1972年 NBAドラフト

NBAネタ
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新人王:ボブ・マッカドゥ(Bob McAdoo)
All Rookie Team
1st:フレディ・ボイド、ドワイト・デービス、ボブ・マッカドゥ、ロイド・ニール、ジム・プライス
 
主なプレイヤー
 
※赤字はABA時代のもの・キャリア平均はNBA・ABAの通算平均
1.ラルー・マーティン(LaRue Martin)
d1

出身校:ロヨラ大学シカゴ校
ポジション: C
所属チーム:POR(1972~1976)
キャリア平均:5.3PPG、4.6RPG、0.7APG

大学時代にUCLAのビル・ウォルトンと渡り合ったことで評価を高め、鳴り物入りでポートランド・トレイルブレイザーズに入団する。
しかし同期ドラフト31位指名のロイド・ニールとのポジション争いに敗れ、1年目は平均4.4得点と期待外れの成績に終わった。
1974年にビル・ウォルトンが入団すると、いよいよ居場所はなくなり、1976年にわずか4シーズンという短さで選手生活を終える事になった。
 
2.ボブ・マッカドゥー(Bob McAdoo)
d2

出身校:ノースカロライナ大学
ポジション: C、PF
所属チーム:BUF(1972~1976)→NYK(1976~1979)→BOS(1979)→DET(1979~1981)→NJN(1981)→LAL(1981~1986)→PHI(1986)
キャリア平均:22.1PPG、9.4RPG、2.3APG、1.0SPG、1.5BPG、.503FG%
個人賞:Rookie of the Year、MVP1回(1974-1975)
ALL TEAM:All-NBA 1st 1回、All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:5回(1974~1978)

バッファロー・ブレーブスに入団すると、1年目に平均18.0得点、9.1リバウンドの活躍で新人王を受賞し、2年目には得点王となる平均30.6得点、リーグ3位の15.1リバウンド、同3位の3.3ブロック、同1位のFG成功率54.7%と圧巻の成績を残した。
さらにその翌シーズンには前シーズンを上回る平均34.5得点を記録し、新興チームのブレーブスを49勝の好成績に導く活躍でシーズンMVPを受賞した。
身長206cmのマッカドゥは、インサイドの選手としてはサイズに恵まれたわけではなかったが、長い腕を駆使してリバウンドやブロックを量産し、また高い打点から放たれるシュートは周囲から「彼はシューターだ」と評価されるほどの精度の高さを誇った。
ブレーブスは1970年にNBAに加盟し、後にロサンゼルス・クリッパーズと名を変え、リーグの中でも比較的長い歴史を誇るチームとなったが、クリス・ポールの時代となる2010年代まで勝ち越したシーズンがわずかに6度のみと、長く弱小球団として低迷を続けた。
マッカドゥはブレーブスに在籍した5シーズンのうち、チームを3シーズン連続の勝ち越しに導くなど、僅かな期間ながら黄金期とも言える時代を築いている。
1976年にトレードでチームを去る事になったマッカドゥは、その後も25得点、10リバウンド前後を記録し続け、70年代を代表する選手としてニューヨーク・ニックスなどで活躍した。
しかし徐々に故障に苦しむようになり、1980-81シーズンに16試合の出場にとどまると、平均10.3得点と急激に数字を下降させた。
以降、全盛期のような成績は残す事ができなくなったが、マッカドゥは新しい役割を受け入れて現役生活を継続させる。
不本意なシーズンの終了後、マッカドゥはロサンゼルス・レイカーズへトレードされる。
レイカーズではカリーム・アブドゥル=ジャバーのバックアップとしてプレーする事になったが、シックスマンとしてチームを強力に支え、2度の優勝に貢献する事になった。
1985年にNBAを去ってからはヨーロッパでプレーを続け、1993年まで長い選手生活を送った。
1997年のNBAオールスター期間中に発表された「50人の偉大な選手」には選ばれず、MVPを獲得しながら選出されなかった唯一の選手となったが、ヨーロッパでの功績により2008年にユーロリーグの「50人の偉大な選手」に選出されている。
youtube:http://youtu.be/CuQ3unu2YAQ
 
3.ドワイト・デービス(Dwight Davis)

出身校:ヒューストン大学
ポジション: PF
所属チーム:CLE(1972~1975)→GSW(1975~1977)
キャリア平均:8.6PPG、5.9RPG、1.6APG

大学ではエルヴィン・ヘイズとともに活躍した。
クリーブランド・キャバリアーズでの1年目に平均9.4得点、7.0リバウンドを記録し、オールルーキー1stチームに選出されると、翌シーズンには平均12.5得点、8.5リバウンドと順調な成長を見せた。
しかし移籍や怪我により数字を落とし、1977年に5シーズンという短い選手生活を終えた。
 
5.フレディ・ボイド(Freddie Boyd)
d5

出身校:オレゴン州立大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:PHI(1972~1976)→NOJ(1976~1978)
キャリア平均:8.5PPG、1.6RPG、3.0APG

フィラデルフィア・76ersに入団し、1年目に平均10.5得点、3.7アシストという成績でオールルーキー1stチームに選出される。
しかし、その後は伸び悩み、1977-78シーズンにニューオリンズ・ジャズで21試合に出場した後にリーグを去った。
 
10.ポール・ウェストファル(Paul Westphal)
d10

出身校:サザンカリフォルニア大学
ポジション: SG、PG
所属チーム:BOS(1972~1975)→PHO(1975~1980)→SEA(1980~1982)→NYK(1982~1983)→PHO(1983~1984)
キャリア平均:15.6PPG、1.9RPG、4.4APG、1.3SPG、.504FG%
ALL TEAM:All-NBA 1st 3回、All-NBA 2nd 1回
オールスター出場:5回(1977~1981)

ボストン・セルティックスに入団し、2年目に優勝を経験したが、ウェストファルの役割はまだ限定的なもので、プレイオフの成績は平均5.7得点を記録するにとどまっていた。
翌シーズンにローテーション入りすると、短い出場時間の中で平均9.8得点を記録し、能力の片鱗を見せた。
しかし、厚い選手層を誇るセルティックスでは先発に昇格する見込みは少なく、契約終了後にチームを去ると考えたセルティックスは、1975年にフェニックス・サンズとのトレードでウェストファルを放出した。
サンズで先発の座を与えられたウェストファルは、さっそく平均20.4得点、5.4アシスト、2.6スティールを記録し、チームのエースへと成長する。
ウェストファルの活躍で6シーズンぶりのプレイオフ進出を決めたサンズは、次々と上位チームを撃破する快進撃を見せ、ファイナルではウェストファルの古巣セルティックスとの対戦となった。
優勝は惜しくも逃したものの、実力で上回るセルティックスを相手に善戦し、特にトリプル・オーバータイムまでもつれ込んだ第5戦は現在もファイナル史上最高の試合として語り継がれる激戦となった。
ウェストファルは翌シーズンから5シーズン連続でオールスターに選出され、オールNBAチームの常連となり、リーグを代表する選手となった。
1977-78シーズンにキャリアハイとなる平均25.2得点を記録し、翌シーズンからはサンズを2年連続で50勝以上の好成績に導いた。
1980-81シーズンにトレードでチームを去ってからは故障に苦しむようになり、全盛期のような活躍を見せる事はできなかった。
1983-84シーズンに古巣サンズに戻り、1シーズンをプレーして現役を引退した。
背番号『44』はサンズで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/rQf6h8LL_vw
 
12.ジュリアス・アービング(Julius Erving)
d12

出身校:マサチューセッツ大学アマースト校
ポジション: SF
所属チーム:ABA(1971~1976)→PHI(1976~1987)
キャリア平均:24.2PPG、8.5RPG、4.2APG、2.0SPG、1.7BPG、.506FG%
個人賞:ABA MVP3回(1973-1974、1974-1975、1975-1976)、MVP1回(1980-1981)、All-Star Game MVP2回(1977、1983)
ALL TEAM:All-ABA 1st 4回All-ABA 2nd 1回ABA All-Defensive 1st 1回、All-NBA 1st 5回、All-NBA 2nd 2回
オールスター出場:16回(1972~1976、1977~1987)

「Dr.J」の愛称で親しまれ、創造性豊かなプレーと芸術的なダンクで後の多くの選手に計り知れない影響を与えた。
大学では平均20得点、20リバウンドを超える活躍を見せていたが、当時のカレッジバスケではダンクが禁止されていたため、その能力はまだ全国的には知られていなかった。
大学での3年目を終えると、卒業を待たずにABAのチームと契約を結び、プロの舞台でその才能を開花させていく。
1年目から平均27.3得点、15.7リバウンド、4.0アシストという活躍を見せたが、その数字以上に、ファンはアービングが披露する誰も見たことのないような豪快で華麗なパフォーマンスに熱狂した。
アービングはABAに在籍した5シーズンで得点王に3回、MVPに3回、そして2度の優勝を果たし、リーグ最大のスター選手として絶対的な地位を築いた。
1976年にABAが消滅すると、アービングが在籍していたニューヨーク・ネッツはNBAに加盟する事になったが、莫大な加盟料に加え、本拠地を同じにするニューヨーク・ニックスへの支払いも科せられ、財政難からアービングを手放さざるをえなくなった。
アービングは現金との交換でフィラデルフィア・76ersに入団する事になり、大きな注目を集めてNBAのキャリアをスタートさせる。
迎えた1976-77シーズン、平均21.6得点、8.5リバウンドを記録し、ABA時代から見るとやや物足りない成績となったが、チームへの適応を優先させた結果、数年前まで極度の不振に陥っていた76ersは、プレイオフを勝ち進んでファイナルに進出する快進撃を見せた。
優勝はならなかったもののチームを躍進させ、オールスターでは30得点、12リバウンド、4スティールの活躍でMVPに輝き、NBAを舞台にアービングの名声は益々高まっていった。
アービング効果で商業的にも大成功をおさめた76ersは、本格的にアービングを中心としたチーム作りを進めていく。
76ersは1979-80シーズンから3シーズン連続で60勝前後を記録する強豪へと成長したが、悲願の優勝はこの時期に登場したマジック・ジョンソンラリー・バードという2人の新人に遮られる事になった。
ラリー・バードが入団したボストン・セルティックスは76ersがファイナルに勝ち進む上で最大の障壁となり、セルティックスを破っても、次に待ち構えるのはマジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズだった。
1980年からレイカーズとセルティックスが交互に優勝する状況となり、76ersは好成績を残しながら優勝にあと一歩届かないシーズンが続いた。
1982年にファイナルでロサンゼルス・レイカーズに敗退すると、1981-82シーズンのMVP選手モーゼス・マローンを獲得するという大胆な補強に打って出る。
マローンを加えた76ersは翌1982-83シーズンにリーグを支配する存在となり、65勝17敗の好成績でシーズンを終えると、圧倒的な勢いでファイナルまで勝ち進み、過去2度の辛酸を味わされてきたロサンゼルス・レイカーズを4戦全勝で破って優勝を果たした。
ファイナルMVPはマローンが受賞したが、マローンは「アービングのために戦ったんだ」と、その優勝をアービングに捧げた。
1984年になると、アービングのプレーを継承するかのようにマイケル・ジョーダンが登場し、ライバルとなる同世代の選手も歴史に名を刻むような活躍を見せ、NBAはかつてないほどの熱狂的な時代を迎える。
1986-87シーズン、アービングはこのシーズン限りでの引退を宣言し、アウェーの試合では行く先々でセレモニーが行われるなどリーグ全体がアービングの引退を惜しんだ。
アービングはコート外でもメディアやファンに丁寧に接する人格者として知られ、常にリーグの代表者として振る舞い、薬物問題などにより著しく汚されていたNBAのイメージ向上に大きな役割を果たした。
背番号『6』は76ersで永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/kydMLbdjjcQ
 
16.ジム・プライス(Jim Price)
d16

出身校:ルイビル大学
ポジション: PG
所属チーム:LAL(1972~1974)→MIL(1974~1976)→BUF(1976)→DEN(1976~1978)→DET(1978)→LAL(1978~1979)
キャリア平均:10.0PPG、3.1RPG、3.7APG、1.6SPG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:1回(1975)

ロサンゼルス・レイカーズに入団し、控えとして起用された1年目は目立った成績を残す事ができなかったが、2年目のシーズンにジェリー・ウェストが31試合の出場にとどまると、ウェストに代わって先発に起用され、平均15.4得点、4.5アシストを記録した。
ウェストの引退により翌シーズンは開幕から先発を務めていたが、シーズン序盤のトレードでミルウォーキー・バックスへ移籍した。
バックス移籍後も好調を維持し、平均16.1得点、5.7アシスト、2.2スティールという活躍で初めてオールスターに選出されている。
しかし、その活躍は長くは続かず、移籍2年目に数字を下降させると、翌シーズンの序盤にトレードされ、その後は短い期間に何度も移籍を繰り返す事になった。
1978-79シーズンを古巣のレイカーズで過ごし、シーズン終了後に7シーズンという選手生活を終えている。
 
23.ブライアン・テイラー(Brian Taylor)
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出身校:プリンストン大学
ポジション: PG
所属チーム:ABA(1972~1976)→KCK(1976~1977)→DEN(1977~1979)→SDC(1979~1982)
キャリア平均:13.1PPG、2.7RPG、4.1APG、2.1SPG、.356 3P%
個人賞:ABA Rookie of the Year
ALL TEAM:All-ABA 2nd 1回ABA All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 2nd 1回
オールスター出場:2回(1975~1976

大学で2年プレーした後、卒業を待たずにABAのニューヨーク・ネッツに入団する。
1年目に平均15.3得点を記録して新人王を獲得すると、その後も2度の優勝、2度のオールスター出場と、ABAを代表する選手として活躍した。
1976年のABA消滅に伴ってカンザスシティ・キングスに加入し、NBAのキャリアをスタートさせる。
1年目から平均17.0得点、2.8スティールを記録し、ABA時代を上回る活躍を見せたが、翌シーズンに故障して以降は怪我に悩まされるシーズンが続いた。
1979-80シーズンに健康を取り戻し、3シーズンにわたり10得点、5アシスト前後を記録した。
 
31.ロイド・ニール(Lloyd Neal)
d31

出身校:大学
ポジション: PF、C
所属チーム:POR(1972~1979)
キャリア平均:11.1PPG、7.7RPG、1.5APG

ポートランド・トレイルブレイザーズに入団し、1年目は同期のドラフト1位選手のラルー・マーティンを上回る出場時間を与えられ、平均13.4得点、11.8リバウンドの成績でオールルーキー1stチームに選出された。
1975-76シーズンにキャリアハイとなる平均15.5得点を記録し、1977年の優勝時にはシックスマンとしてチームに貢献している。
インサイドの選手としては小柄な201cmの身長ながら、ハードワークと粘り強いプレーでファンのお気に入りの選手となったが、足の故障により1979年に7シーズンという短い選手生活を終える事になった。
背番号『36』はブレイザーズの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/PsFPAU9sRQg
 
34.ドン・ブース(Don Buse)
d34

出身校:エバンズビル大学
ポジション: PG、SG
所属チーム:ABA(1972~1976)→IND(1976~1977)→PHO(1977~1980)→IND(1980~1983)→POR(1983)→KCK(1983~1985)
キャリア平均:7.1PPG、2.7RPG、4.6APG、2.0SPG
ALL TEAM:All-ABA 2nd 1回ABA All-Defensive 1st 2回、All-Defensive 1st 4回
オールスター出場:2回(1976、1977)

ABAのインディアナ・ペイサーズに入団する。
キャリア初期は目立つ成績を残せなかったが、ABA最終年となった1975-76シーズンに平均12.5得点、8.2アシスト、4.1スティールを記録し、アシスト王とスティール王の2冠を達成する活躍を見せた。
1976年のABA消滅により、ペイサーズはNBAに加盟する事になり、ブースはペイサーズの選手としてNBAのキャリアをスタートさせる。
迎えた1976-77シーズン、得点面では数字を下降させたが、8.5アシスト、3.5スティールを記録し、ABA時代から2シーズン連続でアシストとスティールの2冠に輝いた。
シーズン終了後にトレードでフェニックス・サンズに移籍する事になったが、NBA加入1年目から4年連続でオールディフェンシブ1stチーム入りを果たすなど、優れたディフェンス力でチームに貢献した。
 
39.ケビン・ポーター(Kevin Porter)
d39

出身校:セントフランシス大学
ポジション: PG
所属チーム:BAL-CAP-WSB(1972~1975)→DET(1975~1977)→NJN(1977~1978)→DET(1978~1979)→WSB(1979~1983)
キャリア平均:11.6PPG、1.8RPG、8.1APG、1.4SPG

3巡目、全体39位という下位指名でボルチモア・ブレッツに入団し、キャピタル・ブレッツ、ワシントン・ブレッツと名前を変えていくチームで司令塔として活躍した。
3年目の1974-75シーズンに平均11.6得点、8.0アシストを記録し、最初のアシスト王に輝く。
その後は移籍を繰り返し、異なるチームで4度のアシスト王に輝く活躍を見せた。
1978-79シーズンにそれぞれキャリアハイとなる平均15.4得点、13.4アシストを記録している。
1979年からはブレッツに復帰し、3シーズンをプレーした後に現役を引退した。
 
58.ヘンリー・ビビー(Henry Bibby)
d58

出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
ポジション: PG
所属チーム:NYK(1972~1975)→NOJ(1975~1976)→PHI(1976~1980)→SDC(1980~1981)
キャリア平均:8.6PPG、2.3RPG、3.3APG

ドラフトでは4巡目、全体で58位指名という低い評価だったが、同ラウンドで指名された選手が1試合もプレーしないまま消えていく中、9シーズンという長い現役生活をおくった。
1976年から在籍したフィラデルフィア・76ersでは先発を務め、1978-79シーズンにはキャリアハイとなる平均12.2得点を記録している。
兄のジム・ビビーはメジャーリーグの投手、息子のマイク・ビビーは父と同じく元NBA選手として活躍した。
 

この記事を書いた人
TANA

バスケ初心者でありながらバスケサークルを立ち上げる。
2025年までの代表。
初心者ならではの視点でバスケを見つめ、「もっと楽な道」がないかを常に探求し続ける。

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