前年のドラフト・翌年のドラフト・ドラフトトップ
新人王:ジャマール・ウィルクス(Jamaal Wilkes)
All Rookie Team
1st:トム・バールソン、ジョン・ドリュー、スコット・ウェドマン、ジャマール・ウィルクス、ブライアン・ウィンターズ
主なプレイヤー
※赤字はABA時代のもの・キャリア平均はNBA・ABAの通算平均
1.ビル・ウォルトン(Bill Walton)

出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション: C
所属チーム:POR(1974~1979)→SDC-LAC(1979~1985)→BOS(1985~1987)
キャリア平均:13.3PPG、10.5RPG、3.4APG、2.2BPG、.521FG%
個人賞:MVP1回(1977-1978)、Finals MVP1回(1976-1977)、Sixth Man of the Year1回(1985-1986)
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 2回
オールスター出場:2回(1977~1978)
リーグ史に残るセンターとして活躍しながら、「メディカル・ビル(医療請求書)」と呼ばれるほど怪我が多く、全盛期が非常に短かったことから「NBAの偉大な50人」に選出された際には大きな議論となった。
大学時代にUCLAを2度のNCAAトーナメント優勝に導き、大きな注目を集めてポートランド・トレイルブレイザーズに入団する。
1年目は故障で出遅れたものの、本領を発揮し始めた3年目のシーズンに平均18.6得点、14.4リバウンド、3.8アシスト、3.2ブロックを記録し、リバウンド王とブロック王の2冠に輝いたほか、オールスター出場、オールNBA2ndチーム、オールディフェンシブ1stチームに選出される活躍でチームを初のプレイオフ進出に導いた。
プレイオフでも快進撃を見せてファイナルまで勝ち上がったブレイザーズは、ウォルトンの平均18.5得点、19.0リバウンド、5.2アシスト、3.7ブロックの活躍でフィラデルフィア・76ersとのシリーズを制し、プレイオフ初進出にして初優勝という快挙を成し遂げる。
チャンピオンチームとして迎えた翌シーズン、ウォルトンはシーズンMVP受賞し、オールNBA1stチームとオールディフェンシブ1stチームに同時選出されるなどキャリア最高のシーズンを送る。
チームも驚異的な勝率で勝ち星を重ねていったが、ウォルトンが怪我で離脱した終盤に失速した。
ウォルトンはプレイオフに入って復帰を果たしたが、すぐに足を骨折する重傷を負い、大黒柱を失ったブレイザーズは1回戦であえなく敗退した。
ウォルトンは故障の原因はチームのメディカルケアの判断にあると批判し、ブレイザーズに対してトレードを要求した。
ブレイザーズでのプレーを拒否したウォルトンは翌1978-79シーズンを全休し、1979年にサンディエゴ・クリッパーズに移籍する。
しかし、またしても開幕前に足を骨折し、クリッパーズでの初のシーズンは14試合に出場するにとどまった。
ウォルトンは完全回復を目指すために大規模なリハビリに入り、続く2シーズンも全休する。
1982-83シーズンになってようやく復帰したものの、やはり故障による欠場も多く、全盛期のような支配的なプレーを見せる事はできなくなっていた。
すでに30歳を過ぎ、出場時間も年々短くなっていったが、インサイドのバックアップを探していたボストン・セルティックスがウォルトンの獲得に動き、1985年にセドリック・マックスウェルと将来のドラフト指名権とのトレードでセルティックスに移籍する。
移籍1年目の1985-86シーズン、ロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルの控えとしてプレーし、個人成績はキャリア最低の平均7.6得点まで落ち込んだが、初めて1シーズンを通して健康を維持し、強豪チームのベンチに厚みを加える活躍を評価されて初のシックスマン賞を受賞した。
セルティックスはシーズン67勝15敗の好成績を収め、プレイオフを勝ち進んで見事に優勝を飾った。
翌シーズンは交通事故により10試合の出場にとどまり、シーズン終了後に現役からの引退を表明した。
背番号『32』がブレイザーズの永久欠番となっている。
デビュー当初は吃音によりメディアのインタビューも避けていたが、引退後は辛口コメンテーターとして人気を博している。
息子のルーク・ウォルトンもNBA選手として活躍した。
youtube:http://youtu.be/AhpG7-OHOeY
2.マーヴィン・バーンズ(Marvin Barnes)

出身校:プロビデンス大学
ポジション: PF
所属チーム:ABA(1974~1976)→DET(1976~1977)→BUF(1977~1978)→BOS(1978~1979)→SDC(1980)
キャリア平均:16.0PPG、9.1RPG、2.1APG、1.2SPG、1.4BPG
個人賞:ABA Rookie of the Year
ALL TEAM:All-ABA 2nd 1回
オールスター出場:2回(1975~1976)
高校時代から強盗、薬物所持、不法侵入など様々な逮捕歴があり、「バッド・ニュース」のニックネームを持つほどの素行の悪さを見せた。
一方でバスケットボールの能力は素晴らしく、大学での4年間で平均20.7得点、17.9リバウンドを記録し、ドラフトでは全体2位という高順位でフィラデルフィア・76ersから指名を受けた。
バーンズは同時に指名を受けたABAのスピリッツ・オブ・セントルイスへの入団を選択し、1年目から平均24.0得点、15.6リバウンド、1.8ブロックの活躍を見せて新人王を獲得する。
1976年、ABA消滅によりバーンズは分配ドラフトでデトロイト・ピストンズに移籍したが、NBAの舞台で以前のような活躍を見せる事ができず、チームを転々とした後、1980年に現役を引退した。
薬物使用がバーンズのキャリアを短縮させたといわれ、引退後も薬物によってホームレスになるまでに生活が落ち込んだ。
その後、複数のリハビリプログラムによって社会復帰を果たし、現在は若者が自分と同じ過ちを繰り返さないように指導を行っている。
2008年、プロビデンス大学はバーンズの功績を称え、バーンズの背番号『24』を永久欠番にする事を発表した。
youtube:http://youtu.be/HYdzKcEn7jg
3.トム・バールソン(Tom Burleson)

出身校:ノースカロライナ州立大学
ポジション: C
所属チーム:SEA(1974~1977)→KCK(1977~1980)→ATL(1980~1981)
キャリア平均:9.4PPG、6.3RPG、1.3APG
ノースカロライナ州立大学ではデビッド・トンプソンらとともに活躍し、NCAAトーナメント優勝を果たす。
シアトル・スーパーソニックスに入団すると、218cmの身長を武器に1年目から平均10.1得点、7.0リバウンド、1.9ブロックを記録し、オールルーキー1stチームに選出される。
さらにプレイオフではレギュラーシーズンを遥かに上回る活躍を見せ、9試合の出場で平均20.7得点、10.7リバウンド、2.0ブロックを記録した。
2年目のシーズンは平均15.6得点、9.0リバウンド、1.8ブロックと順調な成長を見せたが、プレイオフに入るとまたしてもエース級の選手に変貌し、大舞台での強さを見せた。
しかし、その後は負傷の影響で急激に数字を下降させ、1981年に現役を引退、7シーズンのキャリアを終えた。
youtube:http://youtu.be/MAW4L1A7LP4
4.ジョン・シューメイト(John Shumate)

出身校:ノートルダム大学
ポジション: PF
所属チーム:PHO(1975~1976)→BUF(1976~1977)→DET(1977~1979)→HOU(1979~1980)→SAS(1980)→SEA(1980)
キャリア平均:12.3PPG、7.5RPG、1.8APG、1.0SPG、.516FG%
フェニックス・サンズに入団し、1年目は病気によりプレーできず、1975年にデビューを果たす。
ルーキーイヤーとなった1975-76シーズンの途中にバッファロー・ブレーブスにトレードされたが、平均11.7得点、7.4リバウンド、リーグトップタイとなるFG成功率56.1%の成績でシーズンを終了し、オールルーキー1stチームに選出された。
2年目にはキャリアハイとなる平均15.1得点、9.5リバウンドを記録したが、その後も特定のチームに定着することなく転々と移籍を繰り返し、1980年に現役を引退した。
5.ボビー・ジョーンズ(Bobby Jones)

出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: PF
所属チーム:ABA(1974~1976)→DEN(1976~1978)→PHI(1978~1986)
キャリア平均:12.1PPG、6.1RPG、2.7APG、1.5SPG、1.4BPG、.560FG%
個人賞:Sixth Man of the Year1回(1982-1983)
ALL TEAM:All-ABA 2nd 1回、NBA All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 1st 8回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:5回(1976、1977~1978、1981~1982)
チームメイトやコーチから「数字では測れない選手」、「彼なしではチームが成り立たない」と評価され、究極のチームプレイヤーとしてチームの勝利貢献した。
ドラフトではヒューストン・ロケッツから指名を受けたが、大学の先輩にあたるラリー・ブラウンがヘッドコーチを務めるABAのデンバー・ナゲッツでのプレーを選択する。
ジョーンズはすぐにチームにフィットし、平均14.8得点、8.2リバウンド、2.0スティール、1.8ブロックを記録、そしてABA記録となるFG成功率60.4%という数字を残した。
37勝47敗と低迷していたナゲッツは65勝19敗の好成績を収め、新人ながらチームの中心選手として活躍したジョーンズはABAオールディフェンシブ1stチームに選出、翌シーズンも続けて同チームに選出された。
1976年、ABA消滅に伴いナゲッツはNBAに加入する事になり、ジョーンズはナゲッツの選手としてNBAのキャリアをスタートさせる。
ナゲッツはNBA加入1年目にして地区優勝を果たし、平均15.1得点、8.3リバウンド、2.3スティール、2.0ブロック、FG成功率57.0%の活躍を見せたジョーンズはABAに続きNBAでもオールスターに選出された。
1978年に東の強豪フィラデルフィア・76ersに移籍し、ジュリアス・アービングらとともに優勝に向けて邁進する。
1982-83シーズン、チームの方針によりジョーンズは控えとして起用される事になったが、このシーズンから新設されたシックスマン賞の初代受賞者となるなどチームへの貢献度はより高くなり、76ersもシーズン成績65勝17敗、プレイオフ12勝1敗で優勝を飾るなど歴史的なシーズンを送った。
ジョーンズは12シーズンのキャリアでオールディフェンシブチームに11回選出され(1stチーム10回、2ndチーム1回)、全てのシーズンでプレイオフに進出し、チームに勝利をもたらす活躍を続けた。
感謝を表すために、またファンに誰のおかげで得点できたのかを示すために、得点した際にアシストしたプレイヤーを指さす姿がトレードマークとして知られている。
背番号『24』は76ersの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/0NxCr-3L8J4
6.スコット・ウェドマン(Scott Wedman)

出身校:コロラド大学
ポジション: SF
所属チーム:KCO-KCK(1974~1981)→CLE(1981~1983)→BOS(1983~1987)
キャリア平均:13.2PPG、4.8RPG、2.0APG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:2回(1976、1980)
カンザスシティ・オマハ・キングスに入団すると、1年目から主力としてプレーし、カンザスシティ・キングスと改称した翌年には平均15.5得点、7.4リバウンドの活躍でオールスターに選出された。
ウェイトトレーニングに励む姿から、アメコミのヒーロー「インクレディブル・ハルク(超人ハルク)」にかけて、「インビジブル・ハルク(目に見えない大男)」と呼ばれた。
1979-80シーズンには平均19.0得点を記録し、2度目のオールスターに選出されている。(不出場)
1983年にボストン・セルティックスに移籍してからはラリー・バードの控えを務め、2度の優勝に貢献している。
厳格な菜食主義者としても知られ、食事の際にバードとケビン・マクヘイルにからかわれる事が慣行となっていた。
youtube:http://youtu.be/f_wGPwyzRbg
8.キャンピー・ラッセル(Campy Russell)

出身校:ミシガン大学
ポジション: SF
所属チーム:CLE(1974~1980)→NYK(1980~1984)→CLE(1984)
キャリア平均:15.8PPG、4.8RPG、3.0APG、1.0SPG
オールスター出場:1回(1979)
本名はマイケル・カンパネラ・ラッセル。
クリーブランド・キャバリアーズに入団後、毎シーズンのように数字をアップさせ、1978-79シーズンには平均21.9得点、6.8リバウンド、4.7アシストを記録してオールスターに選出された。
1980年にニューヨーク・ニックスに移籍してからもチームの重要な得点源として活躍したが、膝の怪我により1982-83シーズンから2シーズン連続で全休を強いられている。
1984年に古巣のキャバリアーズで復帰を果たしたが、3試合に出場したのみで現役を引退した。
11.ジャマール・ウィルクス(Jamaal Wilkes)

出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション: SF、PF
所属チーム:GSW(1974~1977)→LAL(1977~1985)→LAC(1985)
キャリア平均:17.7PPG、6.2RPG、2.5APG、1.3SPG
個人賞:Rookie of the Year
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:3回(1976、1981、1983)
ゴールデンステイト・ウォリアーズに入団し、1年目に平均14.2得点、8.2リバウンドを記録して新人王を受賞すると、プレイオフでもエースのリック・バリーに次ぐ得点源として活躍し、チームの優勝に大きく貢献した。
2年目には平均17.8得点、8.8リバウンドを記録し、オールスターに選出されたほか、オールディフェンシブ2ndチーム入りも果たした。
1977年にロサンゼルス・レイカーズに移籍して地元カリフォルニアに凱旋すると、スモールフォワードで先発を務め、1980-81シーズンにキャリアハイとなる平均22.6得点を記録するなど、レイカーズの黄金時代が幕を開ける時期に主力として活躍した。
レイカーズでは1985年まで8シーズンを過ごし、2度の優勝に貢献している。
背番号『52』はレイカーズの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/Vz1InfQOhg8
12.ブライアン・ウィンターズ(Brian Winters)

出身校:サウスカロライナ大学
ポジション: SG
所属チーム:LAL(1974~1975)→MIL(1975~1983)
キャリア平均:16.2PPG、2.6RPG、4.1APG、1.2SPG、.363 3P%
オールスター出場:2回(1976、1978)
ロサンゼルス・レイカーズでの1年目に平均11.7得点を記録し、オールルーキー1stチームに選出される活躍を見せたが、シーズン終了後にカリーム・アブドゥル=ジャバー獲得のためのトレード要員のひとりとしてミルウォーキー・バックスへ移籍した。
バックス移籍後、ウィンターズは平均18.2得点、4.7アシストと数字を大きく伸ばしてオールスターに選出され、以降、引退するまで8シーズンにわたりバックスでプレーを続けた。
1977-78シーズンにキャリアハイとなる平均19.9得点、4.9アシストを記録し、2度目のオールスターに出場している。
バックスはジャバーを失ってから成績を低迷させたが、80年代に入ると地区優勝を独占し続ける強豪へと返り咲く。
この頃になるとチームは若い選手が中心となっていたが、ウィンターズはベテランのシックスマンとしてチームの躍進を支えた。
背番号『32』はバックスの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/oljhVEvpBYg
14.モーリス・ルーカス(Maurice Lucas)

出身校:マーケット大学
ポジション: PF、C
所属チーム:ABA(1974~1976)→POR(1976~1980
)→NJN(1980~1981)→NYK(1981~1982)→PHO(1982~1985)→LAL(1985~1986)→SEA(1986~1987)→POR(1987~1988)
キャリア平均:14.6PPG、9.1RPG、2.4APG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 1st 1回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:5回(1976、1977~1979、1983)
ニックネームは「ルーク」、「モー」など。
ABAでキャリアをスタートさせ、1年目から得点とリバウンドでチームの柱となる活躍を見せた。
1976年のABA消滅に伴い、分配ドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍する。
ルーカスは加入してすぐ平均20.2得点、11.4リバウンドの活躍でチームの主力となり、プレイオフではビル・ウォルトンとの強力なインサイドコンビでブレイザーズをファイナルまで導いた。
ファイナルではフィラデルフィア・76ersを相手に最初の2試合を落としたが、第2戦の終了間際にルーカスが76ersのダリル・ドーキンスを相手に大乱闘を起こし、この騒動をきっかけにシリーズの風向きが変わる事になった。
ホームに戻って迎えた第3戦、ブレイザーズが大差で勝利を収めると、勢いにのったブレイザーズは4連勝で初優勝を果たす。
ターニングポイントとなる乱闘を起こしたルーカスは以降、「The Enforcer(用心棒)」と呼ばれる事になった。
1980年にチームを去ってからは多くのチームを転々としたが、重要なインサイドプレイヤーとして活躍を続け、1983年には4度目のオールスターに選出されている。
現役最後のシーズンを古巣のブレイザーズで過ごし、1988年に引退した。
背番号『20』はブレイザーズの永久欠番となっている。
2010年、膀胱癌により58歳で死去した。
ブレイザーズ時代のチームメイトであり親友のビル・ウォルトンは、ルーカスに因んで息子に「ルーク」と名付けている。
youtube:http://youtu.be/A3hdl85e2O0
21.ビリー・ナイト(Billy Knight)

出身校:ピッツバーグ大学
ポジション: SF、SG
所属チーム:ABA(1974~1976)→IND(1976~1977)→BUF(1977~1978)→BOS(1978~1979)→IND(1979~1983)→KCK(1983~1984)→SAS(1984~1985)
キャリア平均:16.9PPG、5.3RPG、2.3APG、1.0SPG、.507FG%
ALL TEAM:All-ABA 1st 1回
オールスター出場:2回(1976、1977)
ドラフトではNBAとABAのチームから指名を受け、ABAのインディアナ・ペイサーズへの入団を選択する。
ABA最終年となった1975-76シーズンに平均28.1得点、10.1リバウンドの爆発力を見せ、ABA最後のシーズンを締めくくった。
ペイサーズはABA消滅後にNBAへ加盟し、ナイトはペイサーズの選手としてNBAのキャリアをスタートさせた。
チームは舞台をNBAに代えて苦戦する事になったが、ナイトは変わらず得点力を発揮し、リーグ2位の平均26.6得点を記録してオールスターにも選出された。
シーズン終了後にトレードでチームを去る事になったが、1979年にペイサーズに復帰して5シーズンを過ごし、以前ほどの得点機会は与えられなかったものの、平均15得点前後を記録するなど活躍を見せた。
ペイサーズでの通算得点はレジー・ミラー、リック・スミッツに次ぐ3位に記録されている。
22.トラック・ロビンソン(Truck Robinson)

出身校:テネシー州立大学
ポジション: PF
所属チーム:WSB(1974~1977)→ATL(1977)→NOJ(1977~1979)→PHO(1979~1982)→NYK(1982~1985)
キャリア平均:15.5PPG、9.4RPG、1.7APG
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回
オールスター出場:2回(1978、1981)
本名はレナード・ユージン・ロビンソン。
201cmの身長ながら、頑丈な肉体と確実なショットを武器にリーグ屈指のパワーフォワードとして活躍した。
ワシントン・ブレッツに入団し、控えとして起用された1年目から着実に成績を伸ばしていったが、3年目のシーズン途中にアトランタ・ホークスにトレードされると、シーズン残りの36試合で平均22.4得点、12.8リバウンドを記録し才能を一気に開花させる。
シーズン終了後にフリーエージェントになると、評価を高めたロビンソンはニューオリンズ・ジャズへと移籍した。
ジャズでの1年目、リーグトップの平均44.4分に出場したロビンソンは、平均22.7得点、15.7リバウンドを記録してオールスターに選出される活躍を見せ、リバウンド王に輝いたほか、オールNBA1stチーム入りも果たし、一躍リーグを代表するフォワードとなった。
翌シーズン途中にフェニックス・サンズにトレードされ、豊富にタレントを揃えるチームの中で数字を下降させたが、依然リバウンドと得点でチームをリードする存在として活躍を続けた。
1980-81シーズン、サンズは57勝25敗の好成績を収め、チームを牽引する活躍を見せたロビンソンは2度目のオールスターに選出された。
キャリア晩年をニューヨーク・ニックスで過ごし、1985年に現役を引退した。
youtube:http://youtu.be/QfqLU97WnJk
25.ジョン・ドリュー(John Drew)

出身校:ガードナー=ウェッブ大学
ポジション: SF、PF
所属チーム:ATL(1974~1982)→UTA(1982~1984)
キャリア平均:20.7PPG、6.9RPG、1.7APG、1.4SPG
オールスター出場:2回(1976、1980)
ドラフトでは低い指名となったが、アトランタ・ホークスでは1年目から即戦力として平均18.5得点、10.7リバウンドの活躍を見せ、3年目にはキャリアハイとなる平均24.2得点を記録した。
ホークスではデビューから8シーズンを過ごし、ほとんどのシーズンで平均20得点以上を記録するチームのエースとして活躍したが、一方でコカイン中毒という問題も抱え、状況が深刻になってきた1982年に、新人のドミニク・ウィルキンスとのトレードでユタ・ジャズに放出された。
ジャズ移籍後、ドリューはリハビリ施設に入り、復帰後はホークス時代のような得点力を発揮して薬物の問題を克服したかに見えたが、1984年に薬物使用が発覚したためにリーグから永久追放された。
当時はデビッド・スターンがコミッショナーに就任し、リーグのクリーン化を徹底し始めた時期で、ドリューは薬物問題でリーグから永久追放処分を受けた初のNBA選手となった。
youtube:http://youtu.be/2UEWrhSL6aI
29.フィル・スミス(Phil Smith)

出身校:サンフランシスコ大学
ポジション: SG
所属チーム:GSW(1974~1980)→SDC(1980~1982)→SEA(1982~1983)
キャリア平均:15.1PPG、3.0RPG、3.9APG、1.1SPG
ALL TEAM:All-NBA 2nd 1回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:2回(1976~1977)
ゴールデンステイト・ウォリアーズに入団し、1年目にNBA優勝を経験した。
スミスはプレイオフで目立った成績を残していなかったが、ファイナルの第1戦で20得点を叩き出す活躍を見せると、シリーズの流れを引き寄せたウォリアーズは圧倒的不利と見られていたファイナルを4戦全勝で制した。
新人ながら大舞台で重要な役割を果たすと、翌シーズンは平均20.0得点、4.6リバウンド、4.4アシストと大きな飛躍を遂げ、オールスターに選出されたほか、オールNBA2ndチームとオールディフェンシブ2ndチームに同時に選出された。
以降4シーズン連続で19得点、4アシスト以上を記録し、ウォリアーズの中心選手として活躍していたが、アキレス腱断裂という大怪我を負ってからは数字を下降させ、1980年にトレードでチームを去る事になった。
その後3シーズンをプレーし、1983年に現役を引退している。
2002年、癌との長い闘病の末に50歳で死去した。
40.ジョージ・ガーヴィン(George Gervin)

出身校:イースタンミシガン大学
ポジション: SG、SF
所属チーム:ABA(1972~1976)→SAS(1976~1985)→CHI(1985~1986)
キャリア平均:25.1PPG、5.3RPG、2.6APG、1.2SPG、1.0BPG、.504FG%
個人賞:All-Star Game MVP1回(1980)
ALL TEAM:All-ABA 2nd 2回、All-NBA 1st 5回、All-NBA 2nd 2回
オールスター出場:12回(1974~1976、1977~1985)
常に冷静沈着にプレーする姿から「アイスマン」と呼ばれ、芸術的なフィンガーロールをトレードマークに4度の得点王に輝くなど、80年代前半のサンアントニオ・スパーズ黄金期を支えた。
イースタンミシガン大学に2年在籍した後、1972年にABAのバージニア・スクワイアーズに入団する。
2年目のシーズン途中にサンアントニオ・スパーズに移籍して以降、常に平均20得点を記録するエースとして活躍を始めた。
1976年にABAが消滅すると、NBAに加入する事になったスパーズとともにNBAのキャリアをスタートさせる。
スパーズはNBA加入1年目を44勝38敗の成績で勝ち越し、平均23.1得点を記録したガーヴィンはオールスターにも選出された。
翌シーズンはさらに数字をアップさせ、平均27.2得点を記録して得点王に輝くと、5シーズンの間に4度の得点王を獲得した。
1979-80シーズンにはキャリアハイとなる平均33.1得点王を記録し、スパーズはNBA加入後、ガーヴィンの在籍した9シーズンの間に5度の地区優勝を果たした。
チームを強豪に押し上げたガーヴィンはサンアントニオのシンボルとして長くファンに愛されたが、チーム成績が下降線を辿り始めた頃からチームの関係に溝が生まれ、1985年にスパーズを去る事になった。
1985-86シーズンをシカゴ・ブルズでマイケル・ジョーダンらとともにプレーし、シーズン終了後に引退した。
NBAを去ってからはCBAや海外などでもプレーしている。
その後は、サンアントニオで「ジョージ・ガーヴィン・ユースセンター」を設立し、多くの危険や誘惑から若者を救うための活動を続けている。
背番号『44』はスパーズの永久欠番となっている。
19youtube:http://youtu.be/5EjHZJL6Jj8
56.ミッキー・ジョンソン(Mickey Johnson)

出身校:オーロラ・ユニバーシティ
ポジション: PF
所属チーム:CHI(1974~1979)→IND(1979~1980)→MIL(1980~1982)→NJN(1982~1983)→GSW(1983~1985)→NJN(1985~1986)
キャリア平均:14.1PPG、7.2RPG、3.0APG、1.1SPG
本名はウォレス・エドガー・ジョンソン。
シカゴ・ブルズに入団し、1年目は38試合の出場で平均3.8得点に終わったが、翌シーズンに平均15.3得点、9.4リバウンドと飛躍的に数字を伸ばした。
ブルズのインサイドで活躍を続けたジョンソンは、フリーエージェントとなった1979年にインディアナ・ペイサーズに移籍し、移籍1年目にキャリアハイとなる平均19.1得点、8.3リバウンド、4.2アシスト、1.9スティール、1.4ブロックを記録した。
翌シーズンにトレードされてからは控えとしてプレーする機会が増えたが、平均12得点、6リバウンド以上を記録し続け、1986年に引退するまで多くのチームで活躍した。
youtube:http://youtu.be/yvpYyTtXiXY



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