1951年 NBAドラフト

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主なプレイヤー
 
1.ジーン・メルチオーレ(Gene Melchiorre)
d1

出身校:ブラッドリー大学

大学時代は173cmという身長ながら優れたパス能力と得点能力で活躍し、ドラフトではボルチモア・ブレッツから1位指名を受けた。
しかし、全米各地の大学を巻き込む八百長スキャンダルの当事者として執行猶予付きの有罪判決を受けたため、NBAでプレーする事ができなかった。
 
2.メル・ハッチンス(Mel Hutchins)
d2

出身校:ブリガムヤング大学
ポジション: PF、C
所属チーム:MLH(1951~1953)→FTW(1954~1957)→NYK(1957~1958)
キャリア平均:11.1PPG、9.6RPG、3.0APG
オールスター出場:4回(1953~1954、1956~1957)

ミルウォーキー・ホークスに入団し、1年目に平均9.2得点、13.3リバウンド(通算880リバウンド)を記録して、新人にしてリバウンド王に輝いた。
翌1952-53シーズンには平均11.7得点、11.2リバウンド、3.2アシストを記録し、オールスターに選出された。
シーズン終了後、フォートウェイン・ピストンズに移籍し、主力選手のひとりとして2度のファイナル進出に貢献している。
1956-57シーズンにキャリアハイとなる平均12.4得点を記録したが、翌1957-58シーズンはニューヨーク・ニックスに移籍し、1シーズンをプレーした後に現役を引退した。
甥のキキ・バンダウィエイも元NBA選手として活躍し、ポートランド・トレイルブレイザーズなどでプレーした。
youtube:http://youtu.be/4bOvJDH8uJ8
 
9.ドン・サンダーレッジ(Don Sunderlage)

出身校: イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校
ポジション: SG
所属チーム:MLH(1953~1954)→MNL(1954~1955)
キャリア平均:7.7PPG、2.5RPG、2.0APG
オールスター出場:1回(1954)

ミルウォーキー・ホークスに入団し、1年目に平均11.2得点を記録してオールスターに選出された。
しかし、シーズン終了後にミネアポリス・レイカーズに移籍すると、出場時間が急激に減少し、シーズン終了後にリーグを去った。
1961年に事故死した。
 
ドラフト外.ニール・ジョンストン(Neil Johnston)
d2

出身校: オハイオ州立大学
ポジション: C
所属チーム:PHW(1951~1959)
キャリア平均:19.4PPG、11.3RPG、2.5APG
オールスター出場:6回(1953~1958)

1951年にフィラデルフィア・ウォリアーズのキャンプに参加し、ドラフト外から見事ロスター入りを果たす。
1年目はわずかな出場時間で平均6.0得点、5.3リバウンドを記録するにとどまった。
翌1952-53シーズン、ウォリアーズは12勝57敗という大不振に陥ったが、この状況が無名選手のジョンストンに多くの活躍の場を与える事になった。
出場時間を増加させたジョンストンは平均22.3得点、13.9リバウンド、FG成功率45.2%を記録し、得点王獲得、オールNBA1stチーム選出と、飛躍的な成長を遂げた。
ウォリアーズは一躍リーグのトップセンターとなったジョンストンを中心にチーム作りを進め、徐々にチームの陣容は充実さを増していく。
ジョンストンは3年連続で得点王に輝き、1953-54シーズンにキャリアハイとなる平均24.4得点を記録、翌1954-55シーズンには平均22.7得点、15.1リバウンドを記録し、得点王とリバウンド王の二冠を達成した初の選手となった。
そして1955-56シーズン、ウォリアーズは4シーズンぶりのプレイオフに進出すると、プレイオフを勝ち抜いてファイナルに進出し、フォートウェイン・ピストンズを破って優勝を果たした。
ジョンストンはその後もチームの中心選手として活躍したが、1958-59シーズンに膝の故障に襲われ、28試合に出場した後に現役を引退した。
1978年に49歳で死去した。
 

この記事を書いた人
TANA

バスケ初心者でありながらバスケサークルを立ち上げる。
2025年までの代表。
初心者ならではの視点でバスケを見つめ、「もっと楽な道」がないかを常に探求し続ける。

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