
主なドラフト選手
1.マイケル・オロウォカンディ

Michael Olowokandi
出身校:パシフィック大学
ポジション:C
所属チーム:LAC(1998~2003)→MIN(2003~2006)→BOS(2006~2007)
キャリア平均:8.3PPG、6.8RPG、0.7APG、1.4BPG
愛称は「キャンディーマン」。
ナイジェリアの出身で、少年時代はクリケットや陸上競技に親しみ、本格的にバスケットボールを始めたのは大学入学後という異色の経歴を持つ。
身長213cmの恵まれた体格と高い運動能力から、同郷のスーパースターであるアキーム・オラジュワンに例えられ、1998年のドラフトで全体1位指名を受けてロサンゼルス・クリッパーズに入団した。
しかし、1年目は平均8.9得点、7.9リバウンド、1.2ブロック、FG成功率43.1%と、ドラフト1位に見合う活躍を見せることはできなかった。それでも素材の良さは高く評価され、将来的な成長が期待され続けた。
2002-03シーズンにはキャリアハイとなる平均12.3得点、9.1リバウンド、2.2ブロックを記録し、インサイドの守備で存在感を発揮したが、その後は故障に悩まされて成績は急激に下降。
2004年にミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍した後も全盛期のパフォーマンスを取り戻すことはできず、2007年を最後にNBAを去った。
ドラフト全体1位という肩書きから「期待外れ」の評価を受けることが多かった一方、堅実なリバウンドやショットブロックでチームに貢献したシーズンもあり、期待値の大きさゆえに過小評価された選手の一人とも言われている。
2.マイク・ビビー

Mike Bibby
出身校:アリゾナ大学
ポジション:PG
所属チーム:VAN(1998~2001)→SAC(2001~2008)→ATL(2008~2011)→WAS(2011)→MIA(2011)→NYK(2011~2012)
キャリア平均:14.7PPG、3.1RPG、5.5APG、1.2SPG、.379 3P%
70年代にフィラデルフィア・76ersなどで活躍したヘンリー・ビビーを父に持ち、自身もリーグ屈指のクレバーな司令塔として活躍した。
アリゾナ大学をNCAAトーナメント優勝へ導き、「シュートの打てるジェイソン・キッド」と高く評価されて、低迷を続けるバンクーバー・グリズリーズに入団する。
1年目から司令塔として平均13.2得点、6.5アシストを記録し、オールルーキー1stチームに選出される活躍を見せたが、チームは過去最低勝率を記録するなど低迷から抜け出せず、3年目のシーズン終了後にジェイソン・ウィリアムスとの交換トレードでサクラメント・キングスへ移籍した。
当時のキングスは才能豊かな選手を揃えながらもプレーオフで勝ち切れずにいたが、安定したゲームメイクを見せるビビーの加入によってリーグ屈指の強豪へと変貌を遂げる。
加入1年目には球団最多となる61勝21敗を記録し、プレーオフではカンファレンス決勝で3連覇を狙うロサンゼルス・レイカーズをあと一歩まで追い詰めた。とくに第5戦では、試合終了間際にファイナル進出へ王手をかける決勝ジャンプシュートを沈め、この年のプレーオフを象徴する名場面のひとつとなった。
キングスはその後、主力選手の流出によって徐々に低迷していくが、ビビーは2005-06シーズンにキャリアハイとなる平均21.1得点を記録するなどエースとして奮闘し、チームをプレーオフ争いへ踏みとどまらせた。
2008年には4選手とドラフト指名権との大型トレードでアトランタ・ホークスへ移籍し、ジョー・ジョンソン、ジョシュ・スミス、アル・ホーフォードらとともにリーグ屈指のスターティングファイブの一角としてチームの躍進に貢献した。
キャリア晩年はマイアミ・ヒートやニューヨーク・ニックスでもプレーし、2011-12シーズン限りで現役を引退した。
3.リーフ・ラフレンツ

Raef LaFrentz
出身校:カンザス大学
ポジション:C / PF
所属チーム:DEN(1998~2002)→DAL(2002~2003)→BOS(2003~2006)→POR(2006~2008)
キャリア平均:10.1PPG、6.1RPG、1.1APG、1.6BPG、.363 3P%
アウトサイドシュートを武器に持つ身長211cmのビッグマンであり、カンザス大学ではポール・ピアースらとともにプレーした。ドラフトでは全体3位で指名され、後に殿堂入りすることになるピアースよりも高い評価を受けた。
当時リーグを席巻していたシャキール・オニールをゴール下から引き離せる数少ないセンターとして期待されてデンバー・ナゲッツに入団する。
1年目は故障によりシーズンの大半を欠場したものの、2年目には主力として平均12.4得点、7.9リバウンド、2.2ブロックを記録。アウトサイドシュートとショットブロックを兼ね備えた万能型ビッグマンとして存在感を示した。
2001-02シーズン途中にダラス・マーベリックスへトレードされると、先発センターとしてシーズン後半の快進撃に貢献し、この活躍が評価されて2002年に開催されたFIBA世界選手権ではアメリカ代表に選出された。
一方で、フィジカルを生かしたリバウンドやインサイドでのプレーを期待する声も多く、そのプレースタイルには賛否が分かれた。
2003年にはボストン・セルティックスへ移籍し、大学時代のチームメイトであるポール・ピアースと再び共闘した。
移籍後は故障に苦しみ出場時間が限られたものの、2005-06シーズンにはチーム最多となる112本のスリーポイントシュートを成功させ、成功率も39.2%を記録。ビッグマンでありながら外角から得点できる貴重な存在としてチームに貢献した。
4.アントワン・ジェイミソン

Antawn Jamison
出身校:ノースカロライナ大学
ポジション:PF / SF
所属チーム:GSW(1998~2003)→DAL(2003~2004)→WAS(2004~2010)→CLE(2010~2012)→LAL(2012~2013)→LAC(2013~2014)
キャリア平均:18.5PPG、7.5RPG、1.6APG、1.0SPG
個人賞:Sixth Man of the Year(2003-2004)
オールスター出場:2回(2005、2008)
ノースカロライナ大学で大学年間最優秀選手(ネイスミス賞)に輝き、ドラフトでは全体4位でトロント・ラプターズに指名される。しかし、その直後に、全体5位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名された大学のチームメイトであり親友のビンス・カーターとの間で電撃トレードが成立する。
即戦力としてデビュー前から高い評価を受けていたカーターに対し、カーター以上の潜在能力を持つと期待されていたジェイミソンだったが、デビュー後2シーズンは膝の故障に苦しみ、本領を発揮できずに終わった。
3年目となる2000-01シーズン、2試合連続で51得点を叩き出すなど、シーズン平均24.9得点、8.7リバウンドを記録し、チームの主軸として才能を大きく開花させる。
2003年に移籍したダラス・マーベリックスではダーク・ノビツキーやマイケル・フィンリーのバックアップを務める事になったが、平均14.8得点、6.3リバウンドを記録してシックスマン賞を受賞している。
シーズン終了後にワシントン・ウィザーズへトレードされると、ウォリアーズ時代のチームメイトであるギルバート・アリーナス、ラリー・ヒューズとともにチームを8シーズンぶりのプレーオフ進出へ導き、リーグ屈指の得点力を誇るトリオとして活躍した。
2005年にフリーエージェントとなったヒューズがチームを去ったが、入れ替わるようにロサンゼルス・レイカーズからカロン・バトラーが加入し、アリーナス、ジェイミソン、バトラーの3人は超攻撃的なチームを牽引する「BIG3」としてリーグに旋風を巻き起こした。
オールスターには2005年と2008年に出場。ウォリアーズ時代に不仲が噂されたアリーナスはチームに対して、ジェイミソンがフリーエージェントとなった際は何としても残留させるべきと訴えるなど、その能力はチーム内外で高く評価された。
ジェイミソンが加入してから4シーズン連続でプレーオフに進出していたウィザーズだったが、2008-09シーズンはアリーナスが故障でシーズンをほぼ全休し、そのほかの主力選手の欠場も相次いだ影響により19勝63敗と地区最下位に転落する。
再起をかけた翌シーズン序盤、ロッカールームへの銃持ち込みにより、アリーナスが無期限の出場停止処分(最終的に50試合)を科される事態に発展。球団フロントは即座に再建へ舵を切ることを決断し、ビッグ3を形成していたジェイミソンとバトラーはシーズン途中にトレードで放出され、チームは完全に解体された。
クリーブランド・キャバリアーズに移籍することになったジェイミソンは、その後、ロサンゼルス・レイカーズ、ロサンゼルス・クリッパーズでもプレーし、2014年に現役を引退した。
16シーズンという長きにわたって安定した得点力を維持し、通算20,000得点、8,000リバウンド以上という殿堂入りクラスの記録を残している。
5.ヴィンス・カーター

Vince Carter
出身校:ノースカロライナ大学
ポジション:SG / SF
所属チーム:TOR(1998~2004)→NJN(2004~2009)→ORL(2009~2010)→PHO(2010~2011)→DAL(2011~2014)→MEM(2014~2017)→SAC(2017~2018)→ATL(2018~2020)
キャリア平均:16.7PPG、4.3RPG、3.1APG、1.0SPG、.371 3P%
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 1回
オールスター出場:8回(2000~2007)
トロント・ラプターズでは1年目からチームを牽引し、平均18.3得点、5.7リバウンド、3.0アシスト、1.5ブロックを記録したほか、会場を騒然とさせるダンクシュートを連発するなどセンセーショナルな活躍を見せて新人王を受賞した。
2年目には新人時代に酷評されたアウトサイドシュートを向上させて平均25.7得点を記録し、チームを創設以来初のプレーオフ進出へと導く。
さらにこの年に開催されたスラムダンクコンテストでは、数々の独創的なダンクで観客を魅了し、史上最高のダンクコンテストのひとつとして語り継がれる伝説的なパフォーマンスを披露。人気・実力ともにリーグ屈指の選手へと成長した。
翌2000-01シーズンには平均27.6得点とさらに成績を伸ばし、プレーオフではカンファレンス準決勝でフィラデルフィア・76ersを相手にシリーズ平均30.4得点、6.0リバウンド、5.6アシスト、1.9スティール、2.0ブロックの大活躍を見せる。シリーズは最終戦までもつれ込む激戦となったが、試合終了直前にカーターが放った決勝シュートは惜しくも外れ、ラプターズのシーズンは幕を閉じた。
また、2000年のシドニーオリンピックでは、フランス代表の身長218cmフレデリック・ワイスの頭上を飛び越えて叩き込んだ豪快なダンクシュートが世界中で話題となり、NBA史を代表するダンカーとしての評価を不動のものとした。
新興チームのラプターズにとっては躍進のシーズンとなったが、カーターが故障を抱えるようになってからは期待されたほどの成績を残す事ができず、次第にチームも低迷していく。
カーターは効果的な補強を進めないチームに対してトレードを要求するようになり、モチベーションの低いプレーを見せるようになると、ファンの間からもカーター不要論が噴出した。ラプターズはカーター放出を余儀なくされ、2004年にニュージャージー・ネッツとの間でトレードを実施する。
ネッツ移籍後に本来のパフォーマンスを取り戻した事でトロントのファンからさらに大きな反感を買ったが、ジェイソン・キッドと強力なコンビを形成し、チームのディビジョン優勝に大きく貢献した。
その後もリーグを代表するスターとして活躍を続けたが、ネッツが再建へ舵を切ると、2009年に故郷のオーランド・マジックへ移籍。以降はチームを渡り歩くキャリアを送る。
30代後半からは、かつての豪快なダンクは影を潜めたものの、豊富な経験と高いシュート力を生かしたロールプレイヤーへと見事に転身し、40代でも現役を続行。NBA史上初めて4つの年代(1990年代、2000年代、2010年代、2020年代)でプレーした選手となり、リーグ最長タイとなる22シーズンに及ぶ偉大なキャリアを築いた。
カーターが着用した背番号「15」はラプターズとネッツの2チームで永久欠番となり、2024年には資格1年目にして早くもバスケットボール殿堂入りを果たした。
7.ジェイソン・ウィリアムス

Jason Williams
出身校:フロリダ大学
ポジション:PG
所属チーム:SAC(1998~2001)→MEM(2001~2005)→MIA(2005~2008)、ORL(2009~2011)→MEM(2011)
キャリア平均:10.5PPG、2.3RPG、5.9APG、1.2SPG
トリッキーで独創的なプレーを見せる白人選手として「ホワイト・チョコレート」、「ピストル・ピートの再来」と呼ばれた。
フロリダ大学在籍時、大麻使用によってチームから追放処分を受け、NBA入りを決意する。
サクラメント・キングス入団後は1年目からチームの司令塔として平均12.8得点、6.0アシスト、1.9スティールを記録するなど活躍し、ブラディ・ディバッツやクリス・ウェバーら新加入選手とともにキングスを16シーズンぶりの勝ち越しへ導いた。
ノールックパスやエルボーパスなど常識を覆すプレーでリーグ屈指の人気選手となった一方、スリーポイントシュートの多投やターンオーバーの多さが指摘され、試合終盤の重要な局面では控え選手に出番を譲ることも少なくなかった。
2001年のプレーオフでロサンゼルス・レイカーズの前になすすべなく敗退すると、マイク・ビビーとの交換トレードでメンフィス・グリズリーズへ移籍する。
移籍1年目に平均14.8得点、8.0アシストを記録したものの、ターンオーバーは平均3.3本と依然多く、チームも23勝59敗と低迷した。
しかし、2002年に名将ヒュービー・ブラウンがヘッドコーチに就任するとプレースタイルは大きく変化し、無謀なパスやシュートを減らして勝利を優先するゲームメイクを身につける。
安定した司令塔へと成長したウィリアムズの活躍もあり、グリズリーズは2003-04シーズンに50勝32敗を記録し、チーム史上初のプレーオフ進出を果たした。
2005年にはリーグ史上最大規模となる5チーム13人が関わるトレードでマイアミ・ヒートへ移籍。シャキール・オニール、ドウェイン・ウェイドらを生かす黒子役としてチームを巧みにコントロールし、移籍1年目に自身初、そしてヒート史上初となるNBA優勝に貢献した。
2008年に一度現役を引退したが、2009年にオーランド・マジックで復帰。その後は古巣メンフィス・グリズリーズでもプレーし、2010-11シーズンを最後に現役を引退した。
派手なパスばかりが注目されたが、キャリア後半は勝利を最優先に考える堅実な司令塔へと成長し、エンターテイナーとゲームメーカーを両立した稀有なポイントガードとして高い人気を誇った。
8.ラリー・ヒューズ

Larry Hughes
出身校:セントルイス大学
ポジション:SG / SF
所属チーム:PHI(1998~2000)→GSW(2000~2002)→WAS(2002~2005)→CLE(2005~2008)→CHI(2008~2009)→NYK(2009~2010)→CHA(2010)、ORL(2011~2012)
キャリア平均:14.1PPG、4.2RPG、3.1APG、1.5SPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 1回
高速のクロスオーバーを武器に大学1年生で平均20.9得点を記録する活躍を見せ、アーリーエントリーを宣言してフィラデルフィア・76ersに入団する。
76ersではアレン・アイバーソンとともに破壊力抜群のバックコート形成を期待されたが、ふたりの共存は難しく、2年目のシーズン途中にゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされる。
移籍後すぐはチームの得点源として活躍したものの、故障やジェイソン・リチャードソンの台頭によって出場時間が減少し、フリーエージェントとなった2002年にワシントン・ウィザーズへ移籍した。
ウィザーズでは攻守両面で存在感を発揮し、2004-05シーズンには平均22.0得点、6.3リバウンド、4.7アシスト、2.9スティールを記録。スティール王に輝き、オールディフェンシブ1stチームにも選出されるなど、リーグ屈指のオールラウンドプレーヤーとして評価を高めた。
評価が急上昇したヒューズはクリーブランド・キャバリアーズと大型契約を結ぶ。
リーグを代表する若手スター、レブロン・ジェームズを何としても引き留めたかったキャバリアーズは、優勝を狙える戦力を整えるため、ヒューズに大きな期待を寄せていた。しかし、移籍直後に骨折で長期離脱すると、復帰後も本来のスピードや守備力を取り戻すことができず、高額契約に見合う活躍はできなかった。
その後は移籍を繰り返し、2012年にオーランド・マジックを解雇されてNBAを去った。
左目の下に刻まれた涙のタトゥーは、若くして他界した弟への悲しみを表したものである。
9.ダーク・ノビツキー

Dirk Nowitzki
ポジション:PF / C
所属チーム:DAL(1998~2019)
キャリア平均:20.7PPG、7.5RPG、2.4APG、.380 3P%
個人賞:MVP1回(2006-2007)、Finals MVP回(2010-2011)
ALL TEAM:All-NBA 1st 4回、All-NBA 2nd 5回、All-NBA 3rd 3回
オールスター出場:13回(2002~2012、2014~2015)
ドイツ出身。16歳でドイツのプロチームに加入し、1998年に出場したナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜 vs 世界ジュニア選抜)での活躍がNBAスカウト陣の注目を集め、同年のNBAドラフトにエントリーする。
複数のチームがノビツキーの獲得を狙う中、ダラス・マーベリックスは巧みなドラフト戦略によってノビツキーの交渉権を獲得し、さらにこの一連のトレードで後に長年の相棒となるスティーブ・ナッシュも手中に収めた。
ルーキーシーズンはNBAのフィジカルやスピードに苦しみ不本意な成績に終わったものの、すぐにリーグへ順応し、3年目の2000-01シーズンには平均21.8得点、9.2リバウンド、スリーポイント成功率38.7%を記録。チームを11シーズンぶりのプレーオフ進出へ導き、さらに1回戦では優勝候補ユタ・ジャズを撃破するアップセットを演じた。
以降はノビツキー、ナッシュ、マイケル・フィンリーによる「BIG3」を中心にマーベリックスはリーグ屈指の強豪へと成長する。しかし、好成績を残しながらも優勝には届かないシーズンが続き、2004年にナッシュ、2005年にはフィンリーがチームを去り、一方でノビツキーは絶対的エースとしてチームを支え続けた。
2005-06シーズンにはキャリアハイとなる平均26.6得点、スリーポイント成功率40.6%を記録し、チームを球団史上初のNBAファイナルへ導く。しかし、2連勝で迎えたシリーズ第3戦以降、マイアミ・ヒートの前にまさかの4連敗を喫し、悲願達成はあと一歩で逃した。
翌2006-07シーズン、マーベリックスは67勝15敗というリーグ最高成績を残し、ノビツキー自身も初のシーズンMVPを受賞したが、プレーオフでは第8シードのゴールデンステイト・ウォリアーズに敗れ、NBA史に残る大番狂わせの犠牲となった。プレーオフ敗退後に発表されたMVP受賞は祝福よりも皮肉の対象となり、「大舞台に弱い選手」という評価を受けるようになる。
それでもノビツキーはチームの中心として戦い続け、2010-11シーズン、全盛期を過ぎたと見られていたマーベリックスを再びファイナルへ導き、5年前に敗れたマイアミ・ヒートとの再戦を実現させる。
レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュというリーグ屈指の「BIG3」を擁するヒートの前に劣勢が予想されたが、ノビツキーはシリーズ平均26.0得点、9.7リバウンドの活躍でチームを牽引。左手中指の腱を痛め、高熱を押して出場しながらも勝負どころで次々と決定的なシュートを沈め、4勝2敗で球団初優勝を成し遂げた。
長年「優勝できないスーパースター」と批判され続けたノビツキーは、この優勝で評価を一変させ、ファイナルMVPに輝いた。
その後もフランチャイズプレーヤーとしてマーベリックス一筋21シーズンを戦い抜き、通算31,560得点を記録して2019年に現役を引退。背番号「41」はマーベリックスの永久欠番となり、2023年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。
NBA史上屈指のヨーロッパ出身選手として歴史に名を刻み、数々の球団記録を保持している。213cmの長身から放たれる高精度のシュート、とりわけ片足で後方へ跳びながら放つ「ワンレッグ・フェイドアウェイ」はノビツキーの代名詞となり、レブロン・ジェームズやケビン・デュラントなど後進のスター選手にも大きな影響を与えた。
10.ポール・ピアース

Paul Pierce
出身校:カンザス大学
ポジション:SF / SG
所属チーム:BOS(1998~2013)→BRK(2013~2014)→WAS(2014~2015)→LAC(2015~2017)
キャリア平均:19.7PPG、5.6RPG、3.5APG、1.3SPG、.368 3P%
個人賞:Finals MVP1回(2007-2008)
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-NBA 3rd 3回
オールスター出場:10回(2002~2006、2008~2012)
少年時代からロサンゼルス・レイカーズの大ファンだったピアースは、レイカーズの宿敵であるボストン・セルティックスから指名を受けた当初は複雑な心境を抱いていた。しかし、ドラフトでは3位以内での指名が予想されながら、素行面の噂などから10位まで指名が見送られたことを受け、「見返してやる」という強い決意でNBAのキャリアをスタートさせる。
デビュー直後から洗練されたオフェンスセンスと勝負強さで頭角を現し、リーグを代表するセンターのシャキール・オニールは、対戦後に「That’s the truth.(あいつは本物だ)」と語ったことから、ピアースは「The Truth」の愛称で呼ばれるようになった。
リーグ屈指のスコアラーへと成長したピアースだったが、3年目のシーズン開幕直前、ナイトクラブで暴漢に襲われ、顔や首、背中など11か所を刺される重傷を負う。レン・バイアスやレジー・ルイスの悲劇を経験してきたセルティックスには再び暗い影が落ちたが、ピアースは驚異的な回復を見せ、わずか1か月後の開幕戦に出場。そのシーズンはチームで唯一82試合すべてに出場し、平均25.3得点を記録して周囲を驚かせた。
翌2001-02シーズンには平均26.1得点を記録して初のオールスターに選出されると、セルティックスを7シーズンぶりのプレーオフ進出へ導き、カンファレンス決勝ではニュージャージー・ネッツと激闘を繰り広げた。しかし、その後はチーム力不足もあって低迷が続き、2006-07シーズンにはピアース自身も故障で長期離脱。セルティックスは24勝58敗と球団屈指の低迷を味わう。
シーズン終了後、セルティックスは大改革に踏み切り、多くの選手を放出する代わりにリーグ有数のプレイヤーであるケビン・ガーネットとレイ・アレンを獲得。「BIG3」を結成して優勝へ勝負をかけた。
2007-08シーズン、スター選手同士の共存が懸念される中、3人は互いに役割を尊重し合い、チームを66勝16敗というリーグ最高成績へ導く。
プレーオフでは2度の第7戦を戦うなど苦戦しながらもファイナルへ進出し、21年ぶりに実現した宿敵レイカーズとの頂上決戦を制して悲願の優勝を果たした。
ピアースは憧れ続けたレイカーズを相手にシリーズ平均21.8得点、4.5リバウンド、6.3アシストを記録。第1戦では負傷退場後に劇的な復帰を果たして会場を熱狂させるなど、勝負どころでチームを牽引し、ファイナルMVPに輝いた。
その後もセルティックスの象徴として2013年にトレードでチームを去るまで15シーズンにわたってプレーし、2017年に現役を引退した。
背番号「34」はセルティックスの永久欠番となり、2021年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。
クラッチシュートを何度も沈めたことからNBA屈指の勝負強い選手として知られ、通算得点はジョン・ハブリチェックに次ぐ球団歴代2位を記録している。
11.ボンジー・ウェルズ

Bonzi Wells
出身校:ボールステイト大学
ポジション:SG
所属チーム:POR(1998~2003)→MEM(2003~2005)→SAC(2005~2006)→HOU(2006~2008)→NOH(2008)
キャリア平均:12.1PPG、4.6RPG、2.1APG、1.3SPG
本名はガウェイン・ディアンジェロ・ウェルズ。
ポートランド・トレイルブレイザーズに入団した当初は目立つ成績を残すことができなかったが、次第にオールスター選手のスティーブ・スミスから出場時間を奪う活躍を見せ、4年目の2001-02シーズンにはキャリアハイとなる平均17.0得点を記録するなど、チームの主力選手へと成長した。
ガードとしてはがっしりとした体格を持ち、スピードと強靭なフィジカルを生かしたドライブやポストプレーを武器に得点を重ねた。また、リバウンド力にも優れ、相手エースを守るディフェンダーとしても高く評価されていた。
一方で、ファンへの暴言やヘッドコーチとの衝突、チーム内での問題行動などがたびたび話題となり、「ジェイル・ブレイザーズ」と呼ばれた当時のブレイザーズを象徴する問題児のひとりとして知られた。
2003年にブレイザーズを去ってからは移籍を繰り返したが、2005-06シーズンにサクラメント・キングスで平均13.6得点を記録し、プレーオフでは平均23.2得点、12.0リバウンドと驚異的な活躍を披露。優勝候補サンアントニオ・スパーズを最後まで苦しめ、自身最高とも言えるパフォーマンスを見せた。
しかし、その後はコンディションの悪化やチームとの確執もあって成績を下降させ、2008年を最後にNBAを去った。
13.キオン・クラーク

Keon Clark
出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション:C / PF
所属チーム:DEN(1998~2001)→TOR(2001~2002)→SAC(2002~2003)→UTA(2003~2004)
キャリア平均:8.2PPG、5.9RPG、0.9APG、1.6BPG、.500FG%
身長211cmに対して体重は約100kgと細身ながら、長い手足と優れた運動能力を生かし、ブロックショットとリバウンドで存在感を発揮した。
トロント・ラプターズで迎えた2001-02シーズンにシックスマンとして平均11.3得点、7.4リバウンド、1.5ブロックを記録し、FA市場で一躍注目を集めた。しかし、リーグが新たな「ラグジュアリー税」の導入直前だったことや、自身のマリファナ所持によるイメージダウンもあって、能力に見合う大型契約を結べないままサクラメント・キングスへ移籍した。
キングスでもベンチから平均1.9ブロックを記録するなど守備で貢献したが、2003-04シーズンにユタ・ジャズで2試合に出場したのを最後に、わずか6シーズンというあまりに早いNBAキャリアを終えることになった。
高校時代からアルコール依存症を抱え、NBA在籍中も試合のハーフタイムに飲酒していたことや、薬物問題に苦しんでいたことを自ら告白している。
14.マイケル・ディッカーソン

Michael Dickerson
出身校:アリゾナ大学
ポジション:SG
所属チーム:HOU(1998~1999)→VAN-MEM(1999~2003)
キャリア平均:15.4PPG、2.9RPG、2.6APG、1.0SPG、.402 3P%
大学時代にマイク・ビビーとともにプレーし、アリゾナ大学のNCAAトーナメント優勝に主力として貢献した。
ヒューストン・ロケッツで1シーズンを過ごした後にバンクーバー・グリズリーズへ移籍し、再びビビーとバックコートでコンビを組むことになった。
移籍1年目にはビビー、シャリーフ・アブドゥル=ラヒームらとともに82試合すべてに先発出場し、チーム2位となる平均18.2得点を記録。優れたミドルレンジシュートと堅実なディフェンスを武器に、グリズリーズの将来を担う若きエース候補として期待を集めた。
しかし、その後は脚に負った重度の故障に苦しみ、2001年からの2シーズンでわずか10試合の出場にとどまる。度重なるリハビリにも全盛期の動きを取り戻すことはできず、2003年、27歳の若さで5シーズンという短い現役生活に終止符を打った。
引退後は故郷ヒューストンに戻り、若手選手の育成や地域活動に力を注ぐなど、バスケットボール界への貢献を続けている。
15.マット・ハープリング

Matt Harpring
出身校:ジョージア工科大学
ポジション:SF / SG
所属チーム:ORL(1998~2000)→CLE(2000~2001)→PHI(2001~2002)→UTA(2002~2009)
キャリア平均:11.5PPG、5.1RPG、1.4APG
オーランド・マジックに入団し、1年目は平均8.2得点、4.3リバウンドという平凡な数字に終わったものの、執拗なディフェンスと献身的なプレーが高く評価され、オールルーキー1stチームに選出された。
2001年に移籍したフィラデルフィア・76ersでは、守備とハッスルを重視するラリー・ブラウンHCの信頼を勝ち取り、先発として平均11.8得点、7.1リバウンドを記録。泥臭いプレーでチームに欠かせない存在となった。
76ersで1シーズンを過ごした後にユタ・ジャズへ移籍すると、カール・マローンやジョン・ストックトンから多くを学び、オフボールの動きやシュートの精度が大きく向上。2003-04シーズンにはキャリアハイとなる平均17.6得点を記録し、新時代のジャズを支える中心選手へと成長した。
2003年にマローンの移籍とストックトンの引退によってチームが世代交代を迎えると、ハープリングはチームキャプテンとして持ち前のリーダーシップを発揮。闘志あふれるプレーで若いチームを牽引し、ファンからも高い人気を集めた。
しかし、その後は度重なる膝の故障に苦しみ、徐々に個人成績は下降していく。それでも豊富な経験と精神的支柱としてチームに貢献を続けたが、故障の悪化により2009年に現役を引退した。
頭脳明晰な選手としても知られ、大学時代にはスポーツと学業の両方で優秀な学生に贈られるアカデミック・オールアメリカンに選出されている。
17.ラショー・ネステロビッチ

Rasho Nesterovic
ポジション:C
所属チーム:MIN(1998~2003)→SAS(2003~2006)→TOR(2006~2008)→IND(2008~2009)→TOR(2009~2010)
キャリア平均:6.8PPG、5.1RPG、1.0APG、1.2BPG、.502FG%
ギリシャとスロベニアの二重国籍を持つ213cmのセンター。NBA入り前はスロベニアやイタリアなどヨーロッパでプレーし、ユーロリーグでも実績を積んだ。
ミネソタ・ティンバーウルブズ入団後はしばらく出場機会に恵まれなかったが、4年目の2001-02シーズンに82試合すべてで先発を務めるまでに成長し、翌2002-03シーズンには平均11.2得点、6.5リバウンド、1.5ブロックを記録した。
この活躍が評価され、引退したデビッド・ロビンソンの後継センターを探していたサンアントニオ・スパーズと6年間の長期高額契約を結ぶ。
移籍後は得点こそ減少したものの、堅実なディフェンスやスクリーン、リバウンドでチームを支え、2005年には自身初のチャンピオンリングを獲得している。
グレッグ・ポポビッチHCから守備とチームプレーを忠実に遂行するセンターとして高く評価された。
その後はトロント・ラプターズやインディアナ・ペイサーズでもプレーし、2010年にNBAを離れると、ギリシャのクラブと契約してヨーロッパへ復帰した。
21.リッキー・デイビス

Ricky Davis
出身校:アイオワ大学
ポジション:SG / SF
所属チーム:CHH(1998~2000)→MIA(2000~2001)→CLE(2001~2003)→BOS(2003~2006)→MIN(2006~2007)→MIA(2007~2008)→LAC(2008~2010)
キャリア平均:13.5PPG、3.5RPG、3.3APG、1.0SPG、.361 3P%
アイオワ大学で1年間プレーした後、アーリーエントリーを宣言してシャーロット・ホーネッツに入団する。高い身体能力と得点能力を備えていたものの、デビュー当初は判断力や安定感に欠け、出場時間を勝ち取ることができず伸び悩んだ。
2001年に低迷するクリーブランド・キャバリアーズへ移籍すると、限られた戦力の中でエースへと成長し、2002-03シーズンには平均20.6得点、4.9リバウンド、5.5アシスト、1.6スティールを記録。孤軍奮闘の活躍を見せた。
しかし、シーズン終盤のユタ・ジャズ戦では、キャリア初のトリプルダブルを達成するため、故意に自軍ゴールへシュートを放ってリバウンドを記録しようとする前代未聞のプレーを見せ、記録は認められず大きな批判を浴びた。
2003年にレブロン・ジェームズが加入すると、キャバリアーズは新エースを中心としたチーム作りへと方針転換し、デイビスはボストン・セルティックスへ放出される。
移籍後はチームのサポート役として献身的なプレーを見せ、かつての自己中心的なイメージを徐々に払拭した。
25.アル・ハリントン

Al Harrington
出身校:セントパトリック高校
ポジション:PF
所属チーム:IND(1998~2004)→ATL(2004~2006)→IND(2006~2007)→GSW(2007~2008)→NYK(2008~2010)→DEN(2010~2012)→ORL(2012~2013)→WAS(2013~2014)
キャリア平均:13.5PPG、5.6RPG、1.7APG、.352 3P%
高卒プレイヤーとしてインディアナ・ペイサーズに入団したが、しばらくは目立った成績を残せず、「NBA入りは時期尚早」とも囁かれた。
それでも徐々に出場時間を伸ばし、2002-03シーズンにはチームで唯一82試合すべてに出場して平均12.2得点、6.2リバウンドを記録。シックスマン賞候補にも挙げられる活躍を見せた。
2004年のアトランタ・ホークス移籍後、いよいよその才能が開花し、2008-09シーズンにはキャリアハイとなる平均20.1得点を記録。206cmの恵まれたサイズを持ちながらアウトサイドシュートにも優れ、平均16.5得点を記録した2006-07シーズンにはスリーポイント成功率43.3%という高い数字を残した。
インサイドとアウトサイドの両方で得点できる万能型フォワードとして、2014年まで16シーズンという長い現役生活を送った。
31.ルーベン・パターソン

Ruben Patterson
出身校:シンシナティ大学
ポジション:SF / SG
所属チーム:LAL(1999)→SEA(1999~2001)→POR(2001~2006)→DEN(2006)→MIL(2006~2007)→LAC(2007)
キャリア平均:10.7PPG、4.2RPG、1.8APG、1.2SPG、.517FG%
ロックアウトによって短縮されたルーキーシーズンはギリシャでプレーし、1998-99シーズン後半からロサンゼルス・レイカーズでNBAデビューを果たした。
シーズン終了後にシアトル・スーパーソニックスへ移籍すると、翌1999-2000シーズンには平均11.6得点、5.4リバウンド、FG成功率53.6%を記録し、主力として活躍した。
激しいディフェンスを武器とし、とくに元チームメイトのコービー・ブライアントに対する執拗なマークから、自ら「コービー・ストッパー」を名乗るほどの自信を見せた。
2001年から在籍したポートランド・トレイルブレイザーズでは主力としてプレーした一方、コート内外で問題行動を繰り返し、「ジェイル・ブレイザーズ」を象徴する存在のひとりとなる。
2006-07シーズンにはミルウォーキー・バックスでキャリアハイとなる平均14.7得点、FG成功率54.8%を記録したが、2007年を最後にNBAを離れ、その後はレバノンなど海外リーグでプレーした。
32.ラシャード・ルイス

Rashard Lewis
出身校:アリーフ・エルシク高校
ポジション:SF / PF
所属チーム:SEA(1998~2007)→ORL(2007~2010)→WAS(2010~2012)→MIA(2012~2014)
キャリア平均:14.9PPG、5.2RPG、1.7APG、1.1SPG、.386 3P%
オールスター出場:2回(2005、2009)
NBAで成功を収めた高卒選手のひとりであり、208cmの長身ながら高いアウトサイドシュート能力を備えたビッグマンとして活躍した。
シアトル・スーパーソニックス入団当初は出場時間を勝ち取ることができなかったが、徐々に才能を開花させ、3年目の2000-01シーズンには先発に定着。平均14.8得点、6.9リバウンド、スリーポイントシュート成功率43.2%を記録し、リーグ有数の若手フォワードとして注目を集めた。
その後も毎シーズンのように成績を伸ばし、2003年に加入したレイ・アレンとのコンビはソニックスの強力な得点源となる。2004-05シーズンには平均20.5得点を記録して初のオールスターに選出され、翌シーズンにはキャリアハイとなる平均22.4得点をマークした。
2007年にフリーエージェントとなると、9シーズンを過ごしたソニックスを離れ、当時のNBA史上最高額級となる6年約1億1800万ドルの大型契約でオーランド・マジックへ移籍した。
マジックではドワイト・ハワードを支える主力としてアウトサイドシュートでスペースを広げる重要な役割を担い、2008-09シーズンにはチーム史上2度目となるNBAファイナル進出に大きく貢献した。
一方で、巨額契約に見合う成績を残しているかについては常に議論の対象となり、故障で成績が下降すると契約額への批判も強まっていった。
2012年にマイアミ・ヒートへ移籍すると、かつてのチームメイトであるレイ・アレンと再び共闘。ベンチから得点を狙うシューターとしてチームに厚みを加え、2013年には自身初となるNBAチャンピオンに輝いた。
39.レイファー・アルストン

Rafer Alston
出身校:カリフォルニア州立大学フレズノ校
ポジション:PG
所属チーム:MIL(1999~2002)→TOR(2003)→MIA(2003~2004)→TOR(2004~2005)→HOU(2005~2009)→ORL(2009)→NJN(2009~2010)→MIA(2010)
キャリア平均:10.1PPG、2.8RPG、4.8APG、1.2SPG、.354 3P%
高校時代から「スキップ・トゥ・マイ・ルー」の愛称で知られるストリートボーラーとして名を馳せ、地元ニューヨークで絶大な人気を誇った。
この頃、アルストンの家族が彼のプレー映像をアパレルメーカーのAND1へ送り、その映像をヒップホップ音楽に乗せて編集した「AND1 Mixtape」が爆発的な人気を獲得、世界的なストリートボールブームの火付け役となった。この人気を足がかりに大学へ進学し、その後NBA入りを果たす。
ストリート出身選手として大きな注目を集めたが、NBA入り後は派手なプレーを封印し、正統派ポイントガードへプレースタイルを変化させたことで、リーグ屈指の司令塔へと成長した。
トロント・ラプターズ在籍時の2004-05シーズンにはキャリアハイとなる平均14.2得点、6.4アシストを記録している。
2008-09シーズン途中からオーランド・マジックに在籍し、故障したジャミーア・ネルソンに代わって正ポイントガードとしてNBAファイナル進出にも貢献した。
41.カッティーノ・モーブリー

Cuttino Mobley
出身校:ロード・アイランド大学
ポジション:SG / SF
所属チーム:HOU(1998~2004)→ORL(2004~2005)→SAC(2005)→LAC(2005~2008)
キャリア平均:16.0PPG、3.9RPG、2.7APG、1.2SPG、.378 3P%
ニックネームは「キャット」。
アキーム・オラジュワンらスター選手が揃うヒューストン・ロケッツにドラフト下位指名で入団したが、1年目から平均9.9得点を記録して存在感を示した。
2年目はシックスマンとして平均15.8得点を記録し、新人スティーブ・フランシスとともにロケッツを牽引。その後は先発へ定着し、フランシスとの強力なバックコートを形成すると、2001-02シーズンにはキャリアハイとなる平均21.7得点を記録した。
一方で、フランシスとともにボールを持ち過ぎるプレースタイルを批判されることもあり、ロケッツがヤオ・ミンを中心としたチーム作りへ舵を切ると、2004年にフランシスとともにオーランド・マジックへトレードされる。
マジックではわずか数日でサクラメント・キングスへ再トレードされ、シーズン終了後にロサンゼルス・クリッパーズへ移籍。クリッパーズでは得点源として活躍し、チームを久々のプレーオフ進出へ導いた。
2008年にニューヨーク・ニックスへ移籍したが、入団前のメディカルチェックで肥大型心筋症が判明し、健康上の理由から現役引退を余儀なくされた。



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