前年のドラフト・翌年のドラフト・ドラフトトップ
新人王:アーニー・ディグレゴリオ(Ernie DiGregorio)
All Rookie Team
1st:マイク・バントム、ロン・ベハーゲン、ジョン・ブラウン、アーニー・ディグレゴリオ、ニック・ウェザースプーン
主なプレイヤー
1.ダグ・コリンズ(Doug Collins)

出身校:イリノイ州立大学
ポジション: SG
所属チーム:PHI(1973~1981)
キャリア平均:17.9PPG、3.2RPG、3.3APG、1.2SPG、.501FG%
オールスター出場:4回(1976~1979)
1972年、イリノイ州立大学在学中にミュンヘン五輪に出場し、銀メダルを獲得した。
この大会は、オリンピックでバスケットボールが正式種目となって以来、アメリカが初めて金メダルを逃した大会であり、決勝戦の終了間際の不可解な判定が勝敗に大きく影響した(と考えられている)「ミュンヘンの悲劇」として知られている。
この決勝戦で終了直前にソ連チームからボールをスティールし、逆転のフリースローを決めたのがコリンズだった。
結局試合には敗れたが、この大会で評価を高めたコリンズは、大学卒業後にNBAとABAの両リーグからドラフト指名を受け、前シーズンに9勝73敗というNBA最低勝率を記録したフィラデルフィア・76ersへの入団を決意する。
1年目は25試合の出場で平均8.0得点と期待外れの結果に終わったが、2年目からはチームの主力となる活躍を見せ、3年目のシーズンには平均20.8得点の活躍で76ersを5シーズンぶりのプレイオフに導いた。
コリンズはオールスター選手となり、1976年にジュリアス・アービングが加入すると、76ersは優勝を狙う強豪チームへと変貌した。
チームは毎シーズンのように優勝目前まで迫ったが、コリンズは故障で47試合の出場にとどまった1978-79シーズンを境に数字を下降させ、1981年に29歳で現役を引退する事になった。
76ersはコリンズ引退の2年後に優勝を果たしている。
youtube:http://youtu.be/Ubwb042Jspk
2.ジム・ブリュワー(Jim Brewer)

出身校:ミネソタ大学
ポジション:PF
所属チーム:CLE(1973~1979)→DET(1979)→POR(1979~1980)→LAL(1980~1982)
キャリア平均:5.8PPG、6.3RPG、1.5APG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
クリーブランド・キャバリアーズに入団すると、1年目から20分を超える出場時間を得てチームの重要なインサイドプレイヤーとして活躍した。
3年目には平均11.5得点、10.9リバウンドを記録してシーズン・ダブルダブルを達成し、オールディフェンシブ2ndチームにも選出されている。
1979年に6シーズンを過ごしたキャバリアーズを去ってからは、出場時間が減少し、4シーズンをプレーした後、1982年に現役を引退した。
甥のドック・リバースも元NBA選手として活躍した。
youtube:http://youtu.be/eAzF1MLqZ2Y
3.アーニー・ディグレゴリオ(Ernie DiGregorio)

出身校:プロビデンス大学
ポジション: PG
所属チーム:BUF(1973~1977)→LAL(1977~1978)→BOS(1978)
キャリア平均:9.6PPG、2.0RPG、5.1APG、.902FT%
個人賞:Rookie of the Year
愛称は「アーニー・D」。
バッファロー・ブレーブスに入団し、リーグ屈指の司令塔として新人王を獲得する活躍を見せたが、キャリアの早期に深刻な怪我を負い、選手生活は5シーズンという短命に終わった。
1年目に平均15.2得点、リーグトップの8.2アシスト、同じくリーグトップのフリースロー成功率90.2%を記録したが、2年目は故障によりシーズンの大半を欠場した。
その後は制限された出場時間の中で数字も低下させていったが、1976-77シーズに新人時代以来の81試合に出場し、当時のNBA記録となるフリースロー成功率94.5%という数字を残した。
健康を取り戻したかに見えたディグレゴリオだったが、シーズン終了後に移籍したロサンゼルス・レイカーズでは活躍できないままシーズン中に解雇され、すぐボストン・セルティックスと契約したものの、27試合に出場した後は2度とコートに戻る事はなかった。
1981年に正式に現役からの引退を表明した。
youtube:http://youtu.be/NY65sR4rvA0
5.カーミット・ワシントン(Kermit Washington)

出身校:アメリカン大学
ポジション: PF
所属チーム:LAL(1973~1977)→BOS(1977~1978)→SDC(1978~1979)→POR(1979~1982)、GSW(1987)
キャリア平均:9.2PPG、8.3RPG、1.4APG、1.1BPG、.526FG%
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:1回(1980)
大学4年生時に平均20.8得点、20.4リバウンドを記録し、ドラフトでは5位指名という高評価を受けてロサンゼルス・レイカーズに入団する。
デビューから3シーズンは目立った活躍はできなかったが、コーチの指導で除々にプレーに改善がみられるようになり、4年目の1976-77シーズンに平均9.7得点、9.3リバウンドを記録するなど、リーグ屈指のタフプレイヤーとして活躍を始めた。
翌シーズンもダブルダブルの数字を記録する活躍を見せていたが、シーズン中にリーグを騒然とさせる事件を起こしてしまう。
ヒューストン・ロケッツとのゲーム中、レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーがロケッツ選手と揉み合いになり、加勢に向かったワシントンは喧嘩を止めに入ったロケッツのルディ・トムジャノビッチを殴って頭部複雑骨折という瀕死の重傷を負わせる。
ワシントンは罰金と当時NBA最長となる26試合の出場停止処分が科せられる事になったが、ロケッツのエースだったトムジャノビッチはその後のキャリアに深刻な問題を抱える事になり、ワシントンのもとには全米中から批判が殺到した。
ワシントンは事件からしばらくしてボストン・セルティックスにトレードで放出され、シーズン終了後に再びトレードされるなど、事件後はチームを転々とする事になった。
リーグの嫌われ者となったワシントンだったが、ポートランド・トレイルブレイザーズがワシントンの獲得を強く希望し、1979年にブレイザーズに移籍した。
ポートランドのファンはワシントンを温かく受け入れ、その声援に応えるように移籍1年目に平均13.4得点、10.5リバウンドを記録し、初のオールスター出場を果たした。
その後、背中や膝の故障悪化により1982年に現役を引退したが、1987年にゴールデンステイト・ウォリアーズで6シーズンぶりにコートに立ち、6試合に出場した。
youtube:http://youtu.be/ZC9IH8jOVYI
7.ロン・ベハーゲン(Ron Behagen)

出身校:ミネソタ大学
ポジション: PF
所属チーム:KCO(1973~1975)→NOJ(1975~1977)→ATL(1977)→HOU(1977)→IND(1977~1978)→DET(1978)→NYK(1979)→KCK(1979)→WSB(1980)
キャリア平均:10.3PPG、7.0RPG、1.6APG
カンザスシティ・オマハ・キングスでプレーを始めたベハーゲンは、1年目から多くの出場時間を得て、平均11.0得点、7.1リバウンドを記録、オールルーキー1stチームに選出される。
1975年にニューオリンズ・ジャズへ移籍すると、移籍1年目にそれぞれキャリアハイとなる平均11.5得点、8.4リバウンドを記録した。
しかしすぐにチームを去る事になり、3シーズンで7つのチームを渡り歩く解雇と契約を繰り返すシーズンをおくった後、1980年に現役を引退した。
8.マイク・バントム(Mike Bantom)

出身校:セント・ジョゼフズ・ユニバーシティ
ポジション:SF、PF
所属チーム:PHO(1973~1975)→SEA(1975~1977)→NYK(1977)→IND(1977~1982)→PHI(1982)
キャリア平均:12.1PPG、6.4RPG、2.3APG
フェニックス・サンズに入団し、1年目に平均10.1得点、6.8リバウンドを記録してオールルーキー1stチームに選出された。
2年目以降も順調な成長を見せたが、新戦力の活躍により出場機会が激減した3年目のシーズンにシアトル・スーパーソニックスにトレードで放出された。
その後は活躍できないシーズンが続いたが、1977年にインディアナ・ペイサーズに移籍すると、移籍1年目にキャリアハイとなる平均15.3得点、7.4リバウンドを記録し、以降5シーズンにわたってペイサーズの主力として活躍した。
引退後は長年に渡ってNBAの幹部を務めている。
10.ジョン・ブラウン(John Brown)

出身校:ミズーリ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:ATL(1973~1978)→CHI(1978~1979)→UTA(1979)→ATL(1980)
キャリア平均:7.4PPG、4.4RPG、1.4APG
アトランタ・ホークスに入団し、1年目に平均9.3得点、5.7リバウンドを記録してオールルーキー1stチームに選出され、翌シーズンにはキャリアハイとなる平均11.2得点、5.9リバウンドを記録した。
ホークスでは主に控えとして5シーズンを過ごし、1978年にチームを去ると、2シーズンをプレーした後に現役を引退した。
13.ニック・ウェザースプーン(Nick Weatherspoon)

出身校:イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校
ポジション: SF
所属チーム:CAP-WSB(1973~1976)→SEA(1976~1977)→CHI(1977~1978)→SDC(1978~1980)
キャリア平均:9.0PPG、4.9RPG、0.9APG
1年目はキャピタル・ブレッツで平均7.6得点、6.1リバウンドを記録し、オールルーキー1stチームに選出された。
しかし、名選手を多く抱える強豪チームの中で出場時間を勝ち取る事ができず、1976-77シーズンの途中にシアトル・スーパーソニックスにトレードされた。
移籍後は2桁を超える得点を記録したが、シーズン終了後に解雇され、翌シーズンはシカゴ・ブルズでプレーしたものの、またしてもシーズンが終わると解雇された。
その後に加入したサンディエゴ・クリッパーズでは、先発フォワードとして82試合全てに出場し、キャリアハイとなる平均13.8得点を記録する活躍を見せる。
ようやく主力としてチームに定着できるかに見えたが、翌シーズンに数字を低下させると、シーズン終了後に現役から引退した。
16.スウェン・ネイター(Swen Nater)

出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション: C
所属チーム:ABA(1973~1976)→MIL(1976~1977)→BUF-SDC(1977~1983)→LAL(1983~1984)
キャリア平均:12.4PPG、11.6RPG、1.7APG、.535FG%
個人賞:ABA Rookie of the Year
ALL TEAM:All-ABA 2nd 2回
オールスター出場:2回(1974~1975)
211cmの長身を武器に活躍し、大学時代はUCLAで2連覇に貢献している。
1973年にABAのバージニア・スクワイアーズに入団し、プロのキャリアをスタートさせた。
1年目のシーズン序盤にサンアントニオ・スパーズにトレードされ、平均14.1得点、12.6リバウンドの活躍で新人王を受賞し、オールスターにも選出された。
翌シーズンは平均16.4本でリバウンド王となり、2シーズン連続のオールスター出場を果たしている。
1976年のABA消滅によりスパーズはNBAに加盟する事になったが、ネイターは1973年のNBAドラフトで指名されたミルウォーキー・バックスでプレーする事になり、1年目から平均13.0得点、12.0リバウンドの活躍を見せた。
シーズン終了後にバッファロー・ブレーブスに移籍し、1979-80シーズンに平均13.4得点、15.0リバウンドを記録してABA時代以来のリバウンド王に輝いた。
翌シーズンにはキャリアハイとなる平均15.6得点を記録するなどNBA加入後も活躍を続けたが、続く2シーズンは故障に苦しみ、1983年からロサンゼルス・レイカーズで1シーズンをプレーした後に現役を引退した。
youtube:http://youtu.be/HEvYbFF67os
22.ジョージ・マクギニス(George McGinnis)

出身校:インディアナ大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:ABA(1971~1975)→PHI(1975~1978)→DEN(1978~1980)→IND(1980~1982)
キャリア平均:20.2PPG、11.0RPG、3.7APG、1.9SPG
個人賞:ABA MVP1回(1974-1975)
ALL TEAM:All-ABA 1st 2回、All-ABA 2nd 1回、All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:6回(1973~1975、1976~1977、1979)
インディアナ大を2年で中退し、1971年にABAのインディアナ・ペイサーズに入団する。
1年目にチームを優勝に導くと、その後も得点王の獲得、MVP受賞など、ABAを代表するスター選手として活躍した。
当時のNBAでは大学在学中の選手をドラフト指名する事ができなかったが、マクギニスが大学を卒業する年齢になった1973年に、NBAのフィラデルフィア・76ersがマクギニスを強行指名した。
マクギニスはその後もABAでのプレーを続けたが、1975年にABAニューヨーク・ネッツに移籍した際に、76ersがネッツに対してマクギニスの所有権放棄を迫り、ネッツがこの要求に屈したため、1975-76シーズンから76ersでプレーを始める事になった。
NBAへと活躍の舞台を変えたマクギニスだったが、1年目から平均23.0得点、12.6リバウンド、4.7アシスト、2.6スティールを記録し、低迷していたチームをプレイオフ進出に導くなどABA時代と変わらない活躍を見せた。
翌1976年にはABAが消滅し、ABA最大のスターであり、マクギニスにとって最大のライバルでもあったジュリアス・アービングがチームに加入する。
マクギニスとアービングのフォワードコンビはリーグで猛威を振るい、アービング加入1年目にファイナル進出を果たすなど、長く低迷を続けていた名門チームは強豪へと返り咲く事に成功する。
しかし二人の活躍にも関わらず、周囲からはマクギニスとアービングの共存は難しいと考えられ、優勝にあと一歩で届かないシーズンが続くと、次第にチーム内部からも否定的な意見が出るようになった。
1978年にトレードでデンバー・ナゲッツに移籍する事になり、さらに1980年にはABAからNBAに加盟していた古巣ペイサーズにトレードされる。
そしてキャリアで初めて平均得点が2桁を割り込んだ1981-82シーズンが終了すると、現役からの引退を決意した。
引退後は生まれ育ったインディアナで地域活性活動に尽力し、NCAAトーナメントのインディアナポリス開催などを実現させている。
背番号『30』はペイサーズで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/z8tkDEUijz4
31.ジム・チョーンズ(Jim Chones)

出身校:マーケット大学
ポジション: C、PF
所属チーム:ABA(1972~1974)→CLE(1974~1979)→LAL(1979~1981)→WSB(1981~1982)
キャリア平均:12.5PPG、8.2RPG、1.6APG、1.1BPG
1972年にABAのニューヨーク・ネッツに入団し、1年目からチームの主力として活躍した。
1974年にNBAのクリーブランド・キャバリアーズに移籍し、1975-76シーズンにキャリアハイとなる平均15.8得点を記録、1977-78シーズンから2年連続でシーズン・ダブルダブルを記録している。
1979年にロサンゼルス・レイカーズに移籍し、先発フォワードとしてこのシーズンの優勝に貢献した。
32.コルドウェル・ジョーンズ(Caldwell Jones)

出身校:オールバニー州立大学
ポジション: C、PF
所属チーム:ABA(1973~1975)→PHI(1975~1982)→HOU(1982~1984)→CHI(1984~1985)→POR(1985~1989)→SAS(1989~1990)
キャリア平均:7.9PPG、8.2RPG、1.4APG、1.8BPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 2回
オールスター出場:1回(1975)
ドラフトではフィラデルフィア・76ersから指名を受けたが、ABAのサンディエゴ・コンキスタドールズでのプレーを選択する。
211cmの長身を武器に1年目から平均4.0本でブロック王に輝くと、2年目は平均19.5得点、14.1リバウンド、3.2ブロックの活躍でオールスター出場を果たす。
1976年にABAが消滅すると、1973年のNBAドラフトで指名を受けていたフィラデルフィア・76ersでプレーする事になった。
チームには得点能力の高い選手が揃っていたため、ジョーンズはリバウンドやブロックなどディフェンス面で強豪チームを支え、2度オールディフェンシブ1stチームに選出される活躍を見せた。
1982年にフリーエージェントとなったモーゼス・マローンが76ersに加入し、ジョーンズはマローンの見返りとしてヒューストン・ロケッツに移籍した。
その後は移籍を繰り返す事になったが、1990年まで17シーズンという長い選手生活を送った。
youtube:http://youtu.be/EmEhz5Jb1MM
50.ラリー・ケノン(Larry Kenon)

出身校:メンフィス大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:ABA(1973~1976)→SAS(1976~1980)→CHI(1980~1982)→GSW(1982~1983)→CLE(1983)
キャリア平均:17.2PPG、8.9RPG、2.2APG、1.3SPG
オールスター出場:5回(1974~1976、1978~1979)
ドラフトではデトロイト・ピストンズから指名を受けたが、ABAのニューヨーク・ネッツでのプレーを選択した。
1年目から平均15.9得点、11.5リバウンドを記録してオールスターに選出され、プレイオフではジュリアス・アービングらとともにチームを優勝に導く。
その後、サンアントニオ・スパーズへトレードされ、1976年のABA消滅に伴い、NBAに加盟する事になったスパーズとともにNBAのキャリアをスタートさせる。
NBA加入1年目から4シーズン連続で平均20得点以上を記録し、1978-79シーズンには平均22.1得点、9.8リバウンド、4.1アシスト、1.9スティールを記録するなど、エースのジョージ・ガーヴィンとともにスパーズを強豪に導く活躍を見せた。
1976年に記録した1試合11スティールは、現在もケンドール・ギルと並ぶ歴代1位の記録となっている。
youtube:http://youtu.be/gJcnB2x0Jqk
51.E.C.コールマン(E.C. Coleman)

出身校:ヒューストン・バプティスト大学
ポジション: PF
所属チーム:HOU(1973~1974)→NOJ(1974~1977)→GSW(1977~1978)→HOU(1978)
キャリア平均:7.2PPG、6.0RPG、1.3APG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd1 回
ヒューストン・ロケッツでの1年目は目立った成績を残すことができず、シーズン終了後にエクスパンションドラフトで新設されたばかりのニューオリンズ・ジャズへと移籍した。
ジャズでは持ち前のディフェンス力を発揮して主力選手へと成長し、1976-77シーズンにオールディフェンシブ1stチームに選出される活躍を見せた。
1977年にフリーエージェントとなってチームを去ってからは活躍できず、1978年に新人時代を過ごしたロケッツに加入したが、6試合に出場した後に解雇され、そのまま現役から引退する事になった。
76.M.L.カー(M.L. Carr)

出身校:ギルフォード大学
ポジション: SF
所属チーム:ABA(1975~1976)→DET(1976~1979)→BOS(1979~1985)
キャリア平均:10.0PPG、4.5RPG、2.0APG、1.4SPG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回
1973年にABAのケンタッキー・カーネルズに参加したものの開幕前にカットされ、イスラエルのプロリーグで2シーズンを過ごす。
1975年からABAのスピリッツ・オブ・セントルイスで1シーズンをプレーし、1976年のABA消滅により、この年からNBAのデトロイト・ピストンズでプレーをスタートさせた。
ピストンズではABA時代から評価されていたディフェンス力で活躍し、1978-79シーズンにリーグ2位となる平均40.1分の出場時間を得ると、平均18.7得点、7.4リバウンド、3.3アシスト、そしてリーグトップとなる2.5スティールを記録し、オールディフェンシブ2ndチームにも選出された。
1979年から引退する1985年までボストン・セルティックスでプレーし、シックスマンとして2度の優勝に貢献している。
野次の名手として知られ、ロサンゼルス・レイカーズのパット・ライリーから「チンピラ」と表現された。
youtube:http://youtu.be/SXLFWK1kNWE
96.ジョン・ウィリアムソン(John Williamson)

出身校:ニューメキシコ州立大学
ポジション: SG
所属チーム:ABA(1973~1976)→NYN(1976~1977)→IND(1977~1978)→NJN(1978~1980)→WSB(1980)
キャリア平均:17.5PPG、2.5RPG、2.8APG、1.1SPG
188cmのガードプレイヤーで、学生時代は「スーパー・ジョン」の異名を持つ圧倒的なスコアラーとして活躍した。
1973年にABAのニューヨーク・ネッツに入団し、ジュリアス・アービングらとともに2度の優勝に貢献している。
1976年のABA消滅後、ネッツはNBAに加盟する事になったが、莫大な加盟料を支払うためにアービングの放出を強いられ、ウィリアムソンも1976-77シーズンの途中にインディアナ・ペイサーズにトレードされる事になった。
NBAでのプレーをスタートさせてから3シーズン連続で平均20得点以上を記録し、1977-78シーズンの途中にニュージャージ・ネッツと名前を変えた古巣に復帰すると、後半戦に平均29.5得点と爆発力を見せた。
しかし、特定のチームに定着できずに移籍を繰り返し、1980年のワシントン・ブレッツ移籍を境に急激に成績を悪化させると、翌1981年に29歳で現役を引退した。
1996年に糖尿病による肝不全で45歳で死去した。
youtube:http://youtu.be/RRe4_jwFRhY



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