前年のドラフト・翌年のドラフト・ドラフトトップ
新人王:ウォルト・ベラミー(Walt Bellamy)
主なプレイヤー
※赤字はABA時代のもの・キャリア平均はNBA・ABAの通算平均
1.ウォルト・ベラミー(Walt Bellamy)

出身校:インディアナ大学
ポジション: C
所属チーム:CHP-CHZ-BAL(1961~1965)→NYK(1965~1968)→DET(1968~1970)→ATL(1970~1974)→NOJ(1974~1975)
キャリア平均:20.1PPG、13.7RPG、2.4APG、.516FG%
個人賞:Rookie of the Year
オールスター出場:4回(1962~1965)
愛称は「ビッグ・ベル」。
1960年のローマ五輪で金メダルを獲得し、翌1961年のドラフトで新設されたばかりのシカゴ・パッカーズに指名を受ける。
身長211cmの大型新人はすぐにチームの大黒柱として活躍を始め、リーグ2位の平均31.6得点、リーグ3位の19.0リバウンド、リーグトップとなるFG成功率51.9%という圧巻の数字を残して新人王を獲得した。
パッカーズは翌年にシカゴ・ゼファーズに改称し、さらに翌年には本拠地を移転してボルチモア・ブレッツとなった。
ベラミーはこの間、常にチームの中心選手として活躍を続け、1964-65シーズンには創部4年目のブレッツを初のプレイオフ進出へと導いている。
この頃、長い低迷からの脱却を図るニューヨーク・ニックスはベラミーの獲得を切望し、1965年に3人の選手と現金をブレッツに差し出してベラミーの獲得を実現させる。
ウィリス・リードら徐々に戦力が整いつつある中で個人成績は若干の下降を見せたが、ベラミーとリードは強力なフロントコートを形成し、ニックスはベラミーが加入して2年目に8シーズンぶりとなるプレイオフに進出した。
復活の兆しが見えてきたニックスはさらに補強を進めたが、大きな改善が見られないと、1968-69シーズンの途中にデトロイト・ピストンズのデイブ・ディバッシャーをトレードで獲得し、その交換相手としてベラミーはピストンズに放出される。
ベラミーはこのシーズン、日程の関係でリーグ史上最多となる88試合に出場している。
その後、アトランタ・ホークスへと移籍したベラミーは、ベテランとなってなお平均15得点、13リバウンド前後を記録し続け、強豪ホークスの中心選手として活躍した。
デビューから5シーズンを過ごしたブレッツで記録した平均27.6得点、16.6リバウンドという数字は、それぞれチーム(現ワシントン・ウィザーズ)歴代1位の記録となっている。
2013年に74歳で死去した。
youtube:http://youtu.be/5pOeiWbUZTw
4.レイ・スコット(Ray Scott)
出身校:ポートランド大学
ポジション: PF、C
所属チーム:DET(1961~1967)→BAL(1967~1970)→ABA(1970~1972)
キャリア平均:14.3PPG、9.8RPG、2.2APG
デトロイト・ピストンズでは1年目から平均13.3得点、11.5リバウンドを記録し、ベイリー・ハウエル、ウォルター・デュークスらとともに強力なフロントラインを形成した。
スコットは毎年のように平均ダブルダブルの成績を残し、3年目には平均17.6得点、13.5リバウンドを記録している。
1967年に移籍したボルチモア・ブレッツでチームのトップリバウンダーとして活躍したが、徐々に成績が下降し、1970年にABAバージニア・スクワイアーズに移籍して1971-72シーズンを最後に現役を引退した。
7.トム・メシェリー(Tom Meschery)

出身校:聖メアリー大学カリフォルニア校
ポジション: SF、PF
所属チーム:PHW-SFW(1961~1967)→SEA(1967~1971)
キャリア平均:12.7PPG、8.6RPG、1.7APG
オールスター出場:1回(1963)
ロシア系アメリカ人のメシェリーは「Furious Russian(猛烈なロシア人)」という異名を与えられ、荒々しいプレースタイルで活躍した。
第二次世界大戦中に東京の収容所で生活し、終戦後にようやく父の待つアメリカへ移住した。
8年生になって始めたバスケットボールでその名を知られる選手へと成長すると、1961年のドラフトにエントリーし、ウィルト・チェンバレンやポール・アリジンら優秀な人材が揃うフィラデルフィア・ウォリアーズに入団する。
メシェリーは1年目から平均12.1得点、9.1リバウンドを記録したほか、リーグトップとなる通算330ファウルも記録し、毎晩のようにテクニカルファウルを貰う姿から「Furious Russian」と名付けられるなど存在感を発揮した。
2年目にはチームが本拠地を移転してサンフランシスコ・ウォリアーズと改称し、メシェリーは新チームでチェンバレンに次ぐ平均16.0得点を記録してオールスターに選出される活躍を見せた。
1964年にはファイナル進出も経験したが、チェンバレンがトレードでチームを去ると、ウォリアーズの成績は一気に低迷する。
ネイト・サーモンドやリック・バリーの活躍でチームは早々に成績を改善させたが、その陰でメシェリーは出場時間を奪われ、1967年にシアトル・スーパーソニックスへと移籍する。
創設されたばかりのソニックスで再び主力としての役割を与えられると、移籍1年目に平均14.5得点、10.2リバウンドを記録し、キャリア初のシーズン・ダブルダブルを達成した。
ソニックスで4シーズンを過ごし、1970-71シーズンを最後に現役を引退した。
背番号『14』はウォリアーズの永久欠番となっている。
youtube:http://youtu.be/NpnIWjVGP_M
12.ドン・コージス(Don Kojis)

出身校:マーケット大学
ポジション: SF
所属チーム:BAL(1963~1964)→DET(1964~1966)→CHI(1966~1967)→SDR(1967~1970)→SEA(1970~1972)→KCO(1972~1975)
キャリア平均:12.2PPG、5.6RPG、1.4APG
オールスター出場:2回(1968~1969)
キャリア初期は目立った成績を残せず、1967年にエクスパンション・ドラフトで移籍したサンディエゴ・ロケッツが5年目にして4つ目のチームとなった。
コージスの能力はロケッツ移籍後にようやく開花し、移籍1年目に平均19.7得点、10.3リバウンドを記録してオールスターに選出され、大きな飛躍を遂げる事になった。
翌シーズンにはキャリアハイとなる平均22.5得点を記録し、新人エルビン・ヘイズとともにチームを初のプレイオフ進出に導く。
その後もロケッツの中心選手として活躍したが、1970年にシアトル・スーパーソニックスに移籍してからは徐々に成績を下降させ始め、1972年に移籍したカンザスシティ=オマハ・キングスで3シーズンを過ごした後、1975年に現役から引退した。
32.ビル・ブリッジーズ(Bill Bridges)

出身校:カンザス大学
ポジション: PF
所属チーム:STL-ATL(1963~1971)→PHI(1971~1972)→LAL(1972~1974)→GSW(1975)
キャリア平均:11.9PPG、11.9RPG、2.8APG
ALL TEAM:All-Defensive 2nd 2回
オールスター出場:3回(1967~1968、1970)
198cmの身長ながら、屈強な肉体を武器にリーグ屈指のリバウンダーとして活躍した。
ドラフトではシカゴ・パッカーズから指名を受けたが、NBA入りはせず、誕生したばかり新リーグABLのチームと契約した。
リーグを代表するプレイヤーとして活躍したものの、1963年にABL自体が消滅してしまったため、1962-63シーズンの終盤にセントルイス・ホークスと契約し、NBAデビューを果たす事になった。
NBAでの最初の2シーズンは低調な成績に終わったが、3年目に平均11.5得点、10.8リバウンドのシーズン・ダブルダブルを記録すると、以降9シーズン連続でダブルダブルを記録し続けた。
1966-67シーズンにはキャリアハイとなる平均17.4得点、15.1リバウンドの成績を残し、オールスターにも初めて選出されている。
インサイドのディフェンスの要としてチームを支え、ホークスはブリッジーズが在籍した10シーズンの間、常にプレイオフに進出している。
晩年はチームを転々とし、現役最後となった1974-75シーズンに、ゴールデンステイト・ウォリアーズでキャリア初のチャンピオン・リングを獲得している。



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