「1997年 NBAドラフト」年代別に振り返るNBA選手名鑑

NBA
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主なドラフト選手

1.ティム・ダンカン

キャプチャ

Tim Duncan

出身校:ウェイクフォレスト大学

ポジション:PF / C

所属チーム:SAS(1997~2016)

キャリア平均:19.0PPG、10.8RPG、3.0APG、2.2BPG、.506FG%

個人賞:Rookie of the Year、MVP2回(2001-2002、2002-2003)、Finals MVP3回(1998-1999、2002-2003、2004-2005)、All-Star Game MVP1回(2000)

ALL TEAM:All-NBA 1st 10回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 1回、All-Defensive 1st 8回、All-Defensive 2nd 6回

オールスター出場:15回(1998、2000~2011、2013、2015)

1996-97シーズン、強豪サンアントニオ・スパーズは大黒柱デビッド・ロビンソンをはじめ故障者が続出した影響で20勝62敗と低迷した。

しかし、その不振が幸運を呼び込み、1997年ドラフト全体1位指名権を獲得。大学No.1プレーヤーとして注目を集めていたティム・ダンカンの指名に成功する。

あまりにも絶好の巡り合わせだったことから、「Tank for Tim(ダンカン獲得のために負けた)」という言葉まで生まれ、リーグ全体の話題となった。

そして、その期待はルーキーイヤーから現実となる。

1年目に平均21.1得点、11.9リバウンド、2.5ブロック、FG成功率54.9%を記録して新人王を受賞。さらにルーキーとしてオールNBA1stチームとオールディフェンシブ2ndチームにも選出されるという歴史的なデビューシーズンを送り、早くもリーグ最高峰のビッグマンの仲間入りを果たした。

翌1998-99シーズンにはデビッド・ロビンソンとの「ツインタワー」が猛威を振るい、スパーズを球団史上初のNBA制覇へ導く。以後はダンカンがチームの中心となり、スパーズ王朝の象徴として長年君臨し続けた。

2000年にはフリーエージェントとしてオーランド・マジック移籍が有力視されたが、デビッド・ロビンソンやグレッグ・ポポビッチらの説得を受けて残留を決断。この決断は後の王朝形成における最大の転機となった。

2001-02シーズンには平均25.5得点、12.7リバウンド、3.7アシスト、2.5ブロックを記録して初のシーズンMVPを受賞。その後も圧倒的な安定感を武器に優勝争いを続け、1999年から2014年までの間に5度のNBA制覇、2度のシーズンMVP、3度のファイナルMVPを獲得した。

2010年代に入るとチームは世代交代を迎えたが、ダンカンは若手を支える精神的支柱として存在感を発揮。2014年のファイナルではカワイ・レナードら若手を支えながら、自身5度目となるチャンピオンリングを獲得し、15年に及ぶ王朝の集大成を飾った。

2016年に現役を引退。同年、背番号「21」はスパーズの永久欠番となり、2020年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。

基本に忠実なプレースタイルからシャキール・オニールに「ビッグ・ファンダメンタル」の愛称を授けられ、その完成度の高さは誰もが認めるところだった。ジェリー・スローンをはじめ、多くのレジェンドや関係者から「NBA史上最高のパワーフォワード」と評されている。

2.キース・ヴァン・ホーン

キャプチャ

Keith Van Horn

出身校:ユタ大学

ポジション:PF / SF

所属チーム:NJN(1997~2002)→PHI(2002~2003)→NYK(2003~2004)→MIL(2004~2005)→DAL(2005~2006)

キャリア平均:16.0PPG、6.8RPG、1.6APG、.361 3P%

208cmの長身に高いシュート力を兼ね備え、アウトサイドからインサイドまで得点できる万能型フォワード。当時は「ラリー・バード二世」とも呼ばれ、将来を嘱望された。

ドラフトではフィラデルフィア・76ersから全体2位で指名されたものの、直後に合計8選手が絡む大型トレードでニュージャージー・ネッツへ移籍する。

ネッツでは1年目から主力として活躍し、チームを4シーズンぶりのプレーオフ進出へ導く。2年目にはキャリアハイとなる平均21.8得点、8.5リバウンドを記録し、新たなエースとして順調な成長を見せた。

しかし、その後は故障の影響もあって成績が伸び悩み、チームも再び低迷する。

転機となったのは2001-02シーズン。ジェイソン・キッドの加入によってチームは劇的な変貌を遂げ、ヴァン・ホーンもエースから勝負どころで得点を担う役割へと変化。チームはNBA加盟以来初となるファイナル進出を果たした。

しかし、ロサンゼルス・レイカーズとのファイナルでは4連敗を喫し、ヴァン・ホーンも期待されたほどのインパクトを残せず、シーズン終了後にトレードで放出された。

移籍先の76ersではアレン・アイバーソンを支える得点源として平均15.9得点を記録するなど期待に応えたものの、翌年には再びトレードの対象となる。その後はニューヨーク・ニックス、ミルウォーキー・バックス、ダラス・マーベリックスなどを渡り歩くジャーニーマンとしてキャリアを送った。

2006年を最後に事実上現役を退いたが、2008年にはジェイソン・キッドをダラスへ移籍させる大型トレード成立のため、サラリーキャップの条件を満たす目的でマーベリックスと一時的に契約。実際に試合へ出場することはなかったものの、3年1200万ドルの契約を手に入れることになった。(但し、保証は07-08シーズン分のみ)

3.チャウンシー・ビラップス

キャプチャ

Chauncey Billups

出身校:コロラド大学

ポジション:PG / SG

所属チーム:BOS(1997~1998)→TOR(1998~1999)→DEN(1999~2000)→MIN(2000~2002)→DET(2002~2008)→DEN(2008~2011)→NYK(2011)→LAC(2011~2013)→DET(2013~2014)

キャリア平均:15.2PPG、2.9RPG、5.4APG、1.0SPG、.387 3P%

個人賞:Finals MVP1回(2003-2004)

ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 2回、All-Defensive 2nd 2回

オールスター出場:5回(2006~2010)

勝負どころで幾度となくビッグショットを沈めたことから、「ミスター・ビッグショット」の異名で知られる。

ドラフト3位という高い期待を受けてNBA入りしたものの、デビュー当初はチームを転々とし、目立った成績を残せない苦しい時期が続いた。

2000年に加入したミネソタ・ティンバーウルブズで主力選手の故障をきっかけに先発へ定着すると、2002年のプレーオフで平均22.0得点を記録。一躍フリーエージェント市場の注目株となる。

シーズン終了後、少年時代から憧れていたジョー・デュマースの熱心な誘いを受け、デュマースがGMを務めるデトロイト・ピストンズへ移籍した。

当初は自らをシューティングガードタイプの選手と考えていたが、ポイントガードに厳しい指導で知られるラリー・ブラウンHCの下でゲームコントロールを学び、試合を支配できる司令塔へと成長していく。

2003-04シーズン、スター選手を擁さないピストンズは堅守と組織力を武器に快進撃を続け、1990年以来となるNBAファイナルへ進出。

史上屈指の豪華メンバーを揃えたロサンゼルス・レイカーズとの対戦では下馬評を覆す4勝1敗で優勝を果たし、ビラップスはシリーズ平均21.0得点、5.2アシストを記録してファイナルMVPを受賞した。

1989年のジョー・デュマース以来となるオールスター未経験でのファイナルMVP受賞者となり、一躍リーグ屈指のポイントガードとして名を上げる。

その後もピストンズの司令塔として6年連続のカンファレンス決勝進出を支え、5年連続でオールスターに選出されるなど、黄金時代の象徴として活躍を続けた。

2008年にはチームの再建方針を受けて故郷デンバー・ナゲッツへ移籍。カーメロ・アンソニーら若手をまとめ上げ、チームを球団史上2度目となるカンファレンス決勝進出へ導くなど、そのリーダーシップを改めて証明した。

2014年に現役を引退。背番号「1」はピストンズの永久欠番となり、2024年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。

6.ロン・マーサー

キャプチャ

Ron Mercer

出身校:ケンタッキー大学

ポジション:SG / SF

所属チーム:BOS(1997~1999)→DEN(1999~2000)→ORL(2000)→CHI(2000~2002)→IND(2002~2003)→SAS(2003~2004)→NJN(2004~2005)

キャリア平均:13.6PPG、3.1RPG、2.1APG、1.1SPG

ケンタッキー大学でともに活躍したアントワン・ウォーカーが在籍し、大学時代の恩師リック・ピティーノがヘッドコーチを務めるボストン・セルティックスへ入団した。

恵まれた環境でプロ生活をスタートさせると、1年目から平均15.3得点を記録するなど高い得点能力を発揮し、将来を期待される存在となる。

しかし、2年目は故障の影響でシーズンの半分近くを欠場し、チームも低迷。シーズン終了後にトレードで放出された。

その後はデンバー・ナゲッツ、オーランド・マジックを経てシカゴ・ブルズへ移籍。2000-01シーズンにはキャリアハイとなる平均19.7得点を記録し、優れた1対1の得点力を武器にチームの中心選手として活躍した。

一方で、チームは15勝67敗と低迷を極めるなど、個人技に頼るプレースタイルからチームの勝利に結びつきにくい選手とも評された。

翌シーズン途中にインディアナ・ペイサーズへトレードされると、ベンチからの起用が増えたことで出場時間、得点ともに大きく減少。その後もかつての輝きを取り戻すことはできず、チームを転々としながら2005年にNBAでのキャリアを終えた。

7.ティム・トーマス

キャプチャ

Tim Thomas

出身校:ビラノバ大学

ポジション:SF / PF

所属チーム:PHI(1997~1999)→MIL(1999~2004)→NYK(2004~2005)→CHI(2005~2006)→PHO(2006)→LAC(2006~2008)→NYK(2008~2009)→CHI(2009)→DAL(2009~2010)

キャリア平均:11.5PPG、4.1RPG、1.5APG、.369 3P%

208cmの長身でありながらアウトサイドシュートを得意とし、高い身体能力を生かしたダイナミックなプレーも見せるなど、時代を先取りしたストレッチフォワードとして活躍した。

ドラフトではニュージャージー・ネッツから全体7位で指名されたものの、開幕前にキース・ヴァン・ホーンとの交換トレードでフィラデルフィア・76ersへ加入する。

1年目はシーズンの半分以上で先発を務め、平均11.0得点を記録するなど順調なスタートを切った。

しかし翌シーズンはジョージ・リンチの加入によって出場機会が減少し、シーズン途中にミルウォーキー・バックスへ移籍。ここで得意のアウトサイドシュートを武器に得点力の高いシックスマンとして才能を開花させると、2001年には1試合の前半だけでスリーポイントシュート8本を成功させるNBA記録を樹立した。

2003-04シーズン途中にはニューヨーク・ニックスへ移籍し、2チーム合計でキャリアハイとなる平均14.7得点を記録。その後もシカゴ・ブルズやフェニックス・サンズなど多くのチームを渡り歩き、優れたシュート力を武器に活躍を続けた。

2005-06シーズン途中に加入したサンズでは、プレーオフ1回戦のロサンゼルス・レイカーズとの第6戦で試合終了間際に同点のスリーポイントシュートを沈め、チームを敗退寸前から救うビッグショットを決める。この勝利で勢いを取り戻したサンズは逆転でシリーズを突破し、トーマスの一撃は球団史に残る名場面となった。

恵まれた才能を持ちながらもムラのあるプレーやモチベーションの波を指摘されることも多かったが、スリーポイント成功率はキャリアを通じて40%前後を維持し、勝負どころでは大舞台に強いシューターとして存在感を発揮した。

8.アドナル・フォイル

キャプチャ

Adonal Foyle

出身校:コルゲート大学

ポジション:C

所属チーム:GSW(1997~2007)→ORL(2007~2009)→MEM(2009)

キャリア平均:4.1PPG、4.7RPG、0.5APG、1.6BPG

イギリス連邦加盟国・セントビンセント・グレナディーンのカヌアン島出身。

208cm、122.5kgの恵まれた体格を生かしたショットブロッカーとして知られ、ゴール下の守備を支えるセンターとして活躍した。

ゴールデンステイト・ウォリアーズに入団すると、ディフェンスの要として存在感を発揮し、全盛期にはシーズン平均2本前後のブロックを記録。派手な得点力こそなかったものの、高い守備力でチームに貢献し、通算ブロック数では長くウォリアーズの球団記録保持者としてその名を刻んでいる。

一方で、オフェンス面では得点やリバウンドの数字が伸び悩み、2004年に6年4,200万ドルの大型契約を結んだ際には、その契約額に見合う働きではないとして地元ファンから厳しい批判を浴びた。

その後、ドン・ネルソンがヘッドコーチに就任すると、機動力を重視するチーム方針の影響で出場機会は大きく減少。2007年にウォリアーズを退団し、10シーズンに及ぶ在籍に終止符を打った。

2007年にはアメリカ合衆国の市民権を取得。NBA屈指の知性派選手としても知られ、読書家であるほか、社会問題や教育活動にも積極的に取り組んだ。現役時代から選手会の活動にも尽力し、引退後も教育支援や地域社会への貢献を続けている。

9.トレイシー・マグレディ

キャプチャ

Tracy McGrady

出身校:マウントジオン・クリスチャン・アカデミー高校

ポジション:SG / SF

所属チーム:TOR(1997~2000)→ORL(2000~2004)→HOU(2004~2010)→NYK(2010)→DET(2010~2011)→ATL(2011~2012)→SAS(2013)

キャリア平均:19.6PPG、5.6RPG、4.4APG、1.2SPG

個人賞:Most Improved Player(2000-2001)

ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-NBA 2nd 3回、All-NBA 3rd 2回、

オールスター出場:7回(2001~2007)

ニックネームは「T-Mac」。

203cmの長身とは思えない滑らかなボールハンドリングと驚異的な身体能力を兼ね備え、豪快なダンクから高難度のジャンプシュートまで自在に決めるリーグ屈指のオールラウンドスコアラーとして活躍した。得点力だけでなくゲームメイクにも優れ、ポイントフォワードとしてオフェンス全体を牽引できる万能型プレーヤーだった。

高校時代からケビン・ガーネットコービー・ブライアントに続く天才高校生として注目を集め、大学へ進学せずNBA入りを果たしたが、トロント・ラプターズでの1、2年目は十分な出場機会を得ることができなかった。

3年目のシーズンに先発へ定着すると、平均15.4得点、6.3リバウンド、1.9ブロックと大きく飛躍し、従兄(血縁関係はない)のヴィンス・カーターとのコンビはリーグ屈指のデュオになると期待された。

しかし、「2番手では終わりたくない」とフリーエージェントでオーランド・マジックへ移籍。

NBAの顔でもあったグラント・ヒルが故障で長期離脱すると、マグレディはヒルに代わってエースとして驚異的な活躍を見せる。

移籍1年目の2000-01シーズンに平均26.8得点、7.5リバウンド、4.6アシストを記録してチームをプレーオフへ導き、一躍リーグを代表するスター選手へと成長した。

2002-03シーズンには平均32.1得点で初の得点王を獲得し、翌シーズンも2年連続得点王に輝くなど、コービー・ブライアントやアレン・アイバーソンと並ぶリーグ屈指のスコアラーとして君臨する。

しかし、故障を繰り返すヒルの影響でチーム力は伸びず、プレーオフでは1回戦敗退が続いた。

2003-04シーズンには開幕戦勝利後に19連敗を喫し、チームにトレードを要求。翌年、スティーブ・フランシスらとの交換でヒューストン・ロケッツへ移籍し、ヤオ・ミンとの強力コンビを結成した。

ロケッツでも圧倒的な得点能力とオールラウンドなプレーでチームを牽引し、数々の名場面を残した。

中でも2004年12月9日のサンアントニオ・スパーズ戦で、試合残り35秒から4本のスリーポイントシュートを含む13得点を奪い、大逆転勝利を演じたプレーはNBA史に残る伝説として現在も語り継がれている。

しかし、マグレディとヤオはともに故障が増え、チームは期待されたほどの結果を残せなかった。

それでも2007-08シーズンにはヤオの長期離脱という逆境の中でチームを牽引し、NBA歴代2位となる22連勝の立役者となっている。

その後は膝や背中の故障に苦しみ、かつての爆発力を失う。

2010年以降は複数のチームを渡り歩き、2013年にはプレーオフ直前にサンアントニオ・スパーズへ加入して自身初のNBAファイナルを経験したが、優勝にはあと一歩届かず。同年限りで現役を引退した。

現役引退後は、学生時代から抱いていた野球への思いを実現させ、アメリカ独立リーグで投手として公式戦4試合に登板した。

2017年、その輝かしい功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たしている。

16.ブレビン・ナイト

キャプチャ

Brevin Knight

出身校:スタンフォード大学

ポジション:PG

所属チーム:CLE(1997~2001)→ATL(2001)→MEM(2001~2003)→PHO(2003)→WAS(2003~2004)→MIL(2004)→CHA(2004~2007)→LAC(2007~2008)→UTA(2008~2009)

キャリア平均:7.3PPG、2.4RPG、6.1APG、1.7SPG

身長178cmと小柄ながら、優れたゲームメイクと粘り強いディフェンスを武器に活躍した職人気質のポイントガード。堅実なゲームコントロールとスティール能力で高い評価を受けた。

クリーブランド・キャバリアーズでは1年目から平均9.0得点、8.2アシスト、リーグ2位となる2.5スティールを記録し、ティム・ダンカンらとともにオールルーキー1stチームに選出された。

このシーズンのキャバリアーズは、オールスターフォワードのショーン・ケンプを中心に、ナイト、ジードルナス・イルゴースカス、デレック・アンダーソン、セドリック・ヘンダーソンの4人のルーキーが揃って活躍。下馬評を覆してプレーオフ進出を果たす原動力となった。

チームの未来は明るいかに見えたが、翌シーズンはロックアウトの影響で開幕が翌年初頭までずれ込むと、エースのケンプは約15kgも増量した姿でキャンプに現れ、パフォーマンスは著しく低下。さらに期待の若手たちも次々と故障に見舞われ、ナイト自身も左手骨折などで戦線を離脱し、チームは50試合制となったシーズンを22勝28敗で終えた。

限られた戦力の中、マイク・フラテロHCは「ディフェンス重視の超スローペース」という戦術で戦ったが、成績低迷と試合内容の物足りなさから「退屈でファンが離れる」と批判を浴び、シーズン終了後に解任される。

将来を期待された若手主体のチームは瞬く間に崩壊し、キャバリアーズは2003年にレブロン・ジェームズを獲得するまで長い低迷期に突入した。

ナイトも2001年にキャバリアーズを退団し、その後は複数のチームを渡り歩く。

2004年にはエクスパンションチームとして誕生したシャーロット・ボブキャッツに加入し、初代ポイントガードとして平均10.1得点、リーグ2位となる9.0アシスト、リーグ5位の2.0スティールを記録。若いチームをまとめる精神的支柱として3シーズンにわたり活躍した。

2008-09シーズンはユタ・ジャズでデロン・ウィリアムズの控えを務め、シーズン終了後に現役を引退した。

23.ボビー・ジャクソン

キャプチャ

Bobby Jackson

出身校:ミネソタ大学

ポジション:PG / SG

所属チーム:DEN(1997~1999)→MIN(1999~2000)→SAC(2000~2005)→MEM(2005~2006)→NOK-NOH(2006~2008)→HOU(2008)→SAC(2008~2009)

キャリア平均:9.7PPG、3.1RPG、2.6APG、.354 3P%

個人賞:Sixth Man of the Year(2002-2003)

抜群のスピードと闘争心を武器に、ポイントガードとシューティングガードの両方をこなすコンボガードとして活躍。アグレッシブなプレースタイルから、ファンには「アクション・ジャクソン」の愛称で親しまれた。

デンバー・ナゲッツでは1年目から多くの試合で先発を務め、平均11.6得点、4.4リバウンド、4.7アシスト、1.5スティールを記録。攻守両面で高い能力を示したが、シーズン終了後にトレードでサクラメント・キングスへ放出される。

キングスでは控えに回ったものの、試合終盤の勝負どころでも起用されるなど首脳陣からの信頼は厚く、高い得点力と執拗なディフェンスで「ベンチモブ」と呼ばれたリーグ屈指の控え陣の中心選手としてキングス黄金期を支えた。

2002-03シーズンには平均15.2得点を記録し、シックスマン賞を受賞。ベンチスタートながら試合の流れを一変させる爆発力を持ち、リーグ最高級のスーパーサブとして高い評価を受けた。

その後も2桁得点を記録するシックスマンとして活躍を続けたが、故障の影響で徐々に出場機会と成績を落とし、複数のチームを渡り歩いた後、古巣キングスへ復帰。2008-09シーズンを最後に現役を引退した。

37.マーク・ジャクソン

キャプチャ

Marc Jackson

出身校:テンプル大学

ポジション:C / PF

所属チーム:GSW(2000~2002)→MIN(2002~2003)→PHI(2003~2005)→NJN(2005~2006)→NOK(2006~2007)

キャリア平均:8.4PPG、4.3RPG、0.8APG

ゴールデンステイト・ウォリアーズからドラフト指名を受けたものの、すぐにはNBA入りせず、トルコやスペインなどヨーロッパで経験を積んだ。

その後、2000-01シーズンにウォリアーズへ復帰し、28歳でようやくNBAデビューを果たす。

シーズン序盤は控えとして出場機会が限られていたが、途中から先発に抜擢されると、20得点・10リバウンド以上を何度も記録するなど一気にブレイク。新人王候補にも名を連ね、ルーキーながらインサイドの中心選手として存在感を示した。

しかし、シーズン終盤に故障で失速し、平均13.2得点、7.5リバウンドでルーキーシーズンを終える。

屈強なフィジカルを生かしたポストプレーに加え、ミドルレンジからも得点できる柔らかなシュートタッチを備えた技巧派センターとして期待されたが、その後は度重なる故障によって本来のパフォーマンスを維持できなくなっていく。

さらに契約を巡って球団との関係も悪化し、モチベーションの低下も重なって2年目以降は精彩を欠くようになった。

2001-02シーズン途中にウォリアーズを離れてからは毎年のようにチームを渡り歩くジャーニーマンとなったが、2004-05シーズンに地元フィラデルフィア・76ersへ加入すると、限られた出場時間ながら平均12.0得点を記録し、ベンチから安定した得点を供給した。

2007年にNBAを離れた後も、ヨーロッパや中国でプレーを続け、キャリアを締めくくっている。

なお、名ポイントガードとして活躍したマーク・ジャクソンとは姓は同じだが、名前のスペルが異なり(MarcとMark)、血縁関係もない。

42.スティーブン・ジャクソン

キャプチャ

Stephen Jackson

出身校:バトラー・カウンティー・コミュニティ大学

ポジション:SF、SG、PF

所属チーム:NJN(2000~2001)→SAS(2001~2003)→ATL(2003~2004)→IND(2004~2007)→GSW(2007~2009)→CHA(2009~2011)→MIL(2011~2012)→SAS(2012~2013)→LAC(2013~2014)

キャリア平均:15.1PPG、3.9RPG、3.1APG、1.3SPG

198cmの恵まれたサイズと高い身体能力を生かし、得点力、ゲームメイク、ディフェンスを高いレベルで兼ね備えたオールラウンドなスウィングマン。勝負どころで力を発揮するクラッチプレーヤーとしても知られた。

フェニックス・サンズからドラフト指名を受けたもののロスター入りを果たせず、CBAやオーストラリア、ベネズエラなど海外リーグを渡り歩いた末、2000年にニュージャージー・ネッツと契約し、ようやくNBAデビューを果たす。

翌2001年に加入したサンアントニオ・スパーズでは、グレッグ・ポポビッチHCの下で守備力と勝負強さを磨き、2002-03シーズンには先発としてチームの優勝に大きく貢献した。

シーズン終了後にスパーズを離れてからは複数のチームを渡り歩いたが、常に得点源として活躍したほか、サイズを生かしたディフェンスでも高い評価を受けた。

インディアナ・ペイサーズに在籍していた2004年に「パレスの騒乱」に巻き込まれ、長期の出場停止処分を受けるなど、大きな転機を迎える。

その後、ゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍すると、ドン・ネルソンHCのアップテンポなバスケットに適応。2006-07シーズンには、第8シードのウォリアーズが第1シードのダラス・マーベリックスを撃破した「We Believe」旋風の中心選手として活躍し、球団史に残る番狂わせの立役者となった。

さらに2008-09シーズンには平均20.7得点、5.1リバウンド、6.5アシストを記録。得点だけでなくゲームメイクでも存在感を発揮し、リーグ屈指のオールラウンドなウイングへと成長した。

2009年にシャーロット・ボブキャッツへ移籍すると、31歳にしてキャリアハイを更新する平均21.1得点を記録し、チームを球団創設以来初のプレーオフ進出へ導く原動力となった。

その後はスパーズへの復帰やロサンゼルス・クリッパーズなどでプレーし、2014年に現役を引退した。

高い得点能力に加え、相手チームのエースを封じ込めるタフなディフェンダーとしても知られ、クラッチタイムでの勝負強さからファンには「Jax」の愛称で親しまれた。

一方で激しい闘争心ゆえにテクニカルファウルや退場処分も多く、乱闘事件のほかにも拳銃発砲事件やヘッドコーチとの衝突など、コート内外でたびたびトラブルを起こしたことでも知られている。

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