1975年 NBAドラフト

NBAネタ
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前年のドラフト翌年のドラフトドラフトトップ
 
新人王:アルバン・アダムス(Alvan Adams)
All Rookie Team
1st:アルバン・アダムスライオネル・ホリンズジョー・メリウェザーガス・ウィリアムスジョン・シューメイト(1974年ドラフト)
 
主なプレイヤー
 
※赤字はABA時代のもの・キャリア平均はNBA・ABAの通算平均
1.デビッド・トンプソン(David Thompson)
0

出身校:ノースカロライナ州立大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:ABA(1975~1976)→DEN(1976~1982)→SEA(1982~1984)
キャリア平均:22.7PPG、4.1RPG、3.3APG、1.0SPG、.505FG%
個人賞:Rookie of the Year、All-Star Game MVP2回(1976、1979)
ALL TEAM:All-NBA 1st 2回、All-ABA 2nd 1回
オールスター出場:5回(1976、1977~1979、1983)

ギネスブックにも登録された垂直飛び122cmの驚異的な跳躍力を誇り、193cmの身長ながらバックボード上のコインを取ることができたなど様々な逸話が残っている。
ノースカロライナ州立大では「スカイ・ウォーカー」の異名で呼ばれ、1974年のNCAAトーナメントでは大会7連覇中のUCLAを準決勝で破り、チームを初の優勝に導いている。
当時の活躍はノースカロライナに住む少年時代のマイケル・ジョーダンにも強い影響を与え、ジョーダンは自身が殿堂入りする際にトンプソンをプレゼンターに選んでいる。
ドラフトではNBAとABAのチームが同時に指名し、ルーキーとしてはプロスポーツ史上最高額の契約を結んでABAデンバー・ナゲッツへの入団を決める。
1年目からさっそく平均26.0得点の活躍を見せて新人王を受賞すると、チームの観客動員数も前年のほぼ2倍となる驚異的な伸びとなり、チームは興行的にも大成功を収めた。
シーズン終了後にABAが消滅すると、ナゲッツはNBAに加盟する事になり、トンプソンはナゲッツの選手としてNBAにデビューする。
ABAのチームがNBAで通用するかは疑問視されたが、ラリー・ブラウンが指揮を執り、トンプソンのほかにダン・イッセルボビー・ジョーンズら名選手を揃えるナゲッツはNBA加入1年目にして地区優勝を果たす。
平均25.9得点、4.1リバウンド、4.1アシストの活躍でチームを牽引したトンプソンは、オールスターに選出されたほかオールNBA1stチーム入りも果たし、NBAを代表する選手となった。
翌シーズンにはサンアントニオ・スパーズのジョージ・ガーヴィンと熾烈な得点王争いを繰り広げ、レギュラーシーズン最終戦で73得点を叩き出したものの、わずか0.07得点差の平均27.15得点でリーグ2位となり、惜しくも得点王のタイトルを逃した。
プロ3年目のシーズンが終了すると、ナゲッツと当時のアメリカプロスポーツ史上最高額となる5年400万ドルという超大型契約を結ぶ。
差別と貧困にまみれた少年時代を過ごしたトンプソンは、若くしてリーグ最高峰の選手となり、大金と名声を手に入れ絶頂期を迎えたが、次第に薬物とアルコールがそのキャリアを蝕んでいく。
新人時代に経験した薬物はシーズンを負うごとに使用頻度が増え、次第にプレーに身が入らなくなると、練習の遅刻や無断欠席など問題行動を続けた。
1979年のオールスターゲームでMVPを獲得するなどトップレベルの選手として活躍していたが、故障をきっかけに薬物・アルコール依存が進み、パフォーマンスは急激に悪化していった。
1981-82シーズン終了後、ナゲッツはトンプソンの放出を決意し、デビュー以来、7シーズンを過ごしたチームを去る事となった。
シアトル・スーパーソニックス移籍後、トンプソンはオフにリハビリ施設に入って薬物からの脱却を図ったが、1983年にニューヨーク・マンハッタンのクラブで泥酔状態のまま階段から転落して左膝に重傷を負い、その後2度とNBAのコートに戻る事はなかった。
引退後も薬物から逃れる事ができず、自己破産を申請するなど生活は落ち込むが、キリスト教の信仰をきっかけに薬物を断ち切る事に成功し、社会復帰を果たしている。
背番号『33』はナゲッツの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/cdPV-vxHRTo
 
3.マーヴィン・ウェブスター(Marvin Webster)
01

出身校:モーガン州立大学
ポジション: C
所属チーム:ABA(1975~1976)→DEN(1976~1977)→SEA(1977~1978)→NYK(1978~1984)、MIL(1987)
キャリア平均:7.0PPG、6.8RPG、1.2APG、1.4BPG

ドラフトではNBAとABAから同時に指名を受け、ABAのデンバー・ナゲッツでプレーする事を選択する。
NBAドラフト1位指名選手のデビッド・トンプソンもABAを選択し、この結果に衝撃を受けたNBAは、足踏みしていたABAとの合併交渉を一気に進展させる事になった。
ウェブスターは満足な成績を残せないまま1シーズンでABA消滅を迎え、NBAに加入する事になったナゲッツとともにNBAでのキャリアをスタートさせたが、やはり活躍できずに1シーズンでトレードされた。
移籍先のシアトル・スーパーソニックスで先発として起用されると、移籍1年目に平均14.0得点、12.6リバウンド、2.0ブロックと大きく成績を伸ばした。
プレイオフに入るとさらに調子を上げ、22試合に出場して平均16.1得点、13.1リバウンド、2.6ブロックを記録し、チームのファイナル進出に貢献している。
しかし、シーズン終了後にフリーエージェントとなってチームを去ると、その後はソニックス時代のような活躍を見せる事はできなかった。
2009年、56歳で死去している。
youtube:http://youtu.be/tu88RzPdAto
 
4.アルバン・アダムス(Alvan Adams)
03

出身校:オクラホマ大学
ポジション: C、PF
所属チーム:PHO(1975~1988)
キャリア平均:14.1PPG、7.0RPG、4.1APG、1.3SPG
個人賞:Rookie of the Year
オールスター出場:1回(1976)

フェニックス・サンズに入団すると、1年目に平均19.0得点、9.1リバウンド、5.6アシスト、1.5スティール、1.5ブロックを記録し、主要カテゴリーで新人トップを独占するという活躍を見せて新人王を獲得した。
各スタッツのほとんどはルーキーイヤーがキャリアハイとなったが、キャリア前半は常に同様の成績を残し続け、サンズの中心選手として活躍した。
デビューから13シーズンをサンズ一筋でプレーし、通算試合出場数や通算リバウンドなど、いくつものチーム記録を保持している。
背番号『33』はサンズの永久欠番となったが、グラント・ヒルはサンズでプレーする際にアダムスの許可を得て『33』のユニフォームを着用している。
youtube:http://youtu.be/mv0vDK7jHlI
 
5.ダリル・ドーキンス(Darryl Dawkins)
0

出身校:メイナード・エヴァンス高校
ポジション: C
所属チーム:PHI(1975~1982)→NJN(1982~1987)→UTA(1987)→DET(1987~1989)
キャリア平均:12.0PPG、6.1RPG、1.3APG、1.4BPG、.572FG%

ラブトロン星から来たと主張するドーキンスは社交的でユーモアがあり、「チョコレート・サンダー」の愛称で多くのファンに親しまれた。
シャキール・オニールはドーキンスを「パワーダンクの父」と呼び、バックボードをも粉砕するパワフルなダンクを見せたほか、ダンクに個性的な名前を付ける事でも知られている。
高校から大学を経ずに直接NBA入りし、フィラデルフィア・76ers入団当初は出場時間を制限されていたものの、3年目には平均11.7得点、7.9リバウンド、1.8ブロック、リーグ2位のFG成功率57.5%を記録するなど早くも頭角を現す。
76ersではデビューから7シーズンを過ごし、3度のファイナル進出に貢献したが、1982年のファイナルでロサンゼルス・レイカーズに敗退すると、チームはヒューストン・ロケッツからシーズンMVPに輝いたモーゼス・マローンを獲得し、ドーキンスはドラフト指名権とのトレードでニュージャージ・ネッツに放出された。
ネッツ移籍後、1983-84シーズンにキャリアハイとなる平均16.8得点を記録し、プレイオフの初戦では前年王者の古巣76ersを破る金星をあげている。
キャリアを通してFG成功率が高く、多くのシーズンで60%前後を記録した。
また、パーソナルファウルも非常に多く、ネッツ移籍1年目に379ファウル、翌シーズンに386ファウルを犯し、現在もNBA歴代1位と2位の記録となっている。
NBAを去ってからはイタリアやCBA、またハーレム・グローブ・トロッターズにも参加するなど長い選手生活を送り、2000年までプレーを続けた。
2015年、心臓発作のため58歳で他界。
youtube:http://youtu.be/2V7z1UY1WbE

 
6.ライオネル・ホリンズ(Lionel Hollins)
01

出身校:アリゾナ州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:POR(1975~1980)→PHI(1980~1982)→SDC(1982~1983)→DET(1983~1984)→HOU(1984~1985)
キャリア平均:11.6PPG、2.4RPG、4.5APG、1.6SPG
ALL TEAM:All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:1回(1978)

ニックネームは「L-トレイン」。
ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、1年目に平均10.8得点、4.1アシスト、1.8スティールを記録してオールルーキー1stチームに選出される。
2年目にはチームはプレイオフ初進出にしてファイナルまで勝ち上がる快進撃を見せ、ホリンズはシリーズ平均16.0得点という活躍で初優勝に貢献した。
翌シーズンは司令塔としてチャンピオンチームを牽引し、平均15.9得点、4.7アシスト、1.9スティールの活躍でオールスターに選出されたほか、オールディフェンシブ1stチーム入りも果たした。
故障で調子を落とした1979-80シーズンの途中にブレイザーズを去る事になったが、移籍してすぐフィラデルフィア・76ersでファイナルに進出し、敗れたもののシリーズ平均12.8得点、8.8アシスト、2.0スティールの活躍を見せた。
以降、76ersで3シーズンを先発としてプレーし、チームの好成績に貢献している。
ヒューストン・ロケッツでのプレーを最後に1985年に現役を引退した。
背番号『14』はブレイザーズで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/U_AX9kIBskI
 
7.リッチ・ケリー(Rich Kelley)
03

出身校:スタンフォード大学
ポジション: C
所属チーム:NOJ(1975~1979)→NJN(1979~1980)→PHO(1980~1982)→DEN(1982~1983)→UTA(1983~1985)→SAC(1985~1986)
キャリア平均:7.6PPG、7.0RPG、2.6APG

ニューオリンズ・ジャズ入団当初は控えとしてプレーしていたが、徐々に出場時間を増やし、先発で起用されるようになった4年目にキャリアハイとなる平均15.7得点、12.8リバウンド、2.1ブロックを記録した。
しかし、シーズン終了後にトレードでチームを去ると、その後は再び控えとしてプレーする事になり、ジャズ時代のような活躍を見せる事はできなかった。
 
8.ジュニア・ブリッジマン(Junior Bridgeman)
0

出身校:ルイビル大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:MIL(1975~1984)→LAC(1984~1986)→MIL(1987)
キャリア平均:13.6PPG、3.5RPG、2.4APG

ミルウォーキー・バックスに入団し、2年目に平均14.4得点を記録すると、以降、8シーズンにわたり平均15得点前後を稼ぐシックスマンとして活躍した。
カリーム・アブドゥル=ジャバーが退団して成績を低迷させたバックスは、ブリッジマンらが活躍した80年代前半に地区優勝を独占し続ける強豪へと返り咲いている。
デビューから9シーズンをバックスで過ごし、1984年からロサンゼルス・クリッパーズで2シーズンをプレーした後、現役最後のシーズンをバックスで過ごして引退した。
背番号『2』はバックスの永久欠番となっている。
引退後は企業家としても成功を収めている。
 
11.ジョー・メリウェザー(Joe Meriweather)
01

出身校:サザンイリノイ大学
ポジション: C、PF
所属チーム:HOU(1975~1976)→ATL(1976~1977)→NOJ(1977~1979)→NYK(1979~1980)→KCK(1980~1985)
キャリア平均:8.1PPG、5.6RPG、0.9APG、1.2BPG、.511FG%

ヒューストン・ロケッツでの1年目に平均10.2得点、6.4リバウンドを記録し、オールルーキー1stチームに選出される活躍を見せたが、シーズン終了後にトレードされ、その後は短期間で移籍を繰り返すシーズンが続いた。
1980年に加入したカンザスシティ・キングスでようやくチームに定着し、引退するまでの5シーズンをキングスでプレーした。
引退後はイタリアやスペインでもプレーしている。
youtube:http://youtu.be/zuSVdp0T7x8
 
14.ジョー・ブライアント(Joe Bryant)
0

出身校:ラサール大学
ポジション: PF、SF
所属チーム:PHI(1975~1979)→SDC(1979~1982)→HOU(1982~1983)
キャリア平均:8.7PPG、4.0RPG、1.7APG

ドラフトではゴールデンステイト・ウォリアーズに指名されたが、開幕前に生まれ育った地元のフィラデルフィア・76ersに加入した。
76ersでは4シーズンを過ごし、ジュリアス・アービングらのバックアップを務めた。
1979年にサンディエゴ・クリッパーズに移籍し、1981-82シーズンに記録した平均11.8得点がキャリアハイとなっている。
1983年にNBAを去り、その後は7年にわたりイタリアでプレーした。
引退後はWNBAや日本などでヘッドコーチを務めている。
北米のABAのチームを率いていた際には、シーズン中に選手が足りなくなったために49歳にして選手としてコートに立った。
息子のコービー・ブライアントも1996年にNBAにデビューし、リーグを代表する選手として活躍している。
youtube:http://youtu.be/5mhWVMPvtOE
 
16.リッキー・ソバーズ(Ricky Sobers)
01

出身校:ネバダ大学ラスベガス校
ポジション: SG、PG
所属チーム:PHO(1975~1977)→IND(1977~1979)→CHI(1979~1983)→WSB(1983~1984)→SEA(1984~1986)
キャリア平均:13.3PPG、2.6RPG、4.3APG、1.3SPG

フェニックス・サンズでの1年目に平均9.2得点とまずまずの活躍を見せていたが、プレイオフに入ると徐々に数字を伸ばしていき、6シーズンぶり2度目のプレイオフとなったチームがファイナルに進出するという快挙に貢献した。
さらにファイナルではボストン・セルティックスを相手にシリーズ平均14.2得点をあげる活躍を見せ、とくに史上最高の名勝負に挙げられる第5戦ではエースのポール・ウェストファルに並ぶチーム最高の25得点を叩きだした。
惜しくも優勝はならなかったものの、ファイナルの勢いをそのままに翌シーズンは個人成績をアップさせ、シーズン終了後にインディアナ・ペイサーズに移籍すると、移籍1年目に平均18.2得点、7.4アシスト、2.2スティールを記録するチームの主力選手へと成長した。
その後は2、3シーズンおきに移籍を繰り返す事になったが、平均15得点、5アシスト前後を記録する中心選手として活躍を続けた。
 
18.ケビン・グリービー(Kevin Grevey)
03

出身校:ケンタッキー大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:WSB(1975~1983)→MIL(1983~1985)
キャリア平均:11.0PPG、2.4RPG、1.9APG

10シーズンの選手生活のうち、デビューから8シーズンをワシントン・ブレッツで過ごした。
最初の2シーズンは控えとしてプレーしていたが、主力の故障によって先発の座を掴んだ3年目のシーズンに平均15.5得点を記録した。
ブレッツはこのシーズンにプレイオフを勝ち進み、チーム初となる優勝を果たしている。
以降も平均15得点前後を記録するなど活躍を続け、1980-81シーズンにはキャリアハイとなる平均17.2得点を記録している。
youtube:http://youtu.be/eB29MKdubkg
 
20.ガス・ウィリアムス(Gus Williams)
0

出身校:サザンカリフォルニア大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:GSW(1975~1977)→SEA(1977~1984)→WSB(1984~1987)→ATL(1987)
キャリア平均:17.1PPG、2.7RPG、5.6APG、2.0SPG
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:2回(1982~1983)

「ウィザード」のニックネームで呼ばれ、アクロバティックなドライブから大男をかわして自在に得点を重ねた。
デビューから2シーズンはゴールデンステイト・ウォリアーズで控えを務めていたが、頑丈なバックアップとして20分を超える長い時間をプレーした。
1977年に移籍したシアトル・スーパーソニックスでは先発として起用され、移籍1年目に平均18.1得点、2.3スティールの活躍を見せてチームをファイナルへと導く。
ファイナルではワシントン・ブレッツの前に惜しくも敗退したが、翌シーズンに再びファイナルに進出すると、2年連続となったブレッツとのシリーズを制し、平均28.6得点の活躍でチームを初の優勝に導いた。
その後、契約問題により1980-81シーズンを全休する事態となったが、翌シーズンに再びコートに立つと、平均23.4得点、6.9アシスト、2.2スティールを記録する活躍を見せ、初めてオールスターに選出されたほか、初のオールNBA1stチーム入りも果たした。
背番号『1』はソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)の永久欠番となっている。
弟のレイ・ウィリアムスも元NBA選手として活躍した。
youtube:http://youtu.be/94z1IPXb1_k
 
23.ワールド・B・フリー(World B. Free)
01

出身校:ギルフォード大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:PHI(1975~1978)→SDC(1978~1980)→GSW(1980~1982)→CLE(1982~1986)→PHI(1986~1987)→HOU(1987~1988)
キャリア平均:20.3PPG、2.7RPG、3.7APG、1.0SPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:1回(1980)

改名前の名前はロイド・B・フリー。
垂直飛び112cmの跳躍力を持ち、188cmの身長で「アラウンド・ザ・ワールド」と呼ばれる360度ダンクをいとも簡単に決めた事から「空中のプリンス」、「ALL-WORLD」と呼ばれた。
無名校の出身のためドラフトでは2巡目指名となったが、フィラデルフィア・76ersでは2年目から2シーズン連続で平均15得点以上を記録し、強豪チームのバックコートを支えた。
1978年に移籍したサンディエゴ・クリッパーズでの1年目に平均28.8得点を記録すると、以降8シーズンにわたり平均22得点以上を記録し続けた。
オールスターに初めて選出された1979-80シーズンにキャリアハイとなる平均30.2得点を記録し、2シーズン連続でサンアントニオ・スパーズのジョージ・ガーヴィンに次ぐリーグ2位の記録となった。
1981年にニックネームであった「ワールド」に改名している。
長くリーグを代表する選手として活躍していたが、20試合の出場にとどまった1986-87シーズンに平均5.8得点の成績で終わると、シーズン終了後に解雇された。
その後、マイナーリーグを経てヒューストン・ロケッツに在籍したが、1シーズンをプレーして現役を引退した。
youtube:http://youtu.be/sxpu6cFF2B0
 
25.ボブ・グロス(Bob Gross)
03

出身校:カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
ポジション: SF
所属チーム:POR(1975~1983)→SDC(1983)
キャリア平均:8.9PPG、4.4RPG、2.9APG、1.2SPG、.512FG%
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回

ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、2年目に出場時間が増えると、平均11.4得点、4.8リバウンドを記録した。
このシーズンに初めてプレイオフに進出したブレイザーズは、ファイナルまで勝ち進む快進撃を見せる。
グロスはこの大舞台で平均17.3得点、5.7リバウンド、3.5アシスト、2.2スティールと大活躍し、チームのプレイオフ初進出にして初優勝という快挙に大きく貢献した。
翌シーズンはキャリアハイとなる平均12.7得点を記録し、オールディフェンシブ2ndチームにも選出され、その後もチームの主力選手として活躍を続けた。
1983年に7シーズンを過ごしたブレイザーズを去り、1シーズンをプレーした後に現役を引退した。
背番号『30』はブレイザーズの永久欠番となっている。
 
28.ダン・ラウンドフィールド(Dan Roundfield)
0

出身校:セントラルミシガン大学
ポジション: PF
所属チーム:INA(1975~1976)→IND(1976~1978)→ATL(1978~1984)→DET(1984~1985)→WSB(1985~1987)
キャリア平均:14.3PPG、9.2RPG、2.0APG、1.4BPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 3回、All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:3回(1980~1982)

ドラフトではNBAとABAから同時に指名を受け、ABAに所属するインディアナ・ペイサーズでのプレーを選択した。
1976年にABAが消滅すると、ペイサーズはNBAに加入する事になり、ラウンドフィールドはペイサーズの選手としてNBAのキャリアをスタートさせる。
NBAではオールディフェンシブチームの常連となり、リーグ屈指のディフェンス力でゴール下を守った。
1978年に移籍したアトランタ・ホークスで6シーズンを過ごし、オールスターに3度選ばれるなどリーグを代表するフォワードとなる。
1979-80シーズンに平均16.5得点、10.3リバウンド、1.7ブロックを記録し、オールNBA2ndチームとオールディフェンシブ1stチームに選出された。
1982-83シーズンにはキャリアハイとなる平均19.0得点、11.4リバウンドを記録している。
1984年にチームを去ってからはホークス時代ほどの活躍の場は与えられなくなったが、豊富な経験を生かし貴重な戦力として活躍を続けた。
2012年にカリブ海アルバ島で泳ぎに出かけた際に荒波にのまれ、溺れた妻を助けた後に海流にのまれて溺死した。享年59歳だった。
youtube:http://youtu.be/U3mN9WP11tQ
 

この記事を書いた人
TANA

バスケ初心者でありながらバスケサークルを立ち上げる。
2025年までの代表。
初心者ならではの視点でバスケを見つめ、「もっと楽な道」がないかを常に探求し続ける。

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