチームに選出されるなど高い期待に応える活躍を続け、得点、リバウンド、アシストのすべてで高水準の数字を残す万能型フォワードとして、「ポスト・ジョーダン時代」を担う選手の筆頭に挙げられていた。

1999-2000シーズンにはキャリアハイとなる平均25.8得点を記録するなど、求められればスコアラーとしても圧倒的な能力を発揮したが、それでもチームはプレーオフを勝ち抜くことができず、シーズン終了後にフリーエージェントとなったヒルはオーランド・マジックへ移籍した。

しかし、移籍直後から足首の故障に苦しみ、手術を繰り返した結果、4シーズンにわたって引退の危機に瀕する時期を過ごすことになる。

2004-05シーズンに67試合へ出場し、ようやく回復の兆しを見せたものの、翌シーズンはヘルニアによって再び長期欠場を強いられた。

その後はフェニックス・サンズへ移籍し、スティーブ・ナッシュらとともにプレーする。

全盛期の爆発的な身体能力こそ失われたものの、経験豊富なベテランとして頭脳的なプレーを見せ、とくにディフェンスは全盛期以上とも評される高い評価を受けた。

2012-13シーズンはロサンゼルス・クリッパーズでプレーし、シーズン終了後に現役引退を発表した。

NBAを背負って立つ存在と期待されながら、全盛期の大半を度重なる負傷で棒に振ることになったが、役割の変更を受け入れ、40歳までの長きにわたりチームに不可欠な存在として活躍を続けた。

2018年にバスケットボール殿堂入りを果たした。

4.ドニエル・マーシャル

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Donyell Marshall

出身校:コネチカット大学

ポジション:PF、SF

所属チーム:MIN(1994~1995)→GSW(1995~2000)→UTA(2000~2002)→CHI(2002~2003)→TOR(2003~2005)→CLE(2005~2008)→SEA(2008)→PHI(2008~2009)

キャリア平均:11.2PPG、6.7RPG、1.4APG

アウトサイドシュートを得意とするパワーフォワードの先駆けとして活躍し、2005年には1試合12本のスリーポイントシュートを成功させ、当時のNBA最多成功記録を樹立した。

1994年にミネソタ・ティンバーウルブズへ入団し、翌1995年にゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍。

ウォリアーズでは6シーズンにわたって主力を務め、1997-98シーズンにはキャリアハイとなる平均15.4得点、8.6リバウンドを記録するなど、攻守にわたってチームを支えた。

2000年にチームを離れてからはユタ・ジャズ、シカゴ・ブルズ、トロント・ラプターズ、クリーブランド・キャバリアーズなど数多くのチームでプレー。

この頃から3ポイントシュートの試投数を大きく増やし、インサイドだけでなくアウトサイドからも得点できるストレッチ4として存在感を発揮した。

キャリア通算の3ポイント成功率は35.0%を記録。

当時のパワーフォワードとしては高いシュート力を誇り、現代では一般的となったアウトサイドシュートを武器とするビッグマンの先駆者の一人として評価されている。

2009年まで15シーズンにわたってプレーを続け、優れたシュート力と豊富な経験を武器に、長年リーグで活躍した。

5.ジュワン・ハワード

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Juwan Howard

出身校:ミシガン大学

ポジション:PF、SF、C

所属チーム:WSB-WAS(1994~2001)→DAL(2001~2002)→DEN(2002~2003)→ORL(2003~2004)→HOU(2004~2007)→DAL(2007~2008)→DEN(2008)→CHA(2008~2009)→POR(2009~2010)→MIA(2010~2013)

キャリア平均:13.4PPG、6.1RPG、2.2APG

ALL TEAM:All-NBA 3rd 1回

オールスター出場:1回(1996)

大学時代は「ファブ・ファイブ」の一員としてミシガン大学を2年連続でNCAAトーナメント決勝へ導き、カレッジバスケットボール界を代表するスター選手として注目を集めた。

ワシントン・ブレッツへの入団が決まってすぐ、大学時代のチームメイトであるクリス・ウェバーのブレッツ移籍も決まり、「ファブ・ファイブ」のコンビがNBAでも再結成されることになった。

1年目から平均17.0得点、8.4リバウンドを記録し、ウェバーとともにチームの中心選手として活躍する。

さらに翌1995-96シーズン、ウェバーが故障で戦列を離れると、大黒柱としてチームを牽引し、平均22.1得点、8.1リバウンド、4.4アシストを記録。

2年目にして早くもオールスターに選出されたほか、オールNBA3rdチームにも選出された。

シーズン終了後、長期高額契約でマイアミ・ヒートへの移籍が発表されたが、サラリーキャップの規定に違反していたことが判明し、NBA史上初めて契約そのものが無効とされる異例の事態となった。

ハワードはその後、同条件でブレッツと再契約を結び、チームに残留した。

新シーズンが始まると、完全復活を果たしたウェバーとのコンビは絶妙な連携を見せ、チームは9シーズンぶりとなるプレーオフ進出を果たすなど、長い低迷から抜け出すことに成功する。

しかし、ウェバーがフロント批判をきっかけにチームを放出されると、ハワードも故障の影響でパフォーマンスを低下させ、チームは再び低迷期へ突入。

大型契約を結んでいたハワードには批判が集中するようになった。

その後、球団社長に就任したマイケル・ジョーダンによるチーム再建の一環として、2001年にダラス・マーベリックスへトレードされる。

チームを去った後は多くのチームを渡り歩き、主力からベテランロールプレイヤーへと役割を変えながら長く第一線で活躍した。

2012-13シーズンにはマイアミ・ヒートでレブロン・ジェームズらとともにプレーし、自身初のチャンピオンリングを獲得。

翌2013年に現役を引退した。

引退後は指導者へ転身し、古巣ミシガン大学ではヘッドコーチも務めている。

息子のジェット・ハワードもNBAでプレーしている。

7.ラモンド・マレー

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Lamond Murray

出身校:カリフォルニア大学

ポジション:SF

所属チーム:LAC(1994~1999)→CLE(1999~2002)→TOR(2002~2005)→NJN(2005~2006)

キャリア平均:11.3PPG、4.1RPG、1.3APG

低迷期のロサンゼルス・クリッパーズに入団すると、ルーキーイヤーからチーム2位となる平均14.1得点を記録し、以降、安定した得点力を武器に5シーズンにわたってチームの主力スコアラーとして活躍した。

一時は控えに回って成績を落としたものの、1997-98シーズンに先発へ復帰すると、チームトップとなる平均15.4得点を記録。

インサイドへのドライブに加え、ミドルレンジや3ポイントシュートも高い精度で決めるオールラウンドなウイングとして存在感を示した。

その後はクリーブランド・キャバリアーズへ移籍し、2001-02シーズンにはキャリアハイとなる平均16.6得点をマーク。

3ポイントシュートもチーム2位となる101本を成功させ、成功率42.4%という高い数字を残すなど、アウトサイドからの得点源としてチームを支えた。

派手なプレースタイルではなかったが、強靭なフィジカルを活かしてインサイドへドライブすることもでき、オフェンスの引き出しが多いスモールフォワードとして長年リーグで活躍した。

従兄には名シューターとして活躍したトレイシー・マレーがいる。

8.ブライアン・グラント

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Brian Grant

出身校:ザビエル大学

ポジション:PF、SF、C

所属チーム:SAC(1994~1997)→POR(1997~2000)→MIA(2000~2004)→LAL(2004~2005)→PHO(2005~2006)

キャリア平均:10.5PPG、7.4RPG、1.2APG

南北戦争で活躍した同郷の英雄、ユリシーズ・グラント将軍にちなみ、「ザ・ジェネラル」の愛称で親しまれた。

トレードマークのドレッドヘアをなびかせ、屈強な肉体と豊富な運動量を武器に泥臭いプレーを続けたハードワーカーである。

サクラメント・キングスではルーキーイヤーからインサイドで存在感を発揮し、1年目から6シーズン連続で平均2桁得点を記録。

リバウンドやルーズボールにも果敢に飛び込む献身的なプレーで、チームに欠かせない存在となった。

その後、ポートランド・トレイルブレイザーズへ移籍すると、厚い選手層の中で控えに回る機会が増え、1999-2000シーズンにはデビュー以来初めて平均得点が2桁を下回る。

しかし、シーズン終了後にマイアミ・ヒートと大型契約を結ぶと、206cmとセンターとしては小柄ながら持ち前のフィジカルと闘志でゴール下を支え、移籍1年目にはキャリアハイとなる平均15.2得点、8.8リバウンドを記録。

契約への批判を実力で覆し、チームの主力として活躍した。

その後も体を張ったプレーで長年リーグを支え、2006年に現役を引退。

2008年にパーキンソン病であることを公表した後、「ブライアン・グラント財団」を設立し、パーキンソン病患者への支援活動や啓発活動に尽力している。

10.エディー・ジョーンズ

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Eddie Jones

出身校:テンプル大学

ポジション:SG、SF

所属チーム:LAL(1994~1999)→CHH(1999~2000)→MIA(2000~2005)→MEM(2005~2007)→MIA(2007)→DAL(2007~2008)

キャリア平均:14.8PPG、4.0RPG、2.9APG、1.7SPG、.373 3P%

ALL TEAM:All-NBA 3rd 1回、All-Defensive 2nd 3回

オールスター出場:3回(1997~1998、2000)

ロサンゼルス・レイカーズでは1年目から主力として活躍し、オールスター・ルーキーチャレンジではMVPを受賞するなど、名門復活の鍵を握る選手として期待を集めた。

1996-97シーズンには平均17.2得点、2.4スティールを記録し、初めてオールスターに出場。

優れたディフェンスでも高い評価を受け、オールディフェンシブ2ndチームにも選出されている。

攻守両面で貢献度が高く、地元ファンからの人気も非常に高かったが、同じポジションのコービー・ブライアントの台頭もあり、1999年にグレン・ライスらとのトレードでシャーロット・ホーネッツへ移籍する。

ホーネッツではエースとしてチームを牽引し、1999-2000シーズンには平均20.1得点、4.8リバウンド、4.2アシストを記録。

スティールでは平均2.7本でリーグトップとなり、オールNBA3rdチームにも選出された。

2000年にマイアミ・ヒートへ移籍し、ジョーンズの加入によってヒートは優勝候補の本命と期待されたが、直後に大黒柱のアロンゾ・モーニングが腎臓疾患によって戦列を離れ、ジョーンズは低迷し始めたチームの中で奮闘することになった。

それでも安定した得点力と高いディフェンス力でチームを支え続け、2003-04シーズンには平均17.3得点を記録して4度目のオールスターに選出されている。

キャリア後半はメンフィス・グリズリーズ、ダラス・マーベリックスなどでベテランとしてプレーし、2007-08シーズンを最後に現役を引退した。

通算スティール数はNBA歴代上位に名を連ね、攻守のバランスに優れた2ウェイプレイヤーとして高く評価されている。

13.ジェイレン・ローズ

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Jalen Rose

出身校:ミシガン大学

ポジション:SF、SG、PG

所属チーム:DEN(1994~1996)→IND(1996~2002)→CHI(2002~2003)→TOR(2003~2006)→NYK(2006)→PHO(2006~2007)

キャリア平均:14.3PPG、3.5RPG、3.8APG

個人賞:Most Improved Player(1999-2000)

少年時代にクリス・ウェバーをバスケットボールに引き込み、ミシガン大学ではウェバー、ジュワン・ハワードらとともに”ファブ・ファイブ”の一角として全米に大旋風を巻き起こした。

大学3年生終了後にハワードとともにアーリーエントリーを宣言し、デンバー・ナゲッツへ入団する。

203cmの長身ながらポイントガードを務めることができる高いボールスキルを持ち、2年目には平均10.0得点、6.2アシストを記録するなど将来性を期待させる活躍を見せたが、起用法が定まらないこともあり、その後は伸び悩むことになった。

1996年にインディアナ・ペイサーズへ移籍すると、当初はクリス・マリンのバックアップとしてプレーしたものの、次第に出場時間を増やし、1999-2000シーズンにはマリンから先発の座を奪って平均18.2得点と躍進する。

チームはこのシーズンに球団史上初のNBAファイナル進出を果たし、ローズは最も成長した選手に贈られるMIP(最優秀躍進選手賞)を受賞した。

翌2000-01シーズンには平均20.5得点、5.0リバウンド、6.0アシストを記録するオールラウンドな活躍を見せ、チームのエースとして存在感を発揮する。

しかし、新たにヘッドコーチへ就任したアイザイア・トーマスとはプレースタイルをめぐって溝が生まれ、2001-02シーズン途中にトレードでシカゴ・ブルズへ放出された。

その後はトロント・ラプターズ、ニューヨーク・ニックス、フェニックス・サンズなど複数のチームを渡り歩き、ポイントガードからスモールフォワードまでこなせる万能性を武器に、チーム事情に応じたプレーで貢献した。

現役引退後はNBA解説者として高い人気を集める一方、教育支援活動にも力を注ぎ、故郷デトロイトでは「ジャレン・ローズ・リーダーシップ・アカデミー」を設立するなど、地域社会への貢献でも知られている。

実父のジミー・ウォーカーは元NBA選手としてオールスター出場経験もあったが、ローズが生まれる前に両親が別れたため、ローズの養育にウォーカーが関わることはなかった。

17.アーロン・マッキー 

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Aaron McKie

出身校:テンプル大学

ポジション:SG、SF、PG

所属チーム:POR(1994~1997)→DET(1997)→PHI(1997~2005)→LAL(2005~2007)

キャリア平均:7.4PPG、3.3RPG、2.7APG、1.2SPG

個人賞:Sixth Man of the Year(2000-2001)

ポートランド・トレイルブレイザーズでは出場機会に恵まれなかったものの、1997年にフィラデルフィア・76ersへ移籍すると、持ち前のオールラウンドな能力が評価され、徐々にチーム内で存在感を高めていった。

2000-01シーズンにはベンチから試合の流れを変えるシックスマンとして活躍し、平均11.6得点、4.1リバウンド、5.0アシストを記録。

アレン・アイバーソンを擁する76ersのNBAファイナル進出に大きく貢献し、このシーズンのNBAシックスマン賞を受賞した。

ポイントガード、シューティングガード、スモールフォワードの3ポジションをこなせるユーティリティプレーヤーとして重宝されたほか、粘り強いディフェンスや状況判断にも優れ、数字以上にチームへの貢献度が高い選手として知られた。

献身的なプレーと高いバスケットボールIQでコーチやチームメイトから厚い信頼を集め、76ers黄金期を支えた名脇役の一人として高く評価されている。

26.チャーリー・ウォード

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Charlie Ward

出身校:フロリダ州立大学

ポジション:PG

所属チーム:NYK(1994~2004)→SAS(2004)→HOU(2004~2005)

キャリア平均:6.3PPG、2.6RPG、4.0APG、1.2SPG

大学時代はアメリカンフットボール界を代表するスター選手として活躍し、1993年には全米最優秀選手に贈られるハイズマン賞を受賞。

バスケットボールでも高い評価を受けるなど、全米屈指のマルチアスリートとして注目を集めた。

野球経験がほとんどなかったにもかかわらずMLB球団からドラフト指名を受けるなど、その高い運動能力は他競技からも注目されたが、「選手寿命が長い」という理由からバスケットボールの道を選び、1994年のNBAドラフトでニューヨーク・ニックスへ入団した。

デビュー当初は出場機会が限られていたものの、地道な努力を重ねて着実に成長。

4年目の1997-98シーズンには全82試合で先発出場を果たす。

このシーズンにキャリアハイとなる平均7.8得点、5.7アシストを記録し、堅実なゲームメークと粘り強いディフェンスでチームを支えた。

努力家としても知られ、デビュー当初は課題とされた3ポイントシュートもキャリア後半には成功率40%を超えるまでに向上。

ニックス一筋で10シーズンを過ごし、献身的なプレーと誠実な人柄でファンから厚い支持を集めた。

大学フットボール最高の栄誉を手にしながらNBAでも10年間プレーした稀有な経歴を持ち、アメリカのスポーツ史に残るマルチアスリートの一人として知られている。

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